第7話 序章3の2 逃彷

「ハァ・・・、ハァ・・・、」


 息を切らせながら、建物の間をうように走り抜ける2つの影があった。

 走るたびに足元の水が撥ね、裾を汚していくが、その影達はそんなことに今さら頓着しない。

 何故なら既に、二人は上から下まで余すことなくずぶ濡れになっていたからだ。


    ※

 

 11月も末の夜、晩秋を越えて既に冬へと移り変わりつつある。

 この日は朝から、生憎あいにくの空模様だった。

 そして、しとしとと降り注ぐ秋雨しゅううには、にわかに雪が混じりつつあった。


 そんな東京のとある歓楽街。

 表通りには様々な店が立ち並び、近年新しく設置されたネオン看板のきらびやかな光が、街を鮮やかに彩る。

 そんな煌めく街並みの中を、紳士や淑女の群れは思い思いに練り歩く。

 蠱惑こわく的に光る看板をたずさえた社交喫茶と、誘蛾灯に集まる羽虫の如く、吸い寄せられる男達。

 多種多様な酒瓶が並ぶ洋風酒場になだれ込む、仕事終わりと思しき集団。

 日が落ちて猶も人の絶えない大型百貨店を出入りするのは、のりのきいた背広のスーツやボルサリーノ帽を着こなす紳士、洋服スカートとカンカン帽を纏う淑女達。

 人が、建物が、文化が、一体となって華やかで瀟洒な夜の街を作り上げていた。


 およそ2カ月前に満州で端を発した関東軍と支那の軍隊との間の武力紛争を契機に、大陸を流れる風は、にわかに血と硝煙の臭いが混じり始めた。

 しかし、それとは対照的に街に吹く風はどこまでも華やかで、舶来の洋酒と香水の薫りをほのかに含んだ

空気を求めて、今日も多くの者達が夜の町へと集う。

 

 その光輝と栄華に満ちた繁華街の表通りから一歩、路地裏へと踏み込むと、そこには陰気と荒廃の蔓延る裏世界が広がっていた。

 表通りの煌びやかな光は届かない。

 そして鮮烈に輝く光だからこそ、路地裏へ落とす影は、より濃密な闇と化していた。

 そこは表世界の掃き溜めだった。

 裏世界を彷徨う者は、表から落とされたゴミや残飯を漁る乞食や襤褸外套ルンペン、ハイエナの如く弱者を付け狙う無頼漢ぶらいかんなど、およそまともと呼べる者達ではなかった。

 毎夜毎夜、略奪や搾取の横行する世界の空気は腐臭と血生臭さに満ちる、どこか大陸の風に似たものがあった。

 

 表世界の住人達は、まずそのような危険な世界に立ち入ることは無い。

 わざわざ危険な世界に、好き好んで入ろうと考える者など、まずいない。そしてそもそも、その様な場所があることを彼らが認識しているのかすら、定かではなかった。

 裏世界の住人もまた、己の行為を衆目に曝されることが、後々に自身に不利益を被ることを弁えているからか、表通りに出ることも無い。

 或いは、一度闇の領域に堕ちた者は光を忌み嫌う妖怪の如く、光の世界に戻ることを避けていた。


 そうして不思議と表と裏の住み分けが成され、互いがその領域を侵すことはほとんど無かった。

 だが裏世界は常に大口を開け、虎視眈々と機を窺う。

 深海魚の如く、哀れで愚かな被食者を待ち続けていた。

 そして闇は、一度堕ちて来た者へ容赦はしない。

 

 

    ※


「こわいよう、さむいよう、おねえちゃん・・・。」


「大丈夫よ、私が付いてるから・・・。もうすぐ暖かいところに連れて行くから、安心して。だから、もう少しだけ頑張ろう・・・。」


 片方が不安を口にすると、もう片方がそれを払拭すべく慰め、奮い立たせた。

 薄暗い路地裏を必死で駆け抜けるこの二つの濡れた影の正体は、千春と茜だった。


    ※


 千春と茜が東京に連れてこられたのは今からおよそ1年前。彼女らが人買いの次に身を委ねたのが浅草吉原遊郭の一画にある妓楼屋ぎろうやだった。

 

