第5話 序章2の3 新天地

 ガタン、ゴトン・・・・、ガタン、ゴトン・・・・。

 ガタン、ゴトン・・・・、ガタン、ゴトン・・・・。


 まず聞こえたのは、規則的な音。

 それに加え、その音に合わせて感じる心地よい揺れを身体を刺激する。

 そのリズムを感じると共に、深く深く暗い水底から、上へ上へ光が指す方へと意識が浮上していくような感覚に囚われる。

 そして、微睡まどろみの海の中から抜け出した深夜は、静かに目を開いた。


 線路を滑る軽快な音と、全身に絶えず感じる列車の振動が、更なる覚醒を促す。

 深夜のすぐ目の前には、天井があった。いや正確には、上段の寝床の天板だった。

 目前の天井から顔を逸らし、窓に目を向ける。

 窓に掛けられた遮光しゃこうカーテンの隙間から、光が差し込み、個室の中をほのかに照らしていた。


(もう朝か・・・。)


 再び上段の寝台へ目を向け、昨晩の夢を思い返した。

 随分と懐かしい夢を見た。3人で遊んでいたあの頃、修行や鍛錬の日々のこと・・・、そしてあの天覧試合と、その時に起こったことと・・・。

 そこで目を閉じて追想を中断し、脳裏に浮かんでいた映像を断ち切った。

 それと同時に、枕元をまさぐった。

 置いてあった時計を掴み、持ち上げると、針は6時を少し過ぎた辺りを指し示していた。


(あと4時間程度といったところか。)


 昨晩の9時に京都駅を発ったこの列車は、およそ13時間を掛けて東京駅に到着する予定だった。


(早く目覚めてたは良いが、さてどうするか。)


 列車には食堂車両が付いており、乗客たちの為の朝食が用意されているが、それは7時から9時の間だった。

 もう寝床から出るか。

 7時まで二度寝をするか。

 どうしたものかと思い悩んでいた時に、ふと別の考えが浮かんだ。


「そう言えば・・・、」


(若葉はもう起きたのだろうか。)


 上の段の寝床の主は今どうしているのだろうか、と考えた深夜は、目の前の天井を軽く叩いた。すると、


「どうしたの、深夜?」


 という声が、即座に上から帰ってきた。


「なんだ、もう起きてたのか。というか何時頃に起きたんだ。」


 反応の速さから、今起きたばかりではないのだろう。


「んー、だいたい20分ぐらい前かな。それと深夜、今何時か分かる?」


「6時10分だ。朝食までは、まだ時間があるぞ。」


「そう。」


 その言葉の少し経った後に、若葉は上段の寝床から下へ飛び降りてきた。

 スタッと、大きな音を立てることなく床に降り立ち、寝台の方へ振り返った。


「おはよう、深夜。」


「ああ、おはよう。」


「いよいよ、だね・・・。」


「ああ・・・。」


「よっちゃんは、もう向こうにいるんだよね。」


「・・・・ああ。」


 この時、己がどんな顔をしていたのか、深夜自身にも判らなかった。


「ごめんなさい・・・。」


 若葉が怯えたように委縮してしまい、そこで会話が途切れてしまった。深夜もまた返す言葉が見つからず、バツの悪さに顔を背ける

 そして深夜は寝床から出た。

 もはや、二度寝するような気分は失せてしまった。

 立ち上がった深夜は、寝台車両の個室内に用意されていたコーヒーを煎れた。

 強い苦味が口の中に広がり、思わず顔をしかめる。

 だが今は気を紛らわすには、これくらいの方が良いのだろう。

 深夜は構わず、二口、三口とコーヒーを流し込んだ。


「私は少し、列車の中を見て回って来るよ。

 深夜は、その・・・、まだここでくつろいでいたいよね。」


「ああ、そうだな。」


「うん分かった。それじゃあ、朝食までには戻って来るから。

 じゃあね・・・。」


 そう言って、若葉は個室を後にした。

 中には只独り、深夜だけが取り残された。


「クソがッ!」


 若葉の煮え切らない態度、遠慮しがちな表情。それらの何もかもが、深夜のしゃくさわった。

 思わず手にしているカップを叩き壊したくなる衝動に駆られる。

 だがそれも、寸でのところで思い止まり、振り上げた腕の力を抜いた。

 深夜は、手にした空のカップを力無く机の上に置いた。


「何やってんだよ俺は・・・。」


 深夜の中にわだかまっていた怒りが、次第に霧散していく。

 頭が冷めていくと、今度は強い自己嫌悪に襲われる。


 結局あの怒りも、若葉に八つ当たりをしているだけだったのだ。

 そのことは、自身は嫌と言う程に自覚していた。そしてそこまで分かっていながら、それをどうにも押さえつけることが出来ずに当たり散らしてしまう。


 深夜はそんな己の情け無さが、溜まらなく嫌だった。


    ※

 

