Bパート 中

 薫は三度の体表滅菌工程を通過し、病院などで使われている薄い生地の検査着を着せられた。


 DDDとプレートに書かれた部屋に通された。その部屋はガラス一枚隔てられ、そのガラスには心電図のような波形や何を示しているのかわからない数々の数値やモニターグラフが表示されている。そして、ガラス向こうにベッド大のカプセルが置いてあった。


 白いキャップとマスクをした女性係員がガラス扉を開け、薫をカプセルのある部屋に入るように促した。


 中に入るとカプセルは四台あり、そのうち一台のみが完全に閉まっていた。他三台は、ワニが口を開けているようにカプセルが開いていた。


 カプセルは中の様子が見えるように透明になっていた。ガラス扉の近くあった使用されているカプセルには、まだ大人になりきれていない幼さをまだ持ち得ていた女の子が横たわっていた。頭や腕に数々のケーブルがつながれていた。


 もしかして、この子がホワイト・カンバスなのか。顔立ちからして噂されていた高校生や大学生ではなく、可愛らしい中学生くらいに見える。


 セリカでは大人っぽい会話やコメントを残していたから想像できなかった。


 ホワイト・カンバスの隣のカプセルに横になると、係員が手際良くケーブル極をテープで張りつけていく。


 たかがケーブルでつながれただけで、彼女が隔離されている世界に行けるとは思える気がしない。


 隣で意識なく横たわる彼女は、ただの抜け殻。雨宮はそう言っていた。


 係員は薫の作業を終え、カプセル脇にあるスイッチを押した。ワニのように口を開けていたカプセルはゆっくりとしまっていく。係員はガラス扉を出て、向こう側からガラスに映し出された数値などを確認し、操作を行っている。


『花咲さん。気分はいかがですか?』


 雨宮の声が薫の頭の中、思考に直接入って聞こえてきた。


「そうですね。少し緊張してます」


『怖がらず安心していて下さい。確認ですが、花咲さんは向こう側で彼女の心に触れ、なんとか心境に変化を与えて下さい。絶零波ぜつれいはが弱くなればサルベージできるので』


「わかってます!」


『では、DDDへの接続を開始します。……初期コンタクト完了。第一フェーズに移行。生命データを取得。脳波取得を確認。絶対思考を転送開始』


 ここから薫は雨宮の声を聞き取れなくなった。感覚としては眠くなった感じで、頭につけられたコードの中に引っ張られて行きそうだ。一瞬、会議室でのやり取りが頭の中をよぎった。


「やります。俺がやります」


 薫は顔を上げ、雨宮に強く言った。


「そう言ってもらえて、こちらとしても助かります。ありがとうございます」


 雨宮は微笑み、軽く頭を下げた。そして、続ける。


「現在ホワイト・カンバスさんが隔離されている所というのが、このLベース内ではあるのですが、DDDと呼ばれるシステムの中です」


 薫の思考に先ほど送られてきた資料ページが先に進んだ。図解資料として立方体のマシン絵が描かれて、DDDと名前が添えられていた。そして、



 DDD:Described Destiny Device

 直訳:運命描写装置


 人体、ヒト意思を完全にデータ化し、データとして生きることができる。



 と、説明が書かれていた。


「システムの中? このDDDって……」


 薫は資料を読んでも理解できないでいる。


「DDDは、我々が開発したiマギの進化版です。簡単に言えばね。iマギは思考を読み取って処理しているだけですが、DDDはヒト自体をデータとして取り込み、DDDの中で生きて行くことができます。肉体を必要としないので、永遠に生きて行くことができます。もちろんデータではありますが、iマギを応用することにより心を持つことができるようになりました。DDDが処理しているに過ぎない訳ですけど」


「じゃ、ホワイト・カンバスは今データになってDDDの中にいると?」


「はい、その通りです。大変、物わかりが早くて助かります」


「俺もデータになって、DDDの中に行くってことですか?」


「はい」


 自分がデータになるなんて信じられない。「0」と「1」の並びに過ぎないものだ。


 薫は雨宮と会話をしながら、資料に目を通して行く。DDDの簡単な仕組みが描かれている。


 DDDは一メートル四方の鏡を内向きにして向かい合わせた立方体、光鏡機関である。


 莫大なデータは光信号に変換され、向き合わされた鏡の中へ射出されます。永遠に反射し続けながらデータを維持して行く。鏡の表面は一枚板ではなく、光学顕微鏡などで見ないとわからないほど小さな鏡がびっしりと並んでいる。


 反射する際、その小さな鏡の裏に反射を感知する基盤が組まれていて光信号を判別する。またそれは反射角度変える機構を持っており、同時に同じ場所へ反射させないようになっている。


 現在、DDDはLベースの地下空間にあるが、ガイアックスは将来、大型にして宇宙空間に設置しようと考えている。大鏡おおかがみプロジェクトと呼ばれている。


「でもデータ同士がどうやって人を救うようなことができるんですか?」


 薫は問うた。


「データとは言っても、意思・心はあります。今、私と花咲さんが話すように、そしてこうやって触ることも可能」


 雨宮は薫の手に軽く触れた。


「DDDの中に地球と同じ世界を作ろうとしています。データとなった人は、そこで生活します。実世界でいうところのアバター世界みたいなものです。我々はそこをユニバースと呼んでいます」


