第2話「楽しい社会科見学」 05
ダストボックスの中で丸まりながら、アンバーはオウルバニーと向かい合っていた。
「トシロウ、遅い」
「焦るなよ、まだ10分ぐらいじゃねーか?」
「30分は経ってる」
サイバーサングラスを起動させながらアンバーは答える。サングラスにはアナログ式の時計が表示されていた。
「遅い」
「そうだなあ」
「遅い」
「奴ら撒くのに時間がかかってるんだろうよ」
「……迎えに行く」
「え? あっオイ!」
かぶさっていた蓋を持ち上げ、アンバーはダストボックスから体を起こす。アンバーからすればかなり高い位置にある縁を乗り越えて、やっとのことで地面に足をつけたところで――アンバーは一人の男と鉢合わせた。
「あっ」
「あっ」
見られたらまずい場面だということをお互い理解したのだろう。アンバーと男は揃って硬直した。硬直しながらアンバーは男の顔をまじまじと見つめた。
どうにも見覚えがある顔だ。アンバーは首を傾げ、ポケットから件のお尋ね者の写真を取り出した。写真と男を見比べる。そっくりだ。というか同一人物だ。
アンバーはその男を指さした。
「お尋ね者だ」
後ろ手に縛られた状態で引っ立てられ、トシロウはある場所へと連れてこられていた。
外観はただのどこにでもあるようなビルだった。しかし一歩中に入ると、日本風の装飾がいたるところに施され、さらには通された部屋には畳が敷いてある。
その部屋の奥まったところ、一段上になっている場所にあぐらをかく一人の人物がいる。
梅木組組長、ウメキ・ゴウゾウだ。
「さて、若造」
周囲をチャカと日本刀を持った男たちに守られたヤクザの大親分は、肘掛けに体を預けながらトシロウに言い放った。
「ウチのもんに手ェ出した、けじめをつけてもらおうか」
トシロウの前に小さな台が持ってこられる。指を切られるのか、爪を剥がれるのか、はたまた歯を抜かれるのか。ジャパニーズヤクザはそうやって自分たちの威厳を保つと聞いたことがある。トシロウは慌てて声を発した。
「待ってくれ。こちらにも言い分がある」
身を乗り出して訴えると、ゴウゾウは側近たちを手で制した。
「ほう、聞こうじゃないか」
ゴウゾウから正面から睨みつけられ、トシロウは緊張で体を硬くする。だがここで引くわけにはいかない。トシロウは意を決して口を開いた。
「俺はただ、娼婦にいちゃもんをつけて暴力を振るおうとしていた男を、軽くこらしめただけだ」
「……ほう」
「証拠もある。俺のサングラスに一部始終の録画が残ってる」
ゴウゾウは顎をしゃくって、持ってこいと指示をした。トシロウの懐からサイバーサングラスが取り出され、ゴウゾウへと差し出される。
それを受け取ったゴウゾウは数度サングラスを操作し、残されていた録画映像を眺めた。あたりに沈黙が満ちる。トシロウはつばを飲み込むのも忘れて、それを注視していた。
やがてゴウゾウはサイバーサングラスをパタンと閉じ、側近へと渡した。
「なるほど、お前の言い分は分かった」
強面の顔がトシロウを見る。さあ、どう出るか。場合によってはひと暴れして逃げ出す必要も出てくるかもしれない。
しかしその懸念は杞憂に終わった。
「ダイキチ」
ゴウゾウは部屋の隅に立っていたダイキチを睨みつけた。思わぬ展開にダイキチは硬直する。
「こんなくだらねえことで組員動かした罪はでかいぞ」
片手を振って合図をすると、黒服の構成員たちがダイキチを取り囲んだ。
「指を詰めろ」
「ま、待ってください、組長! 組長ー!」
そのまま別室に引き摺られていくダイキチを見送ると、ゴウゾウはトシロウに向かって顎をしゃくった。
「おい、縄を解いてやれ」
「はい親分」
あっさりと縄を解かれ、トシロウはゴウゾウの正面に座らされた。ただ、トシロウの後ろにいる黒服は日本刀に手をかけたままだ。少しでもおかしな真似をしたら首を飛ばすという意味だろう。
「さて、若造。お前さんは何のためにうちのシマにやってきた? 娼館で色々探っていたそうじゃないか」
単刀直入に切り出され、トシロウは顔をこわばらせた。
嘘をつくのは得策ではない。だが、全てを洗いざらい話すわけにもいかない。トシロウは懐から写真を取り出した。
「この男を探している」
