6話 YOIYAMI TOHRYANSE

 ついにぬらりひょんの打開策が見え、有効打が通った。

だが、その矢先。

トウカとの通信が、途絶とぜつした。


「トウカ……!?」


 浅江が、札の向こうに呼びかける。

も、返事は無い。


「ちょ、ちょっと!

 どうしたの!?」


 これには、浅江も千佳ちかも心配そうな焦ったような表情を浮かべるばかり。

見れば、ぬらりひょんもまた、いぶかしげな顔をしているように見える。


「ち、千佳!トウカが……!」


 だがこちらと相手では、気持ちを切り替える速さが違った。

ぬらりひょんが、再び姿を消す。


「くそっ……!」


 ここは未だ戦場である。

札の向こうに気を取られたまま戦うことはできない。


「浅江!右よ!」


 言われた方を振り向く。

ぬらりひょんが、迫っていた。

反射的に刀を振る。

だがその切っ先は、ぬらりひょんの直前で止まる。


「…………ッ……!」


 迷いが、心をおかす。

刃の先に立つ相手を、一瞬味方と誤認してしまう。

それが刀を持った手を止める。

そして、それを導くトウカの声は、もう聞こえない。


「声は遠のいた。

 得てして問題は近付いてくる。

 お前たちは気付くべきだ」


 ぬらりひょんが手を伸ばす。

その指先が、千人切を握る浅江の手に触れた。


「が……っ!」


 吹き飛ばされる。

妖怪の総大将と呼ばれるだけはあって、驚異的な妖気圧である。

まとった妖気の強大さ。それを衝撃波のように放つ妖気操作術。

人が化け物と相対した時、その存在に気圧けおされる事がある。

いわばそれを文字通り『圧力』として放っているようなものだ。

総大将とは、これほどか。


「この……!」


 千佳が目をつむって突撃する。

目視しなければ認識に干渉されないかもしれない、という発想。

敵の位置をあやまたぬように、風鬼で風を読む。

ぬらりひょんが立っている場所へ、苦無くないを持って突っ込む。


 だがそれは結局、視覚以外の方法で敵を『認識した』という事だ。

千佳は、今向かっていっている相手は味方だ、と思ってしまった。

風の中にその認識を読み取ってしまった。

全ての認識は侵される。


「くっ……!ああ……!」


 固まった拳に、またぬらりひょんがちょんと触れる。

妖気の圧に吹き飛ぶ千佳。


 初めからずっと、ぬらりひょんは指しか使っていない。

恐らくまだ、本気を見せていない。

宣言通り、遊んでいるのだろう。


公案こうあんかいは一つではない。

 定められたモノでもない。

 そしてお前たちには、そろそろ時間もない」


 妖怪の総大将は、くつくつと笑う。


「まだ、まだぁ……っ!」


 倒れた千佳は、再び起き上がり、もう一度突撃する。


「風鬼!」


 風を後押しに、より高速度の突貫。

ここに来て、えての一直線。

認識の改竄かいざんの速度を超えて、敵に辿り着けるか。

だが、


「甘いな」


 認識は一瞬で脳内を駆け巡り、風より速く心を揺らす。

何故自分は味方に攻撃しているのか、という疑問が湧いてしまったから。

その苦無の切っ先はにぶる。


須臾しゅゆの間に、須臾の時は過ぎる。

 今この瞬間にも、大陸では一分間に六十秒が過ぎる。

 隙間に紙をせど、それは遮られる物ではない」


 二本の指でひたいに触れられ、吹き飛ぶ。

鉄柵にぶち当たり、引きずるように崩れ落ちる。


「こ、の……」


 残された力を振り絞り、苦無を投げつける。

だが、もはや余力は残されていないのか、頭から吹き飛ばされて軽い脳震盪のうしんとうを起こしてしまっているのか。

苦無はぬらりひょんかられ、後ろの壁に突き立つ。

