Bパート 前

 真夜中。


 ほとんど人が通らなくなった山道を、風を切るように走っている赤星あかほし稲穂いなほと花咲薫。木々の葉の間からわずかながら月の光が、二人の進む土道を照らす。


 稲穂は重力をものともせず、ジャンプして進む。


 薫は草に覆われた細い獣道を走る。


 森の侵入者二人を攻撃しようと向かってくる巨大蛾。羽を広げると全長は熊くらいの大きさはあるだろう。


 稲穂は腰に携える刀を鞘から抜き、巨大蛾に向かってタイミング良くジャンプする。そして、一閃の光とともに蛾の片羽を切り落とす。


 羽を失って飛べなくなった巨大蛾は地面に落下し、土埃を巻き上げながら地を転がって行った。


 すぐに別の巨大蛾が薫に向かって行く。薫はそれ気づき、第二ボタンまで外した学ランの左胸に手を入れた。懐にある銃を取り出し、巨大蛾に銃口を向ける。


 次の瞬間、薫の目の前を一閃の光が縦に走った。


 巨大蛾は冷凍マグロが真っ二つに裁断されたようにパックリと割れ、薫を避けるように左右を通り過ぎて行った。例のごとく、草木の上を転がる音が後方から聞こえてきた。


 銃口の先には、稲穂が刀を肩に置いて薫を睨みつけていた。


「なんだよ、稲穂。俺がしとめるところだったのに」


 薫は銃を降ろして、悔しそうに言った。


「それ、サイレンサー付いてない。それに敵の追跡を感じる。まだ遠くだけど近づいて来てる」


 稲穂は小声で言うと、薫は口を閉じ、耳をすます。ただただ森の中は静かであった。どこからか巨大蛾の羽音が聞こえた。それは稲穂たちとは違うどこかへ向かっているようだ。


「確かに俺たち以外にも、いそうだな」


「目的地の施設に行くまで、薫は撃っちゃダメよ。襲ってくる蛾は私が切るから、薫は私においてかれないように走って。あと、これ持って」


 稲穂は表情をいっさい変えずに、背負っていたスクールバッグを薫に手渡した。


「えっ、自分の荷物だろ。自分で持てよ。俺も自分のがあるんだぞ」


 と、言い返したところで薫の意見は稲穂には届かない。いつものことだ。素直に荷物を受けるほかない。


「あと、それ。上着貸して」


 稲穂は、着ていたオレンジ色のブレザーを脱ぎ始めた。


「何でだ?」


「任務用の服ではないから目立つ。森を抜けると森が開けて月の光に照らされる。身を隠せる場所もない」


「俺だって任務服持ってきてないし。だいたい学校終わりに連絡が来て、そのまま現場直行で」


「私もよ」


 稲穂は先の要求を撤回するつもりはさらさらない。当然それを拒否できない薫。学ランを脱いで、稲穂に渡した。かわりに稲穂のブレザーを受け取った。


「これ、思っていたより重いのね。それ、私のバッグに丸めて入れておいて。急いで行きましょう」


 稲穂は学ランに袖を通しただけで、ボタンはしなかった。そして、学ランに隠れた長い後ろ髪を片手で外に出した。


 もう自分だけ上手く準備を整えて俺のことはおかまいなしか、と思いながら薫はブレザーを稲穂のバッグに入れた。そして、薫は、肩から脇にかかるガンホルスターをさっといったん外して、白いYシャツを脱いだ。薫は黒いTシャツ一枚になり、その上にもとあったようにガンホルスターをつけた。後ろ腰に手を当ててもう一丁銃があることを確認した。


「まだなの?」


「そう急かすな」


 薫は自分のバックから予備弾倉を四つ取り出した。半分に別けてズボンのポケットに突っ込み、二つの荷物を背負った。


「行こう、稲穂」


「遅れずに着いてくるのよ」


 稲穂は言い終えると同時に走り出した。長い後ろ髪をなびかせて走る稲穂を追う薫。進めば進むほど巨大蛾が襲ってくる数は増えて行く。稲穂はそれらをものともせず、薫をかばいながら切り倒していく。


「だいたい、人里離れたこんな山奥の先に何があるんだ。ただちに急行して主を救出っていうアバウトな任務。セリカからの情報が少ないと思わない? こんな大きな蛾が絶え間なく飛んでくるし」


