第4話「みんなで浸ろう拡張現実」 05

 明け方、メールで呼び出され、いつも通りカーネファミリーの屋敷へ向かう。いつも通り見張りの構成員に声をかけ、いつも通りドン・カーネが出てくるのを待つ。しかし今日は一つだけいつもと違うことがあった。


「小包は二つだけ、ですか?」


「ああ。でもどちらも同じ宛先だよ。君たちは初めて行く場所だから、ちゃんと送った地図を確認するんだよ」


 ドンから手渡されたのはどっしりと重い、二つの小包だけだったのだ。


「荷物を渡した後にね、こう尋ねてくるんだ。『白猫さんからお荷物です。咲いているお花はなんですか』とね」


 二人に顔を寄せてドンは言い聞かせてくる。


「いいかい、できるだけたくさんの人に聞いてもらうんだよ」


 何かの暗号だろうか。怪訝そうに顔を見合わせる二人に、ドンは穏やかに微笑んだ。


「ああ、今日は出発前に飲んでいくといい。ほら、口を開けなさい」


 その言葉にいつも通りトシロウとヨシュアは口を開け、舌を出した。舌の上に錠剤が置かれる。苦い味が口の中に広がって、荷物のことなど二人はどうでもよくなった。


 ドンたちに笑顔で見送られ、トシロウとヨシュアは一つずつ荷物を抱えて、目的地へと駆け出した。


 届け先は随分と離れた場所だった。数時間かけて二人は走っていき、昼前に辿りついたのは一件の大きな洋館だった。洋館の周りには拳銃を持った屈強な男たちが見回っている。恐らくはギャングの親分の家だ。


 二人は怯んだが、そのまま帰る訳にもいかない。洋館の裏口を探し出して、二人はインターホンを押した。


 間抜けな電子音が響き、洋館の中からガラの悪い男たちが顔を覗かせる。トシロウとヨシュアは緊張で声を震わせながら叫んだ。


「お、お届け物です!」


「届け物ォ?」


 自分たちよりずっと背の高い男に凄まれ、萎縮しながらも二人はそれぞれ小包を差し出した。ギャングの男たちはそれを乱暴に奪い取り、屋敷の中へと持っていってしまった。トシロウとヨシュアは慌てて叫んだ。


「あ、あの!」


「なんだテメェら、まだ用事でも……」


「白猫さんからお荷物です。咲いているお花はなんですか!」


「あ?」


「し、白猫さんからお荷物です。咲いているお花はなんですか!」


 カーネファミリーからの伝言を繰り返すも、ギャングたちは胡乱げな目でトシロウたちを見るばかりだ。そればかりか銃を取り出そうとする気配すらある。トシロウたちは焦って声を張り上げた。


「き、きっと暗号なんです! 分かる人を呼んできてください!」


 トシロウたちの言っていることが理解できず、屋敷の奥からギャングの男たちが一人、また一人と集まってくる。しかし、誰もその暗号の意味を分かる者はいなかった。


 慌てる二人の前に一人の男が歩み出て、二人に向かってガンを飛ばした。


「怪しいぞテメエら。一体どこのシマから来――」


 ――光、熱、轟音。


 突然巻き起こったそれらに吹き飛ばされ、トシロウたちは勢いよく地面へと転がった。トシロウは地面に後頭部を打ち付けると同時に、何か重いものが自分の体の上にのしかかったのを感じた。


 全身の痛みをこらえながらなんとか『それ』の下から這い出る。額から流れ落ちる血を拭いながら振り返り、『それ』が何だったのかを確認して、トシロウは思わず小さく悲鳴を上げた。『それ』は、ついさっきまで目の前で喋っていた男の――死体だった。


「うわあ、わあああ!」


 情けない声を上げてへたりこんだまま後ずさる。そうしてから辺りを見回し、自分たちの周りにいた男たちが全員倒れ伏しているのに気がついた。洋館からは火の手が上がり、裏口のあった場所は吹き飛んでいる。