ガクリ、と千佳が柵に持たれるように倒れた。


 ぬらりひょんはそれをチラリと見やるも、すぐに横を向く。

そちらから、浅江が突っ込んで来ていた。


「千人切……!」


 妖気を噴き出し、加速。

刀を構え、真っ直ぐ突っ込んでくる。

だがそれでは、先程千佳が失敗した作戦の焼き直しになってしまう。

どんどんと縮まる彼我ひがの距離。

接触するその直前。

浅江は、飛んだ。


 妖気を真下に。

黒いもやを引いて直角に空へ飛ぶ。

空中で、刃を下に構える。

上がったなら、後は落ちるのみ。


「はぁ……っ!」


 真下のぬらりひょんに刃を突き立てんと、迫る。

一瞬、浅江の脳裏でまた『ぬらりひょんは味方だ』と歪められた認識がささやく。

だが、例え心が揺らいでも、動き出した刃はもう止まらない。


「後は落下するのみという訳か。

 己では止められない、状況にするというのはいい案だ。

 だが……」


 天から降った刃は、ぬらりひょんの少し右に突き立てられた。


「お前の刀はその作戦を遂行するかなめだったが、

 同時にその作戦をさまたげる唯一の存在でもあったな」


「…………ッ」


 ギリリ、歯がきしる。

ぬらりひょんに到達する直前、軌道を修正してしまった。

妖気の噴出が間に合ってしまった。

咄嗟とっさに刃を、ぬらりひょんから逸らすことが


「ぐぁ…………ぅ!」


 ぬらりひょんが浅江の首を掴み、持ち上げる。

喉が圧迫され、呼吸が乱れる。


「そろそろ幕引きだ。

 足音も近付き、わしは唯一ではない。

 ページめくりまた次の問いへ」


 ピチャリ。

不意に、ぬらりひょんの頬に水滴が着く。

どこからと思う間も無く、さらに数滴の水がパタタと降りかかる。

その方に目を向けると、先程千佳が壁に突き立てた苦無。

苦無から、ちょろちょろと水が湧き出ている。

その水は徐々に壁を伝って、下の室外機へ。

そして室外機の風は、水をぬらりひょんの方へと飛ばしたのだ。


「気を取られたわね」


 不意に、ぬらりひょんの体を衝撃が貫いた。

衝撃が?

いや、衝撃だけではない。

ゆっくりと顔を下に向ける。

その胸を、後ろから腕が貫いていた。


隠形鬼おんぎょうき


 鬼の名を呟き、千佳が腕を抜き去る。


「くっくっ……見事である」


 ぬらりひょんが笑いながら血を吐いた。

そして、その体から力が抜ける。

浅江は喉を掴む腕を振り払った。


「はぁっ!」


 一閃。

千人切が首を切り落とす。


 千佳の武器は四鬼の石では無く、あくまでそれを使役した『藤原千方ふじわらのちかた籠手こて』だ。

故に、その本懐は己の強化では無く、鬼の力をことにある。

触れた物体に対する能力の付加エンチャント

それこそが藤原千方の籠手の真の用法。

それが使用者にも応用できるというだけに過ぎない。


 投げつける直前、苦無に対して『水鬼』の能力を付加。

室外機を利用してぬらりひょんに一瞬の隙を作り出すことに成功した。

ぬらりひょんはこちらから突っ込んで行けばその攻撃に対処するが、初めの出現位置からは全く動いていない事に、千佳は気付いていた。

だからこの水滴が直撃する確信があった。


 ぬらりひょんに認識を歪められるのは、こちらがぬらりひょんを認識しているからでもあるが、同時にぬらりひょんにこちらを認識されているからでもある。

四鬼の石、最後の一『隠形鬼』。

気配を消し、奇襲をかける能力を持つ鬼。

ぬらりひょんを敵と認識したまま攻撃する方法。

それは、ぬらりひょんから敵と認識されないまま攻撃すること。


 そして、千佳は成功した。

ぬらりひょんを討伐したのだ。


「ごほっ……ごほっ……!」


「大丈夫?

