第2話「楽しい社会科見学」 02

「まずは買い出しから済ませるか……」


 銃とオウルバニーを返却されたトシロウたちは、足早にマフィアの邸宅から離れ、付近のマーケットへと向かっていた。


「いいか、絶対に俺から離れるんじゃないぞ」


「うん」


「もしはぐれたら置いていくからな」


「うん」


 オウルバニーを前に抱えながら、アンバーは頷く。本当に分かっているのか、とトシロウは胡乱な眼差しをアンバーに向けた。


「心配性だなテメーは! テメーよりアンバーの方がよっぽどしっかりしてるぜ?」


「うるさい、オウルバニー」


 辿りついたマーケットは昼時だけあってかなり混み合っていた。


 トシロウは眉間にしわを刻んだままアンバーの右手を掴んで、大股で人混みの中をかきわけていった。その後ろをアンバーは引きずられるようにしてついていく。


 やっとのことで二人と一体が辿りついたのは、路傍にシートを敷いて店を広げるジャンク屋だった。店主はボロボロの布きれを羽織った老人で、脱力するようにして地べたに座り込んでいる。


 トシロウはビニールシートの上に置かれたサイバーサングラスを一つ掴みあげると、起動ボタンを押して、数度操作しながら眺めまわした。


「これちゃんと動くか?」


 露店の老人に尋ねると、老人は品定めするようにトシロウを見た後、一つ頷いた。


 その様子に眉をひそめた後、トシロウはアンバーにサングラスを手渡した。


「かけてみろ」


 受け取ったアンバーはトシロウがかけているのを見よう見まねでサイバーサングラスを目元にかけた。その途端、光と音の洪水がアンバーの目の前に広がった。



『安い! 強い! 安全! ジェムのご購入なら宝晶製薬!』

『竹屋ー竿竹ぇー』

『これは合法です、坊ちゃんいかが?』

『とーふーとーふー』



 連なるウィンドウ。暴力的なほどけたたましい宣伝音声。流れ込んでくる膨大な情報。


 硬直するアンバーに気付いたトシロウは、アンバーの目元からサングラスを取り去った。


「ああ、広告をオフにし忘れていたか」


 何度か手元で操作をした後、トシロウはアンバーの目元にサングラスを戻した。改めてサングラスを通して世界を見たアンバーは目を大きく見開いた。


 空に鯨が泳いでいる。鯨の腹には次々と切り替わる映像が流れ、薄暗かった街並みも一気に華やかなものに変わっていた。


 金属製の錆びた看板の上にはネオンサインが上書きされ、街行く人の味気ないコートにも個性豊かな装飾がついている。明滅するネオンサインは次々と形を変え、まるで生きているようだ。


「ちゃんと見えてるか」


「……うん」


 通り過ぎていく鯨の尾を目で追いながら、アンバーはぼんやりと答えた。トシロウは懐から財布を取り出して店主に問うた。


「いくらだ」


 店主は黄色く染まった歯をむき出しにして指を四本立てた。トシロウは目を細めて店主を睨みつけた。


「高い。まけろ」


 老人はにやにや笑ったまま、首を横に振った。トシロウはシートの上に並べられたバンドを指さした。


「じゃあこれもつけてくれ。それならいいだろう」


 店主が頷いたのを確認し、トシロウは財布から紙幣を四枚取り出して店主に押し付けた。


「まいどアり」


 ひどく訛った店主の声を背中に聞きながら、トシロウはアンバーを捕まえてサングラスの後ろにバンドをくくりつけた。ぶかぶかで落ちそうだったサングラスがしっかりと固定される。


 そのまま露店を後にすると、トシロウはすぐ隣の店の女に声をかけられた。


「そこのかっこいいお兄さん、服はいかが? 安くしておくよ!」


「服……」


 そういえばもう数着ぐらいアンバーの服があってもいいと思っていた頃だった。店に近寄って服を数着めくってみる。だが、女児用の服の善し悪しなどトシロウには分からなかった。


