12話 シンクロニシカ
中々適した紙が見つからない中で、トウカと浅江は、妖怪『
夜道怪はその懐から例の紙を取り出すと、妖怪『
そして浅江はその雲外鏡の中に取り込まれてしまう。
浅江を助けるため、その後を追って鏡に飛び込むトウカ。
しかし鏡の中で待ち受けていたのは、過去の自分の幻影だった。
それぞれ一つ目に立ち現れた過去の幻を乗り越えていく二人。
そんな二人に示されたのは、新たな鏡。
それは次へ進めという導きであった。
浅江とトウカは、雲外鏡の中で己の過去と向き合っていく。
―
―――
――――――
幼い頃から、非現実的な物に憧れていた。
テレビを
漫画を読めば、ヒロインが個性豊かな美男子達と世紀の大恋愛を繰り広げていた。
映画の中では、異国のスーパーヒーロー達が所狭しと大暴れしていた。
小説を開けば、魔法使いの少年が不思議な学校生活を送っていた。
そんな夢の世界を見て育つ中で私は、自分もいつの日もかそんな非日常に巻き込まれるのだと、不思議な物語の登場人物になるのだと自然に考えていた。
5、6歳の頃は、非日常はまだ身近にある気がしていた。
世の中は知らないことばかりだったし、自分にとっての日常はまだ狭い物だった。
眠りに就く時は部屋の隅の暗闇に恐ろしい怪物が潜んでいる気がしていたし、サンタのおじさんは本当に一夜で世界を飛び回ってプレゼントを配っていると思っていた。
だが少し成長して小学校も高学年になると、自分にとって『非日常』はより日常から遠い存在になり始めていた。
おかしな言い方だが、自分が過ごす日常の中に非日常は無かったのだ。
毎日は普通に過ぎていき、特筆する事もない、味のしない幸せを生きていた。
細部が違うだけの、繰り返しのような日々。
日付というラベルだけをめくっても何も代わり映えは無いままに、私の背は少しづつ伸びていって、空の雲は形を変えていく。
でも、いつかきっと日常は非日常に変わる筈だと。
そう思っていた。
中学生になって、友人達は目まぐるしく変わる流行色を追いかけ始めた。
瞬きの間にも次々と繰り出されるその『トレンド』に食らいついていくことが、大人なのだと。
周りと違う、おしゃれな女の子なのだと。
『皆と違う』を
だが、そんな中で私はまだ非日常の訪れを待っていた。
流行やファッションに興味が無かった訳ではないが、それよりも。
かつて私の心を沸き立たせた感情は、やはり空想の中にあったのだ。
しかしながら私は、超能力に目覚めることも、魔法少女に選ばれることもなかった。
魔法学校から招待状は送られてこなかったし、
実家のクローゼットを開いてみてもその中に雪景色は広がっていなかった。
空想の世界と比べると余りにつまらない現実に流されて成長しながら、
中学三年生になった私は焦りだした。
待っているだけでは、駄目なのか。
私は、家から一時間半かかる遠い高校を受験した。
遠さをだしに、親に頼んで一人暮らしをさせて貰う為だ。
一人暮らしをすることで、少しは非日常に近づけると思った。
一人暮らしの高校生なんて、アニメや漫画の主人公のようではないだろうか。
それにいずれにせよ、今までの『普通の日常』から出て行きたかった。
いつも通りの日々から一歩を踏み出す、環境を変える自主的なアクションを。
両親は案外すんなりと了承をくれた。社会経験だ、と。
だが、いざ一人暮らしを始めて、
高校に通いだした私を待っていたのは、友人知人が誰もいない新環境だった。
地元の中学から据え置きらしいグループの群れ。
それに入れずまごつく内に、気づけば私は一人きりになっていた。
誰とも話さず、部活にも入らず、一人で授業を受け一人で弁当を食べる。
これが『今までと違う非日常』と言うのなら、笑えない話だ。
結局私が高校に入って得た物は、孤独と疎外感だけだった。
「でも、安心して」
私は目の前の、もう一人の自分に言う。
彼女は無表情のまま、白目と黒目の反転した瞳から涙を
「今の私には、仲間が居る」
もう一人の私は、教室の真ん中で椅子に座っていた。
その周りには教室机や椅子がバリケードのように張り巡らされており、外からの接触を妨げている。
或いは、檻のように彼女自身を閉じ込めているのか。
きっとそのどちらも正しいのだろう。
私はその障害物を押し退けて、
一目見ただけで分かった。
彼女は、7ヶ月前の私、高校に入ったばかりの私だ。
教室の黒板に引かれたチョークの線は、5月8日という日付を伝えている。
その日、この教室から帰宅する途中。