 ほら、立ちなさい」


「うん……でも、トウカは……!」


 千佳に引き起こされた浅江は、慌てて肩の札を確認する。

だが、そこに描かれたいねもんは、既に光を失っていた。


「一体何が……」


「彼女なら」


 男の声が屋上に響いた。

カツン、カツン、階段を上ってくる。


「ここですよ」


 それは士城明朗しじろあきろう

屋上の入り口を通って姿を現す。

猿轡さるぐつわを噛まされ、手を縄で縛られたトウカを脇に抱えて。


「士城さん……?貴方何を……」


 怪訝けげんそうな千佳の言葉を無視し、明朗は歩を進める。

ぬらりひょんの前まで来ると、その頭に向かって印を結んだ。


「『封縛結固ふうばくけっこ』」


 言葉を唱え終えた途端、光の箱のような物がぬらりひょんの頭を包み込む。

明朗はその箱を拾い上げた。


「妖怪の体の一部を保存するためのまじない……

 いささか時代錯誤じだいさくごな代物ですが、ようやく役に立つ時が来ましたね」


 更にそのまま歩いて行き、屋上の端、鉄柵の前までたどり着いた。

そして、腕を縛る縄を掴んで、トウカを屋上からぶら下げるように吊るす。


「んむ……ぅう……!」


 恐怖を訴えるトウカの声は、猿轡で聞こえない。


「お前、何をしてる」


 怒りを含む視線でにらみつける浅江。

その手が、たった今、さやに収めたばかりの千人切の柄にかかる。

だがそれを涼しい顔で受け流し、明朗は口を開いた。


「おっと、僕の邪魔をしないで下さい。

 もし何か余計な事をすれば、彼女の命はありませんよ」


「じゃ、邪魔って……何の?」


「それを今から説明します。

 ええ、説明しますとも。少し長いですが、聞いて下さい」


 明朗は、この状況に似つかわしくない程に優しく微笑んでいた。

そして彼は、語り始めた。


外法頭げほうがしら、という物をご存知でしょうか。

 ご存知無いのならば、説明せねばならないでしょうね。

 外法頭というのは厭魅えんみ――いわゆる呪いの術に使う髑髏どくろの事です。

 うしこく参りで藁人形を打つでしょう?

 あの人形のようなまじない道具とお思い下さい。

 それで何でも、外法頭に使う髑髏は大きい物である程、たっとい人の物である程、効

 果があるそうで」


 その眼は異様な輝きを帯びている。


「頭が大きくて貴い人物の髑髏……難しい注文です。

 ですがね、私は完璧な解答に思い至った」


 ぬらりひょんですよ、と明朗は言った。


「ぬらりひょんは、その頭の大きさで知られ、妖怪の総大将という貴い身分にある。

 正に、最高の外法頭になり得る存在じゃないですか。

 しかしそう気付いたは良いが、ぬらりひょんの髑髏なんて手に入るものじゃない。

 そこで私は、ぬらりひょんを呼び出す事にした」


「呼び出す……?

 まさか、紙?」


「紙?なんですそれは?

 違いますよ。

 私はね、まず死体からぬらりひょんを作ったんだ」


「作った……?」


「かつて歌人西行さいぎょうは、人骨を集め砒霜ひそうという薬を塗ることで、動く死体を

 作り出したと伝えられている。

 私が用いたのもその術です。

 墓から何人か分の骨を拝借し、砒霜を塗って術をほどこす。

 しかしね、私は一つだけアレンジを入れた。頭の骨を大きくしたんです。

 そして想定通り、出来上がった化け物は、ぬらりひょんのような見た目になった。

 そう、貴方達が公園で退治したアレですよ」


 言われて思い出す。

呆気あっけなく倒された、ゾンビのようなぬらりひょんのような不気味な怪物。


「私は夜の街にアレを徘徊はいかいさせた。アレは勝手に人を脅かし、時には襲った。

 程なくして、噂が立ち初めた。

 『ぬらりひょんが出る』。想定通りだ。ガッツポーズをしたくなった。

 噂が広まった事で、本物のぬらりひょんが出現する準備が整った。

 だがその為には、今いる偽ぬらりひょんに舞台を降りて貰わなきゃいけない。

 それに、その後出てくる本物のぬらりひょんも、髑髏の為に倒さなければ。

 引退した身ではいささかキツイ相手です。だから僕は境会に連絡をした」


 何時の間にか、風は不自然なほどに止んでいた。

よどんだ息詰まる空気の中、明朗の長広舌ちょうこうぜつは続く。


「そして当初の目論見もくろみ通り、ぬらりひょんは討たれ、

 僕はその頭を確保する事ができた。

 感謝しますよ。途中までは勝てないのかと思いましたがね」


「貴方そこまでして、何がしたいの……?

