#005 ヒロインは現れる

「そうは言われても、まだなんの実績も果たしていない人に点はつけられないというのが上層部の判断です。こればかりはわたしの方でもどうしようもありません」


 申し訳なさそうにミネバが答える。

 ちっきしょー。運営もわかってて、クレーム対応にこの子を置いているわけだな……。

 これでは、おれが無理強いを迫る悪質クレーマーの構図だ。


「上等だ! それなら徒手空拳としゅくうけんで敵地に乗り込んでやる。兵站へいたんの現地調達が戦線にどれだけの負担をかけ、戦局の不利を生じさせるのか、この手で証明してやろうじゃないか、覚悟しろよ!」


 まなじりを決して上空を仰ぎ見る。

 見下ろしているのであろう上層部に向かって、一兵卒の生き様を示した。


「あ、ちょっと待ってください。実はもうひとり同伴者が随行する手筈てはずなんです」


 行き足の出鼻をくじくように待機を命じられる。

 まあ、おれとしても勢い任せに進もうとしていた感があるので、ここは逆にひと息つけられてありがたかった。


「そ、そうか……。あー、だったらちょっと喉をうるおしたいんだが水の飲める場所はあるかな? いつもとは違うテンションで口の中がガラガラなんだ」

「そうですか。では一度、地上に戻りましょう」


 ◇◇◇


 地面に到着した足場を降りて、おれは指示されたとおりに出口へと進んでいく。

 図書館内部では過度の湿気は書物に良くない影響があるとされ、配管すら為されていないらしい。

 必然、水回りはすべて館外に設置されているとのこと。

 徹底しているのだなと妙に感心しつつ、飲み水を求めて外に出た。

 ミネバはくだんの同伴者を探してくると言い、いずこかへ姿を消した。

 扉を抜けると外には石造りの広い通路が延びていた。四方すべてが同じような材質で囲まれ、雰囲気はさながら地下迷宮のようである。

 それでもここが外界であるという確かな証は、途中途中でくり抜かれた窓代わりの空気孔からのぞく外の景色。

 上に望めば果てしない空が広がり、下を見れば濃い霧のような雲海が一面を覆っている。現在位置がかなりの上空であると予想できた。


「本当に異世界なんだな、ここは……」


 自分の見知っている現実では決してありえない光景の数々。

 あまりにも幻想的な美しさに、つい立ち止まって見とれる。

 視界の端に落ちていく一筋の流水を発見した。ミネバに教えられた水飲み場がそこにあるのだろう。目星をつけて通路を進んでいく。

 ほどなく目的の場所へ到着した。

 閉ざされた扉の隙間から湿った空気が流れてくる。中からはバシャバシャと水のこぼれる音が聞こえてきた。

 おれは喉の乾きに耐えかねて躊躇ちゅうちょなく扉に手をかける。

 多分、ここで気づくべきだったのだろう。


「あ……」


 開かれた視界に人影が映る。女の子だ。すぐにわかった。

 なぜなら目の前の少女はちょうど水浴びの最中だったからだ。

 いや、待ってほしい。だからといって彼女のすべてを脳裏に収めたわけではない。

 誤解を避けるためにここはさらに詳しく目前の状況を伝えておくとしよう。

 こころして読んでほしい。

 女の子は頭から水に濡れた恰好かっこうで、おれの方に視線を向けている。

 きっといきなり現れた、なぞの侵入者に驚いたからだろう。

 肩まで届く黒い髪。水滴を弾く白い肌。身に着けているのは、黒と白の横縞模様のビキニだった。

 大事な部分は隠しているが、隠しきれていないのはスタイルの良さだ。


「す、すまない。使用中だったのか」


 迷った挙句に出てきた台詞せりふが家のトイレで家族と鉢合わせた瞬間、バツの悪さをごまかすときと大して変わらない。

 われながら経験の未熟さを痛感する。

 もっと余裕を感じさせる大人の態度で軽口のひとつも叩いてみたいが、きっと犯罪者扱いされるのがオチだろう。

 いやまあ、現状でもかなり犯罪なのだが……。


「いえ、大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと水着もつけてますから!」


 そう語って、少女は両手でビキニトップの紐を軽く引っ張ってみせた。

 いまの仕草で思春期の男の子の半分は確実に恋に落ちるだろう。

 思春期をとうに過ぎた成人男性の場合、可愛い女の子への耐性が相当、劣化しているので一〇〇パーセント恋愛感情を抱くはず。


「え? いや、ちょっと……。本当にいいの?」

「はあ……。別にわたしは気にしませんけど」


 女の子の非常にあっけらかんとした表情に、むしろこちらの方が気恥ずかしくなる。

 いいのか? 本当にいいのか?

