Bパート 後

 一閃の光が向かい合った壁に反射してランダムな方向へ流れて行く。その光は消えることはない。


 薫の目の前に白い羽を生やした女の子がいた。その羽が蜘蛛の巣にからまっている。暗い世界で不気味に光る緑色の鎖は、彼女の体や手足に巻かれていて、彼女は宙で身動きがとれない状態だった。


 その鎖はどこから伸びてきているのかわからないくらい遠くへと伸びている。鎖につながれ、黒く長い髪を垂らしたその女の子。


 この子がホワイト・カンバス……。


 薫を睨みつけるつり上がった目。カプセルの中で眠っていた幼く可愛らしい印象とは違っていた。何もかもをあきらめ、ユニバース世界の主に捕食されるのを待っているかのようだ。


「プライベートオンリーの四人目か。私を説得しようとしても無駄だ。もう結果はわかりきっている」


 ホワイト・カンバスの声とは違う。ボーカロイドとして人々を魅了していた大人びた声ではなく、脱力してしゃべるのも面倒なくらいの力のない声。


 薫の想像と現実の差が開き過ぎていて、薫の頭では解釈できないほどだ。返答はおろか、声を出すこともできなかった薫。


「私の汚された心に染まりたくなければ、今すぐここから消えろ。最初で最後の忠告だ。前の三人と同じようになるぞ」


「ホワイト・カンバスさん。一体どうしたんですか? セリカの皆はあなたを心配して帰ってくるのを待ってます」


 薫は差し障りのない言葉を選んで言ったつもりだった。


「なぁ、お前もうざいよ。見てわからないのか?」


「!」


 奇声を発するようなホワイト・カンバスに薫は驚いた。


「溜まりに溜まった埃をかぶり、欲をぶちまいた白い海で私は溺れている。このまま海底の闇の中で寝かせてくれ。元の世界に戻るつもりはない。偶像にしか己を吐けない獣がいる世界など滅びてしまえばいい」


「……。ごめん、君の言っていることがわからない」


 薫は、どうやって彼女を説得すればいいのか全く考えつかない。自分より年下の女の子が理解し難い言葉を並べ、そこから何か切り口を見つけることなんて俺には無理だ。


「そんなに私のことが知りたいなら、わからせてやる。自分の心も見えぬ獣など先の三人と同じ顛末をたどるがいい」


 ホワイト・カンバスはロボットのように目と口から光を発し、薫はなす術もなく一瞬でその光に飲み込まれた。


 ――。


 ――。


 ――。


 薫はいつの間にか目をつむっていた。目を開くとユニバース世界は止まっている。反射をし続けていた一直線の光すら動いていない。


『花咲さん。わかりますか。雨宮です』


 薫の頭の中に雨宮の声が伝わってきた。


「あ、はい。わかります。あの、これはどういう状況ですか?」


『見ての通り、ユニバースの時間を停止させています。一分間しか止めていることができません。あのまま、彼女の絶零波を受けてしまうと花咲さんも心を侵されてしまいます。我々にとってあなたが最後の頼みなんです。ここはいったんユニバースから離脱しましょう』


「でも、ホワイト・カンバスの気持ちがわからないと彼女の心を変える方法が見つかりません」


『花咲さん。こんなこと言いたくありませんが、あなたで救出できなければ、ホワイト・カンバスの命はここまでだと思って下さい。次の手を考えましょう』


「……」


『花咲さん。そろそろ時間が元に戻ってしまいます』


「かまいません。俺はユニバースに残って絶零波を受けます」


『それでは花咲さんがどうなるかわかりませんよ』


「やってみなきゃわかりませんよ」


『しかし……ダメだ。時間が戻ります』


 薫は不安な気持ちに押しつぶされそうだった。でも、たぶん彼女の方がもっと……。


 光の波に薫は流されて行く。


 目の前を映画のフィルムが滝のように流れて行く。正面から当てられた光が流れて行くフィルム一コマ一コマを透かし、白銀の幕にホワイト・カンバスの心を描き出す。それは薫の目を通して無理矢理水を飲まされているように、心に直接流れ込んで行く。


