#036 オーバーヒート

 雷光らいこうが地を疾走はしる。

 輝きはふたたび立ち上がろうと両膝を床につけ、上半身を起こしていたキリヒトを貫いた。


「間に合ったか?」


 予想以上だった相手の復元能力に内心、驚きながらも結果を見届ける。

 組み上げられた魔術が男の体内で展開された瞬間、怒涛どとうの勢いでやつの全身から黒い炎が燃え上がった。


「ぐおおおおおおおっ!」


 それは力の暴走。無限の生命力と永遠の自己再生能力が際限なく繰り返されていく驚異の光景だった。

 やがて炎の中から男が立ち上がる。

 黒炎がゆっくりとしずまっていき、不敵に笑うキリヒトの表情が少しづつ垣間かいま見えてきた。


「何が起こったのかと思ったが……。どうやら、貴様の狙いは失敗したようだな」


 再生を確信した無敵の転生勇者がみずからの右腕を目の前に掲げてみせる。

 だが……。


「なんだ? この腕はどうして……!」

 

 視界に映ったであろう異形の肉塊にとまどいの声を上げた。

 やつの右腕は、およそ人のものとは思えないほど奇妙にねじれた形をしている。


「ど、どういうことだ!」


 急いでもう片方の手を確かめる。結果は同じであった。

 キリヒトの両腕は、いずれも指一本ままならない状態で復元されている。

 それは壊れた箇所をまともに整形もせず、無秩序に治癒した結果であろう。


「おれの計画は成功している。キリヒト、もうお前にはこれ以上の戦闘は不可能だ。さっさとこの世界から消え失せろ!」


 まだ状況をつかめていない相手に強く言い放つ。

 申し訳ないが、いまのおれには親切に事情を明かす思いやりの精神や、静かに諭すような心の余裕もない。

 なんでもいいからさっさと決着がついてくれと、ただひたすらに願っていた。


「ほざくな、貴様ごときが!」


 怒りに我を忘れたようにやつが大きく右足を蹴り上げる。

 しかし、派手すぎる動きはむしろ支える側の靭帯を一瞬で破壊し、またしても床の上に激しく倒れ込んだ。

 同時に黒い炎がたちどころにキリヒトの下半身を包み込む。


「無茶はよせ。残り少ない命をいたずらに削るだけだ」


 おそらく転倒の勢いで脚の骨がいくつか折れてしまったのだろう。

 さかる炎が怪我の具合を教えてくれた。

 またたく間に再生は終わり、キリヒトが自分を取り戻す。

 再度、立ち上がろうと、つま先で硬い床に踏み込むがうまくいかず、そのまま前のめりに転倒した。


「な、なんだ? さっきからおれの体はどうなっているんだ……」


 さすがの転生勇者もいよいよ自身の体の調子がおかしいことに気づき始めていた。

 通常、人体は怪我や病気をわずらった場合、自律的に対処する。

 外からの病原菌に対しては体温の上昇や白血球の増殖、擦傷さっしょうには発熱による部位の止血作用や血小板を用いての傷口の保護。

 折れた骨は癒着ゆちゃくする際、怪我する前よりも大きく結合し、断裂した筋繊維は復元する場合、以前よりも太く強く細胞を構成する。


「キリヒト、お前の力は強すぎるんだ。無限の力が決して無敵ではないことをいまこそ思い知れ」


 人間は健康であれば傷ついた体を一〇〇パーセントで癒やす生き物ではない。

 オーバードーズによって元よりも頑健がんけんで強い肉体へと変化させていく。

 では、その力を際限なく強めればどうなるか。

 折れた骨は矯正するいとまもなくいびつな形で結合し、神経を圧迫する。

 傷口は大きく盛り上がった状態で修復され、可動域をいちじるしく損なう形状へと変化する。

 いまのキリヒトはまさしく暴走した復元力による悲劇の産物であった。

 さらに無制限の再生能力はもうひとつ、人体にとって致命的な現象を引き起こす。


「ごふっ……。こ、これは?」


 前触れもなく、やつの口元から大量の血があふれ出した。