横断歩道を渡ろうとする私の鼻先3センチを、居眠り運転の車が
目の前を過ぎった鋼鉄の塊の勢いに、へたり込んだ私。
と同時に、どこか空虚な思いで己を見下ろすもう一人の私が居た。
幸運の線の上を綱渡りして手に入れた生を、さして嬉しいと思わない私が。
飽きかけていた。
『山口トウカ』という記号を貼られただけの、どこにでもある人生に。
でも、
「私はもう一人じゃない」
私がそう言ってもう一人の私の涙を拭うと、彼女の体は溶け出した。
全身が涙になって流れてしまうように、無色透明の液体となって。
フローリングに出来た水溜りは、涙の海。
山口トウカの涙の海。
ガラガラと、学校用具で作られた私の鳥籠が崩れ始めた。
遮る物が無くなって、教室の窓から差し込んだ光がトウカの頬を照らす。
そして、足元の水溜りもまた、その光を受けてキラリと輝いた。
希望や可能性の絵を見て生きていた。
己の生に光の灯らないのは、灯すための火が無いからだと自分を騙していた。
『自分は特別だ』と信じるこの思いが、思春期という名の
諦めることで大人になるなら。妥協することが生き方であるなら。
ぼんやりと乗り気のしない人生を生きて、そのまま老いて死んでいくのか。
それを思うと、恐怖で心が
だが、あの日、あの時。
偶然にも実家の物置を整理していると出てきた古い書物群。
その中の数冊に、『
更に、一緒に出てきた家系図にも記されたその名。そして『遠野』という地名。
私は何かを理解したようなその感覚の正体も掴めぬままに、
導かれるように、岩手県の遠野へと旅立った。
その地で、私は
私は
波立つ表面には私が映っている。
白目・黒目の反転した、鏡の山口トウカが。
私はその水面に手を伸ばした。
さあ、次の鏡へ。
―
―――
――――――
一方浅江は、池のほとりに一人、静かに座禅を組んでいた。
その前には、一本の
これは浅江の過去だ。
あの日切り損ねた未練の
鏡の国で
だが、そんな感情は全て雑音と思わねばならない。
山田浅右衛門一族が処刑してきた人命を
そういった寺が関東周辺には点在している。
その内の一つで、浅江は育った。
山中の
浅江はそこで老和尚とほとんど二人で生活を送っていた。
和尚と二人で過ごすには少しばかり広い山寺。
山を降りてすぐの所にある和菓子屋のどら焼きの味。
どれも目の前の景色と同じく、懐かしい思い出だ。
座禅の組み方も、その時に少し覚えた。
和尚が座禅を組んでいる隣で、見よう見まねで
和尚から
だが、その心を研ぎ澄ます感覚は、剣の道においても意義のある物であったと思う。
ただ眼を開き前を見据えたまま、精神統一をする。
眼には景色が映る。耳から音が入る。肌に風を感じる。
そういった全てを、感覚には捉えても、心の中から追い出す。
心は
風が一枚の木の葉を
そこに映っていた浅江と大木の像が、木の葉が起こした波に乱される。
その広がる波紋のように、やがて『己』は空間に溶けていく。
時は流れる。
世界は回る。
自分はその一部であり、全てである。
浅江はゆっくりと立ち上がった。
その動作は大自然の動きを構成する無量大数の内の一となって溶ける。
大きく、長く息を吸う。
淀みなく流れる水の如く、刀を構える。
そして吸い込んだ空気の全てを一息に吐き出しながら、
砕けよとばかりに大地を踏み込み、放たれた矢のような
千人切を思い切り大木に振り抜いた。
一瞬の衝突。
極限まで霧散した『己』を、
緩和から緊張への急転が強靭な太刀筋を作り出す。
空気を
妖気の噴出も最大限に、全力で振るわれるその刀が、大木の幹すら切り裂く。
「はぁー……」
カチン、小気味いい音を立てて、刀は鞘に戻る。
見事に割断された大木は、ドシンと音を立てて大地に倒れる。
池に映った鏡像の浅江は、木を断ち切る事ができずに刃が止まってしまっていた。
だがこちら側は、今度は、成功した。
不意に、浅江の眼の前を、白い蝶が横切っていった。
先程、浅江は“殆ど”和尚と二人で生活していた、と言った。
だが一時期だけ、浅江以外の子供が鶴雲寺に預けられていた事がある。
山田浅右衛門一族の分家、浅江とは別の山田の家の娘で、浅江より2歳年上だった。
無口で無愛想な浅江とは別の意味で、大人しい少女だった。
穏やかで、優しく、まるでよくできた姉のような性格をしていた。
そう。彼女はそれこそ年下の浅江に『お姉ちゃん』と呼ばれたがっていた。
が、浅江はどうにも恥ずかしく、そう呼ぶことを渋っていた。
まだ浅江が小学六年生ほどの頃の記憶である。
