3.二匹目 赤星稲穂

Aパート

「おはよう!」


 朝、そう言ってスライド式のドアを開けて薫の病室に入って来た牡丹。


 室内は薄暗い。今日は昨日と同じように晴れているが、カーテンが閉まりきっていて陽の光りが遮断されていた。


 まだ薫君は寝ているのだろう。牡丹は昨日の朝のやり取りを思い出し、目覚めの声を掛けてあげようと音をたてずにベッドに近づいて行く。


 薫は布団を頭までかぶり寝ているようだったが、布団の中から何か聞こえてくる。


「……」


 牡丹はさらに近づくとそれが何なのかわかった。薫のすすり泣きだと。


「おはよう、薫君」


 布団の上からやさしく声をかけたが、薫は泣き続けているようで牡丹の声には反応を示さなかった。


「薫君。朝だよ」


 もう一度牡丹は声をかけたが、やはり反応してくれない。声は聞こえているのだろうと牡丹は思っていた。


「ほら、薫君。朝の光りを浴びよう。気持ちいいよ」


 牡丹はそう言いながら、ゆっくりカーテンを開けた。カーテンレールの動く音が聞こえなくなると、布団の中のすすり泣きも聞こえなくなっていた。


「薫君。起きれるかな?」


 布団の中がもぞもぞと動きだし、ゆっくり薫の顔が出てきた。涙が目の縁に沿って横に流れていた。目は赤く充血している。


 牡丹は男子の、しかも高校生が泣いた姿を見たのは初めてだった。学生時代から今に至るまでそういった状況に出くわしたことはなかった。むしろ、男子はほとんど人前では泣かないと思い込んでいたくらいだ。


 こういう時の男子は甘えたいのだろうか……。


 しかし、薫の表情を見ているとそれはないと感じた。薫は私のことを見ていないどころか、顔を私の方に向けてもくれない。まるで陽の光りに照らされるのを嫌っているようだ。


「どうしたの? 怖い夢でも見た?」


 そう聞いておいて、そうじゃないんだろうと思っている牡丹。


「違うんです。俺、彼女を守ってやれなかった。いつも一緒にいたのに……」


 薫が悲しんでいることはわかるけど、彼女とは一体誰なのか。牡丹は揚羽黄柚子がいなくなったのだろうかと思った。昨日の今日で新たな夢の続きを見たのだろうか。


「彼女がいなくなったことを忘れようとしていた。すべてがつらかったんです。何もかも忘れて生まれ変わろうなんて、できる訳なかった。変えられるのは人生くらいで、自分を別人にすることは何をしても生きている以上はできないんです……」


「薫君はそう思ったんだね」


「……はい」


「つらかったんだね」


「……はい」


「話してくれてありがとう」


 すると薫は袖で涙を拭い、布団の中から標本ケースを引きずり出した。


 これを布団の中で抱えるようにしてうずくまっていたようだ。


 牡丹はケースの中を見ると、蝶々の羽を生やした女の子がさらにもう一匹増えていた。


 揚羽黄柚子の隣に並ぶその子は、黄柚子と同じアゲハチョウの形をした羽だが黒い。上の羽は白と赤の斑点が並び、下の羽は赤い斑点だけが並んでいる。黄柚子と違って黒に赤が混じる羽と、笑っていないその表情で何か強い印象を牡丹は受けとった。またこの女の子は両手を腰に当てて堂々としている。


 さっき薫が守ってあげられなかった人とは、この子のことなのだろう。しかし、守れなかったと薫は言っていたに、なぜこの子はここにいるのだろうか。守れなければここにはいないと思う。牡丹には矛盾しているように思える。


 女の子は自信に満ち、何にも負けない強さを感じるのに、薫の中では何が起きたのだろうか。牡丹が考えていると、薫が語り出した。

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