Bパート 後

 次の日の放課後。


 校舎の屋上に続く階段を一歩一歩上がって行く花咲薫。屋上へのドアを開けた。秋から冬になる頃の冷たい風に薫は身を震わせた。


 校庭からは部活動にはげむ学生のかけ声やホイッスルの音。体育館からはボールが弾む音や床を走る生徒たちの駆け音。校舎内から吹奏楽の楽器の音がバラバラに、時にはそろって聞こえてくる。それらの活動をしている女子生徒の中には、いまだにポニーテールをしている。


 そんな賑やかな学園生活を屋上から眺める女子学生が一人、フェンスの前に立っていた。


 あと三十分もすれば沈みきってしまう夕陽の光りを浴び、冷たい風が彼女のスカートや背中にまでかかる一本に結わいた髪の毛を揺らしていた。


 薫は彼女の後ろに立って、止まった。


「なるほど。それが犯行の凶器であり、自分の身をごまかす姿。被害者の証言と一致する」


 女子学生の両手には、顔の半分を覆う白いマスクとカッターナイフがそれぞれ握られていた。


「そしてセルフレームのメガネをしている。このセリカ高校で起きた一連の事件ポニーテール狩りの真犯人は、君だね。二年C組の揚羽黄柚子!」


「……」


 ポニーテールの女子学生・揚羽黄柚子は振り返った。薫の言った通り、彼女はセルフレームのメガネをかけていた。そして、不気味に笑った。


「薄々勘づいているとは思っていたけど、今日来るとは思っていなかったよ」


 ハキハキとした言葉が返ってきた。


「何のために昨日、屋上の出入り禁止期間を先伸ばしにしてもらったのか。それは君がここへ来れるようにするためさ」


「こんなに早く私の元へやってくるとはね」


「校内で五人の髪の毛が連続して切られてしまったんだ。自分なりに反省しなきゃならないけど、五人の被害者が出たことによって犯人がわかった」


「ふーん。どうしてそれが私につながるのかな」


 黄柚子は平静を保ち、むしろこの状況を楽しんでいるように見えた。


「一連の事件は、ポニーテール狩りとまで言われるようになったくらいで、被害者の髪型全員が普段からポニーテールだった。今の君のように。そして、被害者五人は皆、口を揃えて言っていた。犯人はうちの高校の制服を来た女子で、髪型がポニーテールだったと。何か違和感がないかな?」


 薫は黄柚子に問うてみた。


「うちの制服を着ていたこと?」


「いいや、制服であることは犯人による何らかのメッセージだと思う。この学園内の誰かに向けて、犯人はこの学園にいる生徒だと。その誰かは、俺ではなくこの学園の先生だ。学園外部の人が犯人では事が大きくなる。この学園の体質を利用して、わざとこの学園の生徒が犯人だとわかりやすい印象をつけた。すぐに見つかっては元も子もないからね。木の葉を隠すなら森に隠せ。自分を隠す、カモフラージュするには制服を着ているのが一番いい。しかもポニーテール姿の女子が犯人となればね。俺が感じた違和感はそのポニーテールさ」


「それが何なの?」


 黄柚子は依然と変わらない余裕の態度だ。


「ポニーテール狩りをするくらいの犯人なんだ。きっとポニーテールに対して並々ならぬ嫌悪感や犯行に至る強い気持ちがあるはずなのに、五人もの髪を切り落としてもなお、犯人はポニーテール姿で犯行を侵すというのは違和感だらけだ。絶対犯人はポニーテールではないと考えられる」


 黄柚子の表情に影が差す。


「普段の生活では、君はショートカットだろ。揚羽黄柚子。それにメガネもかけていない」


「ふふっ。そうね」


 黄柚子は頭に被っていたウィッグとメガネをはずした。髪の短い普段の姿の揚羽黄柚子に戻った。


「やっぱり話をしていた時より鋭いね。本性隠していたでしょ、花咲薫。本当に高校生? 同学年とは思えない」


「話をそらすな。俺のことはどうだっていい」


「ふふっ、そう? 生徒会に頼られているのにね。髪の短い子なんて他にもたくさんいるのに何で私だと断定できちゃったの? 先生たちすら気づいてないみたいだし」


「五人も被害者が出ているのに、警察に通報していないこの学園も学園だけど、そんな大人たちは俺たちのことを見ていないんじゃないかな。表面上だけでかもしれないけどさ。そもそもポニーテール狩りが起きたのは、二週間前。君が第一の被害者。そうしたのは自分が犯人だと疑われないためだ。『ショートカット推進委員会』。これも君が広めた言葉だろ? ポニーテール狩りをするたびに、被害者に向けて発言した。被害者みんな、口を揃えて言っていた」