 流れ出した鮮血は上着を汚し、唇の両端からはなおも治まらない出血がふた筋の流れとなって、とめどなくこぼれている。


「馬鹿な! おれの肉体が壊れていく。無敵なはずのおれが、なぜだ……」


 男の全身はいつの間にか病魔にむしばまれていた。

 それも容易には根治が適わない重篤じゅうとくな症状である。

 再生の過程で創り出されていく膨大な数の細胞。その最中に生まれる、いくつかの変種。

 本来の役割を離れ、際限のない分裂によって生命を危機におとしいれる悪性腫瘍しゅよう

 キリヒトの体は、いままさに頼りとする無限の再生力によって瀕死の状態に追い込まれていた。


「やっぱりか……。免疫系までは都合よく働かなかったようだな」


 免疫めんえき機能の網をすり抜け産み出された小さな肉塊は、すぐに細胞分裂を繰り返し、そこから千切れた変種細胞が血管内を巡って全身に播種はしゅしていく。

 やがて肺や骨に転移した細胞は多臓器で増殖と浸食を開始し、最終的には宿主の生体機能すべてを破壊する。

 こうなれば生命そのものが終焉を迎えるわけだが、目の前の男は自身の能力が災いして容易には事切れなかった。


「ふざけるな、どうして、おれが……。おれは……むてき……の」


 混濁こんだくしていく意識と同時に、やせ細っていくキリヒトの肉体。

 暴走を始めた能力は黒い炎となってやつの全身を燃焼剤にどこまでも燃え広がる。


「せかい……を……てにする」

 

 やがてその姿は骨と皮だけに成り果て、ついにはそれらさえも黒炎はことごとく燃やし尽くした。

 あとに残るのは、キリヒトが身につけていた黒を基調としたいくつかの衣装。

 炎は灰すらも細やかな粒子となるまで死と再生のループを繰り返し、ついには空気中を漂う微粒子にまで宿主の存在を風化した。

 壁に作られた穴から新鮮な空気がホールに流れ込む。

 目には見えないほど細やかな灰塵かいじんは、上昇気流に煽られて粒子を天井付近にまで撒き散らした。

 転生勇者『轟矢切理人(ゴウヤキリヒト)』は、ついにこの世界から消え失せたのだ。


「……ようやく勝てたか」


 安堵して力なく片膝を地面につける。

 ただの疲労とは違う、目的を達成したあとの心地よい安心感とそれに続く脱力感。

 一時的とは言え、おれはみずから立つことが困難なほど疲れ切っていた。

 そこに壊された大扉のうしろから完全武装の兵士たちが室内になだれ込んでくる。

 頃合いを見計らい、おれとキリヒトの戦いに決着がついたのを確認して入ってきたという感じか。


「ようやくのお出ましかよ」


 賢明な指揮官だ。おかげな無駄な犠牲を出さずにすんだ。

 なぜだか責めるよりも感謝する方に気持ちが傾いていた。

 これも勝てたからこその余裕である。


「動くな! 貴様が許しもなく城内に侵入し、狼藉を働いた犯人だな。国王親衛隊が身柄を確保する。おとなしくしろ」


 喜んだのもつかの間。なぜだか親衛隊を名乗る連中は、おれを取り囲んで拘束しようとしていた。

 その数、およそ数十人。

 おい、待て。これって、おれがキリヒトと勘違いされているのか?

 せっかく、ほめたのにこの有様である。


「いやいやいやいや、なんでだよ……」


 心を落ち着けて現在の状況をいま一度、確認する。

 おれはキリヒトのあとを追いかけて城へと乗り込んだ。

 そしてやつと戦い、倒したのちに城内を警護していた王家の親衛隊とやらに囲まれている。いまここだ。

 彼らの言い分は、おれが怪しげな侵入者で王にあだなす存在だと決めつけているらしい。

 なるほど、前半は間違っていないな。

 後半もおれとキリヒトの雰囲気がよく似ているという点を勘案すれば、あながち的外れというわけでもなかろう。

 

「冗談じゃない、おかしいだろ!」


 やっぱり異世界は転生勇者につくづく厳しかった。

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