 爆発が起きたのだ。ようやくトシロウは理解した。そして、自分の隣にヨシュアがいないことにも気がついた。


「ヨシュア!」


「トシ、ロウ……」


 吹き飛ばされた壁のすぐ横、瓦礫に埋もれるようにしてヨシュアは倒れていた。トシロウは慌てて駆け寄ってヨシュアの上の瓦礫をどかそうとするが、どうしてもヨシュアの右手が挟まった瓦礫だけが大きすぎて動かせない。


「くそっ、抜けない……」


 瓦礫の下からは血が溢れ、右手は潰れてしまっているようだった。何が起こったのかトシロウにはまだ理解しきれていなかったが、このまま放っておけばヨシュアが死んでしまうことだけは理解できていた。


「待ってろヨシュア、今……」


「動くなガキども!」


 突然背後からかけられた声に硬直し、トシロウはそろそろと後ろを振り返る。そこには倒れていた男のうちの一人が、こちらに向かって拳銃を構えている姿があった。


「テメェらが何かやったのか!」


「ち、違う、俺たちは……」


「動くな!」


 ギャングの男の大声にトシロウはびくりと動きを止める。


「そうだ、両手を上げてこっちに来い」


 言われるままに両手を上げて近づいていく。


「跪け!」


 手を上げたまま膝をついてトシロウは震えた。何だ。何なんだ。どうしてこんなことに。


 男はそんなトシロウを見下ろした後、瓦礫の下に埋もれているヨシュアを見て、ぼそっと呟いた。


「飼い主を聞き出すには一人いりゃ十分か」


 銃口がヨシュアに向けられる。


「やめろ!」


 トシロウは咄嗟に叫び、ギャングの男に飛びかかろうとした。ちょうどその時、二度目の閃光と爆風がトシロウを襲った。


 吹き飛ばされながらもトシロウは一度目よりは幾分か冷静だった。目の前では爆発の衝撃で男が拳銃を取り落している。トシロウは無我夢中でそれを拾い上げると、見よう見まねで男に向かって拳銃を構えた。


 倒れ込んでいた男は上体を起こし、すぐに自分に拳銃が向けられていることに気がついた。


「ま、待て! 話し合おう! 話し合おうじゃないか、なあ!」


 今度はギャングの男が命乞いをする番だった。トシロウたちの周りにいるのは死体ばかりだ。ギャングの男を助けてくる相手はどこにもいない。


 トシロウはそんなギャングの男を見て混乱していた。


 どうして俺はこいつに拳銃を向けているんだ。

 そうしなきゃ殺されるからだ。

 大丈夫だ、使い方は知ってる。何度も見たことがある。

 でも殺すのか? 殺せるのか? 俺が、こいつを?


 思考がまとまらず、ぐるぐると自分の声が頭の中に響く。喉が引きつる。手が震える。


「俺はお前らに話が聞きたいだけだ。何も殺そうってんじゃねえ! お前らが素直に話してくれりゃあちゃんと家にだって帰してやる!」


 そうだ、この人は俺たちの話を聞きたいだけだ。だったらこんなことしなくてもいいんじゃないか。いや、情報を聞きだされたらどうなる。どのみち殺されるんじゃないか。だったら、そう、いっそ――


 トシロウは拳銃をしっかりと両手で構え直し、


 震える指を引き金にかけ、


「やめろぉ!」


 引き金にかけた指をぎゅっと握りしめ、


 ――破裂音。


 頭の中身をまき散らして男の体は倒れていく。腕は反動で少し持ち上がっている。目は男の死体から離せない。呼吸が荒い。心臓が早鐘を打つ。頭がぐちゃぐちゃになって何も考えられない。トシロウは膝から崩れ落ち、脱力した。







 そこからどうなったのかは、よく覚えていない。ただ気付くとヨシュアと一緒に病院にいたから、きっとあの後ヨシュアを助け出して命からがら逃げだしたのだと思う。


 だけど多分ヤブ医者に当たってしまったのだ。潰れていたヨシュアの右手首は、生きるためだと言われ、綺麗に切り取られてしまった。


「大変だったね」


 事の次第を報告しに行った先で、ドン・カーネはそう言って俺をねぎらった。ドンが言うには、あれはガス爆発の事故だったのだそうだ。古くなっていた配管を交換していた最中に誤ってタバコの火が引火したのだとか。


