第4話「みんなで浸ろう拡張現実」 03

「どうしたんだあいつ」


「……幻覚が見えてるんだって」


 トシロウが部屋に戻っていった後、アンバーとユェンはカウンターを挟んで向かい合っていた。ユェンはしょんぼりとしたアンバーの言葉を聞くと、カウンターから身を乗り出した。


「おいおいおい、ついにあいつもそんな域に達しちまったのかよ。そろそろジェムやめねえと本気で死ぬぞ」


 ユェンの言葉に、アンバーは真っ青になって震えだした。


「どうしよう」


 カウンターに置いた手をぎゅっと握る。目に涙がたまってこぼれそうになる。


「トシロウに死んでほしくない」


 小さくしゃくり上げはじめたアンバーに、ユェンは慌ててハンカチを差し出した。


「あーもう泣くなよ、嬢ちゃん。その前にあいつにジェムをやめさせりゃいい話なんだからよ」


「……うん」


 アンバーは手渡されたハンカチでごしごしと涙を拭い、鼻をかむ。――その時、上階から、重いものが倒れるような音がして、アンバーとユェンは天井を振り返った。


「――トシロウ?」







「トシロウ!」


 『Jeweler』の上階、自室の前でうつ伏せに倒れているトシロウに、アンバーとユェンは慌てて駆け寄った。トシロウの傍らにはタブレットケースが落ちており、トシロウは何度揺さぶっても反応を返さない。


 アンバーはトシロウの名前を呼んで頬を叩こうとし――彼に触れた瞬間『視えた』ものに、目を見開いた。


「やられた……!」


 気付けなかった自分を悔いる。だけど打ちひしがれている場合じゃない。アンバーは強く唇を噛み締め、すぐに強い眼差しで前を向いた。


「とりあえず医者を……」


 サイバーサングラスを操作して医者を呼ぼうとするユェンを、やけに冷静な面持ちでアンバーは止めた。


「待って」


 操作する腕を掴まれ、ユェンは動きを止める。アンバーはユェンをまっすぐに見上げた。


「大丈夫。まだフラットラインにはなってない」


「フ、フラットラインって――脳死のことか? たかが気を失っただけだろ、大袈裟な」


「大袈裟じゃない」


 なおもサングラスを操作しようとするユェンを、アンバーは強く引きとめた。


「聞いて」


 低い位置から胸倉を掴まれる形となったユェンは、今度こそ硬直した。アンバーはそんなユェンに真剣な面持ちで告げる。




「今、トシロウの精神はここにはない」




 ユェンはぼんやりとその言葉を復唱した。


「ここには――ない?」


「そう、ここにはない。どこかに連れ去られてる」


 アンバーがそう肯定すると、ユェンは目を瞬かせて黙り込んだ。どうやら言われたことが飲みこめず、混乱しているようだ。


 どう説明したものか。でも今トシロウの体を病院に連れていかれるのはまずい。


 アンバーもユェンを見つめて動きを止めていると、そんな二人の足元から、能天気な声が響いた。


「焦るなよ、アンバー。トシロウの精神がここにないだって? そんな大それたことが起こるもんかよ」


 オウルバニーは何でもないような風でそう言った。ユェンは喋るぬいぐるみを見て口をぽかんと開けている。彼の前ではオウルバニーは喋ったことがないのだから当然だ。――だけどそれよりも、アンバーにはひっかかることがあった。


「……『トシロウ』?」


 アンバーはオウルバニーを掴み上げた。オウルバニーは手足をバタバタ動かしてそれに抵抗する。


「な、なんだよアンバー。このオウルバニー様に言いたいことでも……」


「違う」


 ぬいぐるみの言葉をアンバーは遮って否定する。


「あなたはオウルバニーじゃない」


 オウルバニーは一瞬硬直した後、ぺらぺらと軽い声で喋りだした。


「何言ってんだ、アンバー。この俺様のことを忘れたのか? 俺様はお前の相棒で――」


「オウルバニーはトシロウのこと、『トシロウ』だなんて呼ばない」


 ぴしゃりと事実を突き付けてやる。するとオウルバニーは体の力を抜いて抵抗を止めた。


「あなた、誰?」


 冷たい言葉で問い詰める。すると、オウルバニーはだらりと垂れていた頭を持ち上げ、可愛らしい少女の声色で言った。


「一人だけ逃げるだなんてズルいわ、アンバー」


 それだけを言うと、オウルバニーは再び動力を失ったように両手両足を垂らして動かなくなった。だけどアンバーにはその一言で十分だった。そのたった一言で、アンバーにはこの一件の首謀者を理解できた。