 吉原は元々静岡に存在した遊郭の一部を江戸時代に東京へ移転させたことが始まりだった。

 以降、江戸の武士、町民問わず男の社交場として繁栄してきた。

 明治以降、政府の出す法令や火災や震災、時代の流れなどにより吉原も徐々にかつての栄華にも陰りを見せて縮小していったが、それでも浅草に在り続けた。


 この頃の吉原の遊女は、公娼こうしょうとされていた。

 政府の思惑としてはこれ以上の売春宿の乱立と干渉不可の売春窟の発生を抑え、管理する為に遊女を公認する、といったものだった。

 公娼とされた遊女は、政府から保障を受けることができ、定期的な医師の診断や病気に罹患りかんした者への入院措置などが施された。

 しかし、公娼とされるには政府への登録が必要であり、大金の掛かることであったため、公娼と認められたのは売春婦全体のほんの僅かの者達だけであり、ほとんどの者は非登録の私娼ししょうであった。

また、遊女を求める側も公娼は高く付き、花魁ともなると庶民の男衆には手の出せる存在では無かった為、多くの者は公娼を嫌厭けんえんし、手頃な価格の私娼に手を出すのが常だった。


 千春と茜も囲われた後に、私娼としてすぐに売りに出された。

 本来であれば、この二人くらいの年齢であれば、禿かむろとして年上の遊女の雑用係として働くのが普通であり、客の相手をさせられることは無いはずであった。

 しかし二人にとって不運だったのが、囲われた妓楼屋が吉原の中でも札付きの売春窟であり、そこの客も破落戸ごろつきといえるような輩ばかりの店だったということである。

 この妓楼屋はそのようや吉原の慣習を殊更に無視し、それどころか二人が身体的にはまだ未成熟であったことを利用して、それに目を付ける一部の変質的な趣向の持ち主達の慰みものとして売りに出されてしまった。


『ガキを手籠めするってのは、やっぱスカッとすんなァ。』


『何がだよ、ギャーギャーうるせェだけじゃねえか。オラ、いつまで喚いてんだよ、ボケが!』


「いたいッ、いたいの・・・。やめて、やめてよぉ!」


『アッハッハー、容赦ないねー。あんまやり過ぎっと使いモンにならなくなっぞ。』


『うるせえッ、こっちは金擦ってイライラしてんだよ。

 それに、こんなガキ共の替えなんぞ、いくらでもあんだろうが。』


『まあ、ちげェねえ。そんじゃ俺も再開しますかね・・・。オイお嬢ちゃん、イイ声で泣き叫んでくれよ。その方が締まりがよくなるンでよ。』


「ひ・・・、い、ぎぃぃぃ!やめて、お願い、助けて!たすけ・・・うぁ・・ああ・・・。」


『ハッ、コレだよ、コレ。今夜のもイイ感じだぜーお嬢ちゃん。おおっと、気ぃ失って場合じゃねえぞ、時間はまだまだたっぷりあるんだからよぉー。アーっハッハッハッハッ・・・。』


 破落戸共ごろつきに毎夜毎夜容赦なく犯され嬲られるたびに千春と茜は苦痛と絶望で泣き叫んでいた。それを見た男たちの反応は、楽しみ更に嗜虐心に駆られて一層激しく凌辱を重ねるか、気分を害したかのように不機嫌になり暴行を加えるといったものだった。

 まだ幼い茜は、ただひたすらに泣き叫ぶだけだった。

 千春は、ただひたすらに必死で耐え続けた。茜を守るために変態共の矢面に立ち続けた。

 

『アレの名前、なんつったけか?』


『千春だろ。』


『そうそう、ソレだソレ。ここんところ、あのガキやたらと上手くなってきたよなあ。ちょっと前まではヒーヒー泣き叫ぶだけだったってのによぉ。』


『淫乱な牝狗メスイヌの根性が染みついてきたんだろ。」


『ちげえねえな。それに、もう一人のほうをヤろうとすると、「お願い、その子には手を出さないで。私のことは好きにしていいから!」って必死なツラで叫ぶんだぜ。ありゃソソられるよなあ。』


