第2話「楽しい社会科見学」

第2話「楽しい社会科見学」 01

「うーん、経口摂取……」


「痛い痛い痛い! ふざけんなアンバー! 俺様は食いもんじゃねえぞ!」


 明け方、アンバーに耳を食まれたオウルバニーの悲痛な声が、部屋中に響きわたる。オウルバニーは腕の中から逃げ出そうと必死にもがくが、アンバーは彼を抱きしめて離さなかった。


「はなせ! はなしやがれー!」


 キーキー騒がしい声に、ソファで眠っていたトシロウは体を起こす。そしてふらふらとベッドに歩み寄ると、アンバーの腕の中からオウルバニーを取り上げた。


「うおっ、ありがとよ、ペド野郎! なんだたまにはテメーも役に立つじゃ――ギャッ」


 トシロウは大きく一つあくびをすると、片手で持ち上げたオウルバニーを勢いよくゴミ箱に叩き込んだ。


「何しやがる!」


 オウルバニーの入ったゴミ箱の上に雑誌を乗せて蓋をし、トシロウはソファに戻っていく。そのまま横になろうとしたとき、ソファ脇の机の上に置いてあるサングラスが点滅していることに気づいた。


「メール……」


 サングラスをかけて用件に軽く目を通す。緊急性の高いものではなさそうだ。


「後でいいか……」


 トシロウはソファに横になると、再び目を閉じた。――その目元にサイバーサングラスをかけたまま。





 トシロウはそこに立っていた。


 見渡す限り一面の白。空を見ても曇りもない白色があるばかりで、見下ろしても地面らしきものは見えない。


 そこに自分は立っている。その事実しかトシロウには知覚できなかった。


「どこだここ」


 ぼんやりと呟いた声が白の空間に消えていく。どうやら壁があるわけでもないようだ。何の変化もない景色に不安を覚え始めたその時、誰かに後ろから声をかけられた。


「あらお客さんなんて珍しいわね」


 振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。金髪に白衣姿の若い女性だ。医者か、何かの研究者だろうか。


「ちょうどよかったわ、協力者を探していたの」


 そう言うと、女性は一歩も動かないまま、首だけを傾げてみせた。


「ねえあなた。ぬいぐるみを背負った、これぐらいの女の子たちを見なかったかしら」






 ピピピ、ピピピ……。


「――夢か」


 サングラスから響く電子音に目を覚ます。片手で目覚ましを止め、かけっぱなしになっていたサイバーサングラスの表示を見つめた。


「あー……」


 点滅するメールのアイコン。明け方の記憶が正しければ、カーネファミリーからの仕事のメールだ。


 その内容に改めて目を通し、トシロウは首をひねった。


 ――いつも通り仕事の依頼をしたい。今日の昼ごろに待っている。ああ、あの女の子も一緒につれてくるといい。


「『あの女の子も一緒に』?」


 間違いなくアンバーのことだろう。たしかに先日助けてもらった時に顔は見られているはずだが、彼女に何か用でもあるのだろうか。


「……なんでだ?」


 目的は分からないが、ちょうどいい。こちらもカーネファミリーに用があるところだった。トシロウは、台所でしゃがみこんで冷蔵庫を覗きこんでいるアンバーに歩み寄った。


「アンバー、あの原石はどこだ?」


「原石」


「ジェムの原石だよ。まだお前が持っていただろう?」


「……ここ」


 アンバーはしゃがみこんだまま、冷蔵庫の中を指さした。トシロウも覗きこんでみると、冷蔵庫の奥には新聞紙に包まれた原石が鎮座していた。


「冷蔵庫で冷やすって……生ものじゃないんだから……」


 呆れながらもそれを取り出し、ついでにマイナスドライバーも戸棚から取ってくる。トシロウは原石を机の上に置くと、ドライバーで表面を削り取った。原石が数センチほどの欠片になり、机の上に転がる。