 薫は思っていたことを稲穂に聞いた。無論、はっきりとした答えが返ってくることなど期待していない。


 特殊能力任務機関SeLiCaセリカの急務要請はいつもこんな感じだ。現場に指揮官がいる訳でもなく、臨機応変に対応した行動をとれというスマートな戦略である。さらにいえば後から援軍が来ることは滅多にない。


 中学二年生という若さと特殊能力の意外性のみで今まで任務をこなしてきた。今回もそれはなんら変わらない。


「この先にあるのはセリカの施設。そこは私が育った場所」


 稲穂がはっきり答えた。


「えっ。こんな山奥出身だったの?」


「いいえ。生まれは普通の街。ここに連れて来られたのが小学二年になった頃。幼少の頃はあまり意識なかったけど、小学生になって体の使い方が分かり始めてから、周囲からは特別な目で見られた。運動能力が桁違いに周りの同級生や男子、大人と違っていたから」


 この三年間稲穂と任務をともにして、あまり稲穂が特別に凄いと感じていなかった。自分の中でセリカの任務と日常は完全に区別していたし、周りの友達だって特殊能力と言えるものは持っていないにしろ、それぞれ特有の力を持っていると感じている。勉強や音楽、趣味など自分ができないことや知らないことがそれぞれあって、稲穂の運動能力や特殊能力もその一つだと薫は思っていた。


「じゃぁ、そこで刀の使い方を学んだの?」


「それもあるけど、ほとんど特殊能力の訓練だった。実験も兼ねていたみたいだけど、私以外の被験者は体質に合わなかったり、能力異常でみんな死んでいった。唯一、生き残ったのが蝶獣化をコントロールできた私だけ。良くも悪くも遺伝子が普通じゃなかったみたい。もし遺伝子が普通だったら、こうなってしまう」


 稲穂は、目の前に襲ってきた巨大蛾の一匹を一振りした。


「こうなるって……」


 薫は切られて動かなくなった巨大蛾を見て、稲穂に聞いた。


「完全蝶獣化の成れの果てがこの巨大蛾。人として躯体はおろか、意識もなくなる。あの施設にいる間、毎日のように目の前で完全蝶獣化していく人たちを見てた。いつか私もアンコントロールに陥ってあーなるのかもって怯えていた。けど、まだみたいね」


「まだって……。じゃぁ、今、巨大蛾がこんな飛んでくる理由は」


「おそらく何らかの理由で完全蝶獣化の種が施設内で飛散して人々の体内に入り込んでしまった」


「種?」


「種と言っても粉よ」


「さらにやっかいだ。もし、俺が吸い込んだら……」


「私みたいになれるかも……」


「あぁ、その時は自分のDNAが稲穂パターンであることを祈るよ」


「そうだといいわね……」


 稲穂は歩みを止めた。薫もそれにならう。森が開け、草原の中心に茅葺き屋根の古民家が一軒建っていた。どう見ても使われていないように見える。


「あれが施設? 想像と違うな。白い壁に囲まれて塵一つ落ちていない研究施設だと思っていたけど……」


 古民家の周囲を数匹の巨大蛾が飛んでいる不気味な光景を見ながら薫は言った。


「研究施設は薫の想像通りよ。あれはただの入口。施設自体は地下にある」


「なるほど」


 薫は納得した。


 と、その家の中から一匹の巨大蛾が出てきた。また続けてもう一匹。


「どんどん出てくるってことは、施設の中は……」


 薫はそれ以上、口にしなかった。


「……施設の主の救出は難しそうね。中にいた関係者は全員完全蝶獣化してしまったかも」


「どうする?」


 薫が訊ねた。稲穂は古民家から目線をそらそうとしない。


「中の構造を私は把握しているから、調べてくる。薫は外にいて。種を吸うかもしれないし……」


「一人で大丈夫か?」


「中の状況を確認してから判断する。その時は呼ぶから。でも種が飛んでいたら入らない方がいいわね」


 稲穂は刀を握り直して、「行くわ」と言って木の陰から飛び出した。稲穂に気づいた巨大蛾たちが一直線に襲いかかる。が、巨大蛾の勢いをものともせず、稲穂はいっさい無駄のない動きで刀を振り、次々と巨大蛾を切って行く。そのまま稲穂は古民家の中へ突入した。


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