第1話「ハローワールド」 05
裏口を素早く抜けて外に飛び出すと、そこには一台のレトロカーが停まっていた。――ユェンの車だ。
トシロウは片腕で抱え上げたアンバーを助手席に放り込むと、自分は運転席に滑り込み、エンジンをかけた。放り込まれた衝撃で押し潰されたのか、オウルバニーがぐえっと声を上げる。
「飛ばすぞ。掴まってろよ」
言うが早いかトシロウは右手でギアを入れ、アクセルを踏み込んだ。ぐんと体が後ろに引っ張られる感覚があり、車は勢いよく走りだした。
トシロウたちの乗る車が裏路地から飛び出し、襲撃者たちの横を通り過ぎる。そのまま舗装の悪い道を走らせて大通りに辿りついた頃、銃声が後ろからトシロウたちを追い掛けてきた。
「来たか」
バックミラーを見ると、案の定そこには奴らの車があった。トシロウは助手席のアンバーを引き寄せると、ハンドルを掴ませた。
「ちょっとハンドル固定してろ」
アンバーの返事を待たずに、トシロウはハンドルから手を離すと、腰に吊ってあった大ぶりの銃を手にし、窓から体を乗り出した。
ダンダンダンッ!
叩きつけるような銃声が三発響き、トシロウたちを追ってきていた車のうちの一台がバランスを失い、爆発炎上した。
「ヒュー! やるねえ!」
オウルバニーが野次を飛ばし、トシロウは元の通りに運転席に戻ってきた。しかし残り二台の追手はまだトシロウたちの後ろにつけている。
「しつこいな……」
舌打ちをしながらそう言うと、トシロウは椅子にしがみつくアンバーに声を張り上げた。
「アンバー! サイバーサングラス取ってくれ!」
きょとんと見上げてくるアンバーに、トシロウはちらりと視線を送った。
「多分ダッシュボードの中にある!」
トシロウの言葉を受けて、アンバーはきょろきょろと周りを見回した。
「ダッシュボードって?」
「足元にあるそれのことだよ、馬鹿アンバー!」
背中のオウルバニーに促され、アンバーはダッシュボードに手をかけて開く。中には猥雑な雑誌と、日用品、それから折りたたまれたサングラスが入っていた。
「これ?」
「それだ!」
差し出されたそれを奪い取り目にかける。
「さっきジェムを飲んでおいて正解だったな……」
サイバーサングラスをかけたトシロウの目の前には、いくつもの青白い表示が浮かび上がっていた。トシロウは眼球の動きによって、その中からメールのアイコンを選ぶと、サイバーサングラスを脳信号モードに切り替えた。
ジェムによって増幅された脳信号が、サングラスを通してサイバー空間へと投じられていく。何往復かそれを繰り返した後、にやりと口の端を上げると、トシロウはある方向へとハンドルを切った。
車を走らせているうちに袋小路に辿りつき、トシロウは急ブレーキを踏んで車を停めた。助手席のアンバーを抱えて、外に転がり出ると、そこには既に車から降りてこちらに銃口を向ける追手たちの姿があった。
「昨日はよくもやってくれたな、チャイニーズ」
取り出されたレトロな無線機ごしに声が響く。昨日の襲撃の首謀者の声だ。
「そのガキをこっちに渡しな。そしたら命だけは見逃してやるよ」
どうやら今度は部下に現場は任せて、自分は高みの見物としゃれこんでいるらしい。トシロウは口角を上げて答えた。
「断る。俺は今こいつと取引中でね」
「……そうかよ、じゃあ死ね」
引き金に指がかかる。トシロウは咄嗟に、アンバーを背中に庇った。
――タンッと乾いた音がした。
しかし倒れ伏したのはトシロウではなく、トシロウに銃口を向けていた男の一人だった。
「随分と騒がしいことだ」
襲撃者たちが後ろを振り返ると、そこにいたのは六十代後半ほどに見える老紳士だった。老紳士の周りには黒服の男たちが彼を守るように立っている。
「君たちこれは――、ここをカーネファミリーの縄張りと知っての狼藉かな?」
「は」
襲撃者の男たちの中から間抜けな声が上がる。いち早く状況を理解したのか、慌てて逃げ出そうとした男の足が、屋根の上に控えていた狙撃手によって貫かれた。
「ぎゃああ!」
「マフィアに喧嘩を売るとは大した度胸だ」
老紳士は片手を軽く上げると、手首をスッと動かした。
「撃て」
合図と同時に、無数の乾いた発砲音が辺りに響き、十数秒後には襲撃者たちは残らず地面に倒れ伏していた。
「恩に着ます、ドン・カーネ」
「これくらいお安いご用だよ。トシロウは私にとって息子同然の存在なのだからね」
はっはっは、とおおらかに笑う老紳士には、先ほどまでの酷薄な雰囲気はどこにもなかった。老紳士――カーネは、部下の運転する車に乗り込むと、窓を開けてトシロウを見上げた。
「また遊びにおいで」
「はい、近いうちに必ず」
滑るように去っていく車を見送る。背後では積み上がった死体をマフィアたちが処理していた。
「あいつらからは無事逃がしたぞ。お前はこれからどうする」
隣に立つアンバーに問いかける。アンバーはトシロウを見上げた。
「行くところはあるのか」
「ない」
案の定即答するアンバーに、トシロウは目を細めて考え込んだ。
アンバーとの契約は、彼女を追手から逃がすこと。それが成された今、アンバーの持っていた原石は俺のもののはずだ。だがここでアンバーを見捨てればどのみち彼女は死ぬ。それでいいのか? 俺はそれを見過ごせるのか? いやどうせ乗りかかった船なら――
「……トシロウ」
「なんだ」
「一緒に住もう」
「……そういうのは、俺が言うものなんじゃないのか」
先んじて言われてしまった提案に、トシロウは毒気を抜かれて眉尻を下げた。
「だめ?」
アンバーは可愛らしく首を傾げる。
「そうだぞテメー、一緒に住んでおけよ、ロリコンには願ってもない話だろこのロリコン」
「黙って、オウルバニー」
小声でまくしたてるオウルバニーを、アンバーは冷たくつっぱねる。その様子にほだされたわけではないが、トシロウはハァと息を吐いた。
「わかったよ」
トシロウは自分よりもはるか下の位置にあるアンバーの頭に手を置いた。
「ただし、服は自分で着れるようになれよ」
*
無線から漏れ聞こえていた内容に、男は焦っていた。
自分はなんてことをしてしまったんだ。カーネファミリーといえば、かなりの大物マフィアじゃないか。そんなやつらに目をつけられたら、そのうち俺も殺されちまう。
一刻も早く逃げなければ。
男は慌てて荷物を鞄に詰めはじめた。そんな緊迫した状況に相応しくない、鈴を転がしたような可愛らしい声が壁際から響いたのはその時だ。
「失敗したの?」
バッと振り返ると、そこには燃えるような赤い髪をした少女が立っていた。
「ガ、ガーネット、これは……!」
弁明をしようとした男の額に穴が開く。少女の手にはサイレンサーつきの拳銃が握られていた。
「折角、檻の中から出してあげたっていうのに」
少女は濃い赤色をした目を細めて男に歩み寄ると、その死体をぐり、と踏みにじった。
「本当に使えないやつ」
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