 その外法頭で、誰を呪い殺すつもりなの?」


「娘ですよ」


 彼は、事も無げに言った。

信じられない、と言うように、千佳が目を見開いた。


「僕は、娘の莉緒りおを呪い殺すために、ここまでやったんです」


「な、何で……」


「僕の妻――玲美れいみは、莉緒を産んだ時に死にました。

 諦めきれなかった。これから二人で莉緒を育てて行こうと言った矢先だった。

 だから僕は、反魂はんごんの研究を初めた。

 死した人間を現世に呼び戻す術。だがそれは、境会では禁術に指定されていた。

 僕は境会を辞め、秘密裏に研究を進めた。

 その過程で、西行の砒霜なんかも発見したりした。

 そしてついに、恐らく反魂が成功すると思われる薬を調合する事に成功した。

 だがそれが完成した直後、莉緒も肺炎で死んでしまった」


「……え?」


「僕は大いに悩んだ。

 薬は一回分しか無い。玲美と莉緒、どちらか片方にしか使えない。

 だが、悩み抜いた末に、僕は莉緒を選んだ。

 例え玲美を蘇らせたとしても、莉緒の代わりの生だなんて、僕には言えなかった」


 明朗は少し表情をかげらせた。


「僕は緊張しながら、莉緒に薬を投与し、儀式を行った。

 一秒を永遠のように感じながら、僕は推移を見守っていた。

 そして緊張で息が止まりそうになった時、不意に莉緒の脈が回復した。

 やった。成功した。さっきまで人形のようだった莉緒の顔が、苦しそうに歪んだ。

 普通なら歓迎するべきでないその表情も、その時は生きている証だと思えた。

 だが、僕が見ている前で、莉緒の脈はみるみる弱まり、そして消えた」


 その時を思い出しているのか。

彼は唇を噛んだ。


「結局失敗だったのか。

 いや、まだ諦めてなるものか。

 僕は必死に心臓マッサージをした。今思えば無意味な行為だが……

 だがなんと、莉緒の脈がまた戻ってきたんだ。

 今度こそ、そう思って心臓マッサージを続けたが、脈は再び消えた。

 僕が暗澹あんたんたる気持ちで目を伏せると、視界の端で何かが動いた。

 莉緒の脈が、戻っていた。もう一度」


「…………!」


「何かがおかしい。

 僕が見ている前で莉緒の脈はまた消え、しばらくするとまた復活した。

 それを呆然と眺めながら、僕はどうしようもない答えに辿り着いていた。

 反魂は完全に失敗していた。

 莉緒は、『生と死を繰り返し続ける』状況に落ち込んでいた。

 僕はこの手で、娘を生き死にの無間地獄に叩き込んだんだ。

 泣き叫んだ。頭を抱えて崩れ落ちた。器具や何やらをなぎ倒して、

 そんな事をしている間に、莉緒は四度死んで、四度生き返っていた」


 ははは、乾いた笑い声が零れた。

それは面白いから笑っているという訳では無く、ただ口から風が漏れた、といった様子であった。


「僕は莉緒の首を締め、莉緒の胸に包丁を突き立てた。

 だが、莉緒は死ななかった。

 いや、死んで生き返った。

 何度でも、何度でも。最早莉緒は生けるしかばねであり、死せる生者だった。

 でも……ぬらりひょんの外法頭。

 想定し得る限り最大の呪力を持つそれなら、莉緒を殺せるかも知れない」


 だから。


「邪魔をしないでください。

 僕はこの髑髏で、莉緒を殺す。

 もう僕には、殺してやることしかできない」


 たとえ歪んでいても、その意思は強い。

明朗の暗い瞳が、千佳と浅江を見据えている。


「すぅー……はぁ……」


 浅江は、大きく息を吸い、吐く。

そして、千人切を構えて前方に飛び出した。


「なっ……!」


 驚きの声は、明朗のものだったのか、千佳のものだったのか。


「止まれ!

