第4話「みんなで浸ろう拡張現実」 06
淀んでいた地下の世界に風が吹き込む。アンバーと青い目の少女の金髪が風に揺れる。一人、膝をついたトシロウはアンバーを見上げた。
「アンバー……?」
「帰ろう、トシロウ」
アンバーは呆然としているトシロウに目を向けると、仕方なさそうに笑った。
「ここはトシロウの世界じゃないよ」
「アンバァァァァ!」
青い目の少女は咆哮し、片手を下に向けて姿勢を落とす。すると彼女の周囲に十数個の光球が浮遊した。
対するアンバーも勢いよく腕を上げる。アンバーを守るように光球が複数浮かび上がり回転した。
「返せッ! ソレは私たちのものだ!」
少女が叫び、アンバーめがけて光球が飛来する。アンバーはトシロウの手を引っ掴むと、宙に飛び上がりそれを避けた。トシロウは自分が浮遊していることに驚いたが、アンバーにはそんなトシロウを気に掛ける暇はない。次々と飛来する光球をアンバーたちは錐もみ回転しながらギリギリで避けていく。あの光球は一つ一つが圧縮された情報の塊だ。当たればただでは済まない。
「逃がすかっ!」
青い目の少女はさらに数倍の量の光球を生み出すと、アンバーたちめがけて一斉に掃射した。アンバーも光球を生み出し、それらを撃ち落していく。しかし、そのうちの一つを、アンバーは撃ちもらしてしまった。
「トシロウ!」
光球の行き先にはトシロウがいた。アンバーは両手を広げてトシロウの前に躍り出た。
「アンバー!」
咄嗟に防御壁として扱った服が弾き飛ばされる。アンバーは白いドレスを再構築しながら呟いた。
「危ない……」
体勢を立て直したアンバーは、トシロウを背に庇いながら少女に向かって叫んだ。
「トシロウに当たったらどうするの!」
「うるさい! アンタがちょろちょろ避けなきゃいいのよ!」
地表から浮遊しながら、ぎゃんぎゃんがなりたてる少女に、アンバーは不機嫌そうな目を向ける。
「トシロウ」
振り向かないままのアンバーの言葉にトシロウは息を切らしながら顔を向ける。
「私の中で待ってて。今、外へのパスを繋げるから」
言うが早いか、アンバーは握ったままだったトシロウの左手を、自分の胸につけた。その途端、トシロウは文字通りアンバーの中に吸い込まれ、暗闇の中へと放り出された。
閃光、爆音、怒声。
外でアンバーと少女が騒がしく戦っているのは聞こえてきた。だけどトシロウがそれに干渉することはできない。
ここで大人しく待っていろということか。トシロウは暗闇の中、宙を仰いだ。
――トシロウの中に流れ込んでくる光景があった。その多くは断片的なものだ。
洞窟の少女たち。採掘場の奥に埋まるジェム。腕を引かれて連れ出されるアンバー。
「アンバー、お前は優秀なジェムドールだ」
「あれだけジェムを探し出せるお前なら、『仮想現実』の知覚もたやすいだろう」
部屋に取り残され、アンバーはオウルバニーを抱えている。と、その時、オウルバニーが突然痙攣し、言葉を発した。
「ぷはぁ! こうして喋るのははじめましてだな、アンバー!」
「……喋った」
「なんでも金髪で白衣のネーチャンが飛んできた余波で俺様が生まれたらしい! そんなことはどうでもいいんだ! お前は今の生活に満足か? 自由になりたくはないか?」
「自由」
「なりたいんだな? なりたいって言え! ……よし、じゃあ逃げるぞ!」
狭い部屋から逃げ出すアンバー。入り組んだ洞窟へと走り込み、小さなつるはしを片手に何かを探している。
「ほら、よく探せよアンバー! いくら逃げ出してもアレがなきゃ生きていけねえんだぞ!」
「黙って、オウルバニー」
現れる追手。アンバーは掘り出した何かを服の中に隠す。
「取引の時間は近いからな。逃げ出せないように閉じ込めて、このまま連れていこう」
暗いトランクの中、アンバーは待ち続ける。振動がトランクを揺らす。銃声、足音、悲鳴。そしてトランクが開かれ――
「――繋がった!」