 その隙にもアンバーはサングラスをかけたまま、人混みの中をふらふらと歩いていってしまう。トシロウはうんと考え込んだ後、アンバーがいるはずの方を振り返った。


「お前はどの服がいい、アンバー……」


 しかしそこにはアンバーとオウルバニーの姿はない。


「――いねえ!」


 慌てて通りに飛び出すも、やはりアンバーたちの姿はどこにもない。トシロウは苛立たしげに頭をがしがしと掻きむしった。






 足音も荒く、マーケットの人混みの中をトシロウは歩いていく。普段であればその鋭い眼差しが探すのは標的のならず者たちだが、今回ばかりは違う。自分の腰ほどしかない身長の少女を探して、トシロウは不機嫌そうに目を光らせていた。


 マーケットを行くのはほとんどが大人ばかりだ。たまに通り過ぎる子供たちの髪は薄汚れていて、アンバーのような艶やかさはない。そんな中に、明るい色の髪を見つけた気がしてトシロウはその少女に駆け寄った。


「アンバー、お前どこに行って……!」


 そう言って肩に手をかけてしまってから、トシロウは彼女がアンバーではないことに気がついた。


 彼女は真っ赤な髪を持った少女だった。フリルをふんだんにあしらった服もまた赤く、その瞳はどろりと濁った血の色をしていた。


「悪い、人違いだった」


 肩からバッと手を離し、トシロウは謝罪する。少女はきょとんとした顔から一気に嬉しそうな表情になり、トシロウへと向き直った。


「はじめまして、私はガーネット」


 小鳥がさえずるような可愛らしい声色で、突然そうやって名乗られ、トシロウは目を瞬かせた。そして自分も名乗るべきかと口を開きかけたその時、遮るようにして少女、ガーネットは続けた。


「人も多いしここなら逆に目撃者も出さずに済みそうね」


 何を言われているのかトシロウには理解ができなかった。しかし、不思議と首の後ろにちりちりと焦げるような感覚がある。


 ガーネットは背伸びをしてトシロウに手を伸ばそうとし――、何かに気付いたような顔をしてトシロウからさりげなく飛び退った。その直後、ガーネットとトシロウの間を遮るようにして、ある男がトシロウにぶつかってきた。