写真を側近に手渡し、それをゴウゾウは受け取った。ゴウゾウは目を細めて写真をまじまじと見つめた。
「……ああ、先日うちを頼ってやってきたガキだな。若頭の遠縁だってんで末席に加えてやったんだが――やっぱり面倒事持ちだったか」
写真を掲げて見ていたゴウゾウはちらりと含みのある目をトシロウに向けた。
「それで……この一件、一体誰の指示だ?」
「俺は誰の指示も受けていない。ただの私怨だ」
トシロウは即答する。ゴウゾウはそれを聞き届けると、とんとん、と肘掛けを叩いた。周囲の構成員たちが一斉に鯉口を切る。
「嘘をつくのはいい選択とは言えねえな」
バレている。だが、ここで認めるわけにはいかない。認めてしまえばマフィアとヤクザの間に抗争が起きてしまう。
「……嘘じゃない。この一件は、俺が俺の私怨で動いただけのことだ」
背筋を伸ばしてできるだけ堂々と答える。ヤクザの大親分の探るような視線を正面から受け止める。ゴウゾウはそんなトシロウをたっぷり十秒はじっと見つめた後、ぷっと噴きだして声を上げて笑い出した。
「はっはっは! そうかそうか!」
何が起きたのかと目を瞬かせるトシロウに、ゴウゾウは身を乗り出して顔を近づけた。
「いまどき珍しい度胸がある若造だな。名前はなんていう」
「……トシロウだ」
「なんだ、日系人か。てっきりチャイニーズかと思ったぞ」
「親は覚えてない。だからほとんどチャイニーズみたいなものだ」
「そうかそうか。日系人ならもう少し優しくしたんだがな」
胡乱な目を向けるトシロウにゴウゾウはにやりと笑いかけた。
「何しろ遠い国で出会った同胞だ。大事にしなきゃあな」
トシロウには分からない理屈だったが、ゴウゾウの中ではそういうことで納得がいったらしい。ゴウゾウはどっかりと座り直し、威厳たっぷりに言った。
「トシロウ。お前の勇気に免じて、お尋ね者の居場所を教えてやろう」
願ってもない提案だった。だが何故そんなことを。
眉をひそめるトシロウに、ゴウゾウは口角を上げて笑ってみせた。
「俺は日系人には優しいと言っただろう?」
「どうする、どうすりゃいい……連れてきちまったけどよ……どうすれば……」
梅木組のシマの片隅にある安宿の一室、銃を腰に吊り、サングラスをかけた男が目の前をうろついている。男に無理矢理連れてこられたアンバーはサングラスをかけたまま椅子に腰かけて、足をぶらつかせていた。
男はふと立ち止まると、アンバーに顔を寄せて凄んでみせた。
「おいガキ! 俺がお尋ね者だって知ってるっつーことは、どうせ保護者がいるんだろ! 保護者と一緒にマフィア連中から俺を追ってきたんだろ!」
「……トシロウのこと?」
「やっぱいるのかよ……。クソ、こいつを餌に絶対に探し出してやる……」
アンバーは足をぶらつかせるのをやめ、がりがりと爪を噛む男を見上げた。
「探してどうするの」
「決まってんだろ、ぶっ殺すんだよ!」
「……じゃあ教えない」
「あっ、嘘だよ嘘嘘。ちょっとお話合いするだけさ」
猫なで声でアンバーの機嫌を取ろうとする男に目もくれず、アンバーはサングラスを操作していた。画面に表示されているのは時計と簡素なアイコンが数個だけ。どうやら最低限の機能しかついていないもののようだ。
と、その時、突然呼び出し音が響き、アンバーは慌てて側面のボタンを押した。するとサングラスから聞き覚えのある声が激しい勢いで流れ出てきた。
「アンバー! お前今どこにいる!」
「トシロウ」
「あそこから動くなって言っただろうが!」
「トシロウを迎えに行こうと思って」
「言い訳はいい! 動くなと言われたら動くんじゃない!」
「……ごめんなさい」
サングラスの向こう側で声を荒げるトシロウに、アンバーはしゅんとうなだれて謝った。そんなアンバーにオウルバニーは、「そら見ろ。俺様の忠告を聞かないからだぞ」と小声で話しかける。反省しているのが伝わったのか、トシロウも幾分か声色を和らげてアンバーに尋ねた。
「それで、今どこにいるんだ」
「お尋ね者と一緒にいる」
「は」
「だからお尋ね者と――」
「テメエがこのガキの保護者か」
お尋ね者の男はアンバーの手からサングラスを奪い取り、向こう側で混乱しているであろうトシロウに言い放った。