「い、一体何だっていうんだ。今このぬいぐるみも喋って――」


「オウルバニーをクラックされた」


 混乱して二人を見比べるユェンに、簡潔に事実を述べる。


「多分、オウルバニーのジェムの中に、トシロウの意識は取り込まれてる」


「取り込まれ……?」


 オウルバニーの頭に額をつけ、可能な限り『視る』。

 今にも降り出しそうな黒い雲。湿った空気。雑踏。ネオンサイン。悪臭。錠剤。拳銃。黒髪の少年。


「――昔の夢?」


 アンバーはさらに深く潜行した。

 簡体字のネオンが躍る街。開店したばかりの酒場。店先で喧嘩する少年たち。そこに割って入る壮年の男性――


「ユェン!」


 潜行から戻ってきたアンバーは、傍らのユェンに飛びつくようにして尋ねた。


「ユェンは昔のトシロウを知ってる。そうだよね」


「あ、ああ。つっても顔見知り程度だぞ? 2,3回助けてやったぐらいの」


「それで大丈夫。手がかりには十分」


「手がかりって何の……」


「かがんで」


 強い口調で言われ、ユェンは言われるがままにアンバーに顔を近づけた。アンバーはそんなユェンと額を合わせて、ユェンの記憶へと潜行する。


 簡体字のネオンが躍る街。開店したばかりの真新しい酒場。店先で喧嘩する少年。


 ――童貞野郎が俺たちに勝てるはずないだろ!


 勝ち誇って駆け去っていく少年たち。


 ――いいじゃねえか童貞でも。


 残された黒髪の少年を慰める壮年の男。

 それを振り払う黒髪の少年は――


「視えた」


 アンバーはユェンから額を離す。

 手がかりは掴んだ。あとはうまく同調してくれれば。


「なあ、何をしようってんだ、嬢ちゃん」


「オウルバニーの中に潜って、トシロウを取り戻してくる」


 状況を把握できていないユェンに尋ねられ、アンバーはまたも簡潔に作戦を述べる。多分理解はできないだろう。だけど引き離されてしまっては困る。だからアンバーはユェンの顔を真剣な眼差しでじっと見上げて言った。


「私を信じて」


 ユェンはその目に気圧されて一瞬動きを止めた後、倒れ伏したトシロウを見て、オウルバニーを見て、またアンバーを見返し、頭を掻きながらハァーと息を吐いた。


「信じられねえが……分かった。俺は何をすればいい」


「私たちの体の番をしていて。私たちが無事に戻ってこられるように」


「……そうか。それくらいなら俺にもできそうだ」


 そう言うとユェンはトシロウの体の横にどっかりと座りこんだ。どうやら本当に番をしていてくれるらしい。


「ユェン、ありがとう」


「幸運を祈るよ」


 トシロウのそばにしゃがみこみ、オウルバニーと額を合わせる。アンバーは一度振り返り、ユェンに微笑みかけた。


「いってきます」




『接続』

『同調』

『跳躍』




 アンバーが目を開くと、目の前には白い空間が広がっていた。爽やかな風が前髪を揺らし、遠景にはなだらかな丘が連なっている。そんな光景の中に一人、白衣の女性は佇んでいた。


「来たのね、アンバー」


「どいて、セシリア」


 アンバーの怒りのこもった口調に、白衣の女性――セシリアは目を瞬かせた。


「わたしはあなたに用はない」


「ひどい言い種ね。あなたを逃がしてあげたのは私なのに」


 言いながらセシリアは肩をすくめてみせる。しかしアンバーはそれには構わず、無表情のままセシリアをじっと睨みつけていた。


「あら、怖い」


 セシリアはそれを横目で見て微笑んだ。その様子はまるでアンバーを相手にしていないかのようで、アンバーは眉間にぐっと皺を寄せた。セシリアはそんなアンバーを微笑ましそうに見た。


