Cパート

「どう? 体は温まったかな、薫君」


 病室のベッドで、下半身だけ布団をかけて座る薫に牡丹は声をかけた。


 薫は両手でガラス板がはめ込まれた標本ケースをじっと眺めていた。真っ青の羽―それは片羽だけ―をつけ、Tシャツと短パン姿の女の子が増えていた。


 朝食の時間に病室にいなかった薫は、まもなくして雨の降る屋上で見つかった。


 雨に濡れた薫をすぐにお風呂に入れて、いつものように事情、いわゆる薫の夢ないし空想を聞いて今に至る。


 外へつながるドアの施錠は、特に徹底して指導されているはずにも関わらず、今朝に限り屋上のドアだけされていなかった。


 幸いにも、屋上に出ていたのが薫君で良かったと、牡丹は内心安堵していた。


 近頃の薫君は、落ち着いていたし、早まった行動に出ることはないと私は思っていたからだ。これが薫君ではなく、他の患者さんであったらどうなっていただろうか。ただ、重度の患者さんはそう簡単に出歩けるようにはなっていないのだが……。


「汗をかいたからって、わざわざ雨を浴びにいかなくても、私に言ってくれればお風呂に入れてあげたのに」


 薫は牡丹を見ていないが、牡丹は笑顔で言った。


「目が覚めてすぐ汗を流したかったんです。いつもの熱いタオルで体を拭くだけだとスッキリしないと思って……」


「もう次からは遠慮しないで言ってよ」


 せめて病室からいなくならないでと、続けようかと思ったが牡丹はやめておいた。


「んー。それは牡丹さんに一方的で申し訳ないというか……」


 薫は顔を下に向けているせいか、かなり遠慮しているように見える。


「はいはい。そういうことはここでは言わない。むしろ、薫君が遠慮しないで色んなことを言うための場所でもあるのよ。思う存分、私を頼りにすればいい!」


 と、牡丹は自分の胸を叩いた。以前にもこんなやりとりをした記憶があるなと牡丹は思っていた。すると薫は顔を上げて牡丹を見た。


「えぇ、適度にしておきます。あれこれいうと牡丹さん、ぐちぐち言って怒るし……」


 笑顔の薫が言う言葉は、冗談ではなく本音に近いので、牡丹は心にとげを刺されているような感じだった。


「それはそうでしょう。朝、病室にいないんだもの。誰だって……。少しは反省してよね」


 牡丹は語気を強めて言った。強めずにはいられなかった。


「そうですね」


「薫君だって、そのるみって人を放っておけなくて心配だったんでしょ。たぶん、それに近いことだと思うよ」


 牡丹はガラス板の中で、麦わら帽子を被った片羽の女の子を見た。


「誰かと一緒に前に進みたいと思っていたんだと思います。やっぱり一人だと心細いというか。お互いに頼りにできたら、最高です」


 薫は、片羽の紋様が描かれた自分の手の平を見つめた。


 薫君。私もあなたと一緒に前に進みたいと思っているのよ。薫君だって、一人で心細いでしょ。私を頼りにしてくれてもいいのに……。でも、なぜかしら。いつも見ているのは、その子たち。私ではない。


 牡丹は心の中で薫にそう語りかけていた。

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