第二話 宿り木

 新年の喧騒が、たなびきながらいつの間にか消えて。三学期が始まった。


 たおやかな女性の園とはいえ、世間から隔絶しているわけではなく。女子高も受験シーズンに突入している。もっとも、昨今は一般受験で大学に進む生徒が少なくなりつつある。推薦やAOですでに合格を決めている三年生は、自由登校になった途端に高校生としての生活を早々と切り上げてしまう。卒業するまでは厳しい校則の縛りがかかるから、はめは外せないにしてもね。


 僕は、生物室の窓から裸木になってしまった桜の木をじっと見下ろしていた。


「あの……」


 入り口の扉が小さくかたんと音を立てたのに気付いて、ふっと振り向くと。小柄な子が扉に半分隠れるようにして僕を見ていた。タイの色は赤。二年生か。


「なに? どこか分からないところがあった?」


 授業は出来るだけ噛み砕いて分かりやすく進めているつもりだけど、それでも専門用語までは砕けない。どうしても、聞きなれない外来語に悩まされる生徒が出てきてしまう。生物は、基本的にシステムを『覚える』学問だ。複雑な計算や深い思考を要求しない分、暗記要素が増える。そこで飽和してしまった子が、時々どうしようって言いながら生物室に流れ込んでくることがある。今度も、きっとそうなんだろうなと思ってたんだけど。


「牛島先生、ちょっと……聞いてもいいですか?」


 うーん。どうも勉強のことじゃなさそうだなあ。でも、色っぽい展開にもなりそうにない。というのも、その子がものすごく切迫感を漂わせていたからだ。


「なんだろ? 僕に答えられることなら」

「えと」


 きょろきょろと周囲の様子を気にしていたその子は、意を決したように足早に生物室の中に入ってきた。素早くネームタグを確認する。津田さん、ね。


「あの、あの」

「ん?」

「先生は、女の子が女の子を好きになるって気持ち悪いですか?」


 ああ、そういうことか。窓際に立ったまま、少しばかり苦笑する。


「好きな先輩がいる。もうすぐ卒業してしまう。自由登校だと、確実に会えそうなのは卒業式の時だけ。告白したいけど、どうしよう。違う?」


 図星だったんだろう。津田さんは顔を伏せたまま黙り込んでしまった。


「そうだなあ。好きっていう気持ちには、その対象にも深さにも範囲ってのがないんだよね」

「え?」


 津田さんが、ぱっと顔を上げた。


「たとえばさ。人に対する『好き』とモノに対する『好き』の間に、好きってことでは差がないの。じゃあ、なんで人に対する好きは、他の好きと区別してると思う?」

「んー」


 とすんと近くの椅子に腰を下ろした津田さんが、まじめに考え込む。


「好き、を向こうからも返してもらえる。双方向になるからなの」

「あ……」

「でしょ?」

「はい」

「それが双方向になる限り、対象はなんでもいい。僕はそう思ってる」


 ほっとしたんだろう。津田さんの表情が緩んだ。


「だけどね。双方向にするのは本当に難しいんだ。ほとんどの場合、どっちかに大きく偏る」


 僕は、窓外で寒そうに枝を揺らしている桜の裸木を指差した。僕の指先を追うようにして、津田さんがそこをじっと見つめる。


「あそこに、緑色のもさっとした塊があるでしょ?」

「はい」

「あれ、何か分かる?」

「いえ、分かんないです」

「ヤドリギっていうの」

「ヤドリギ、ですか」

「そう。半寄生植物。ヤドリギは、自分だけじゃ生きられない。取り付いた木から水と栄養を分けてもらって生きてる」

「わ!」

「でも、取り付かれた木には何もメリットがないんだ。想いは、ヤドリギから取り付いてる木への一方通行。好きになるっていうのは、そういう宿命を抱えてるってことだよね」


 想いを閉じ込めておけなくて辛かったんだろう。津田さんは、声を押し殺して泣いた。


「想いを見せないと、そもそも双方向にはなりえないよね。だから、よく考えてどうするか決めたらいいよ。僕はそれしかアドバイスできない」


 津田さんは、何度も手の甲で目を擦りながら生物室を出て行った。


「ありがとう……ございました」

「がんばってね」


◇ ◇ ◇


 緑濃い時期には、宿り木はその中に隠れて見えない。緑葉のベールを剥がされた今、その存在は隠しようがなくなる。


 過ぎ去ってしまった時間。いなくなった人。自分の周りに当たり前にあると思っていたものが欠けて初めて、自分の想いの強さや深さに気付くことがある。気付いて、その気持ちをどうにも出来なくなることがある。


「辛いだろうなあ……」



【第二話 宿り木 了】


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