「私の繋げていた道(パス)、あの子に利用されちゃった」


 傍らの椅子の背をなぞりながら、セシリアは言う。アンバーは微動だにしないまま問い返す。


「やっぱりあなたの仕業じゃないんだね」


「ええ、私じゃないわ。あの子が勝手にやっちゃったのよ」


 仕方ない子、とまるで母親が子供に対して言うように、セシリアは呟いた。


「あの子は事を性急に進めすぎね。……いずれは通らなきゃいけない道だからまあいいけれど」


「あなたの都合は聞いてない。わたしはトシロウを取り戻しに行く」


 セシリアの唇が弧を描いた。


「わがままなのね」


「邪魔するの?」


「まさか」


 セシリアは体を引いて、アンバーに道を譲った。


「さあどうぞ」


 言われるがままアンバーは飛翔し、セシリアの横を通り過ぎて奥へと進んでいく。すると、すぐに白い世界は終わり、土くれと岩に囲まれた地下の世界へとアンバーは辿りついた。


 そして、目の前に現れたのは巨大な扉。可視化された電子の城壁。


「……ファイアーウォール」


 小さく呟くと、扉の錠前に手をかける。錠前はアンバーが握りつぶすと、簡単に砕けて壊れた。


「待ってて、二人とも」


 アンバーは扉を押しあけると、扉の向こう側に広がる暗闇へと飛翔した。





 いまにも降り出しそうな薄暗い空、ネオン輝く通りからは一本入った裏道で、四人の少年たちは殴り合いをしていた。正確には四人が殴り合っているのではない。三人が一人を取り囲んで弄んでいるのだ。


「返せよ! それは俺の金だぞ!」


 弄ばれている方の少年――一番背が低くて痩せっぽちの黒髪の少年がそう叫ぶと、取り囲む三人の少年たちはげらげらと笑いあった。


「ははは、童貞ちゃんが何か言ってまちゅねえー」


「お前みたいな弱っちいやつがこんなに金持ってていいわけないだろ!」


「悔しけりゃ取りかえしてみろよ、この童貞!」


 挑発された黒髪の少年はやみくもに三人の少年に殴り掛かった。しかし、何度腕を振り回しても、その攻撃は一切当たることはない。


 ついに蹴倒されてしまった黒髪の少年は、三人の少年たちにボールのように蹴りつけられ始めた。


「クソ、クソッ……」


 歯を食いしばってそれに耐える黒髪の少年の目には、だんだん悔し涙がたまっていく。


 そのまま暴力の波が過ぎ去るのを待つのみかと思われたその時、目の前の酒場のドアが勢いよく開かれた。


「おらぁ、ガキども! 店の前で何やってやがる!」


 店の中から怒り狂って現れたのは壮年のアジア人の男だった。男は喧嘩中の四人に向かって唾を飛ばした。


「迷惑だ! どこか他でやりやがれ!」


 壮年の男が腕を振り回すと、蜘蛛の子を散らしたかのように三人の少年は逃げ出していった。黒髪の少年はその背中に叫ぶ。


「待ちやがれこの野郎! 次会ったときは覚えてろよ!」


 三人の少年は立ち止まって、黒髪の少年を指さしてゲラゲラと笑った。


「童貞野郎が俺たちに勝てるはずないだろ!」


 少年たちが去っていった後、残された黒髪の少年は上体を起こして両腕をついたまま唇を噛み締めていた。


 喧嘩に負けた上に酷い罵声まで浴びせられた少年のことが、なんとも哀れに見えたのだろう。壮年の男――ユェンは地面にへたりこんだままの少年の肩を抱いてやった。


「いいじゃねえか童貞でも。見たところまだ11,2歳だろ? まだまだ先は長いさ。顔は悪くねえんだからそのうち――」


「違う」


 黒髪の少年はユェンの手を振り払った。黒い空からぽつぽつと雨が降り始める。


「あいつらが言ってる童貞ってのはそういう意味じゃない」


 地べたに座り込んだ黒髪の少年――トシロウは、悔しそうに吐き捨てた。


「人を殺したことがないチキン野郎って意味だ」

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