アンバーの鋭い声とともに、トシロウはアンバーの中からはじき出された。目の前には細く、どこまでも続く光の糸がある。
「走って!」
言われるがままに走り出す。知覚できないが地面はあるようで、足を下ろすたびにカツンカツンと音が鳴る。
「待って!」
背後から少女の悲痛な叫びがトシロウを引き留めようとする。だがトシロウは足を止めない。
「お願い、行かないで!」
涙混じりに少女は訴える。必死で手を伸ばして叫ぶ。
「私たちを助けて!」
トシロウの背中が遠ざかっていく。アンバーはその後ろを飛翔しながら、少女を振り返った。
「ごめん」
少女の泣き顔が唖然とした表情に変わった後、憎々しげに歪む。
「でも今は返してもらう」
「アンバァァァ!」
「ごめんね、すぐに助けに行くから」
追いかけてくる光球を撃ち落とし、アンバーは空域を離脱する。最後に彼女と目が合った気がした。
「――ラピスラズリ」
白い空間へとアンバーは着地した。どうやらトシロウは先に行ったようだ。随分長く飛翔していた気がする。体を襲う倦怠感にふらつきながら歩みを進めると、椅子に座り、カップを傾けるセシリアと行きあった。
「おかえりなさい、アンバー。うまくいったみたいね」
さあ、お座りなさいな、と席をすすめてくるセシリアに、アンバーはしかめっ面で返した。
「まだ何か用?」
セシリアはアンバーを横目で見やり、何でもないことのように切り出した。
「この前の宝晶への荷物」
アンバーの指先がびくりと動く。
「多分、調整されたジェムの原石よね」
調整されたジェム。それはすなわち、コンピューターとして機能するジェムのことだ。
「思念波で刺激を与えて肉体と精神をズラそうとしたのね、小賢しい」
吐き捨てるセシリアを、アンバーは微動だにせず見つめる。
「どう考えてもあなたが標的よ、アンバー」
セシリアはアンバーに向き直り、アンバーの目をまっすぐに見た。
「あなたはどうするの?」
そう言い残すと、セシリアはお茶会の準備とともにしゅるりと姿を消した。あとに残されていたのは兎とフクロウが合わさったような奇妙なぬいぐるみ――オウルバニーだけだ。
「起きて、オウルバニー」
「ふがっ」
アンバーはオウルバニーを拾い上げると、その頭を一回ぽかんと叩いた。そうしてから大きく息を吐き、白い世界からログアウトする。
『切断』
『離脱』
雲に隠されたぼんやりとした月明かりが窓から差し込んでくる。トシロウはぼんやりとしたまどろみから掬い上げられるような心地がして目を開いた。
「おはよう」
視線だけでベッドに寄りかかる人物を見やる。
「アンバー……?」
そこにはベッドに両腕と頭を乗せ、いつも通り無表情に自分を見つめるアンバーの姿があった。
どうして俺はここで寝ているんだったか。たしかアンバーと一緒に帰ってきて、一人で部屋に戻って、それから俺は、夢の中で――
「トシロウは薬の飲みすぎで倒れたんだよ」
思考を遮るようにアンバーは言う。トシロウはアンバーを見た。
「……そうか」
「薬、飲みすぎちゃだめ」
据わった目でアンバーは言う。トシロウはぱちくりと目を瞬かせた。
「もうあんな飲み方しないで」
そう言うアンバーの目尻は赤くなっているような気がする。
「約束して」
「あ、ああ、約束する」
「本当?」
「本当だ」
こくこくとトシロウは頷いた。何度も確認し、アンバーはようやく納得したのか、トシロウから顔を離した。
月明かりの下、二人は沈黙する。階下から騒がしい客たちの声がする。笑い声、囁く声、時折響く怒声。いつも通りの夜だ。トシロウは落ちてくる瞼に身を委ねながら口を開いた。
「アンバー」
同じく瞼が下がってきていたアンバーは顔を上げる。
「……ありがとな」
そう言うとトシロウは穏やかな寝息を立て始めた。アンバーはそんなトシロウの手を取って、眉尻を下げた。
「おかえり、トシロウ」
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