「ユニバース……」


「はい。一昔前。パソコンや携帯端末でネットにアクセスを行っていた時代にクラウドというシステムが流行していました。現在でも使っている人もいます。クラウド・雲の上と言ってはあれですが、クラウドと比べものにならない程の情報量を宇宙空間で扱おうというところに由来しています。ですが、ユニバース世界は空間としてはありますが、中にはまだ何もありません。現在そこにデータ化した人物を描写するところまでしか開発が進んでいません」


 薫はここまで聞いてふと疑問に思った。


 なぜ、そんなものを作ろうとしているのだろうか。データになってまで生きたいのだろうか。


「花咲さん。なぜ我々がDDDを作っているのか? もし興味がおありでしたら彼女を救出した後、説明しますよ。説明を聞いた後は、地球に帰すことはできませんが」


 薫の思考を聞いていた雨宮が口に出して言った。


 不気味さをもった笑顔の彼を見て、薫は恐怖を感じた。


 この部屋に一対一でいるとはいえ、思考は相手にダダ漏れ。安易に探りなどしない方が身のためだろう。


「あまり深入りするのはやめておきます」


 薫は苦笑し、この月旅行で初めて背中に冷ややかなものを感じた。


「こちらも事は穏便に進めたいので、ご協力お願いしますよ」


「それで俺はユニバース世界でどうやって彼女を救出すればいいんですか?」


 薫は元の話へ戻した。


「救出という言葉がわかりずらくてすみません。DDDにいる彼女をボタン一つで元の肉体に戻すことは可能です」


「えっ。何でDDDの中に……」


「それは彼女の思念・思念波が周囲の人間に影響を与えるからです。しかもiマギを介さずに直接」


「どういう意味ですか、それは」


 薫は首をかしげた。


「自らiマギとなった、という表現がわかりやすいでしょう。彼女はLCL通信をiマギではなく対ヒトと行うことができるようになってしまったのです」


「でも、LCL通信はATFwで拒絶できるはずではないんですか?」


「我々の開発したiマギではそうです。ATFwは外部からの危険なLCL通信をブロックします。人が元から備えている心の壁。誰にも侵される事のない排他的精神領域。嫌なアクセスを自らの意思で拒否できます」


「なぜ、彼女の場合はそれができないんですか?」


「それは、ATFwを浸食し心を侵す絶対零下予言思考をもっているから」


「絶対零下予言思考……」


 薫が復唱した。資料の表紙に絶対零下予言思考少女と書いてあったのを思い出した。


「ネガティブ思考で、それが絶対的だと思って下さい。そのネガティブ思考は彼女の思念波に乗って、周囲の人に影響を確実に与えます。その思念波を絶零波と呼んでいますが、それは誰も拒絶することができません。もし、それがiマギを介していたら、かなり多くの人が立ち直れないほど精神的に影響を受け、昏睡状態に陥っていたでしょう。特にホワイト・カンバスさんのファンの人たちはね」


 薫は心臓にくいを打たれたような衝撃を受けた。


「さきほど周囲の家族や友達は手遅れと言ったのは、その絶零波を受けて倒れてしまったってことですか?」


「はい。未だに回復には至っていないんです」


「なぜ、ホワイト・カンバスはiマギにはアクセスしなかったんですか?」


 薫がそういうと、雨宮はニヤリとした表情を見せた。


「花咲さん。それは私たちにもわかりません。ファンに迷惑をかけないためか。iマギの中に助けを求めても無駄だと思ったのか。ただ、iマギにアクセスする可能性はゼロではありませんでした。アクセスされる前に、iマギの有効圏外である月、しかも月の裏側まで連れてきて彼女を助けようと考えました。もしアクセスされていたら地球はどうなっていたかわかりません」


「それでDDDの中に」


「はい。ユニバース世界で花咲さんには彼女の絶零波を止めてもらいたい。単純にネガティブな考えを改めてもらえれば、肉体に戻っても周囲に影響が出ないのではと考えています」


「それはわかりました。でも、データ化しているならネガティブな部分を削除や書き換えることもできるんじゃないですか?」


 データ世界でわざわざ人が説得するような工程を踏まなくていいだろうと薫は思っていた。


「ふふふ。それができたら花咲さんにここまで来てもらうような苦労はかけていませんよ。医学であれ、プログラムであれ、ヒト、人体とは奥が深く神秘的だ。けれどまだまだわからないことも多い。人を変えるにはまだ人が関わる必要があるんです。永遠に関わり続けなければならないかもしれないですが……」


 人を変える――それが俺で本当に平気なのか。たかが高校生でこれといった取り柄もない自分が……。


「それはやってみないとわかりません。誰しも一秒先なんて見えていません。花咲さんの目で確認して下さい」

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