『普通、熟れてくると生意気になったり飽きが来るもんなんだが、あの必死な声とツラをされるとそれだけでイっちまいそうになるぜ。』


『何でそこまで必死になってあのチビガキを庇うんかねぇ?別に姉妹ってわけでもあるめぇに・・・。』


『ま、俺も鬼じゃねえから、あのチビガキの方には手ェ出してねえけどな。』


『よく言うぜ。その分、散々犯しまくってるくせによぉ。』


『うるせえよ、テメエだってヤりまくってるだろうが。まあいい、そんじゃ今夜もお嬢ちゃんの遊び相手になってやろうかね。』


 千春は死に物狂いで、学習していった。

 どうすれば奴等から虐められずに済むか、どうすれば彼等を喜ばせられるか・・・。

 夜を一つ越える度に、奴等の慰み物となる度に、学んでいった。

 全ては茜を守らんとするが為だった。


 そして半年が過ぎる頃には、千春はその手の男共の間では名の知れる遊女となっていた。

 ただしそれは華やか花魁とは程遠い、一部の変態共の受け皿としてであった。


 毎夜を身も心もズタズタに引き裂かれんばかりの凌辱を受け続けながらも、茜を守るため、来る日に向けて金を貯めるために身を切り続けた。

 元々まともでない店だからか、本来彼女らに渡るはずの給金も店に搾取され、ただ同然に働かされていた。

 だがそれでも千春は、そのなけなしの賃金を少しずつ隠し持ち、貯め続けてきた。  


 そしてその日が来た。この日は朝から雨模様の空だった。


    ※


「茜、もうすぐだから。」


「・・・うん。」


 彼女らの生活部屋兼監禁室でもある地下の座敷牢の中で、二人は頷き合う。

 勤めを終えた彼女らがここに戻り、その後すぐに店の主人がこの座敷牢に外から施錠をする。これが普段の流れであった。

 しかし、千春は事前に牢屋の鍵の位置を他の鍵とすり替えていた。


「・・・ん、おかしいな、鍵が合わないぞ。」


 案の定、主人は鍵が回らないことをいぶかしんでいた。

 千春は、彼がろくに確かめもせずに、ただそこに在るやつを持っていく性格であることも事前に調べた通りであった。

 主人は首をかしげながらも、正しい鍵を取りに座敷牢の間から出て行った。牢屋の鍵が開きっぱなしであることを気にも止めずに。


 千春と茜は貯め込んだお金と最小限の荷物を持って地下牢から上の階へ上がり、店の裏口を目指して廊下を進んだ。

 途中、廊下で数人の他の遊女と遭遇したが、互いに軽く会釈をすると後はそのまま素通りすることができた。

 これも、千春が想定していたことであり、店の中では常に誰かが歩き回っており、人がいなくなるタイミングが存在しなかった。

 しかし逆に誰もがそこを歩き回っていても特に怪しまれることのない状態でもあるため、千春は茜にも地下牢の上では堂々と歩くようにと、念を押していた。

 今この場で気を付けるべきは店の主人唯一人であったが、その主人も正面入り口の番台へ鍵を取りに行っているので、彼女らとは反対側にいるはずだった。


 廊下を抜け、厠を通り過ぎ、裏口のある部屋へと向かった。部屋に誰もいないことを確かめると急いで中に入り、裏口の戸へと近づいた。

 戸にかかっていた鍵を素早く外し、千春は引き戸を開こうとしたが立て付けが悪くなっているのか戸が動いてくれなかった。

 

「おねえちゃん・・・。」


「大丈夫よ、茜。こんなのすぐに開けるから。」


 そう言って茜を安心させる。

 しかし千春も内心は焦っていた。相当の力を込めているのに戸は動かなかった。

 もしこのまま開かなければ・・・、と嫌な考えが脳裏をよぎる。

 だが、まったく反応しないわけではない。


 (もう少し力があれば・・・、)


「茜も開けるのを手伝ってちょうだい。」


 千春は茜に助力を求めた。


 (おそらく、これで開くはず・・・。)


