第4話「みんなで浸ろう拡張現実」 04
なんとか無事だったサイバーサングラスを服の上から確かめて、トシロウは黒い空の下を歩いていく。殴られた頬は腫れてきているが、気にしている暇はない。またああいう奴らに目をつけられでもしたら厄介だ。トシロウは路傍の浮浪者たちの視線を受けながら足早にそこを通り過ぎ、廃ビルの一室へと足を踏み入れた。
「ただいま」
「おうおかえり、トシロウ。……うわっ、今日はまた派手にやられたな」
トシロウを出迎えた少年――ヨシュアは、この場に似つかわしくないほど爽やかに笑った。トシロウはそんなヨシュアに素直に謝った。
「ごめん、ヨシュア」
「いいさいいさ。また稼げばいい話だ。ほら、この前手に入れたヌードルがまだ残ってるぞ、一緒に食おうぜ」
ヨシュアについてトシロウが知っていることはあまりないし、いつからつるみだしたのかも定かではない。ただ、彼の年齢は自分の二個上で、自分よりも数センチ背が高いことは知っていた。
「そう落ち込むなよ。今度は何言われたんだ?」
「……俺のこと童貞だって」
「なんだ、事実じゃねえか」
ヌードルをかき混ぜる手を止めないままそう言うヨシュアに、トシロウは噛みついた。
「そうじゃなくて!」
「分かってるよ、でもそれの何が悪いんだ?」
ぐっとトシロウは言葉に詰まる。言い返せないでいるうちに、ヨシュアはヌードルを取り分けてトシロウに差し出した。
「ほら。それ食ったら寝ようぜ、カーネさんから仕事のメールが来てたんだ。明日も早いぞ」
明け方、曇り空の向こう側に太陽が昇り始めた頃、トシロウとヨシュアはカーネファミリーの邸宅を訪れていた。
裏口を守る顔見知りの構成員に話を通し、待つこと十数分。二人の前に現れたのは、白髪交じりの初老の男性だった。
「カーネさん!」
「おお、よく来たね二人とも」
最近ボスになったばかりのドン・カーネは、二人の頭をまるで我が子にするかのように優しく撫でた。
「今日はこれを持っていっておくれ。届け先はメールで送った場所だ。できるね?」
「はい!」
差し出された複数の小包を受け取り、トシロウとヨシュアは元気に返事をした。
ドンたちに見送られ、二人は荷物を抱えて走っていく。荷物の中身はトシロウたちには分からない。知るべきではない。その中身を覗かず、疑わず、従順に運び続けるのが、今のトシロウたちの食い扶持を稼ぐ方法だった。
トシロウたちはただの子供だ。足がそこそこ速いだけで、喧嘩が強いわけでもない。この荷物を性質の悪いゴロツキにでも狙われたら一巻の終わりだ。だからトシロウたちは、自分たちだけが知っている裏道を駆使して、荷物を配達先に届けていった。
マフィアの下部組織、武器商、酒場、何の変哲もない浮浪者から、警察官僚の自宅まで。様々な場所に荷物を届け終わった後、二人が最後に向かう場所はいつも同じだった。
「あら、トシロウにヨシュアじゃない」
「いつ見てもちっちゃいわねえ」
「かわいいわー!」
「ほらお菓子よ、持っていきなさいな」
娼婦たちから押し付けられる菓子類をありがたく頂戴し、トシロウたちは娼館の主に荷物を手渡した。
「いつもありがとうね、二人とも」
娼館の主に頭を撫でられて二人の仕事は終わる。もう随分と長い間、それを繰り返していた。
荷物を全て届け終わった二人は再びカーネファミリーの邸宅へとやってきていた。報酬と『ご褒美』を貰うためだ。
紙幣を数枚手渡され、それを服の裏側にしまいこんだ後、二人は目を輝かせてドン・カーネを見上げた。
「いつまで経っても、甘えん坊だね二人とも」
ドン・カーネは苦笑し、タブレットケースから錠剤を二個つまみ上げた。
「ほら、口を開けなさい」
言われるがままに口を開け、舌を出す。ドンは二人の舌の上に一つずつジェムの錠剤を置いた。
水もないまま二人はそれを咀嚼する。苦いジェムの味と仄かな酩酊感が脳髄を揺らし、二人は満足げに笑いあった。
