Bパート 後
二人は来た林道を下り、元の道路に出て、島の反対側へと向かって歩き出す。山側から木の枝が道路上に迫り広がって、所々日影なっている。
薫は慣れない気候にバテて、持っていた水を飲む。るみに大丈夫かと聞くと大丈夫だと返ってくる。それと一緒に「男子のくせに体力ないのね」と馬鹿にされた。
薫の歩く速度に合わせて、るみは隣を歩いている。
「薫君。今度は私から質問してもいいかな?」
「いいよ」
「どうしてわざわざこの島に来たの? 見ての通りだし、よく本島の人に船を出してもらえたね」
「めちゃくちゃ漁師の人に頼み込んだよ。本島に着いてすぐ、一目せりか島を見た時、島に呼ばれた気がしたんだ。おいでって。いてもたってもいられなくなってさ。もう、本島の観光どころじゃない。この島にくれば、呼ばれた理由がわかるかもって思った」
「たったそれだけの理由で?」
「そうだよ。もしかして、るみが呼んだのかも?」
「ふふっ。それはどうかしら。ロマンチックではあるけど。そんな偶然のようなロマンを求めて旅行に来たの?」
「心の隅にそういう気持ちは少なからずあったけど、本当は自分の住んでいる所が嫌で出て来ただけなんだ」
薫の表情から笑顔がなくなった。
「どんな所に住んでるの?」
るみは問うた。頭の中で本土の土地を思い浮かべる。
「おおざっぱに言えば都市部」
「都会っ子ってやつね。私の友達は皆、都会に憧れて島を喜んで出て行ったけど」
「それはそれでいいと思う。単純に俺の心の問題なんだ。コンクリートの上にビルやマンションがあって、その隙間を這いつくばって歩く人混みが好きじゃない」
「そういうのって慣れるんじゃないの?」
「んー、どうかな。子供の頃から今でもそこが生活の場だけど、良い所とは思えない。都会にはない、この大自然に囲まれていたいっていう気持ちの方が大きい」
薫は吹く風を浴びるように両腕を広げた。
「それは、単に薫君のないものねだりよ」
「えっ?」
薫はるみに意表を突かれ、上げていた腕が自然と下がった。まるで犬のしっぽのようにしゅんとなった。
「本当は今の生活に満足していて、新しい気持ちに触れたいだけ。都会から離れて来たと言っても、時間が来ればそこへ戻るんでしょ?」
「……そうだけど」
「離島した友達は高校受験の時、単に本土や都会に行きたいという仮の理由を作って高校を決めていた。軽い気持ちで憧れても、前に進めやしない。その場の環境や流れに打ち勝つくらいの気持ちがないとダメ……だと思う」
るみは強く言い過ぎたなと、言ってから思った。
「るみの言う通りだよ。俺もそう思う。この旅、いや旅行だって計画的に帰ることも考えている。その時点で逃げているようで逃げてすらいない。その点、るみはそれを貫き通そうとしているから素敵だと思った」
薫の目は真剣にるみの目を見つめていた。
「……そう」
るみは肯定とも否定にもとれるように答えた。
「こうして、ここへ来なければわからなかったけど、るみと出会えて良かった。出会えてなかったら単なる旅行で終わっていたよ」
薫は微笑んだ。
「まさか、このまま島に残るとか言い出さないよね?」
「帰るよ、ちゃんと。俺なりの切り口で今の生活を見つめ直すつもり」
「そう。良かった。その方がいいよ」
るみは肩をなで下ろした。
「どうして? 俺に残って欲しかった?」
薫は冗談めかして聞いた。
「いいえ。もし、残るって言ったらこの島は、やっぱり癖のある島なんだって、私が納得してただけ。その理由がこれよ!」
るみが指差す先、歩いて来た道路を挟んで山側の中腹から海岸にかけて無数の墓石が建ち並んでいた。
最近のものではなく、ずっと昔からそこにあり、ほとんどが雨風や海水で風化して丸みを帯び、表面はゴソゴソに荒れていた。そして、台風が過ぎ去った後のようにボロボロの木クズが何層にも積み重なっていた。
それらが海水をかぶり海岸側から異臭が生暖かい空気と混じって漂ってくる。一部に小虫の大群が黒い固まりのように群がっていた。荒れ果てた廃墟を見るよりおぞましかった。
薫は船着場からこの光景は想像できなかった。
