第1話「ハローワールド」 03

 深夜、再び降り出しそうな空を睨みつけながら、トシロウは『Jeweler』の戸を開いた。まばらに戻り始めた客たちの横を大股で通り過ぎ、店の奥の戸に身を滑り込ませる。


 階段を上り、突き当たりの自室の戸を開くと、そこではアンバーが椅子にちょこんと腰かけてトシロウを待っていた。


「おかえり、トシロウ」


「あ、ああ、ただいま」


 もう何年も聞いていない言葉をかけられ、トシロウは混乱しながらも返事をした。そんなトシロウの目の前に、小さな影が跳ねるようにして近づいてくる。


「どこ行ってたんだよテメー! 俺様たちをこんなに待たせやがって!」


 キーキーわめくオウルバニーの横を通り過ぎ、アンバーの前に立つ。


「無視かよオイ!」


 トシロウは、露店の古着屋から買い取ってきたみずぼらしい子供服を差し出した。


「ひとまずこれに着替えろ。目立って仕方がない」


 アンバーは立ち上がり、服を受け取った。


「ついでに風呂にも入ってこい。……一人でできるな?」


 親指で背後にあるシャワールームを指す。アンバーは服を両腕で抱え、無表情のままトシロウに訴えた。


「脱げないし着れない」


「は」


「脱げないし着れない」


 その言葉の意味を噛み砕くのには数秒を要した。


 自分じゃ脱げないし着れない、ということは誰かがそれを手伝ってやらなきゃならないということで、この場でそれができるのは――


 硬直しているトシロウにオウルバニーが歩み寄ってくる。


「オイオイオイ、いやらしいこと考えてんじゃねえぞ、このロリコン! どうせラッキーだとでも思ってんだろ! ついでにあんなことやこんなことしようとでも思ってんだろ!」


「――あ?」


 自分でも驚くほど低い声が出た。オウルバニーの頭を鷲掴み、そのまま片手で持ち上げる。


「な、何しやがる。暴力か? 暴力を振るおうってのか? へへーん、この俺様がそんなもんに屈するかよ! お前なんて怖くな――アーッ!」


 アンバーが詰め込まれていたトランクの中に、オウルバニーを叩きこむ。そして奴が脱出する前に、淡々とトランクを閉め、鍵をかけた。


「出せ! 出しやがれ、こんちくしょー!」


 しばらくの間、トランクの中からはばたばたと騒がしい音がしていたが、やがて静かになった。トシロウはアンバーをシャワールームの前まで連れていき、おそるおそる彼女のドレスに手をかけた。


 全くもってどう脱がせたらいいのか分からない。大人の女性の――あのけばけばしい化粧の彼女たちのドレスならばまだ分かりやすいが、こんなフリルをふんだんに使った可愛らしいドレスなんてお手上げだ。


 しかし一人で脱げないということは、きっと自分では手の届かないところにホックでもあるのだろう。その場でぐるぐるとアンバーを回転させ、背中の上の辺りに小さなホックがあることをトシロウは発見した。


 ホックをはずし、ゆっくりとチャックを下ろす。じじ、と音を立てながら白い下着が姿を現した。そのまま下に引っ張って脱がせようとしたが、どうやらスカートの中で何かが引っかかっているようだ。


 トシロウは嫌そうな顔をして躊躇ったあと、アンバーのスカートをめくって、引っかかっていたパニエを引きずりおろした。


 ドレスを下に引っ張って脱がせると、アンバーの身を包むのはシャツとドロワーズだけとなった。


 ――下着の下に透けたアンバーの左胸に、普通の人間ではありえないものがあったように見えたがきっと気のせいだろう。そこまで関わるつもりはない。トシロウはアンバーの背中を押してシャワールームの中へと連れていった。


「……流石に下着は自分で脱げるだろう」


 アンバーは少し迷ったあとにこくりと頷いた。


「いいか、ここがシャワーの蛇口だ。ひねればお湯が出る。シャワーを浴びたらそこのタオルで体を拭くんだぞ」


 どうせ分からないだろうとトシロウはアンバーにそう教える。アンバーは真剣な面持ちでそれを聞いていた。


「シャワー浴びて下着まで着たら呼べ」


 ぴしゃりと音を立てて、シャワールームの扉を閉める。半透明のそれに背中を預けて、トシロウはシャワーが済むのを待つことにした。


 しばらくして、シャワー音が響き始める。ちゃんとシャワーを浴びられているのかは少し気になったが、中の様子を想像するほどトシロウは変態ではない。腕を組んで目を閉じ、しばらくの間そのまま待っていると、不意にゴン、と鈍い音がした。壁に頭でもぶつけたのだろうか。


「アンバー?」


 一応名前を呼ぶも返事はない。振り返ると、今までぼんやりと見えていたはずのアンバーの影が消えていた。


「アンバー……!?」


 慌てて戸を開ける。シャワールームの床ではアンバーが倒れて身を縮こまらせていた。


 呼吸は浅く、速い。目は見開いている。手足が細かく痙攣し、唇は紫色だ。その症状には嫌というほど見覚えがあった。


「お前もジェム中毒者(ジャンキー)か……!」


 咄嗟にアンバーを抱き起こす。アンバーは焦点の合わない目でトシロウを見た。


「くそっ」


 髪が水に濡れるが、気にしていられない。髪の毛からぽたぽたと雫を垂らしながら、トシロウは懐からタブレットケースを取り出した。


「飲め、飲まないと死ぬぞ!」


 白いタブレットをアンバーの唇に押し付ける。しかしアンバーは首を横に振った。


「私に、経口摂取は、あまり意味がない……」


 アンバーの震える手で、腕を掴まれる。


「心臓の、炉にくべないと、」


 何を言っているのかは分からなかった。しかし自力ではタブレットを飲めないことだけは理解し、トシロウは新しいタブレットを取り出して自分の口に入れた。


「……噛むなよ?」


 そう前置きし、アンバーの唇に自分の唇を重ねる。口の中に舌を入れて、舌の上に乗せておいたタブレットを無理矢理アンバーの喉奥に押し込む。アンバーの喉がごくりと鳴った。


 唇を離すと、アンバーはごほごほどと咳き込んだ。だがタブレットは無事に飲みこんだようで、口からタブレットが吐き出されることはなかった。


 それから十数分、アンバーはぼんやりと目を開けたまま浅い呼吸を続けていたが、やがて目を閉じると、安定した寝息を立てて眠り始めた。


 トシロウはシャワーを止めて立ち上がり、アンバーを抱え上げた。否が応にもアンバーの裸体が視界に入る。トシロウはその中の一点を見て、嫌そうに目を細めた。


 見間違いではなかった。


 アンバーの左胸には金属製の何らかの機械が埋め込まれていた。機械は鈍い光を放って、明滅している。――おそらくは疑似心臓だ。


 トシロウはアンバーの体を拭き、服を着せた後、彼女を自分のベッドに寝かせた。窓の外は朝に近付いているようで、だんだんと明るくなっている。


「厄介なもの背負いこんじまったな……」


 トシロウはため息を吐いた後、自分もタブレットを口に入れて噛み砕いた。


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