「いつっ」


「悪いぶつかっ――うわっ、トシロウ」


「げっ、ヨシュア」


 ぶつかってきた男、ヨシュアを睨みつけた後、トシロウはもう一度ガーネットの立っていた場所を見るも、そこには誰の姿もなかった。チッ、と舌打ちが聞こえた気がした。






 空に手をかざす。星、月、ハートの形をした小さなネオンが、アンバーの指先をすり抜けていった。


「世界、きらきらしてる」


 手を下ろして、手の平を覗きこむ。そこには捕まえ損ねたネオンサインの残滓はどこにもなかった。


「どうだ、逃げてきてよかっただろ?」


「うん」


 流れていく人混みの只中に立ってアンバーは頷く。


 人は多い。空は狭い。だけど世界は煌めいている。少し前の自分では考えられないほどに。


「……でも」


 アンバーはふと目を伏せた。消え入るような声で小さく呟く。


「みんなを置いてきちゃった」


「気にすんなよ。お前に何ができたってんだ。お前は、お前の幸せを掴めばいいんだ」


 胸に抱いたオウルバニーがアンバーを慰めるようにぽんぽんと腕を叩いてくる。アンバーは納得がいっていない様子でオウルバニーをぎゅっと抱きしめた。


 その時、前方で聞き覚えのある声がした気がして、アンバーは顔を上げた。


「お前どうしてここにいるんだよ、ここ、お前の生活圏じゃないだろ」


「うるさい、どこに行こうと俺の勝手だろう」


「そりゃそうだけどよ、ここ警察署のすぐ近くだぜ? 何か揉め事でも起こしたら――」


「その方がお前はいいんじゃないのか?」


「そうだけどよー」


 予想通りの人物の姿に、アンバーは足音も軽く駆け寄っていく。


「トシロウ」


 そのままぶつかるようにしてトシロウの足にしがみつくと、トシロウと口論をしていた男、ヨシュアは目を丸くした。


「……えっ?」


「やめろ手錠を取り出そうとするな」


 混乱しつつも状況を把握しようとした結果、ヨシュアはトシロウにあらぬ疑いを抱いたようだった。


「いやでも――えっ?」


「成り行きだ。一緒に住んでる」


「は?」


「だから手錠を取り出すのをやめろ」


 頭上でけん制し合う大人たちに、ふとオウルバニーはアンバーの腕の中でぴょこぴょこと両腕を動かした。


「テメー、トシロウ! はぐれるなって言っておいて自分が迷子になるとはいい度胸じゃねーか!」


「あ?」


 トシロウは低い声でオウルバニーを睨みつける。アンバーは慌ててオウルバニーの口を塞いだ。


「なあ今、何か声がしなかったか?」


「幻聴じゃないか?」


「幻聴」


 訝しげな顔でぬいぐるみを見下ろすヨシュアを適当に誤魔化す。ヨシュアは無理矢理ではあるが自分を納得させたようだった。


 その様子にアンバーがほっと胸を撫で下ろしていると、トシロウはそんな彼女に鋭い目を向けた。


「アンバー」


「何?」


 ごっ、と音を立てて、トシロウの振り下ろした拳骨がアンバーの頭に当たる。


「迷子になったら置いていくって言っただろうが」


 アンバーは片手で頭を押さえて、トシロウをきょとんと見上げた。トシロウは変わらず鋭い目でアンバーを見ている。アンバーは目を丸くしたまま答えた。


「ごめんなさい……」


 その様子をヨシュアは愕然とした表情で見つめていた。


「トシロウが子供にしつけしてる……」


「うるさい」


 トシロウはそっぽを向くと、自分の行動を誤魔化しでもするかのように露店の品を吟味し始めた。


「それにしてもあのトシロウがこんな小さい子と同居してるとはな」


「何が言いたい」


「お前にそういうケがあったとは意外だって言ってるんだよ」


「だから違うと言ってるだろう」


「ははは、女児誘拐の現行犯でしょっぴいてもいいんだぞ」


「俺に腕っぷしで勝てたこともないくせによく言う」


「お前それを持ち出すかあ? いいんだよこっちはいくらでも人員つぎ込める用意はあるんだから――あ、その携行食まずかったぞ」


 ヨシュアがトシロウの手元を指さす。トシロウは素直にそれを棚に戻した。


「そうか。いつか刑事が続けられなくなるぐらいに再起不能にしてやる――ああ、今持ってるそっちより隣のそれの方がおすすめだ」


「サンキュー。こういうのはお前の方が鼻が利くからなあ」


「うるさい」


 大人たちの間に挟まれたアンバーは、きょろきょろと二人を見比べてから尋ねた。


「仲良しなの?」


 トシロウは心底嫌そうな顔をしてアンバーを見下ろした。


「仲良くない」


 対するヨシュアはにんまりと笑ってアンバーに視線を合わせた。


「内緒だぞ。警察官とアウトローが仲良いなんて恰好がつかないんだ」


「ヨシュア! 適当なことを吹き込むな!」


 トシロウがヨシュアを軽く蹴りつける。ヨシュアは大げさに痛がりながら、トシロウから距離を取った。


「他に必要なものは……」


 あらかた商品を吟味し終えたトシロウは、陳列棚を改めて見回した。そんなトシロウの裾をアンバーは引っ張った。


「トシロウ、これ」


 アンバーがトシロウに差し出したのは一丁の小さな銃だった。弾こそ込められていないが、本物だ。


「トシロウは持ってる。わたしも欲しい」


 そう訴えるアンバーに、トシロウはそれを一瞥するとふいっとそっぽを向いた。


「要らん」


「何故」


 問い返すもトシロウは答えない。その代わりに、アンバーが持つ銃を上から押さえたのはヨシュアだった。


「お嬢ちゃん、これは子供が持つものじゃないよ」


 そのまま手の中から銃を抜き取られ、棚へと戻される。アンバーは言いつのろうとしたが、その前に会計を終えたトシロウがアンバーのもとに戻ってきた。


「もう行くぞ、アンバー」


「……うん」


 そう促され、アンバーたちは店から立ち去っていく。ふと振り返ると、アンバーは小さくヨシュアに手を振った。


「ばいばい」


 ヨシュアも微笑ましそうにアンバーに手を振り返した。

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