第5話「モグラのように這いつくばって」 03
ざあざあと音を立てて雨が降っていた。この街では珍しい大雨だ。通りには人影はなく、小さな人形が二足歩行で歩いていても誰も見咎めるものはいない。
「ったく、こんな雨じゃ俺様の毛並みも台無しだぜ」
そうだろ、と言いかけて、もう自分の相棒がそこにはいないことを思い出す。オウルバニーは舌もないのに舌打ちをした。
『オウルバニー。これ以上、わたしと一緒にいたらオウルバニーも危ない。だからあなただけでも逃げて。ぬいぐるみのふりをすれば、きっとそれなりにいい生活が送れるよ。……だけどもし気が向いたら、トシロウのことを助けてほしい。あとからトシロウも逃がすから。お願い、オウルバニー』
最後に見たアンバーの姿を思い出し、オウルバニーは沈黙する。
助ける? この俺様が?
折角自由になれたのにそんな危ない真似するわけねーだろ。それもあのロリコン野郎のために? 馬っ鹿じゃねーの。あいつと俺様がどれだけ仲が悪いかも知らねえのかよあの馬鹿は。
大体あの野郎はなんなんだ。俺様を何だと思ってやがる。こちとら可愛い可愛いおしゃべりぬいぐるみだぞ。もうちょっと俺様に敬意をだな、
――飛び跳ねて二人に近付く自分。顔をしかめながらも抱き上げてくるトシロウ。ぎこちないアンバーの笑顔。
オウルバニーは立ち止まった。
なんだよ、今更なんでこんなこと思い出す。あんな奴ら、あんな奴ら、どうなったって――
「チックショウ!」
絞り出すように叫んで、オウルバニーは走り出した。
「馬鹿アンバー! 全部お前のせいだからな! 責任とれよ!」
土砂降りの雨の中、オウルバニーはとある家のドアに渾身の体当たりをする。
「オラァ! 開けろ! 開けろってんだ! 中にいるのは分かってんだぞ!」
体当たりしては跳ね返り、体当たりしては跳ね返り。そろそろ中身の骨組みが歪んでくるんじゃないかと思い始めた頃、怒声とともにいきなりドアは開かれた。
「誰だ! こっちは夜勤明けで寝てたんだぞ!」
「うるせえ! テメーの都合なんて知ったことか!」
開いたドアに弾き飛ばされながらもオウルバニーは叫ぶ。家の中から現れた男性――ヨシュアはきょとんとした顔で声の主を探した。そんなヨシュアにオウルバニーは飛びかかり、その胸に張り付いた。
「テメーこの野郎! 今から俺様の言うとおりに動けこのチビ!」
ヨシュアは硬直した後、張り付いたオウルバニーを両手で持ち上げ、震えはじめた。
「……ぬ」
「ぬ?」
「ぬいぐるみが喋った」
オウルバニーは跳び上がると、ヨシュアの頭を思いっきり叩いた。
「言ってる場合かこの能天気が! テメーの友達があぶねえんだよ! 寝ぼけてねーで俺様の言うことを聞きやがれ!」
*
銃声が響く。腹から血が音を立てて落ちていく。倒れ込んだところに肩を蹴りあげられる。憎しみのこもった顔でこちらを見下ろしてくる赤色が――
ぼんやりとした意識が浮上する。
手も体も水に濡れていない。血の匂いもしない。天井が見える。どうやらどこかに寝かされているようだ。
「よかった、目が覚めたか」
ベッドに駆け寄ってくる影が見える。憔悴しきった顔にくたびれた茶色のコート。――ヨシュアだ。
「ヨシュア……? ここは……」
「俺の知ってる闇医者だ。無理言って泊めさせてもらってる」
闇医者。どうしてこうなったのだったか、己の記憶を手繰り寄せてみる。
「たしか俺は、ガーネットに……」
「オウルバニーがお前のサングラスの反応を追って、水路に引っかかってたお前を見つけてくれたんだ」
ベッド脇に置かれた椅子の上に、毛並みがボサボサになったオウルバニーが座っている。
「ケッ」
トシロウがそちらを見ると、オウルバニーは唾でも吐きそうな声を出しながら目を逸らした。
どうしてこんなことになったのだったか。俺はガーネットに襲われて、その前に、アンバーの手紙を――
「そうだ、アンバーが!」
トシロウは飛び起きようとしたが、その途端に腹部に走った痛みに体を丸めた。ヨシュアはそんなトシロウの背中をさする。
「事情は聞いた。アンバーがさらわれたんだな?」
「ッ……、ああ。早く助けにいかないと」
無理にでも起き上がろうとするトシロウを、ヨシュアは押しとどめようとする。トシロウはヨシュアの顔を見上げた。
「そうだ、お前がここにいるってことは警察は――」
「警察は頼りにならねえ」
顔を逸らしたままオウルバニーが言う。どういうことだとヨシュアを見ると、ヨシュアは重々しく言った。
「オウルバニーが言うにはこの一件の黒幕は宝晶製薬だ」
「思い出してもみろ。宝晶から逃げ出したあの猿の周りを封鎖してたのは警察だっただろうが。しかも何を封鎖しているのかも知らされずにだ。あいつら癒着してやがる」
一切こちらを見ようとしないまま、オウルバニーは吐き捨てた。
「だからここにいるんだろうが」
トシロウは少しの間沈黙した後、ヨシュアの制止を押し切って立ち上がった。乾かしてあった上着を羽織って外に出て行こうとするトシロウの前に、ヨシュアは立ちふさがる。
「どこに行くつもりだ」
「カーネファミリーのところに行く」
「……ハァ?」
「あの人なら、今の俺たちの力になってくれる、はずだ」
よろめきながら無理にでも押し通ろうとするトシロウを、ヨシュアは追いかける。