 得意げな顔になった薫。


「辻褄はあってるよ。でもよく私だとわかったわね」


「突然、理由もなく髪を切られた割には、気持ちの立ち直りが早いかなと思ってね。他の被害者たちはまだショックから抜け出せていない」


「二週間もあれば、気持ちも落ち着くでしょ。個人差はあると思うけどさ。……それだけで私が犯人だと推測するのは勘に近いわね」


「現実的には、俺の目の前に犯人がいるんだから勘でも当たれば結果良し。けど、確信を得たのは昨日の生徒会会議でのことだ」


「昨日の?」


「そう。揚羽さんが失踪した蜘蛛手家と関わりがあると言っていた。俺も初めて知ったことだったし、そこまで調べきれていなかった。それでピンと来た」


「……」


 黄柚子の表情から笑顔が消える。


「ポニーテール狩りの犯人は蜘蛛手先輩の失踪に関係しているのではないかと。全ては憶測に過ぎないが、揚羽さんは蜘蛛手先輩にポニーテールを切られたんじゃないですか? それともそれに近いことをされた。家柄の内情かなにかの揉め事に巻き込まれてね。ポニーテール狩りが始まったのは二週間前。蜘蛛手先輩の失踪時期も同じ時だ」


「ふふっ。花咲君。まるでずっと私の事を見ていたようなことを話すのね」


「憶測だよ。ストーカーまがいなことはしていないよ」


「んー、そのくらいしてくれた方が私は楽だったんだけど。んー、本当にされたら引くかもしれないけど」


 黄柚子は無理に笑って続けた。


「でも、今、目の前にいるのが花咲君で良かったよ。なんでだろう、落ち着くんだよね。もしかして私の扱い方を知ってた?」


「この世に、人それぞれの取り扱い説明書なんてものは存在しない」


 薫はスパッと言い放った。


「思っていたより冷めた性格なのね。ポニーテール狩りの話は熱心に聞いてくれたのに。もう少し話に乗ってきてくれるかと思った……」


「犯行動機についてなら、かぶりつくように話に乗ってあげるよ」


「あれっ? それは花咲君でもわからなかったんだ」


「そうだね。この世はわからないことの方が多い。お互いに知らないことだらけだし……。聞かせてくれないか。君の気持ちを……」


 薫が言うと、黄柚子の無理に保っていた笑顔は一転した。沈み行く夕陽の逆光でより表情が暗く見えた。


「花咲君にわかるかな……。ワタシの気持ち」


 黄柚子は持っていたカッターナイフの刃を出して、ウィッグのポニーテールを根元からためらいもなく切った。そして、冷たい風が舞う宙に切ったウィッグを投げ捨てた。一瞬にして風がウィッグ一本一本をかっさらって行き、バラバラに散って行く。それらは次第に風に乗り、校舎の裏手へと流れて行った。


 黄柚子の目つきが鋭くなった。


「あの男があんなことを言わなければ、私は何も意識することはなかったのに。なのにアイツが『尻尾で何を隠しているんだ』って言ってきて、私の髪を持ち上げた。そして、マジマジと後ろの首を見てきた。私はそこを見られたくなかった。馬や猿、動物のように尻尾でお尻を隠して守っていた訳ではないけど、私は隠す行為をしていた。小さい頃からずっとポニーテールだったからそれ以外の髪型にするのは抵抗があった。でも、友達は私の後ろ首のことは誰も気づかなかった。アイツの、蜘蛛手紘一の誤ったたった一つの行動が私の心を傷つけた。いずれ知る運命にはなっていたのに」


