第1話「ハローワールド」 04

「色々考えたが俺に子供向けの料理は作れん。お前の方がこういうのは得意だろう、ユェン」


「俺だってできねえよ! 無茶言うな!」


 翌朝、目を覚ましたアンバーを連れて、トシロウは『Jeweler』に降りてきていた。アンバーの背中にはオウルバニーも背負われているが、降りてきてから一言も発しない。どうやら喋るつもりは無いようだ。


 カウンター越しにユェンと向かい合い、トシロウはカウンター奥の片隅にある小さな調理場を指さした。


「レトルトか何かあるだろう? 一応飲食店なんだから」


「あるけどよお」


 ぶつぶつと言いながらもユェンは調理場に向かっていく。


「あれだろ? 子供はスパゲッティとか好きなんだろ?」


「好きなんじゃないか? 知らないが」


 ユェンは大きめの鍋を火にかけ、棚の奥の方から乾麺の束を取り出した。そうして、ものの十数分後には、アンバーの目の前にはレトルトをかけたスパゲッティが置かれていた。


 アンバーは目の前のスパゲッティを興味深そうに見つめた後、トシロウを見上げて訴えた。


「私に経口摂取はあまり意味がない」


「は?」


 トシロウが聞き返すと、アンバーは繰り返した。


「私に経口摂取は意味が――もぎゅ!」


「いいから食べておけ」


 フォークに巻き付けたスパゲッティを口に突っ込んでやると、アンバーは一瞬硬直した後、もごもごと口を動かしてそれを咀嚼し始めた。


「ちょうどいいユェン、俺にも作ってくれ」


「おめーは固形食糧でも食ってろ!」


 まあ余ってるからやるけどよ、とユェンはトシロウの前にもスパゲッティを取り分けた。それに手を付けようとしたトシロウの腕を、アンバーは掴んで止めた。


「トシロウ」


 振り返ると、心なしか据わった目でトシロウを見るアンバーがそこにいた。


「もっと経口摂取する」


「お、おう」


 圧のようなものを感じたトシロウは戸惑いながらも頷き、持っていたフォークを差し出した。


「自分で食えよ」


 こくりとアンバーは首を縦に振る。そうして、無言でスパゲッティを口に運び始めた。思わずユェンはアンバーに尋ねていた。


「うまいか?」


「……うまい?」


「おいしいか、って聞いたんだよ」


 アンバーは停止して考え込んだ。どうやらその言葉を反芻しているようだ。


「おいしい……」


 ぼんやりと呟いた言葉に、ユェンはどうにも嬉しくなって相好を崩した。


「そうかそうか、食え食えもっと食え」


 ユェンはアンバーの頭に手を置いて、がしがしと掻きまわす。その様子をトシロウは若干引きながら見ていた。


「……ユェン、お前子供好きだったんだな」


「き、気持ち悪いこというなよ、んなわきゃねえだろ」


 ぱっと手を離して、ユェンは弁明する。そうしてトシロウの方を振り返り、トシロウの顔を見て思わず噴きだした。


「ガキかよ、ぶふっ……」


 きょとんとするトシロウの頬には、スパゲッティのソースがついていたのだ。ユェンが笑いをこらえていると、アンバーはおもむろに椅子の上に立ち上がり、トシロウの頬にぺろっと舌を這わせた。


「おいしい」


 そう言うと、満足そうにアンバーは元の通りに椅子に座った。トシロウは予想外の出来事に目を瞬かせたあと、混乱の末に的外れなことを口にした。


「……お前、そういうこと他の奴にはするなよ」


「まるでトシロウ相手にならいいみたいな言い方だな」


「よくない」


 焦りを隠すように、トシロウは懐からタブレットケースを取り出すと、白の錠剤を一つ取り出して口に放り込んだ。


 がりがりとそれを噛み砕くトシロウに、ユェンは眉をひそめる。


「トシロウ。あんまりやりすぎるとそのうち戻ってこれなくなるぞ」


「……もう十分戻れなくなってるよ」


 そうやって自嘲し、トシロウはもう一つタブレットを取り出してアンバーに差し出した。


「アンバー、お前も飲んでおけ」


「お、おい、トシロウ! んなガキ相手に……!」


「こいつはジャンキーだ。昨日も発作を起こしてひどい目にあった」


 タブレットを両手で受け取りながら、アンバーは首を傾げる。


「今日は飲ませてくれないの?」


「甘えるな。噛み砕けばお前でも飲めるだろう」


「待て、昨日はお前が飲ませたのか?」


「成り行きでな」


「……どうやって?」


「口移しだ」


 何でもない事のように言うトシロウに、ユェンは一歩距離を置いた。


「……なんだその顔は」


「いや、何でもない。何でもないさ」


「……ならいいんだが」


 トシロウはユェンに訝しげな視線を向け、アンバーがスパゲッティに夢中になっている。そんな平和な一時を過ごしていた三人だったが、ユェンとトシロウはある物音に気付いて、同時に入口のドアを見た。


 複数の車が酒場の前に乗りつける音。荒々しい足音がドアの向こう側に集まってくる音。


 咄嗟にユェンはカウンターの後ろに隠れ、トシロウはアンバーの手を引いて床に伏せ、跳ね上げて倒した机の後ろに隠れた。


 直後、酒場のドアが乱暴に開き、複数の銃口が店の中に向けられた。


 激しい銃声が辺りに響く。音と銃弾の量からして、ただの拳銃だけではないようだ。恐らくマシンガンかそれに類するものを持ってきている。


 机を盾にしながらトシロウとアンバーはカウンターに近付き、途中、連中のうちの一人の顔を窺った。その顔には見覚えがあった。


「あいつら――昨日の奴らだな」


 それは昨日、アンバーの鞄を運んできた男たちの一人だった。警察に捕まったはずだが、恐らく金を積んで釈放されたのだろう。


「これだからこの街の警察ってやつは」


 そうやって毒づくと、ユェンも「まったくだ」とそれに同意する。そうしている間にも、絶え間なく銃声は響き、止む気配は一向になかった。


「これは正面突破は無理だな」


 カウンターに背を預けながら言うと、ユェンは少し考え、胸ポケットから取り出した何かをトシロウに投げて渡した。


「おい、トシロウ」


 ちゃりん、と音を立ててトシロウの手の中に納まったのは、可愛らしいキーホルダーがついた鍵だった。


「裏に停めてある。使え」


 ユェンが親指で裏口を指さす。トシロウは頷いた。


「恩に着る」

「あとでちゃんと返せよ」

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