 描き出された世界の色は全て反転して、目が痛い。心は爪でひっかかれたようにじわじわ痛くなっていく。


 ――紙に描かれたホワイト・カンバス。男は赤や青、黄、黒など様々な絵の具のチューブを握り、その絵に勢いよく中身を絞り出す。色を変えては何度も何度も中身が出なくなるまで繰り返す。重なり合う色は黒く混じり、きれいに描かれていたホワイト・カンバスは黒く汚れた――


 ――男の手で丸められた白い団子となったホワイト・カンバスを、用意された串に刺す。その串の数は知れない。串団子は火の上で何度もムキを変えられ転がされる。最後に、甘味の飴を塗りたぐられて出来上がる。そして、みたらし団子は食べられた――


 ――山になったパズルのピースの中からまさぐるように目当てのピースを指で一つ一つ確認し、完成したホワイト・カンバスの絵柄を想像する。位置、形、向きを何度も合うまであてがい、はめ込んでいく。凹凸が上手くつながっていく感覚は小さくも気持ちいいもの。最後のピースがはまった時、最高の達成感を味わうことができる。愛を込めてでき上がったパズル―理想像―は崩し難い。記憶に焼き付けるようにパズルの表面にノリを塗り、額にはめて飾っておこう。出来上がりを何度も見ては最後のピースがはまった時の絶頂感を味わう。そう。額の中で、華やかなステージで黒いマイクを握りしめ、汗を流すほど飛び跳ねて歌うホワイト・カンバスと一緒に――


 お願い。


 仮の私の姿、ホワイト・カンバスは自由に汚してもいいから、本当の私を、褄黒つまぐろ白絵しろえの中まで入ってこないで。


 もう私を汚さないで――。


 白い蝶の羽を蜘蛛の巣にからませ、体を鎖につながれた白絵の目と口は閉じられ、光は出なくなった。


 薫のまぶたは半分閉じ、白絵を見つめていた。白絵の絶零波を受けてもまだ自分がある。でも頭の中は、渦巻く白絵の悲しみと喪失感でいっぱいで、ぐちゃぐちゃしている。


「あなたも私を捕食した一人に過ぎないのよ」


 白絵はくたりと肩を落とす。


「ち……ちがう」


「しぶといね。早く逃げたがいいよ。私と二人でいたら、今以上に自分を無くすことになるよ」


 白絵は意味深な笑みを浮かべた。


 ――私と二人でいたら……。


 そうか。今は二人きりなんだ。あの時と状況は一緒だ。あれを……。渦巻く海の中で薫は一つの光を見つけた。


「ホワイト・カンバス一色に染められるのなら、自分がなくなってもかまわない」


 薫がそう言うと、白絵は薫を睨みつけ、


「気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い」


 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。白絵の声が空間にこだまする。


「ホワイト・カンバスの本当の姿、白絵さんに会えた記念に『有り無し問答』をしよう。プライベートオンリーでやってたでしょ」


「……」


 白絵の表情は固まり、白絵の頭の中はネットを楽しんでいる自分の姿が駆け回っている。自分の声で作られた歌。千差万別のホワイト・カンバスのキャラクター。白絵はそれを見て楽しんでいる。


「白絵さん。君は何も知らなかったんだよね。だから、ビックリしちゃったんだ。ネットからiマギに変わったことで、今まで見れなかったものが流れ込んできちゃったんだ。けがらわしく欲望に満ちた思念が。それをホワイト・カンバスに向けた愛だと勘違いして拒絶しなかった。もう少し大人になって違う形で欲望に満ちた行為を知っていたら、拒絶できたかもしれない。別の受け取り方もできたはず。でも、大丈夫。白絵さんは、汚れてなんかいない」