「うん、わかった。」


 そう言って、千春の手前に潜り込み、下から取っ手を掴む。


「せーの!」


 千春の合図とともに二人は一気に力を込めた。


 戸は弾かれたようにガラガラと溝を滑り、ピシャリと音を立てて戸袋に収まった。

 

「よかった、開いた。」


 千春は息を切らせながらもそう呟いた。

 だが彼女は目前の達成感により、失念してしまった。

 戸を開けた時に、大きな音を立ててしまったことを。


「さあ、茜ここから出るよ。」


「うん、お姉ちゃん。」

 

 置いていた荷物を抱え、二人は外に踏み出そうとした。


 その時だ。


「オイ、ガキ共。そこで何してんだ。」


 瞬間、全身に氷水を浴びせられたような悪寒が千春の全身を駆け抜けた。

 千春は、その声の主が誰であるかが瞬時に判ってしまった。今、最も警戒しなければならない者の声だった。

 恐る恐る振り返ると、そこには想像通りの最悪の人物が立っていた。


「もう一度聞くぞ。そこで何してんだ。テメエ等雌ガキは箱ん中にいたはずだろ。」


「あ・・、う・・・。」


 千春は言葉を紡げなかった。

 茜の震えも握る手を通して伝わってきた。


「用を足してたら、変な音がしたからきてみればよぉ・・・。

 もしかしてアレか、鍵が掛け違ってたものテメエ等の仕業なのか。」


 男は苛立ったように、二人を睨め付けた。

 しばらく無言で立っていた後、店の主人は懐から煙草を取り出すと、それを咥え、火を付けた。


「まあ何でもいいか・・・。」


 先ほどまでと違い、その語気には怒りや苛立ちが含まれていなかった。


「おい、今すぐこっち戻って来たら、このことは無かったことにしてやる。

 特に千春、お前は役立つ道具だからな。さっさと戻って来いよ、悪い話じゃねえだろ?」


「誰が!」 

 

 千春は言い捨てた。

 その男の人を人として見ていないその言いぐさに激しい怒りを覚えたからだ。


「ふーん・・・、そうかい。だが、そっちのガキはどうかな。」


 千春が茜を見ると、体を震わせ、前に進もうとしていた。


「ダメ、茜」


 咄嗟とっさに茜の腕を掴む。


「このまま戻ったって、ろくなことにならない。絶対にここから抜け出すの!」


「でも・・・。」


 逡巡しゅんじゅんする茜を千春は強く抱きしめる。


「言ったでしょ、お姉ちゃんが絶対に茜を守るって。だから安心して・・・。

 ここから抜け出して二人で父さんや母さんの元へ帰ろう。」


「おねえちゃん・・・。」


「大丈夫よ。私が付いてるから。」


 茜は瞳に僅かに涙を浮かべた。

 そしてすぐにそれを拭い、男の方へ向き直り、睨み返した。


「だれが戻るもんかッ!

 あかねはおねえちゃんといっしょに、ここを出るんだ。」


 そう喝破かっぱして強く千春の手を握りしめた。


 男は二人の少女のやり取りをただ黙って見ていた。

 愚にも付かない三文劇でも見ているかのような心底それを侮蔑する冷めた目だった。

 茜の叫びも、もはや耳には入っていなかった。


「ああそう。まあ、このまま逃がす訳がねえけどな。」


 取り敢えず、何か言い終わったみたいだから・・・、といった調子で、紫煙を吐き、気だるげに呟きながら二人に近づいていった。


 千春は茜を後ろに庇い、近づいてくる男を迎え撃った。

 彼我ひがの距離が、五歩も無くなった時に千春は持っていた巾着袋を男に向かって投げつけた。

 男は飛んで来たものを避け、二人を捕まえようと手を伸ばした。

 その時、男の背後で小さい金属の散らばる甲高い音が鳴り響いた。

 彼は思わず振り返ると、そこには巾着袋に入っていたお金が、床に散乱する光景があった。


「こっちよ、茜!」


 男の隙を突いて、千春は茜の手を引いて逃走した。


「チィッ!」


 この強欲な男は、散らばる硬貨に一瞬の判断力を奪われてしまい、結果として二人を取り逃がす失態を犯してしまった。

 既に何処かの路地へと入って行ったのか、男の視界からは完全に消えてしまっていた。


「クソがッ!」


 悪態を吐き、男は走り出す。

 彼は番台へと急いだ。

 その頭の中は、少女等を取り逃がしたこと、今まで金を取り損ねていたことへの怒りで、沸騰しかかっていた。

 

