#019 堕ちた英雄

 おれたちが降り立ったのは、またしても河沿いの街道だった。

 だが最初の時よりは街に近く、市街を囲む背の高い防壁と所々に設置されている見張り台が視界に見えている。


「ここは……? 最初に見た、あの街か」


 城門は大きく開かれていた。

 日もまだ高い白昼はくちゅうであれば、それは取り立てて不思議でもない普通の光景だが、異様なのは門を抜けて多くの人たちが街道にあふれ出ている状況だった。

 人々は着の身着のままに街道を進んでいて、中には乳飲み子を胸に抱えたまま、山の方に向かっている親子も見かけた。


「なんだ? 街で何が起こっている……」


 突然の状況に驚きながら、おれは隣にいるサクヤに問いかける。


「ライトさん、あれは?」


 こちらの質問には直接、答えずにサクヤが上空を指さした。

 言われるままに視線を空に投げかける。

 見れば、壁の内側から何本もの黒い煙が見えていた。


「火事か! いや、あの煙の立ち上り方……。意図的に火の手が上がっている?」


 さらには逃げるように街道を進んでいるたくさんの人々。

 これは街の中で騒ぎが起こっているようだ。


「いってみよう。嫌な予感がする」


 はやる気持ちに押されて、人混みの中を縫うように進んでいく。

 途中で荷車を引いている気の良さそうなおじさんがこちらに声をかけてきた。


「あんたたち、いまから街に向かうのか? やめておけ、下手をすれば命を落とすぞ」


 告げられた警句に思わず足が止まった。

 事情を知りたくて、相手のそばに近づく。


「どういうことだ。詳しく教えてくれ」


 男が引いている荷車には、少しばかりの品物に年を取った女性と小さな子供が乗り合わせていた。

 家族か、もしくは見捨てるわけにもいかずに途中で拾ったのか。

 いずれにせよ優しい人物であるようには感じられた。


「街で何があった? あの黒い煙。それに、みんなどうして逃げ出している」


 矢継やつぎ早に質問を繰り出す。

 訊きたいことは、みな同じなのだろう。何も知らずに危険だからと追い立てられて街をあとにした人たちも多そうだ。

 おれ以外にも足を止めて男の答えを待っている人影がちらほらと現われていた。


「きっと、あの男が来たのさ。黒ずくめの恐ろしい術を使う男だ……」

 

 やはり、そうか!

 キリヒトだ。怒りの形相から国王への復讐をたくらんでいたのは間違いなさそうだった。

 それにしても街を襲うとは、もはや勇者の所業ではない。


「今日は王女殿下の婚姻の儀が王宮で執り行われる予定だった。近隣諸侯のあるじたちや数多あまたの国々より大使や代理の貴族たちが参列する予定だったのに、やつのせいですべてが台無しだ! 街中もいつもより人の数が多い。そこに混乱を起こすため、あの男は野盗や狼藉物ろうぜきものたぐいを引き連れてここを襲わせたのさ。いまや、市街は獲物を求める盗賊共と自警団の連中が殺し合いをしている最中だ!」

「王宮の兵士たちはどうした?」


 おれのうしろから誰かが叫ぶような声を上げた。

 憤懣ふんまんやるかたないという思いが言葉に込められている。


「兵たちは貴族や、その取り巻きを護ることだけに動いている。おれたちのような平民の命など二の次だ!」


 ここぞとばかりに不平の声があちこちから聞こえてきた。

 これは……。いろいろとやばいな。

 王の兵たちが貴族の盾になるのは別におかしなことではない。

 彼らの命はまさしく主君とそこに連なる者たちを護ることに捧げられており、これこそが騎士の本懐なのだ。

 領土領民を守護するのは、あくまでも領主の責任に過ぎない。


「騒ぎに乗じて外から入り込んだ盗賊が、おれたちの家をめちゃくちゃにしている! 明日からどこで暮らせばいいんだ……」


 キリヒトは数多くの貴賓きひんたちが列席するであろうこの日をあえて襲撃の機会に選び、王の名誉と民衆の不満というふたつの要素をまとめて損なおうとしている。もはや国家転覆をはたらく反逆者の行為だ。