その頃の浅江は山田浅右衛門の正当後継者として、日々修行に励んでいた。
そしてその時浅江が挑んでいたのが、この池のほとりの木を両断する修行だった。
意識の集中、噴出する妖気の操作、正確な太刀筋。
そのどれもを求められる水準に保たねば、木を断つことはできない。
そしてもし大木を断ち切ることができたなら、その勢いのまま、彼女をお姉ちゃんと呼ぶことにも挑戦してみてやってもいい。そう考えていた。
だが結局、浅江が木を断ち切る前に、彼女は親元に帰っていってしまったのだ。
彼女がなぜ鶴雲寺に預けられていたのかは覚えていない。
ある朝目覚めた時、和尚に突然彼女が山を降りて家に帰ったことを伝えられた。
浅江が木の両断に成功したのは、それからまた少し経ってからだった。
浅江は両断した木の断面にそっと触れて、今はどこに居るとも知れぬ少女を思った。
人は常に過去を越えて先に進む。
今自分が立つ場所がどこか分からずとも、後ろを振り返ることはできる。
だが前に進むのなら、前を向かねばならない。
浅江は宙を舞う蝶の跡を目で追って、池の水面に視線を落とした。
そこには過去の自分が映っている。
跪いて手を伸ばし、先に進もう。
未来へ。新たな自分へ。
―
―――
――――――
窓や水も、像を反射するという意味である種の鏡である。
歴史上最初の鏡とは『水面』であったと言われている。
まだ石や金属を磨く技術が生まれる前に、人は水を覗き己の顔を見つけた。
自己を見つめるための鏡像は、案外そこらじゅうに存在するという事だ。
鏡に映る自分自身の姿を認識する。
それには案外知能が必要で、鏡像が自分だと認識できない動物も多い。
鏡を認識することは、ある意味で人間の知恵の象徴とも言えるのかも知れない。
そして、トウカは雲外鏡のルールを理解し始めていた。
鏡に映る像は真実でなければならないのだ。
鏡の外へ出たいなら、そこに映る己の『間違い探し』をしなければならない。
そこに映るのは何かが足りない、過去の自分。
未だ雲の中に居る自分だ。
正しい像が映るまで、こうやって鏡から鏡へ移って行かねばならないようだ。
そう考えて、次の瞬間、トウカの視界が白く染まった。
―
―――
――――――
「あ、山田さん」
「トウカ」
浅江とトウカは、互いの顔を見て、相手の名を呼んだ。
二枚の鏡を抜けて辿り着いた先。
そこは一面真っ白の不思議な部屋。
そこに着いてまず真っ先に、己の相棒の顔が目に入った。
ただし、その瞳は白目と黒目が反転している。
浅江はそっと腰の物に手をやりつつ、注意深くトウカの動きを探る。
「……偽物?」
「いえいえ、私は本物ですよ。
……もしかして私の眼、白黒逆になってます?」
トウカの問いに、浅江が首を縦に振る。
「やっぱりそうでしたか。
でも、山田さんの眼も同じようになってますよ」
言われて、浅江は眼の辺りに触れる。
だがそれは反射のような物で、別にそれで分かる訳もない。
そこで鞘に収められた千人切を少しだけ抜き、刀身を覗き込んだ。
反射して映る眼は確かに白黒反転している。
「でも、山田さんは本物の山田さんなんですよね?
だから、私も本物の山口トウカです」
「うーん……そっか」
浅江は納得した。
相変わらず考え事を放棄するのが早い。
「じゃあ、トウカはどうしてここに?」
「山田さんの後を追って、私も雲外鏡……あの鏡の中に入ったんですよ。
こうして合流できるかどうか、確証はありませんでしたが……」
トウカはそう言うと口元に手をやり、何やら考える。
「でも、合流できたって事は、ここがゴール?」
浅江は辺りを見回した。
二人の居る部屋は、壁も床も天井もただ真っ白く無機質。
家具どころか窓も扉も何も無い。
白い立方体の内側、とでもいった趣の部屋である。
「現実に戻れたようには、見えないけど」
「ええ、まだでしょうね。
私達が鏡の中に居る間にあの家が取り壊されて、代わりに何かの映画に出てくるようなこの白い部屋ができた……という訳ではなさそうです」
「だったら、どこかに鏡が……?」
浅江はぐるりと部屋を見回すが、鏡になりそうな物は何もない。
姿を映せるガラスや液晶のような物も一切見当たらないし、
自分のスマホは鞄の中に入って今は鏡の外だ。
千人切の刀身は細すぎて、眼ぐらいの幅しか映せない。
それに今まで通りなら、次へと進むためにはもう一人の自分と向かい合い、それを越えなければならない筈だ。
この何もないだけの真っ白い部屋に、もう一人の自分が居るのか?