「ガキは預かった。返してほしいなら今から送る場所に一人で来い。いいか、一人だぞ。助っ人なんて呼んだら、ガキをバラすからな」
勢いよく通話を終了し、位置情報を送信する。どれぐらいでやってくるか。そう時間はないだろう。それまでに迎え撃つ準備を整えなければ。
しゃがみこんで鞄の中からありったけの銃器を取り出している男を見下ろして、アンバーは問いかける。
「トシロウを殺すの?」
「ああ、そうだよ。お前を人質にして殺すんだ」
アンバーはきょとんとした顔をした後、当然のような顔で言った。
「それは無理」
「……なんだと?」
男が振り返る。アンバーは男の顔をしっかり見て、言葉を続けた。
「あなたよりトシロウは強い」
「お、おいアンバー」
不穏な雰囲気にオウルバニーが制止しようとする。しかしアンバーは止まらない。
「トシロウはあなたなんかに絶対負けない」
「やめろアンバー、挑発するな!」
オウルバニーが叫ぶ。しかしアンバーがその制止を聞きいれるより、男が激高する方が早かった。
「この、クソガキィ!」
男の拳がアンバーのこめかみを殴りつける。アンバーは勢いよく床に倒れ込み、衝撃でかけていたサングラスも床に転がった。
「アンバー! 大丈夫かよ、おい!」
オウルバニーの叫び声は、幸いにも興奮している男には届いていないようだった。アンバーは殴られた驚きのまま床に転がって、目の前に落ちているサングラスを呆然と見つめていた。
落としてしまった。壊れていないかな。わたしのサングラス。トシロウがくれた、大切なサングラス。
拾い直そうとアンバーはサングラスに手を伸ばす。しかし、その手が届くより、勢いよく振り下ろされた男の足がサングラスを踏み砕く方が先だった。ガシャン、と音を立ててアンバーのサングラスは粉々に砕ける。アンバーは目を見開いた。
「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって! 許さねえ! 絶対に許さねえからなぁ!」
「わたしの、サングラス」
震える手で、踏みにじられたサングラスの残骸に手を伸ばす。
「トシロウがくれたのに……」
理解しがたい感情が溢れだしてくるのを感じる。サングラスの破片を手に握りこむ。手の平に血が滲んだ。
「人質にするのは無しだ……。クソガキ、やっぱりテメエから殺してやるよ……!」
冷静さを失った男がアンバーに銃を突きつける。男は撃鉄を起こして、そのままアンバーの頭めがけて引き金を引こうとし――急に猛烈な眩暈に襲われて床に這いつくばった。
「え?」
手足が震える。立つことができない。視界が揺れる。おかしい。ただの眩暈じゃない。目の前にあるはずの銃がうまくつかめない。いくら手を伸ばしても空ぶってしまう。まるで『世界と自分の体がずれている』かのように。
男が混乱している隙に、アンバーはゆっくりと起き上がる。そのまま取り落された銃を掴み上げると、蹲ったままの男の頭に向けた。
使い方は知っている。トシロウが撃っているのを見たことがあるから。アンバーは両手でしっかりと銃を支え、引き金に指をかけてそして――
ダンッ、と重い音がした。
男の体が崩れ落ちる。アンバーは引き金を引いていない。男の頭を撃ち抜いたのは、駆け込んできたトシロウの銃だった。
「アンバー」
トシロウはアンバーに歩み寄ると、未だ持ち上げられたままだった銃口を包み込むようにして下ろさせた。
「いいか、俺の銃口は俺のものだ」
硬直するアンバーの顔をトシロウは覗き込む。その表情はいつにも増して険しく――見ようによっては泣きそうな顔にも見えた。
「これは俺の都合だ。お前が手を汚す必要はない」
トシロウの言葉に硬直が解けたアンバーは銃から手を離し、トシロウを見上げた。
「ごめんなさい」
震える声でトシロウに告げる。
「サングラス、壊されちゃった」
まばたきをするたびに目から水が流れ落ちていく。痛む手の平で何度もそれを拭う。噴きだしてくる感情を抑える術をアンバーは持っていなかった。
「……また買ってやる。だから泣くな」
トシロウは、一度躊躇った後、アンバーの頭にそっと手を置いた。
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