 その後、7時少し前に戻って来た若葉と共に、深夜は食堂車両へ向かった。

 食堂には既に数十人の乗客がいた。

 窓際で外の景色を見ながら楽しそうに団欒だんらんを取る家族連れの一行や、カウンター席に座って新聞を片手に食事をする背広姿ぜびろすがたの紳士など、各々朝食を楽しんでいた。

 深夜と若葉は、食堂の端の席に座り朝食を取った。


 そしてその間、二人は互いに一言も交わすことはなかった。

 若葉が何とか話し掛けるきっかけ作ろうと苦心するが後一歩が踏み出せずにいる、という状況が続いていた。

 深夜も当然それには気が付いていたが、敢えて己から何かはたらき掛けることは無かった。

 下手に拗らせて余計に雰囲気が悪くなるぐらいならば、今の状況の方がまだマシだったからだ。

 遂には一言の会話も無く食事を終え、二人は個室車両へ戻っで行った。


    ※


 そして相変わらず、個室の中でも沈鬱ちんうつな空気が漂っていた。

 そんな中、不意にドアがノックされ、扉が開かれた。そこから車掌が姿を現すと、


「間もなく、藤沢駅に到着します。降りられる方は準備をお願いします。」


 という車内連絡を事務的な抑揚で告げた。


「なお終点東京駅には、およそ1時間と20分後に到着いたします。」


 そんな車内連絡をよそに深夜は、車掌のすぐ後ろに立つ少年に関心が向いていた。

 車掌が連絡を終えてドアを閉めようとした時に、その少年が急いでドアが閉じられるのを遮った。

 車掌はムッと憮然ととした表情を浮かべたが、その少年はニコニコした笑顔を彼に向け、


「いいから、いいから。」


 と言って制した。

 釈然としない顔ではあったが特に何かを言うことも無く、車掌はこの場を去った。

 それを少年は、ヒラヒラと手を振って見送る。

 そしてドアの前に残った少年は、深夜と若葉の方に向き直り、


「お兄さん、お姉さん、新聞いりませんか。」


 と笑顔で言った。

 突然の珍客に、二人は多少戸惑った。


「あれ・・・、」


 そんなことにはお構いなしに少年は、二人をジーッと見つめ、そしてニヤリと笑った。


「おやおやおやー、お二人とも随分とお若いようですが、もしかして駆け落ちですか?

 それとも禁断の恋と愛の逃避行、てヤツですか?」


 そんな少年の冗談めいた調子に、


「ちげえよ、遊学ゆうがくだ、遊学。つーか、どっちも同じようなもんじゃねえか。」


 深夜は、思わず口調が強くなった。

 それでも少年は特に気にした風も無く、


「学生さんですか。それなら是非、買うべきですよ。東京の良いお店の情報なんかも、いっぱい入ってますから。」


 更にぐいぐいと突っ込んできた。

 加えて、いつの間にか少年は個室の中に入っていた。


「それにしても、お姉さん、すっごく綺麗ですね。こんな美人さんが彼女だなんて・・・、しかも個室に二人っきりだなんて・・・。

 まったくお兄さんも隅に置けませんねぇ。」


 少年が目を細め、悪戯っぽく言った。


「アホか、誰がこんな女なんかと、」


 深夜が適当な調子で否定する。だがその瞬間、


「へー、こんな女ね。そんなこと言うんだ。」


 芯から脊髄が凍り付くような、感情の消滅した声が後ろから聞こえてきた。


「あーあ、やってしまいましたなあ。彼女さん、怒らせちゃってどうするんですか。」


 少年は肩を竦めながら両手を広げた。

 まるで他人事と言わんばかりに、のんきな口調だった。


    ※


 その後は、少年が若葉側に付き、二対一の言い争いが起こった。

 若葉と深夜の言い争いが表立っていたが、口論の絶妙なタイミングで、少年が若葉に助言を出すことで徐々に争点がズレ始めていた。

 やがてその口論に終わりが見えた頃には、何故か、深夜が若葉においしいものを食べさせろ、という議論すり替わっていた。

 そこですかさず少年は新聞を売り込むことにより、若葉は満足そうに新聞広告を眺め、少年もホクホク顔を浮かべていた。

 