「何言ってんだお前、アンバーをさらったのはそのカーネファミリーだろうが」
「カーネファミリーも被害者かもしれないだろう。きっと何も知らずに協力させられてるだけだ」
自分に言い聞かせるようにそう言うトシロウの肩をヨシュアは掴んで引き留めた。
「トシロウ!」
ヨシュアはトシロウの両肩を掴んで揺さぶる。
「いい加減、目を覚ませトシロウ!」
ぼんやりとしていたトシロウの目がヨシュアを捉える。ヨシュアは悲鳴を上げるように叫んだ。
「あの日、あの時、爆発したのは何だった!」
トシロウは目を見開いた。
十五年前のあの時。マフィアの運び屋をやっていたあの時。
二回の爆発。二つの荷物。誰も答えを知らない謎の暗号。暗号を解くために集まってきた男たち。――それらが意味するところは一つ。
ヨシュアはトシロウに言い聞かせるように叫んだ。
「俺たちはカーネファミリーに使い捨てにされたんだよ!」
「そんなこと分かってる!」
トシロウはヨシュアの言葉を遮るように叫んだ。トシロウのそんな切羽詰まった声は久々に聞いた気がして、ヨシュアは硬直した。
「でも他にどうすればよかったんだ!」
悲痛な声色でトシロウは言葉を続ける。
「いいように使われても、殺されそうになっても! 何も知らないふりして、あいつらに尻尾振るのが一番賢いだろうが!」
そこまで言うとトシロウはぜえぜえと肩で息をした。
「泥を啜ってでも生き延びる方が、プライドを取って野垂れ死ぬより、ずっとずっとマシだった!」
「だとしても!」
トシロウの言葉を遮ったヨシュアは、トシロウの胸倉を掴んで揺さぶった。
「奴らの気まぐれで救われて、奴らの気まぐれで殺される。そんなザマでいいのかよ、ええ? どうなんだトシロウ!」
ヨシュアに怒鳴りつけられ、トシロウには返せる言葉がなかった。トシロウはヨシュアから目を逸らし、沈黙した。ヨシュアはそんなトシロウの胸倉を掴んで、しばらくトシロウの顔を見ていたが、やがて「クソッ」と吐き捨て、トシロウから手を放した。
そうして数十秒間流れていた気まずい沈黙を破ったのは、一人の女性の声だった。
「そろそろそちらの話は終わったかしら」
自分たち以外誰もいないはずのこの部屋に、その女性は当たり前のように佇んでいた。女性の髪は金髪で、服装は白衣。肌は向こう側が透けて見える。
突然現れた彼女に身構えるトシロウとヨシュアをよそに、オウルバニーは軽い調子で彼女に声をかけた。
「出やがったな幽霊ネーチャン」
「ゆっ……!?」
女性は一度言葉を失った後、ごほんと咳払いをして話を続けた。
「まあいいでしょう、本題に入る方が先です」
険しい目つきで睨みつけるトシロウとヨシュアに、女性は歩み寄ってくる。足音は一切なく、宙に浮いているようにも見えた。
「あなたは……ヨシュアだったかしら。あなたにははじめましてだったわね。トシロウには何度か会っているわよね、夢の中で」
「お前は誰だ」
低い声で問うと、彼女は何でもないような顔をして名乗った。
「私はセシリア。セシリア・ホウショウ」
トシロウとヨシュアは彼女の名前に改めて警戒を露わにした。正確には彼女のファミリーネームに対して、だ。
「――ホウショウ?」
「お察しの通り、私は宝晶製薬の関係者よ。正確には元関係者だけど」
女性の幻覚――セシリアは剣呑な雰囲気を意にも介さず、困ったように微笑んだ。
「そうね。どう説明したものかしら。……とりあえず私の存在よりこれからどうするかを先に考えない?」
そんなことをいきなり言われて信用できるものか。警戒を深める二人にオウルバニーは振り返った。
「今のところは信用できるネーチャンだぜ、こいつは」
忌々しそうにそう言うオウルバニーに、トシロウとヨシュアは顔を見合わせ頷いた。
「……話を聞こう」
「冷静な判断をありがとう。じゃあ状況を整理するわね。トシロウはあの少女、ガーネットに――正確にはその背後にいる宝晶製薬に追われている。そして今まで味方だと思っていたカーネファミリーも宝晶についている可能性がある、とここまではいいわね?」
「……ああ」
「その通りだ」
二人は苦々しい顔で答える。セシリアは満足そうに頷いた。
「そして、これはトシロウが寝ている間にヨシュアとオウルバニーが確認したことなのだけれど……。あなたの自宅、襲撃されて荒らされてたわよ、下の『Jeweler』と一緒にね。多分、あなたの持ってるジェムの原石が目当てだったと思うのだけれど」
その言葉に、トシロウは最悪の可能性に思い至り、身を乗り出した。
「待て、じゃあユェンは!」
「いや、死体はなかった。多分、どこかに逃げたんだろう」
「アンバーが根回しをするっつってたから、それで逃げたんだろうよ」
即座に否定され、トシロウはホッと体を脱力させた。
そういえば、別れ際にアンバーがユェンに手紙を送っていた。あれがオウルバニーの言う『アンバーの根回し』だったのだろう。
「そうなると当面、あなたたちに必要なのは逃げる場所でしょう? それだったら私に心当たりがあるの」
三人から疑念の目を向けられながら、セシリアは腕を広げて言った。
「アンバーの言っていた『あの子たち』のところに案内するわ」
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