「やることがいちいち派手で目立ちたがり屋だな。いかにも転生勇者っぽい思考回路をしている」


 このままではいけない。

 相手のやりたい放題を許せば、世界は歪められ、物語は初期の構想そのままに転生勇者が地上を支配して終わりのない戦いが続いていく。


「やつを止める。どうやらそれしか物語を終わらせる方法がなさそうだ」


 おれは近くにいるサクヤへ聞こえるよう大きな声で伝えた。


「サクヤ、君はなぜキリヒトがこうした手段に出たのか調べてくれ。おれは街に向かう。このままにしてはおけないからな」


 相手の目的を探るよう言い渡し、少女を置いて動き出そうとする。


「お若いの。それでも街に行くのかね?」


 最初に声をかけてきた、荷車を引いた男がこちらに問いかけてくる。

 おれは無言のままで顔を縦に振った。


「そうかい。いや、すまないな。最初はあんたのことをあの男の仲間かと疑っていたんだよ。身なりがよく似ていたんでな。だが、落ち着いて考えれば、やつの仲間がこんな場所にいるわけがないな。すまない……。謝りついでにひとつ頼み事をしてもいいだろうか?」


 男は丁寧に頭を下げたあと、おれに対して願い事を口にする。

 疑われていたのは心外だが、まあ誤解されるような見た目をしていたのはこちらの不徳だ。

 無粋ぶすいに断るのも居心地が悪い。

 やれるかどうかは別にして、聞くだけは聞いてみるとしよう。


「なんだろう? おれで務まることだったらいいんだがな……」


 謙遜けんそんしながら答えてみせる。

 その声に相手の男は少しばかり表情を明るくさせ、言葉を続けた。


「さっきも話したが、街の自警団がいまも盗賊相手に戦っている。と言っても、普段は暇を持て余しているゴロツキみたいな連中だ。それでも彼らは我々を逃がすため、みずから敵の前に立ちふさがってくれた。あんたはきっと強いのだろう? だったら、あいつらを助けてやってくれ」


 なんとも泣ける話だ。

 男は話を続けながら、荷台に腰を下ろす年老いた女を見やった。

 そいつらのお陰で無事に逃げられたというわけか……。


「わかったよ。見かけたら必ず手助けさせてもらう。名前は?」

「アドベルだ。あんたくらい背が高くて、少しばかり目つきが悪い。ほかにも数人、仲間がいる。みんなこの街の出身者だ、よろしく頼む」


 告げる男の声はどこか誇らしげにも聞こえた。

 おれは最後に小さく「了解した」と答えて、人の流れに逆らっていく。

 行きかけの駄賃とは言え、おかしなことを託されたものだ。


 ◇◇◇


 城門から見える市街の様子は悲惨だった。

 のきを連ねた商店や家屋は例外なく荒らされ、方々ほうぼうから火の手が上がっている。

 倒れているのは逃げ遅れた住民と彼らを守ろうとした衛兵か。


「これはひどいな。まるで見境みさかいなしかよ」


 門を抜けてすぐの場所からでは全体でどの程度、盗賊たちが街に入り込んでいるのか正確には察しようもない。

 だが、被害の広がりから考えれば一〇や二〇という感じではないだろう。

 おそらく賊共は現在、さらなる獲物を求めて街の中心部へと向かっている最中だろう。喧騒けんそうが遠く建物の彼方から風に乗って届いてくる。


「キリヒトはどこだ?」


 騒動を起こした首魁しゅかいの行方を想像する。

 やつの性格と目的を考えれば、最終的な狙いが王宮であるのはまず間違いない。

 しかし、真正面から堂々と乗り込むだろうか?


「それはないか……」


 実力で正門せいもんを開ける力は持っているだろうが、スマートさに欠けるやり方だ。

 暴漢に市街を襲わせたのは、あくまでも副次的な効果を期待しただけ。

 狙ったのは、事態の混乱と情報の錯綜さくそうか。

 とにかくいまは王宮へ向かうしかない。


「城はどこだ?」


 辺りを見渡して、それらしい建物を探す。

 すぐに見つかった。入った城門から見て、左手。

 ゆるい坂道が続いている先に城郭じょうかくを囲む防壁と背が高い尖塔の一部が見えた。


「あれか!」


 目指す場所を視界に認め、進むべき道を探す。

 正面の大きな通りを道なりに進んで、中央の広場から左に向かえば比較的、迷わずにたどり着けそうだ。

 広場に向かって走り出す。

 途中の路地の様子を可能な限りつぶさに確かめていくと、表通りと同じようにそこかしこで荒らされているのが見えた。


「思ったより被害の拡大が激しいな……」


 予想以上に入り込んだ賊の数は多いようだ。

 その時だった。

 連なり合う家屋のすき間を通る脇道。

 そこから突然、人影が飛び出してきた。

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