 出どころは知らないが、一度に売りとばしてはきっと足がつく。少しずつ削って、金に換えていこう、というわけだ。


 原石を元通り新聞紙に包んで片付けていると、アンバーが小さな足音を立てて歩み寄ってきた。


「トシロウ」


「なんだ」


「落ちてる欠片、貰ってもいい?」


 アンバーが指さしたのは机に落ちていた1センチもないような小さな欠片だった。


「いいが……何に使うんだ?」


「内緒」


 欠片を手早く回収すると、アンバーは部屋の隅に行ってトシロウから背を向けた。


「まさか飲むんじゃないだろうな。飲んだら即死するぞ!?」


 ジェムは原石から何千倍も希釈して作られていると聞いている。そんなものを原石のまま飲んだらどうなるか、想像に難くなかった。


「内緒」


「内緒って……」


 言いつのろうとするトシロウの前に飛び出してきたのはオウルバニーだ。


「そうだぞ、乙女の着替えを見ようだなんてこの変態め! ロリコン! ペド野郎! おら、アンバーこう言ってやれ!」


 オウルバニーが跳ねるようにしてよじ登って囁いた言葉を、アンバーはトシロウを見上げて復唱した。


「えっち」


 トシロウは頭に血がのぼるのを感じたが、うまく言い返す言葉も見つからず、苛立たしげに叫んだ。


「分かったよ! 後ろ向いてりゃいいんだろ!」





 薄暗い曇り空の下、狭苦しい街並みの一角にぽっかりと開けた場所がある。その場所は高い柵に覆われ、柵の周りではあからさまに銃を携帯した男たちが目を光らせている。


「ほー、ここがマフィアの根城ねえ」


「根城とか言うな。この間助けてもらっただろうが」


 アンバーの背中に背負われたオウルバニーの軽口に、トシロウは眉をひそめる。


「いいか、失礼のないようにしろよ」


 二人に釘を刺し、トシロウはカーネファミリーの邸宅へと足を踏み入れた。


「銃はこちらに」


 入り口に控えていた男たちに促されるまま、トシロウは二丁の愛銃を男たちに手渡した。そのままホールドアップして、他に武器がないかボディチェックを受ける。


「お嬢ちゃんもそのお人形、渡してもらってもいいかな?」


 門番の男が腰を折り、アンバーに視線を合わせる。アンバーは首を傾けた。


「何故?」


「……爆弾が入っていると困るからね。さ、渡してくれるかな?」


「アンバー。言うとおりにしてくれ」


 渋るアンバーにトシロウは両手を軽く上げたまま声をかける。アンバーは渋々といった様子でオウルバニーを男に差し出した。






「オウルバニー、渡しちゃった」


「我慢しろ。後でちゃんと返してもらえる」


 小声で会話しながら、案内役の男の後を二人はついていく。二人は入り組んだ屋敷の奥へ奥へと案内され、とある重厚な扉の前へとつれてこられた。


 ぎい、と音を立てて開かれた扉の奥には、先日にも会ったあの老紳士――カーネファミリーのボスが座っていた。


「ドン・カーネ。先日はありがとうございました」


「ああ、あれぐらいおやすい御用だよ。縄張りの掃除は元々我々の仕事だからね」


 鷹揚に笑うドンにトシロウは軽くお辞儀をする。アンバーもそれを見て小さく頭を下げた。


 その様子が可笑しかったようで、ボスは再び声を上げて笑った。


「ははは、これは可愛らしいお嬢さんだ。ほら、こちらにおいで」


 ドンに手招きされるもアンバーはトシロウをちらりと窺うばかりで近寄ろうとしない。トシロウはアンバーを見下ろして促した。


「アンバー」


「……わかった」


 アンバーは頷くと、ドンの前へと歩み寄っていった。ドンの左右に控えている男たちは何があってもいいように拳銃に手をかけている。


「本当にお人形のような子だね。私にもこんな孫がいたらよかったんだが」


 ドンはアンバーの頭を優しく撫でながら目を細める。アンバーは無表情でされるがままになっていた。


「そうだ! アンバー、私のことをおじいちゃんと呼んでごらん?」


「…………」


「つれないね……」


 答えようとしないアンバーに内心冷や汗をかきながら、トシロウは二人の交流を見守る。ドンはふとトシロウに目をやって尋ねた。


「坊や、この子はどうしたんだい? 見たところ浮浪児というわけではなさそうだが。迷子か何かな?」


「……すみません、ドン。教えられません」


 目を伏せて答えると、ドンは合点がいったという顔で顎に手を当てた。


「ふむ。つまり、親元には返せない事情があると」


