第5話「モグラのように這いつくばって」

第5話「モグラのように這いつくばって」 01

 目を開けると、触れてしまいそうなほど近くに少女の顔があった。思わずトシロウは硬直したが、それがこちらを覗きこむアンバーの顔だと気付くと、一気に脱力した。


「おはよう、トシロウ」


「ああ、おはよう」


 のろのろと体を起こしながらトシロウはアンバーに問いかける。


「なんであんなに近くにいたんだ」


「驚かそうと思って」


「心臓に悪いからやめてくれ」


「心臓……」


 アンバーは自分の心臓に手を当て、それから立ち上がったトシロウの顔を見上げた。


「トシロウ、心臓も悪いの……?」


「違う、そういう意味じゃない。そういう意味じゃないから泣きそうになるな」


 目に涙をためるアンバーに少し焦って弁明する。するとアンバーはすっと冷静な顔に戻って言った。


「冗談」


「ああそう……」


 肩を落とすトシロウ。足元に寄ってきていたオウルバニーがアンバーによじ登りながら言う。


「なんだよ夫婦漫才かよ、ホントに仲良いなテメーら」


「夫婦じゃない」


「夫婦じゃないの……?」


「目に涙をためるなアンバー。夫婦じゃないだろ」


 そう言うと、アンバーは唇を尖らせた。心なしか舌打ちの音すら聞こえてきそうな表情だ。


 まったく、ここに初めて来た時に比べて、なんて憎たらしい奴になってしまったんだ。表情がころころ変わるようになったのはまあいいとして、性格に難が出始めたんじゃないか。誰の影響だ。オウルバニーか。オウルバニーだな。


 そう結論付けると、トシロウはオウルバニーを鷲掴みにして、ぎりぎりと指に力を込めはじめた。


「いてててて! 何すんだロリコン野郎! 今日は何もしてねえぞ!」


「うるさい黙れ、お前のせいでアンバーの性格が歪んだんだろう」


「言いがかりだ!」


 ぎゃんぎゃん騒ぐ二人をよそに、アンバーは狭い台所に行き、作っておいた朝食を机に運び始めた。今日の朝食も見た目は悪いが、味は上々なはずだ。


 ビーッ、ビーッ。


 サングラスの呼び出し音が響き、アンバーは振り返る。見ると、トシロウがサングラスを操作して、誰かと通話を始めたようだった。解放されたオウルバニーは這う這うの体でアンバーへと駆け寄ってくる。


「はー、ひどい目に遭ったぜ。アイツ日に日に横暴になってねーか?」


「オウルバニーの人徳」


「なんだとアンバー」


 オウルバニーが短い手足でぽかぽかと攻撃してくるが、ぬいぐるみなので大して痛くもない。朝食を無事運び終えたアンバーは、電話中のトシロウを呼びに行き――聞こえてきた言葉に硬直した。


「……アンバーの引き取り手が現れた、ですか?」







 向かい合い、無言で二人は朝食を口に運んでいた。話題がないわけでも、黙ることに決めたわけでもない。ただ、先程の電話の内容が、二人を沈黙させていた。


 オウルバニーすらも空気を読んで沈黙する食事の時間が終わった後、トシロウはアンバーをまっすぐに見つめて話を切り出した。


「アンバー、話がある」


 対するアンバーは背筋を伸ばして、体を硬直させた。これからされる話は、自分たちの未来の話だ。アンバーはそう理解していた。


「ドン・カーネから連絡があった。お前の引き取り手が見つかったらしい」


「……引き取り手」


 緊張した面持ちでアンバーは繰り返す。トシロウは話を続けた。


「カーネさんが気をきかせてお前を養子に貰ってもいいって家族を見つけてくれたんだそうだ。裕福だが子供に恵まれなかった家族らしい。お前さえよければお前をそこに――」


「嫌だ」


 アンバーは即答した。トシロウは困ったような顔をして、アンバーを説得にかかった。


「お前も、いつまでも俺と一緒にいるわけにはいかないだろう。いずれ学校にも通わなきゃならないだろうし、そうすればまともな職にだってつけるはずだ。……俺と一緒にいるとそれはできないんだ。だから、」


「そんなもの必要ない」


「必要ないって……そうもいかないだろう。お前の将来の話だぞ」


 トシロウは身を乗り出して、言い聞かせるように言った。


「お前との契約は終わったんだ。石は俺のものになったし、お前を追ってくる奴はもういない。お前はもう、逃げ続けなくてもいいんだ」


「でもわたしは」


 一度言葉を切り、アンバーは絞り出すように言った。


「トシロウと一緒にいたい」


 ぼろぼろと流れ落ちる涙にぎょっとしたトシロウは、アンバーに何か声をかけようとした。しかしその前にアンバーは服の袖で涙を乱暴に拭うと、椅子から飛び降り、どこかへと歩き出した。


「お、おいアンバー。どこに……」


「散歩」


 それだけを言うと、アンバーは玄関に向かって歩いていった。


「行こう、オウルバニー」


 道中、少し離れて話の行方を見守っていたオウルバニーを掴み上げ、つかつかとアンバーは歩いていく。トシロウは慌ててその後を追おうとしたが、


「ついてこないで!」


 激しい声色で拒絶され、立ち尽くすしかなかった。







 アンバーが出ていった部屋の中を、トシロウはぐるぐると歩き回っていた。


 泣かせてしまった。無理矢理に言ったのがきっと悪かったんだろう。でも伝えた気持ちは本当だ。何か他に言い方はなかっただろうか。


 十分、二十分。


 考えている間にも時は過ぎ、そろそろ迎えに行かなければ面倒事に巻き込まれるんじゃないかと心配になりかけた時、部屋のドアは小さな音を立てて開いた。


「ただいま」


「……おかえり」


 目は真っ赤になっているが涙はない。トシロウはホッと息を吐いた。ただ、アンバーの手には、確かに一緒に連れていったはずのオウルバニーの姿はない。


「オウルバニーはどうした?」


「家出した」


 家出。それ以上オウルバニーについて聞こうかとも思ったが、それより先に言うべきことがあるだろうと、トシロウは口を開いた。


「アンバー、その……無理強いして悪かった。もうしばらくは一緒に住もう。カーネさんにもそう伝えて――」


「トシロウ」


 謝罪の言葉を遮ってアンバーは言う。その目には悲しそうな光はまだあったけれど、それ以上に決意の色が宿っていた。


「私、カーネさんのところに行く」


 突然の申し出に言葉を返せないでいるトシロウに、アンバーは泣きそうな顔で笑った。


「今までありがとう、トシロウ」

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