「――私はよごれて……ないの?」


「そうだよ」


 白絵の肩の力は抜け、カプセルで眠る幼い表情を取り戻しつつあった。


「それじゃ、始めようか。お題は無人島に持っていく物で有り無し」


「無人島……」


 白絵の片手に巻きついていた鎖がなんの前ぶれもなく、ほどかれる。巻きついていた細い手首の肌は赤く鎖の痕が残っていた。


「友達」


 薫が問うた。


「……なし。いらない」


 白絵の考えに薫は頷く。


「親」


 また薫は問う。


「……有り……かな。なしかも」


 白絵の答えに薫はまた頷くだけだった。


「時間」


 また薫は問うた。


「あり。永遠なんていらない。長過ぎよ」


 白絵の口調はしっかりとしたものになってきた。


「そうだね。俺もそう思う」


 薫は笑みを浮かべた。


 すると、またなんの前ぶれもなく、白絵の体に巻かれていた鎖が解かれる。白絵の苦しそうだった表情がやわらかくなる。


「妹を思う兄」


 続けて薫が問う。


「なし」


「ホールデン=コールフィールドの声」


 さらに薫は問う。


「あり。退屈しなさそうね」


 白絵の両足を拘束していた鎖がほどけ、足が自由になった。


「紙とペン」


 と、薫。


「あり。その日にあったことを残すの。自由な思いを描きつづるのもいいね。それがホワイト・カンバスの由来よ。本当はセリカでも自由にやっていたかったの」


「そうだったんだ。静かに続けられていたら良かったね」


「今さらって感じ」


「じゃぁ、iマギ」


 薫が問うた。


「なし。リアルだけどリアルじゃない。邪魔ね」


 白絵が答えた。


 背中に生えた蝶の羽にからんでいた蜘蛛の巣がシャボン玉が割れるように消えた。


 白絵は羽ばたいた。広いのか狭いのかわからないユニバース世界を飛び回り、薫の前で止まった。


「データになってまで生きたくもない。こんな世界が嘘っぱちだってこともわかってる!」


「白絵さん……」


 白絵は、また目と口を開いた。


 両手も広げると白絵の全身から光が溢れ出す。


 薫は何もできず、瞬く間に光の波に飲み込まれた。



 DDDのコントロールルームの計器は全てエラーを表示し、エラーランプが部屋を赤く染めていた。雨宮は愕然とし、イスの上でうなだれていた。


 薫は目を覚ますとカプセルはすでに開いていた。手や体、頭に張りつけられたケーブルの類いをはずし、カプセルから出た。


 白絵のカプセルも同じく開いている状態だった。薫は白絵を見ると、まだ彼女は目をつむったまま。このまま目覚めないのだろうかと心配になる。


 覚えている限り、ユニバースでの最後、白絵は俺に絶零波をくらわせた時と同じ行動をとった。なぜ、そうしたのか。光を放つ白絵が脳裏に浮かんだ。


 しかし、こうして俺はユニバースから肉体に戻ってきている。絶零波の影響は出ていないと自覚している。精密に調べたらわからないが。あの光を受ける前に雨宮さんが俺をユニバースから強制離脱させたのかもしれない。でも白絵は……。戻ってこないということは、彼女の絶零波を押さえることはできなかったということなのか。このまま彼女は何もわからないまま死を迎えるのか……。


 ――。


 ――。


 ――ごめん。ホワイト・カンバス。


「白絵さん。本当にごめん。もっと話をしたかったのに。今までのプライベートオンリーよりも楽しかったよ。ごめん……」


「何で謝るんですか?」


 白絵の声に驚いた薫は白絵を見ると、彼女は目を開き、起き上がろうとしていた。


「白絵さん。良かった。最後、ダメかもと思ってしまいました」


 薫は体の緊張が解け、白絵のカプセルにもたれかかった。


「あの世界を壊そうと全力で叫んでみたけど、無理だったみたい。あなたが離脱したあと、私も強制離脱させられた。でもすっきりしたわ。何もかも吐き出したって感じ」


 白絵は笑って背伸びをしてみせた。そして、自分を確認するように自分の体を触り始めた。


「自分の体にいる方がやっぱりいいわね。あの何もない中にいると、何にも触れず静かでただそこに存在し続けるって感じだったけど、これからしばらくは自分の目で見て、耳で聞いて触れるモノがある世界にとどまるわ」


「もう、ホワイト・カンバスとして活動はしない?」


 薫は聞いた。


「しっかり現実をつかむことができてからかな」


 と、白絵は薫の手を握った。薫はゆっくり握り返した。


 そして、白絵が、


「人の手って、温かいのね」


 と、言った。

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