「せりか島。せりかを漢字で書くと、世を離れ下る島。それで世離下島」
「世離下……島……」
薫は復唱した。
「昔。と、いってもいつなのかわからない昔。本土で暮らせなくなった人が世間を離れ、船で下って住み着き始めた島らしい。でも、ある時を境にしてその人々は死んでいなくなる。誰もいなくなるのにどうしてお墓があるのかよくわかってない。と、言い伝えられている島よ、ここは」
匂いで顔を歪ませている薫を見たるみは続けて、
「さっき、薫君が島に残るって言ったら、この言い伝えが本当なのかもって思うところだったんだけど。今のところそうじゃないようね。もしかしたら、世の中から離れたい薫君をこの島が呼び入れたとしたら、それが事実になりそうね」
と、るみは笑って薫をからかった。しかし、薫は笑えなかった。
「もし、るみがこの島にいなかったら……」
薫の声は少し震えている。
「この島にとどまり続け、ある時を境にして誰が作るお墓の一つに薫君が入っていた」
るみにそう言われて、薫はつばを飲んだ。
「るみは命の恩人」
「ふふっ。そんなの大袈裟よ。薫君、もともと帰る予定だったんだから。言い伝えみたいなことにならないよ」
「そうだよね……」
と、薫は笑ってごまかす。
「意外と臆病ね、薫君。やっぱり、都会っ子って感じがする」
薫はため息をし、俺って、やっぱりそうなのかぁと思った。
「あと、最後にもう一つ。私が好きな所を見せてあげる。着いて来て」
るみは、山の中へと続く道を歩き始めた。お墓の真ん中を突っ切って林道へと入っていく。
また登るのか、と薫はため息をついた。
海水を浴びた木クズの異臭を嗅ぐよりは良いか。
るみの後を遅れないように追っていく。
林道を登っていくうちに、あの異臭はしなくなった。山の中まで風に乗ってこないようだ。呼吸をするたびに空気がおいしいと思えるほどだ。
頂上に着くまで二人の間に会話はいっさいなかった。林道を歩く足音と風で揺れる葉の音。遠くに波の音。それらが薫の荒い呼吸の音と入り交じる。
頂上には十分ほどで到着した。そこには鳥居があり、その先に百葉箱サイズの神社があるだけだった。
先に着いていたるみは、やっぱり都会っ子ねと言わんばかりの表情で薫を待っていた。
「はい、お疲れさん!」
でも、るみの言葉に嫌みはなかった。薫は息を切らしながら、持っていた水をがぶ飲みした。
るみは薫の呼吸が落ち着くまで待っていた。薫は上がった息を整えると、海を見ているるみの隣に並んだ。
「ここからの眺めはいいね。海が輝いて見えるね」
薫は言った。
「夕方になると黄金に輝く海に見えるよ」
「るみはずっとこの景色を見ていたんだね」
「そう。それにこの木」
るみは周囲でも一番太い木を触った。
「このせりか島にしか生えない木なんだ。せりか島木っていうの」
薫もその木に触った。幹に腕をまわしても一人では届かない。
「きれいな木だ。とても硬そう」
薫はコンコンとドアをノックするように拳で木を軽く叩くと、音はほとんど響かず、ぎっちり中身が詰まっている感触を覚えた。
「このせりか島木が、島で一番大きな木。ある時、この木は根元すら残らないほどの爆発をして、バラバラに砕け散るんだって。それがさっきのお墓にかぶっていた木クズよ。砕け散った大半の木クズはお墓の方へ飛んでいくみたい。もう六十年は爆発が起きてないの。いつか私はその爆発の瞬間を見てみたいと思ってる」
「へぇー。それは神秘的な光景だろうな。そうやって種子を遠くに飛ばそうとしているのかもしれない」
薫は高く伸びる木を見上げた。
「言い伝えによれば、爆発する寸前にこの木自体が女性の叫び声のような音を出すらしい。木全体に細かいひびが入る音なんじゃないかって言う人もいるけど、真相はわからず。島民にとって気味悪いことには変わらないんだけど」
「俺もその瞬間を見たいな」
「じゃぁ、島に残る?」
「そうしたいけど、やっぱり現実を考えると無理だね。電気や水がなく、自給自足も満足にできないし、その術を持っていない。俺はそう思うし、るみもそうでしょ?」