「あれ、旦那。どうしたんですか?」


 番台にいた給仕人が訪ねてきた。


「ガキ二人が逃げ出した。」


「それはまた・・・、」


 給仕人が息を飲む。


「それと、あいつ等も呼んで探させろ。」


 男が付け加えると、


「わかりました。直ぐに連絡致します。」


 そう言って、給仕の者は下がって行った。


「バカ共が・・・、このまま逃げられると思うなよ。」


 そう呟くその顔にはひどく残忍な笑みが浮かんでいた。


    ※


 二人はひたすらに逃げ続けた。

 およそ吉原の周辺以外の地理にまるでうとい彼女らは、少しでもあの場所から離れる為に右折の次は左折、左折の次は右折といった原始的な逃走法を取らざるを得なかった。

 そうして逃げ続けるうちに千春は、何処かの橋を渡ったあたりから、街のおもむきが変化していることに気付いた。

 木造の建物が主だった街並みから石造りの建物が多くなり、その高さも吉原近辺で見たどの家よりも大きいものばかりであった。

 そして、そこには様々な色に輝く電燈がそこかしこに設置されており、光の世界を作り上げていた。、

 

 少女が渡った橋は、美倉橋みくらばしだった。

 浅草区から脱出し、神田区を通り抜け、そして神田川を越えて日本橋区へと入って行った。


「すごいすごい!キラキラだよ、おねえちゃん。」


「ええ本当にすごい。外の世界にこんなところがあるなんて・・・。」


 しきる雨の中、千春と茜は共に忘を我れ、そこに広がる未知の光景に目を奪われていた。

 かつて車中で夢見た都会の姿が、目の前で想像以上の姿で現れた。

 しばらくした後、千春はふと我に返り、思考を再開した。

 そして千春は、近くの路地裏へと入れる道を見つけると、茜の手を引き、中へ入って行った。


 雨の中、傘も差さないでいる少女二人がこの表通りを行くのは目立ち過ぎると考えた故の行動だった。

 だが千春は知らなかった。

 この街の裏側は、彼女が思っている以上に危険な場所であることを。

 そして二人を追っているのは、あの妓楼屋ぎろうやの者だけではないことを。


    ※


 まず初めに感じたのは臭いだった。


「何・・・、これ。」


 今夜の雨によって匂いはかなり薄められてはいるが、それでも異臭と感じられる程度には漂っていた。

 千春にとってこの臭いは、ある意味嗅ぎ慣れたものだった。

 あの妓楼屋で男達に蹴られ、殴られる度に、口の中や喉の奥に込み上げてくる臭いと同じものだったからだ。


「血?どうして、こんなところに・・・。」


 千春は眩暈めまいを覚えるような感覚に襲われた。

 またあの監禁部屋に放り込まれたような気分にさらされた。

 茜もその臭いの正体に気が付いたらしく、千春の服をギュッと掴み、身を寄せた。


 果たしてこのまま進んでしまっても良いのだろうか。

 目の前の暗闇からは明らかに嫌な気配がする。それは、あの狭い部屋の中で散々味わってきたものとよく似ていた。

 千春が後ろに振り返ると、細い路地の入口から、どこまでも煌びやかで温かみのある光が差し込んでいた。

 思わず来た道を引き返しそうになるが、慌てて首を振った。


(今さら表通りに戻ったところで、こんな身なりの私達を入れてくれる所も、助けてくれる人もいないだろう。

 寧ろ隠れるならば、暗くて雑多な路地裏の方がいい。

 それにあの店だったら、追手の数もそう多く出せないから、簡単には見つからないはず・・・。)


 そう考えた千春は、改めて正面の暗闇に向き直る。

 そして、少女達は裏の世界へと潜って行った。

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