「久々にたくさん貰えたな」
「今日は荷物多かったからな」
何に使うか、と機嫌よく話し合いながら歩いていると、二人はちょうど屋台街を通りかかった。肉の焼けるいい匂いが二人の鼻腔をくすぐる。腹の虫が同時に鳴いた。
「屋台で何か食うか?」
「食おう」
頷き合うと、軽い足取りでトシロウとヨシュアは屋台へと駆け寄っていった。身なりの良くない子供が近づいてきて、屋台の店主たちは一様に嫌な顔をする。だがそれを気にするほど二人は繊細でもなかった。
「混んでるなー」
能天気にヨシュアが言い、トシロウも頷く。ヨシュアはトシロウの服の中から一枚紙幣を抜き出すと、駆け出しながら叫んだ。
「俺が買ってくるから待ってろ! 串焼きでいいよな?」
「ああ!」
トシロウもそれに叫び返す。ヨシュアはあっという間に雑踏の中へと消えていった。トシロウは近くのビルの壁にもたれかかり、ヨシュアを待つことにした。
その時、タイミングを見計らったかのようにある人物がトシロウの前に現れた。
「よお、童貞くん。屋台で食事だなんて景気良さそうじゃん」
それはつい昨日、トシロウから金を巻き上げた一味のうちの一人だった。トシロウは壁から身を起こして身構えた。
「ははは、そう構えるなよ。お前はただ俺に金を渡せばいいだけなんだからさ」
どうするべきか。真正面から当たって勝てる相手なのか。素直に逃げた方がいいんじゃないか。でも今はヨシュアを待ってるし――
「ほら渡せよ、聞こえねえのかオイ!」
「……おうおう、俺の兄弟分に何やってんだてめー」
顔を上げるとそこには、串焼きを片手で二本持って少年に凄むヨシュアの姿があった。ヨシュアは素早くトシロウのそばに立つと、トシロウの肩を抱き寄せた。
「これで二対一だぞ、やってみるか?」
少年はそれを見てぐっと言葉に詰まると、「覚えてろよ!」と月並みな捨て台詞を吐いてどこかへと逃げ去っていった。トシロウはヨシュアの腕の中から脱出しながら呆れて言った。
「ヨシュアの方が弱いくせに」
「うるせえ、言ったもん勝ちだよ」
ほら、と手渡された串焼きを受け取る。思いきりかぶりつくと、硬い肉の間からあふれ出た油が、串を伝って手に落ちた。慌ててそれを舐め取っていると、ふとヨシュアは空を仰いで呟いた。
「何をするにも金、金、金。この世は世知辛いねえ」
「なに大人みたいなこと言ってんだ」
「大人だからな、トシロウよりは」
トシロウはムッと顔を歪めヨシュアを見る。ヨシュアが見上げる空は黒雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだ。
「金なあ」
屋台から立ち上る湯気が空に浮かんでいく。トシロウもぼんやりと空を見上げた。
「知ってるか、トシロウ。金があれば救貧院に入れるんだってさ」
「それって救貧院の意味がないんじゃないか」
「院長に賄賂でも贈らないと、浮浪者が殺到しちまうだろ。救貧院なんて建前上存在してるだけのものなんだから」
そう言うとヨシュアは串焼きに噛みついた。我に返ったトシロウも自分の串焼きを食べ始める。そうして無言のまま、あっという間に肉を胃袋の中に入れた後、二人は背を丸めて帰途につきはじめた。
「ヨシュア」
「何だ?」
「……今日も童貞って言われた」
ぼそっと呟かれた言葉に、ヨシュアは快活に笑った。
「童貞のままでいいだろ」
言い返そうと顔を上げたトシロウに、ヨシュアは白い息を吐きながら何でもないことのように言った。
「人なんて殺さずに済むならその方がいいに決まってんだろ」
トシロウはそれ以上何も言い返せなくなって、泣きそうな顔になりながら俯いた。
「ヨシュアは本当にお人好しだな」
「ははは、照れるぜ」
「褒めてない」
「ああ?」
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