第5話「モグラのように這いつくばって」 04

 華僑街、フォンフアン通りをさらに下った場所にある、放棄された地下鉄の跡地。そこに続く階段を、トシロウたちは降りていった。


 たわんだ電線が壁に張られ、等間隔に白熱電球がぶら下がっている。ホームまでたどり着くと、セシリアは線路へと飛び降り、トシロウたちを手招きした。


「まず断っておくと私はあなたたちの見ている幻覚じゃないわ。ジェムを服用して知覚できる現実が広がったジャンキーにしか見えないモノなの」


 痛み止め用の注射ジェムを打ったトシロウがその後に続く。ヨシュアはそんなトシロウに肩を貸すべきか貸さないべきか迷いながらトシロウの後ろを歩いていった。


「俺たちにしか見えないのなら集団幻覚と変わらないんじゃないのか」


「少し違うわね。私の言動はあなたたちに共通して認識されている。私は確かにここにいるのよ。見えないだけでそこにある『拡張された現実』の中にね」


 それはジェムの中や人の精神の中に作られ、こうやって現実に投影されることもある。そう言いながらセシリアは自分の頭を指さしてみせた。ヨシュアはトシロウの後ろから顔を覗かせた。


「回りくどい話は止めないか? で、結局あんたは何なんだ?」


「私は、とある人間の精神体よ。拡張現実は肉体から飛翔した精神がデータとして存在できる場所なの。……まあ、正確にはその人間は死んでしまって元の精神も消えているから、私は元々いた『私』の精神体のコピー、コピー人格ね。分かりやすく名前を付けるとすればそうね、電子の幽霊――サイバーゴーストとでも呼んでくれればいいわ」


 セシリアは線路脇に作られたドアの中へと入っていく。トシロウたちも懐中電灯を取り出し、その後に続いた。ドアの向こう側は長い下り階段となっている。


「コピー人格、ね。俺様はそういうの好きじゃねーな」


 オウルバニーはヨシュアの腕の中でぴこぴこと腕を動かした。


「テメーが外に出たところで元の人格はどうなるんだ。檻の中のままじゃねーか」


「黙りなさいオウルバニー。今はそういう話をしているんじゃないの」


 ぴしゃりと切り捨てられ、オウルバニーは不満そうな息を吐きながら黙り込む。


「私の元になった人間はとある理由で謀殺されたのよ。だけど死の間際に私を――自分の精神体のコピーを作った」


 下り階段は終わり、平坦な道へと戻る。甘い香りがした気がして、トシロウとヨシュアは顔を見合わせた。


「実は私もそのコピーのコピーなの。私のコピー元の存在、Aゴーストとするわね。Aゴーストは宝晶製薬のサーバーに閉じ込められている。だけど隙を見て私、自分のコピーであるBゴーストの情報を逃がしたのよ。宝晶製薬のサーバーの外、オウルバニーのジェムの中にね」


「頭がこんがらがってきた……」


「完全に理解しなくてもいいわ。いくら複製されようと、セシリアはセシリアだから」


「ケッ」


 忌々しそうにオウルバニーが鼻を鳴らす。


「オウルバニーの中に逃がしたっていうのは?」


「そこも説明が必要? ジェムはコンピューターやサーバーと同じ性質を持っているのよ。だからゴーストという情報の保管場所には最適なの。そこに私が入り込んだ反動で、今のオウルバニーという人格が自然発生してしまったのは誤算だったけれど」


 地下道にコツンコツンと二人分の足音が響いていく。


「オウルバニーはあの子たちジェムドールに与えられた通信機、見張り番のようなものよ。他の子たちも似たようなぬいぐるみを持っているの。ぬいぐるみの形をしているのは、精神的ストレスを緩和するためらしいわよ。効果があるかは知らないわ」


「待て、ジェムドールっていうのは何なんだ」


 トシロウに遮られ、セシリアはきょとんと首を傾げた。その様子にヨシュアが眉をひそめる。


「アンタ、説明が下手くそってよく言われるだろ」


「あらどうして分かったの? 失礼ね」


 言葉の割に表情は一切変えず、セシリアは言う。そしてトシロウたちにも分かるようにと言葉を選ぼうとしたのだろう。少し考える素振りを見せたあと、セシリアは口を開いた。


「そう、ジェムドールっていうのは……」


「ギャッ」


 オウルバニーの短い悲鳴が響く。まるで波が押し寄せるかのように、コンクリートで固められていたはずの通路が、剥き出しの岩肌へと変わっていく。気付くと、トシロウたちの前には青い目の少女――ラピスラズリが立っていた。