「えっと、ここに行ってー、次はここでー、その次はここでー・・・」


「お姉さん、ここもお勧めですよ。ここの和菓子は特に美味しいんです。」


「そんなに行けるわけねえだろ。つーか、そんなに、食えねえだろ。」


「えー、大丈夫だもん。それよりも、ちゃーんと約束通り、着いたら今日一日私の言うことを聞いてね。」


「普通あんなのを約束って言うかよ。」


「返事はー。」


「はいはい、わかりましたよ。」


「うむ、よろしい。」


 満足した顔で若葉は頷いた。


「何だかんだ言って、お兄さんも優しいですね。」


 途中からシレッと個室の中に少年は居座って、二人の話に混ざっていた。

 終始少年の思惑通り動かされたことに、深夜は釈然としない思いだった。


「結局最後までお前の掌の上だった、てか。」


「えー、何のことでしょう。」


(とぼけやがって、この狸小僧。)


 深夜は胸中で毒づいた。


(だが、まあいい。)


 そのおかげで、気になる事が見つかった。


「それで、あれは何なんだ。」


 そう言うと深夜は、新聞を指さした。

 今若葉が持ち上げて呼んでいる新聞の裏側、つまり朝刊の第一面だった。

 そこには、


『またもや発生、連続殺人事件。未だ掴めぬ犯人像、東洋のジャック・ザ・リッパーか』


 そんな見出しが大きく書かれていた。


    ※


「ああ、これですか・・・。」


 初めて少年の声の調子が、僅かに曇った。


「昨年の12月頃から起こり始めたんですよ。人がバラバラに切り刻まれる事件が・・・。」


 少年の説明に深夜は聞き入る。若葉も新聞を閉じて、耳を傾けていた。


「被害者の悲鳴を聞いて人が駆け付けると、そこにはバラバラにされた身体が散乱して、辺りは血の海となっていた・・・、と言う感じなのですが、そこが恐ろしいところなんです。」


「・・・なるほどね。」


 深夜は腕を組んで考えた。

 その話が確かならば、ソイツはバラバラにされる直前まで生きていた。或いは・・・。


「生きたまま切り裂かれた、ってことか。

 犯人は刀の達人か、それとも電動鋸でんどうのこぎりでも使ったんかね。」


「話では、切り口は鋸のように削り切られた感じでは無く、驚くほど綺麗な切り口だったそうです。」


「なら刀か、それに似た得物で一閃か。」


 だが少年は首を横に振った。


「ですが、その事件の前後で、そんな長いモノを持って歩いている人はいないんです。」


「それで捜査が進まねえってことか。そんだけ大掛かりに人を斬れば、それだけの得物がいる。なのに、そういったモノを持った奴の目撃情報は皆無。

 単純に考えりゃ、下手人はもっと小さい得物を使っていると考えるんだが・・・、」


 短刀、小刀は論外。

 包丁もギリギリ隠し持てるかどうか、というところだ。

 ならばもう一回り小さいモノとなるが・・・。


「ソイツはどんだけの怪力だ、ッつー話よ。」


「まあ、他の人もだいたいお兄さんと似たような結論に着きますね。」


 そうして再び、個室の中に沈黙が訪れる。


    ※


 その後、再び同じ車掌が3人の下に訪れて、もう少しで終点の東京駅に到着する、という内容の連絡をした。


「おっと、少し長居をし過ぎてしまいましたね。それではお兄さん、お姉さん、ごきげんよう。

 また縁があったら、またどこかでお会いしましょうね。」


 そう言って少年は部屋を出て行った。

 深夜はあの少年に言っていない、もう一つの推測があった。


「ねえ深夜。この事件の犯人、きっと普通じゃないよ。」


 若葉は手にした新聞の記事に目を落とした。

 彼女も、深夜と同じ考えに至ったようだった。


「ああ、そうだな。」


 確かに普通じゃない。

 ソイツは常軌を逸した怪力の持ち主か。或いは、


「十中八九、俺達側の人間だろうな。」


 何らかの魔術が使える者なのだろう・・・。


    ※


 そして列車は、遂に東京駅についた。

 下車の支度をしている中、


「それでも、あの子が来てくれて良かった。

 色々と不穏なこともあったけど、今はこうして深夜も笑うようになったし、普通に話せるようになったし・・・。

 あの子に感謝しないとだね。」


 若葉は安心したように笑っていた。

 いろいろと釈然としない思いもさせられたが、あの時に少年が個室に入ってこなければ、今の若葉の笑顔は存在しなかったのも確かだった。

 深夜はそんなことを思いながら、


「そうだな、その通りだな。」


 珍しく素直に答えた。


「約束、覚えてるよね。」


「分かってるよ。今日一日は大人しく若葉に従うよ。」


 そして2人は、東京駅五番線の歩廊ほろうへ降り立つ。


    ◆


 序章2 終わり

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