 俺は新しい仕事をドンに求めた。右手以外もヨシュアは重傷だ。ヨシュアの怪我を治療するには金が必要だった。


 そんな俺にドンはいつにも増して優しい口調で言った。


「トシロウ、君ももう十分に大人だ」

「君を信頼して、大きな仕事を任せようと思う」

「地図の場所に行って、この男を殺してくるんだ。大丈夫、ここなら目撃者も出ないよ」

「――できるね?」


 拳銃を握りこまされ、尋ねられる。俺は頷いた。




 幾度かの銃声、悲鳴。




 廃ビルの一室。痛みに身を丸めるヨシュアの横に、俺は座り込んで銃を取り出した。ちゃんと手入れをしなければ。大切な商売道具だ。矯めつ眇めつ銃の状態を確認していると、ヨシュアは起き上がり、傍らに置いた今日の報酬を見咎めた。


「トシロウ、こんな金どこから……」


「……これで化膿止めが買えるよ、ヨシュア」


 銃を元の通りに直すと、俺は立ち上がる。


「トシロウ!」


 背後からヨシュアが俺を呼ぶ。俺は振り返らなかった。




 銃声、悲鳴、銃声。




「――救貧院?」


 間抜けな顔で聞き返してくるヨシュアに、俺は頷いた。


「そうだ。金が貯まったんだ。これで賄賂を贈って救貧院に入れる。そうしたら教育だって受けられる。会社で働くことだってできるかもしれないぞ!」


 できるだけ明るい声色で言う俺の言葉にヨシュアも表情を明るくしていく。しかし、ふと何かに気付いたのか、ヨシュアは顔色を変え尋ねてきた。


「トシロウ」


「何だ」


「……お前も一緒なんだよな?」


 心配そうに問うヨシュアに、俺は笑顔で返した。


「――もちろん」


 それを聞いたヨシュアは、半分泣きべそをかきながら手首のない右手で俺を抱き寄せた。


「もう危ないことするなよ」

「うん」

「お前は俺の兄弟分なんだからな」

「うん」


 ヨシュアの流した涙が、俺の肩を濡らしていく。俺は――約束の場所に行かなかった。




 銃声が響く。

 悲鳴が聞こえる。

 怒声が、懇願が聞こえる。

 錠剤を飲み下す。

 酩酊が脳を満たす。

 引き金を引く。

 ジェムを酒で流し込む。

 閃光、悲鳴、錠剤、懇願、

 銃声、銃声、銃声――





「違う」


 暗い、岩肌に囲まれた空間でトシロウは立ち尽くしていた。


「こんなもの見たくない」


 両手で目を覆い、膝をつく。肩が震える。涙があふれる。悲しい、怖い、嫌だ。抑えていた感情が次々とあふれ出す。


「見たくないんだ」


 震える声で呟く。すると、トシロウの肩に優しく触れるものがあった。


「じゃあなかったことにしてあげる」


 顔を上げるとそこには青い目の少女が優しく微笑んでいた。


「あなたはずっとあの日々に浸っていればいい。……まだ世界を信じていられたあの頃に」


 青い目の少女に抱きしめられる。幼き日のヨシュアの姿が見えた。ヨシュアとふざけあっている自分の姿が見えた。


「その代わり、あなたの体を貸してほしいの」


「からだ……」


 ぼんやりと問い返すと、少女は言い聞かせるようにトシロウに言った。


「あなたの体のコントロール権を私たちにちょうだい」


 少女は体を離しながら目を細める。剣呑な光がその目に宿る。


「そうしないと私たちは、ここから出られないから」


 しかしその光は瞬く間に消え去り、少女はトシロウに手を差し伸べた。


「さあ、トシロウお兄さん」


 濁った意識でトシロウは少女を見る。そして、誘われるままに手を取ろうとし――


「させない」


 凛とした声が場を切り裂いた。流星のような勢いで流れ落ちてきたそれは、少女とトシロウの間に着地し、青い目の少女を勢いよく弾き飛ばした。


 距離を取った青い目の少女は憎々しげに閃光を見る。地面に傷跡を残して着地した閃光――アンバーは、獣のような眼差しでこちらを見る青い目の少女を、まっすぐに見据えた。

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