目の前に居るのは友人が一人だけである。
「山田さん」
トウカに名を呼ばれ、浅江は改めてそちらを向き直る。
「鏡なら、ありますよ」
「……?どこに?」
首を傾げる浅江の肩に、トウカが手を置く。
それに反応して、浅江はトウカの顔を見上げた。
そして、理解した。
何もない部屋に、あった鏡。
それは、互いの瞳だ。
「山田さん、私の眼を見てください」
見つめる中で、彼女の瞳が元の色を取り戻していく。
その向こうに映る己の瞳もまた、元に戻っていっているのが見える。
カガミ、という言葉の語源は『カガ(蛇)』+『メ(眼)』であるとする説がある。
人間が生まれながらに持つ、最も古い鏡。
それは
見つめ合う二人の後ろで、白い部屋は崩れ落ち始めた。
過去の自分と違うもの。
自己に訪れた最大の変化。
それは貴方がそばに居る事。
乗り越えて、未来へ進むため、貴方がここに居て欲しい。
トウカが神子になったのは、確かに遠野で
だがその後、妖狩となって妖怪を
彼女と出会って妖狩を知り、二人で居る所を境会に、静海達に見出されて今の境会三十一支部に所属することになったのだ。
そう。トウカをこの非日常に連れてきてくれたのは、浅江だった。
崩れた壁の向こうには、抜けるような青空が広がっている。
この青い空は、二人だから見られた景色だ。
その空の中を鳥が二羽よりそって雲の外へと飛んでいく。
そしてそれは、この鏡の国の終わりも意味していた。
トウカと浅江はお互いの瞳を見つめながら、元の世界へと帰っていった。
―
―――
――――――
気がつくと、二人は元の空き家の部屋に立っていた。
「おかえりなさい」
「トウカも、おかえり」
目をやると、雲外鏡が元通りそこにあった。
浅江が取り込まれる際に一度砕けた筈なのだが、始めに現れた時のまま綺麗な姿で。
木製の雲形台に乗せられて、磨かれた鏡面は光を放っている。
ただし、そこにはただただ青い空が映っているのみ。
浅江とトウカの姿を映すことは無い。
浅江はツカツカと雲外鏡に歩み寄った。
千人切。それは今は、妖怪を
そして浅江は、それを雲外鏡の鏡面に突き立てた。
鏡にヒビが入り、砕け、落ちる。
雲外鏡は黒い妖気の
薄れ行く靄の中から、一枚の紙が浅江の足元に落ちた。
それを拾い上げる。
今までで一番、新鮮な紙だ。
―
―――
――――――
「よし、時蛍出せ」
会長が副会長に指示をする。
机の上には倒した雲外鏡が落とした紙。
机の向こうには浅江とトウカが、成り行きを見守っている。
栓を抜き、中から時蛍を一つ――或いは一匹――つまみ上げ、紙に向かって離す。
ごくり、誰かが息を呑んだ。
時蛍は紙の上を舞い、すーっと暫く飛んだ後、紙の上に止まる。
その一点を中心として、波紋のように紙上に光の輪が広がっていき、
その光が消えた後、紙の上には元々描かれていた絵が浮かび上がってきた。
「こ、これは……」
トウカは首を傾げた。
浮かんだ絵は予想通り、雲外鏡を描いた物だった。
首を傾げた理由は、別にある。
「……なあ、この絵、どう思う」
「その……これ、
というか石燕にしか見えません。
しかし既存の物とは違う構図で、雲外鏡の形も違うようですが……
未発表作……?いや、でも……」
「……おい
これと絵や文字の筆致を比較する」
蘭子が資料室から引っ張り出してきた本を、椅子から立ち上がって何度も紙と見比べた後、鶸は突然どかっと崩れるように座り直した。
苛立たしげに指で肘掛けを叩きながら、ボソボソと呟く。
「鳥山石燕……夜道怪……それに、そうだ。首無しライダーだ。
紙が石燕なら、紙無しは、そして石燕は……?
十二番目の魔王。そう言われたんだな?
つまり……」
あー、と一つ呻くと、鶸は椅子に沈み込んだ。
そして大きな溜息を吐くと、絞り出すように言った。
「上中崎組と高原組も呼べ。
全員に通達する。魔王が動くぞ」
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