 さもなくば、貴方のお友達をビルの下に落とさなきゃいけない……!」


 明朗が焦ったように叫ぶ。

だが浅江は、止まらない。

まさか、見捨てる気か。

向こうは現役の妖狩二人がかり。対するこちらは引退済みの研究者。

単純に戦闘になれば、勝ち目は限りなく薄い。

覚悟を決める。


 明朗は、トウカを吊るす縄を手放した。


「くそっ……!」


 ふところに手を入れる。

一応、戦闘の用意はしてある。

引退前の明朗は、仏教系の術士だった。

鉄輪てつりん火界呪かかいじゅで火を纏わせて飛ばす鉄火輪てっかりん、それが十八番おはこ

全盛期には及ばないが、今でも火界呪は結べる。

明朗の右手が鉄輪に触れた。

だが、浅江はそんな明朗の横を突っ切り、ビルから飛び降りた。


「えっ……!?」


 振り向いて、鉄柵から身を乗り出す。

 

 明朗の演説は、浅江の心には響いていなかった。

これが逆なら――明朗の話を聞いたのがトウカなら、結果は違っただろう。

彼女は案外に単純だから、あの身の上話を聞かされて動揺した可能性もある。

だが浅江は、それを上回ってだった。

浅江の目には、トウカしか入っていなかったのだ。


 確かに、明朗の語る内容は同情に値する物だったのかも知れない

だが浅江は、目の前で友人が命の危機にある事を無視できる人間では無かった。

相手の言葉がなんであれ、友達を宙吊りにするのは敵だ。

そんな相手が引いた同情など、知るかと一蹴いっしゅうできるのが彼女だった。

浅江の中に有ったのは、『明朗を見逃すか見逃さないか』などという選択肢では無く、初めから『トウカを助けるか助けないか』。

その答えは『助ける』以外にありえなかった。


「千人切……!」


 空中で、妖気が噴き出した。

トウカの元へ、飛ぶ。

あるいは、方向的には落ちると言った方が適切かも知れない。

手を伸ばす。

少しづつ近づいて、その距離がゼロになる。


 抱きかかえた。

その間にも、地面は急速に迫っていた。


「『一居千刃』……!」


 刃は闇に溶け、千の刀となって現出する。

浅江は、空中で何かを踏みしめる。

足元に現出させた刃だ。

そして一歩、二歩、三歩……

刃は連なり、階段となる。

浅江はトウカを抱えて、夜の空を走っていた。


「馬鹿なっ……!」


「気を抜きすぎよ」


 それを唖然あぜんと眺める明朗の耳元で声がした。

と、思うが早いか、後ろから組み伏せられる。


「抵抗は辞めなさい。

 貴方を……境会に連行する」


 頭上で千佳が、苦々しげに歪めた口からそう言った。

そのすぐとなりに、浅江が降り立つ。


「……トウカ」


 言葉でうながして、トウカをゆっくりと地に下ろす。

しかし、


「あっ……」


 不意に、その腰が抜けた。


「トウカ!」


 それを咄嗟に、抱きとめる。

少女の体は軽くて細い。


「あ、山田さん……」


 ゆっくりと顔を上げ、トウカは浅江の顔を見る。

気の抜けたような、呆然とした表情で、浅江を見上げる。


「ありがとう、ございました。

 ……怖かったです」


 何かを確かめるように。

トウカは、浅江の服の袖をギュッと握った。



―――

――――――


 結局、士城明朗は境会の『奥の扉』の向こうへと連行されていった。

境会には、いつも使用する会議室と、ろくに使っていない資料室、これが入り口から見て左右にあり、そしてその廊下を真っ直ぐ進むと、普段は決して開かない扉がある。

それが『奥の扉』。

その扉の先は、多重異界処理絶縁監獄たじゅういかいしょりぜつえんかんごく竜宮城りゅうぐうじょう』。

既に異界である境会の中に更に複数の異界を展開し、その多重の層の最奥に創られた、対異能力者専用の監獄に繋がっている。