「そっ、それは……」
るみは否定できず、うつむいた。
「だからって、私は島を出て行ったりしない。自分一人で生きてみせる。この島の歴史を私は終わらせない」
薫の瞳に、強い眼差しのるみが映った。けれどその細い体では、薫を説得させるほどの力はなかった。
「本当は、その体じゃ無理だってわかってるんじゃないの?」
「……」
「るみ。一旦、この島の歴史を止めよう」
「今日来た薫君に、十七年間この島に住んでいる私の何がわかるの?」
るみは語気を強めて言った。
「とうてい全部はわからない。でも、るみは海に落ちたいがために背中を押して欲しかったんじゃない。この島で一人生きる勇気をもらうために背中を押して欲しかったんじゃない。本当は誰かに背中を押されて島を出たかったんじゃないの?」
「――そんなことあるわけない、絶対」
るみの目に涙が溜まっている。次の瞬きをすればこぼれてしまうだろう。薫はその言葉がるみの本心の裏返しだとわかっていた。
その時――。
小さな神社の扉が開き、真っ青の羽の蝶が出て来た。青白い光に包まれた蝶はヒラヒラとるみに向かって飛んでいく。るみの目の前でパッと消えると、るみの背中に先の蝶と同じ真っ青の羽が生えていた。そして、るみが青白く光り出した。
「何、これ……」
るみはパニック寸前だった。
『最後の島の民よ。お主の気持ちは十分に伝わった。一人になったお前をずっと見ていたぞ』
二人の心中に直接響き渡る声。
「えっ、誰?」
るみは周りを見回すが、薫以外誰もいない。薫も辺りを見回している。
『この島の主と言えばわかりやすいか』
「この島の……」
るみは扉の開いた神社を見つめた。
『悪いが、お前がこの島で朽ち果てる姿を見たくはない。聞く耳をまだ持っているなら、少年の声に耳を向けなさい』
るみの脳裏に倒れて死んでいる自分の姿が鮮明に浮かんでいた。島の主が見せたものではない。るみ自身が頭の片隅で描いていたものだった。
るみは薫に目線を向けた。
「薫君……」
「るみと出会って、これから自分が何をしなきゃ行けないのかずっと考えてた。でもわかった」
「それは何?」
「るみさえ良ければ、この島を人が住める島にしよう。お互い勉強してこの島で生活できる力をつけてこよう。るみが島を離れてしまえば、せりか島の歴史は止まる。でも、またここに戻ってくることができれば、せりか島の歴史はまた刻まれ、止まっていた間もまた歴史の一部になる。るみが歴史を止めてしまうことにはなるけど、またスタートさせるのも君だよ」
薫の話を聞いている途中から、るみは涙をポロポロと流していた。一人この島に残ってから何度も寂しさを感じていたけれど、自分の意思を貫き通そうと泣くことを我慢してきた。今、溜め込んでいた分の涙をるみは流していた。
「薫君……」
薫はるみの肩にそっと腕を回した。
『島の民と少年よ。握手をかわせ。それをこの島での再会の契りとする』
島の主の声が響くと、るみと薫は握手をした。
『では二人に契りの印を残す。もし、どちらかが契りを破った時、二人に罰が下るだろう』
握手をする手に青白い炎が上がる。一瞬の熱さを覚えたが、二人は手を離さなかった。
『この島で、また二人とお目にかかれることを切に願っている』
この言葉を最後に島の主の声は聞こえなくなった。そして、るみの背に生えていた蝶の羽は光の粉となって消えていった。握手をした二人の手の平には蝶の片羽が描かれていた。
「これで俺たちは運命共同体になったわけか」
薫が言った。
「そうね。よろしく」
るみが言った。
二人はそれぞれの場所で成長することを誓った。
「せりか島の由来を新しく作りたい」
「どうするの?」
「世を離れて住みたくなるような華やかな島で、世離華島って、どうかな?」
「そうなるよ。絶対」
「絶対、そうして見せるね。薫君」
夕方、薫を迎えに来た小型漁船の上で、るみと薫は話をしていた。
夕陽の光で反射した黄金の海を背に、船は島から離れていった。
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