「……そういうことです」


 トシロウは肯定する。ドンはわざとらしいほど大きくため息を吐き、首を横に振った。


「そうか。何か力になれるかと呼んだのだが……そういうことなら助力は不要のようだね」


 それ以上追求はせず、ドンはアンバーから手を離した。


「アンバー、呼び立てして悪かったね。彼のところに戻っていいよ」


 アンバーはととと、と足音を立ててトシロウのもとに戻り、トシロウの後ろに隠れてみせた。


「ははは、懐かれているね」


「……ただの成り行きです」


 ドンは微笑ましそうに笑った後、すっと真剣で恐ろしい顔になりトシロウを見た。


「それでは本題に入ろうか。いつも通りの仕事の話だ」


 トシロウは顔をこわばらせ、背筋を伸ばした。毎回の事ながらこの瞬間は緊張する。ドンはそんなトシロウに何でもないことのように切り出した。


「先日、おいたをしたチンピラたちを海に沈めたんだがね。ほら、君が助っ人になろうとしていた彼らだよ」


 ドンが言っているのは、アンバーを拾ったあの夜のことだろう。あの時のチンピラ、やはり何かやらかしていたか。


「そのチンピラどもなんだが……実は我々としたことが、一人取り逃がしてしまったようでね。そいつはどうやらジャパニーズヤクザ、梅木組を頼ったらしいのだ」


 梅木組といえば、魑魅魍魎蠢くこの街でも有数の巨大マフィアの一つだ。ドンは心底面倒くさそうな顔をした。


「チンピラを始末しなければ我々のメンツが丸潰れだ。かといって無理に始末しようとすれば梅木組との抗争になりかねない」


 たとえ形式だけだとしても梅木組の傘下の者が他のマフィアに殺されたとあれば、それは報復の対象になるだろう。


「我々はこんなくだらないことが、抗争の火種になるのは望んでいない」


 『我々』と強調してドンは言い、トシロウに手を向けた。


「そこで君の出番だ。我々にくみしていながらファミリーの一員ではない君のね」


 トシロウならば、もし下手を打って捕まっても、抗争になることはない。ドン・カーネはそう言っているのだ。


「その馬鹿者を探って、もし可能ならこっそり処理してきておくれ」


 要はいつも通りの汚れ仕事だ。普段ならばここで報酬の相談をするところだが、トシロウは先手を打ってドンに切り出した。


「その代わり、一つお願いしてもよろしいでしょうか」


「何かな、坊や」


 意外そうな顔をしてドンが尋ね返してくる。トシロウは緊張で喉がからからになりながらも、懐から件の鉱石の欠片を取り出してドンの側近に渡した。


「これを」


 ドンはそれを手に取って光にかざし、目を丸くして呟いた。


「まさか、ジェムの原石?」


 トシロウは頷く。ドンは身を乗り出してトシロウに尋ねた。


「どこでこんなものを?」


「言えません。ただ――当分は同じ量を卸せると思います」


 その一言で、ドンはトシロウが何を欲しているのか理解したようだった。


「なるほど。つまり君は、ジェムのルートが欲しいわけだ」


 たとえジェムの原石を持っていたとしても、売る相手がいなければ意味がない。それはできるだけ街のルールに則った相手でなくてはならないし、裏社会的な意味で信用のある相手でなくてはならない。その対象としてカーネファミリーは適任だった。


 ドン・カーネは鋭い商売人の目でトシロウを窺い、やがて口角を上げてにやりと笑った。


「いいだろう、その話に乗ろうじゃないか」


 ドンは演技がかってトシロウに腕を向け、そうしてから自分を指した。


「君は任務を果たす。我々は君にルートを提供する。それでいいね?」


「はい、よろしくお願いします。ドン・カーネ」


 なんとか交渉を成立させた安堵で、ハァとため息を吐いてしまう。その様子を見て、ドンはハハハと声を出して笑った。


「ああ、トシロウ。その子は当然つれて歩くのだろうね?」


 帰り際にかけられた言葉に、トシロウは目を瞬かせて答える。


「え、いや、一度戻って留守番させようかと」


「家に置いていく方が危ないだろう。ただでさえ君は敵が多いのだから」


 痛いところを突かれて、トシロウは黙り込む。ドンはトシロウをぎらりと睨んだ。


「小さなレディをちゃんと守るんだぞ」


「……はい」


 どうあっても断れない雰囲気に、トシロウは渋々頷いた。

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