 あとから料金が発生するシステムとかじゃないよな?

 これまでの人生で課金もなしに女子の水着姿を堂々と拝める展開など決してなかった。

 学校のプール?

 午後の教室でクラスの女子から変態呼ばわりされる勇気のなかったおれは、授業が終わるまでずっとそっぽを向いていた。

 いま思えば、ほんの少しの勇気を出せばよかったのかも知れない。

 まあいい、その分はいまこの瞬間に取り戻そう。


「あの、新しい転生者の方ですよね? わたしはバベル図書館のスタッフで”サクヤ”といいます。どうぞよろしくお願いしますね」


 自己紹介と同時にサクヤは両手を腰の前で重ね、小さくお辞儀をした。

 自然に形成された胸の谷間がこれでもかと強調される。

 ただでさえ水に濡れた肌がなまめかしく映っている最中だ。

 雰囲気に弱い男子なら、いまにも抱きしめてしまいたくなるほどの破壊力がある。

 無論、おれは分別も常識もわきまえた立派な大人だ。

 伸ばしかけた腕を寸出すんでのところで引き止める。

 ああ、やばいやばい……。あと少しでリアルな犯罪者になるところだった。


「よ、よろしく……。あ、もしかして君がミネバの探しているおれの同行者なのか?」

 

 自分に都合の良い展開を期待して相手にたずねる。

 旅にはお供として可愛いヒロインがついてくるのは定番中の定番だ。


「はい! と言っても、わたしが他の転生者さんと一緒に行動するのは今回が初めてなんです。ご迷惑かけないようにしますので、よろしくお願いします」


 育ちの良さを感じさせる丁寧な物腰。

 おれの中の好感度メーターが一瞬で限界値を突破した。


「そうなのか。まあ、気楽に行こう。楽しんで事に当たるのが一番だよ、きっと」


 つい浮かれたような口調になる。

 それを大人の余裕と勘違いしてくれたのか、サクヤは少しだけ緊張を解いて照れたように答えた。


「あの。やっぱり、大人の方は頼りがいがあるんですね……。わたしなんて、ずっとこうして水浴びでもしていないとなんだか落ち着かなくて……。あ! それでお出向かえにもいかなくてごめんなさい! 実はわたし、転生と言っても前に生きていた頃の記憶が全然、ないんです。なんだか、子供っぽくて申し訳ありません」


 サクヤは胸の前で手を重ね、自身のいたらなさに忸怩じくじたる思いを抱いているようだった。

 そんな年若い少女の独白を聴かされたおれはといえば…………。

 じつのところ興奮しすぎて、いまにも我を忘れてしまいそうだった。


 JKだ! JKだ! 絶対にJKだ! どこかあどけなさを残す表情に不釣り合いなほど成長した体。自分が他者からどのように見られているのかを未だ理解できていない危うさ。それゆえに少女と女性の狭間を揺れ動くアンファンテリブルな立ち振舞い。見るものに青春の素晴らしさと過ぎ去りし時間ときの残酷さをこれでもかと思わせる褪せた思い出の肖像。みずみずしい生の色彩を振りまきながら、それを見守るものたちの人生にセピアの退色を引き起こす原色の告死天使……」


「黙りなさい、DT」


 騒ぎを聞きつけたらしいミネバが、背中から一発で致命傷な殺し文句をおれに見舞った。

 どうやら、テンションが上がりきって心の中で思いついたポエムを段々と声に出していたらしい。

 ほら見ろ、サクヤがおかしなものを見る目でおれを見つめている。

 きっとうしろではミネバがあきれたような目つきでこちらを見下しているはずだ。

 もうやだあぁぁ! 死にたぁぁぁい!

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