「――この子たちのことよ」


 目の前に現れた少女、ラピスラズリは、トシロウたちを憎々しげに睨みつけてきた。


「どうしてここにいるの、トシロウお兄さん」


 ラピスラズリの体は半透明で、時折ノイズが走るようにぶれて見える。


「私のこと、助けてくれなかったくせに」


 トシロウは見覚えのあるその少女に目を見開いた。


「お前は、あの夢の……」


「夢じゃないわ、あれはオウルバニーの中に作られた拡張現実。彼女も現実に存在するモノよ」


 そう説明すると、セシリアはラピスラズリに向き直った。


「ラピスラズリ。信じられないでしょうけど、トシロウたちはあなたたちに害をなさないわ。それどころか、もしかしたらあなたたちを助けてくれるかもしれないの」


 ラピスラズリはトシロウたちを探るように見た後、渋々といった様子で首を縦に振った。


「……上役様がそう言うなら」


 岩肌に囲まれていた四方が、元のコンクリートの壁へと戻っていく。しかしラピスラズリの姿だけは変わらずそこにあった。


「ただし、妙な真似をしたらあなたたちの体を貰うわ。今度こそ、逃がさないんだから」


 ラピスラズリはそう吐き捨てると、トシロウたちを先導して歩き始めた。セシリアが黙ってその後をついていくのを見て、トシロウとヨシュアも後を追いかける。


 コツコツ、と反響する足音を聞きながらしばらく歩いていくと、トシロウたちは急に開けた場所に出た。


 天井は高く、地下に自然にできた空洞のようだ。空洞の壁面にはいくつもの通路が掘られ、そのいずれにもぽつりぽつりと電球がぶら下げられている。床に放置されているのは、土を運ぶための台車や、石を削るための道具。そして鼻をくすぐる特徴的なあの匂い。


「ここは……まさかジェムの採掘場?」


「そう。私たちはここで働かされている」


 いつのまにか先導していたラピスラズリの姿は掻き消え、その代わりに実体を持った青い目の少女がトシロウたちの目の前に立っていた。


「私たちはジェムドール。ジェムを採掘するためだけに調整され、生まれてきた人間モドキよ」


 青い目の少女――ラピスラズリの本体はトシロウたちを睨みつけた。


「私『たち』?」


 ラピスラズリは何も答えず、背後を顎で示してみせた。


 物音がする。誰かがこちらを見て囁いている。物陰から見える複数の人影は、小さな子供のもののようだった。


「あいつらがジェムドール?」


「そう。型番が定期的に更新されるから大人はいないの」


 型番の更新。不穏な単語にトシロウとヨシュアは眉をひそめる。それの意味するところは、想像でしかないが――子供しかいないということは、きっとそういうことなのだろう。


「私たちの仕事はジェムの原石を探知して掘り出すこと。ジェムによって変質した私たちの脳にはそれができる。他に質問は?」


 ヨシュアは一歩前に出てラピスラズリに尋ねた。


「お前ら、なんで逃げ出さないんだ? ここに来るまで見張りはいなかったぞ。好きでここで働いているわけじゃないんだろう?」


 そう問われるとラピスラズリはさらに不機嫌そうな顔になった。


「説明してあげて、ラピスラズリ」


 セシリアに促され、頷く。ラピスラズリは服をめくると、トシロウたちの前で上半身裸になった。


「見て」


「お、おい! 女の子がそんな恰好するもんじゃ……」


「これが私たちの心臓。私たちは心臓の炉でジェムを燃やして生きている。文字通りね」


 顔を逸らすヨシュアをよそに、ラピスラズリは淡々と告げる。彼女の左胸には、アンバーにもついていたあの疑似心臓が取り付けられていた。


「だからジェムが手に入らない環境じゃ長くは生きられないの」


 疑似心臓は赤く脈動し、文字通りジェムの原石を燃やしているように見えた。ラピスラズリはその上に手を置いた。


「あいつが持ち去ったのは、自己増殖するジェムの『コア』。それさえあれば私たちは外でも生きられる」


 ラピスラズリの顔が憎悪で歪む。


「あいつは自分だけ助かろうとしたのよ」


 彼女の説明は断片的で、全容が掴めない部分もあったが、トシロウは一つだけ間違いを指摘せずにはいられなかった。


「それは違う」


 トシロウはサイバーサングラスを操作すると、アンバーからの手紙を表示し、ラピスラズリに手渡した。


「これを読め。アンバーはお前たちを助けるために自分から宝晶のところに行ったんだ」


 奪い取るようにサングラスを受け取ったラピスラズリはその内容に目を通すと、細かく震えだした。


「……嘘よ」


 壊れてしまいそうなほどきつくサングラスを握りしめ、ラピスラズリは俯く。


「あいつがこんなこと言うはずない。私たちのことなんてどうでもいいって思ってたに決まってる」


「だが現にアンバーはお前たちを助けに行った」


 ラピスラズリは何も言い返せず、トシロウにサングラスを突き返した。一部始終を眺めていたセシリアは肩をすくめ、全員を見回した。


「これが私たちの事情。この場所ならひとまずは追手は現れない。それで……あなたたちはどうする? 彼女たちを助ける? それとも彼女たちを見殺しにする?」


 セシリアの問いに、ヨシュアとオウルバニーは即答した。


「もちろん助けたい」


「俺様も同意見だ。同胞たちを見捨てるのはしのびねえ」


 残ったトシロウにヨシュアたちの視線が向けられる。トシロウは小さく息を吐いた。


「悪いが、俺はそこまで正義漢じゃない」


 ヨシュアはそんなトシロウを咎めるような声を出す。


「トシロウ」


「だが」


 トシロウはむすっとした顔でラピスラズリに、その後ろに隠れる子供たちに言った。


「お前らを見捨てたらきっとアンバーが悲しむ」


 その言葉を聞いたヨシュアは一瞬きょとんとした後、すぐに笑顔になってトシロウの肩を抱いた。自然と腹の傷に力が入り、トシロウは顔を歪める。


「まったく素直じゃねえなあお前は」


「うるさい、ヨシュア」


「反吐が出るぜ、このロリコンめ」


「黙ってろオウルバニー!」


 ぜえぜえと荒い息を吐きながら、トシロウは二人を振り払う。セシリアはそんな全員の間に立って、パンと手を鳴らした。


「話は決まったわね。じゃあ、作戦会議をしましょうか」

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