 トウカと浅江は、境会の廊下の椅子に並んで腰掛けていた。

千佳は会議室で会長達へ報告を行っている。

トウカは、ただぼうっと座っていた。

浅江もまた、何も言わずに座っている。

ただ黙っていても気にならない関係というのは、心地よい。


「よっ」


 そこに、静海しずみが現れた。

その手には、缶ジュースが三本握られている。


「おつかれ」


 手にしたジュースを一本ずつ手渡すと、トウカの横に座った。


「……大変だったみたいね」


「ええ、まあ」


「士城さんとは……」


 静海は缶を開けると、一口飲んだ。

そして前の壁を見つめながら語り始める。


「士城さんとは、何度も会ってる。

 私が妖狩になった時にはもう引退してたけど……

 よく取りこぼした妖気の反応を教えてくれたから。

 一年半ぐらい前かな、千佳と一緒にお宅にうかがったわ。

 莉緒ちゃんに、大きくなったね、なんて言って……」


 言葉を区切り、静海は缶の中身を一気に飲み干した。

飲み口から唇を離し、息を吐く。


「ぷはぁ……なんか、ごめんね。

 あんた達に何か気の利いた事でも言おうと思ったんだけど……

 辛気臭い思い出話になっちゃう」


 そう言うと静海は立ち上がって、缶をゴミ箱に捨てに行った。

トウカは彼女が帰ってくるのを待って、話しかける。


「士城さんは、どうなるんですか?」


「うーん……死罪って事は無いと思うけど……

 『竜宮城』に収監しゅうかんされた外法術士は、基本的に二度と出てこられない。

 ……そういう、噂は聞くわね」


 外法術士と言うのは、境会が禁術に指定した術を使った、或いは使おうと試みた術士の事を指す用語である。


「境会は外法術士には厳しいから。

 いや、厳しくて当たり前なんだけどね。

 十数年前には、禁術の実験場になった村が丸ごと消された……なんて。

 これも噂。まあでもそれぐらい徹底してるって事よ。

 今問題になってる例の『紙』の犯人も、捕まったら竜宮城送りでしょうね」


 妖気は創造の気であり、世界自体に影響を及ぼす可能性を持つ劇物だ。

境会は禁術そのものもそうだが、それが起こしうる影響も危惧きぐしているのだろう。

その取締は非常に厳しい。


 奥の扉に入る直前、明朗はこちらを振り向いて、会釈えしゃくをした。

その時の彼の眼。深く暗い眼が、トウカの頭に残って離れなかった。

プシュ。プルタブを開ける。

喉に引っかかった物を流し去るように、トウカはジュースを飲み干した。



―――

――――――


 その後。

千佳とも静海とも別れ、トウカと浅江は、家への帰路にあった。

今日の出来事にも、それを報告する事にも疲れたのだろう。

千佳は静海に気遣われながら、送られていった。


 もうすっかり辺りは暗くなり、電灯が街を照らしている。

並ぶ店先を見やれば、緑と赤の飾り。

それを見てなんとなしに、もう12月になったんだな、と思う。

そのイベントは月の終わりの方の筈だが、気が早いのがこの国の商売だ。


 浅江は、ショーウィンドウの光を横顔に受けながら、前を歩いている。

トウカはふと、その手を握った。

浅江が振り返る。


「山田さん」


「何?」


「ふふ……いえ、何でもありませんよ。

 今日は寒いですし、このまま手繋いで帰りましょうか」


「うん、いいよ」


 浅江の手の温かかさが、繋いだ手からみるように感ぜられた。

『手の冷たい人は心が温かい』と言うが、少なくともその逆が正しくないことは彼女が居る限り間違いない。

二人は街の喧騒けんそうを背にしして、家への道を歩いていった。

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