 黄柚子は薫に背を向け、首を少し前に傾けた。白い肌の首後ろにあざのようなものがある。それは蝶々の形をしていた。


「アイツは見ただけでなく、この紋章を触ってきた。そして、押した……」


 黄柚子が薫に向き直ると、黄柚子は瞳に涙を溜めていた。今にでもこぼれ落ちそうだった。


「……もう私、隠しておけない。全部しゃべって楽になりたい。最後に私の醜い姿を見せてあげる」


 そして、涙をこぼしながら語る黄柚子を薫は冷静に見つめていた。


「普通の人として、悩んでいることがどれだけ幸せなのか。私はそうなりたかった。お父さん……お母さん……」


 黄柚子は首後ろに手を回し、蝶型の紋章を押した。黄柚子は全身の痛みをこらえているように身体を震わせ、悲鳴か喘ぎ声ともつかない声を出した。そして、背中からアゲハチョウの羽が黄柚子の身の丈以上にバッと一瞬で広がった。まるで黄柚子の体から風を巻き起こすような勢いだった。


 薫はその突風に押され一歩足を下げ、踏ん張った。


 上の羽は直角三角形が向かい合ったような状態で、下の羽は扇を広げて一カ所だけシッポのように長く伸びた部分がある。その黄色い羽は黄柚子の一部だった。


「なぜ、そんな羽が……」


 人の体に生えているのだろうか。薫は問うた。ファンタジー映画でも見ているのだろうか。それとも科学と人の融合か。薫は自分を納得させるだけの理由が見つけられなかった。


「これは揚羽一族、本血族のみが継承する種の繁栄記録。後ろ首にあった痣は、この羽を一時的に封印しておくための封印紋章。呪われた印よ。羽は成長とともに大きくなるから非人道的な技で押さえ込んでいるの。大昔は、揚羽家も強い力を持った名家だったらしい。けど、今は仕掛けられた蜘蛛の巣に引っかかって蜘蛛手家の言いなりよ。二十歳を迎えた時、許嫁と結婚するの。……もういなくなってしまったから、きっとまた代わりが私の許嫁として紹介されるだけ。現代には無用なこの呪われた身体を受け入れてくれるところは蜘蛛手家しかないの」


「でも君はどんな形であれ、二人にその姿を見せた。少し心境に変化があったんじゃないのか?」


「あったよ。最悪にねじ曲がった形で」


「……」


「花咲君も見たでしょ。羽が出てくる瞬間を。アイツは何も考えず私の背後で紋章を押した。羽の出てきた勢いで、アイツは吹き飛んで頭を強く打って死んだわ。そして、この羽で空を飛んだ。死体を山に捨てに――」


「……」


「この羽のせいで私はけがれてしまった。いいえ、この羽自体がけがれよ。こんな醜い私をわかって好きになってくれる人なんているのかしら。こんなおかしな私の体を抱いてくれる人なんて――」


「そんなことないさ!」


 薫は笑って黄柚子を見つめた。そして、黄柚子の横を通り越し、フェンスに歩み寄った。


「大丈夫。次の瞬間で、揚羽黄柚子の羽は生まれ変わる。安心してくれよ!」


 黄柚子には薫の言っていることが理解できなかった。


 次の瞬間、薫はフェンスを飛び越えると、何の躊躇もなく校舎のへりから自らの意思で飛び降りた。


「え! 花咲君!」


 校舎は五階建て。下はコンクリート。考えなくても薫がどうなるかくらいわかっている。黄柚子は考えるまでもなかった。気づいたら羽を羽ばたかせ、落下する薫を追っていた。蝶々の優雅さを気取る暇はない。光のごとく薫を追う。地面に向かって逆さまに落下する薫に黄柚子が追いつくと、薫は笑っていた。黄柚子は薫を抱きしめて宙に浮かび上がった。


「助けてくれてありがとう。助けにきてもらえなかったらどうなっていたことだろう……」


「もうそんな状況は嫌よ」


「純粋な君の心と、君しか持ち得ていない羽のおかげで、俺は助かった」


 薫は黄柚子を抱きしめた。


「……自分から飛び降りておいて、そんなこと言わないでくれる?」


「揚羽黄柚子……俺がずっとこうしててあげるから」


 薫はもう一度強く黄柚子の体を抱きしめた。


「うん」


 沈みきる寸前の夕陽に照らされた黄柚子の羽は輝いていた。

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