第20話 帰りは色々……
「これはまた、大浴場って言うだけのことはあるわね……」
時刻は夕刻。開いたばかりの大浴場を見て、私は思わず口笛を吹いてしまった。
貸し切りなのでもはや意味も無い気もするが、いちおうここは女湯だ。アラムは当然ながら男湯である。
私は木で造られた湯船にそっと入った。ちょっと熱めのお湯だったが、それがまた何とも気持ちいいのだ。これよこれ。温泉というからには、やっぱりゆっくり浸からないとね。
「あーあ、今日の夕方には帰りか……」
明日からはまた仕事だ。気が滅入ってくるので、あえて考えないようにしていたのだが……。
「まっ、しゃーないか。十分息抜きしたしね」
誰でも休み明けは怠いものだ。今は考えないでおこう。誰もいないことをいいことに、私は平泳ぎで浴槽内を移動する。露天風呂もあったが、今日はやめておいた。
私は一通りお湯を堪能すると、脱衣所でちょっとのぼせかかった体を冷まし、汗を拭き拭き着替えた。着替えと言っても普段着ではない。汗をよく吸い取るタオル地の服だ。ガウンのようでガウンでない。何とも微妙な服である。
毎度思うのだが、せっかく温泉に入ってスッキリさっぱりしたのに、そのあと汗だくになって意味があるのかと……。まあ、それだけ温泉成分を吸収したということでよしとしよう。
部屋に戻ると、無駄に広い空間に置かれた無駄にデカいベッドで、アラムがスヤスヤ寝ていた。
「あーあ、お子様はもうおねんねですか」
クスリと笑い、私はベッドに潜り込んだ。アラムも温泉を満喫したようで、体がほかほか温かい。そんな彼をそっと抱きしめ、私もそっと目を閉じる。帰りの時間があるので寝るような事はしない。ただ目を閉じてアラムを抱いているだけ。明日からはまた忙しいのだ。こんな時間があってもいいでしょ?
「ん? あれ、シンシア?」
……ちっ、起きやがった。かくなる上は!!
「!?」
完璧なタイミングで撃ち出された私のゲンコツは、サッと避けたアラムには当たらずボスッと音を立てた。その次の瞬間、私は右手を取られ……。
「いだだだ!?」
右手首の関節をキメられ、そのままベッドに押しつけられる。
「なんでいちいち殴るかなぁ。アリシアらしいけど。
私の右手をキメたまま背中に座るアラム。
「あ、アラム、腕を上げたわね……痛いって!!」
人間の体というのは「首」と付く関節を一カ所でも押さえられると、それだけで身動きが取れなくなってしまうのだ。もがいても痛いだけなので、私は動かない事にした。
「そりゃ、アリシアといたら誰でも避けるテクニックが上がるよ。痛いの嫌だし……」
……くっそ、何たる不覚!!
「それじゃ、僕また寝るから……」
私の手を離し、アラムはまた布団に潜り込んだ。私はそっと体を動かし、彼を抱きかかえる。当初の予定では、起きた所をぶん殴ってもう一度「寝かせる」予定だったのだが……まあ、いいや。結果的に寝るのなら。私は自然と子守歌を歌い、アラムが静かに寝息を立て始めるのを待った。
「それ、何語?」
そのまま寝るかと思ったアラムが、眠そうに聞いてきた。
「私の母国語よ。共通語版もあるんだけど、私はこっちの方が好きなの」
世界で圧倒的に使われているのは共通語だが、もちろん母国語というものもある。共通語の方が便利なので、母国語を知らないという人も多いが、これでも王家の人間なのでちゃんと仕込まれている。
「そっか、いい歌だね。眠く……なっ……ちゃった……」
アラムはまた眠りに落ちた。それでも子守歌はやめない。そっとアラムの肩の辺りをトントン叩きながら、今はもう居場所がないであろう私の国を想っていた。
「私まで寝ちゃってどうするのよ!!」
私は自分自身に向かって怒鳴った。時刻はすでに夜。というか日付も変わろうかという深夜。気を遣って誰も起こしてくれないからこうなった。
「まあ、朝になっちゃうよりいいでしょ?」
隣に立つアラムがそういう。まあ、そうなんだけどさ。
「飛行船の用意が出来ました!!」
そんな声が聞こえ、私とアラムは船室に入った。あとは同行した兵士が乗り込めば、出発準備完了だ。
「ねぇ、こんな真っ暗で大丈夫なの?」
もはや風景は見えない。機械はさほど詳しくはないが、こんな闇を飛ぶというのは並大抵の事ではないはずだ。
「大丈夫だよ。船長は優秀だから」
アラムはそう言うが、どうも嫌な予感がする。そして、こういうときの予感は、今まで外れた事がない。
ふわりとした感覚があり、飛行船が空に飛び立った事を伝えてくる。なに、たった1時間半。大した事じゃない!! 私は何とか自分に言い聞かせたのだった。
……ほらね。当たった。私たちを乗せた飛行船は、どことも知れぬ海上上空を飛んでいた。夜明けと共に気がついた操舵室は大騒ぎになっているらしい。船長の説明によれば、コンパス上の進路をは正しいまま、強い横風で流されたとか。どこよここ……。
「いやぁ、参ったね……」
「ホント、参ったね……」
私とアラムは甲板で風を受けながらつぶやいた。推進用の燃料はあと6時間分。万一燃料切れになれば、この船はただ風に漂う風船となる。なので、今は推進器を止めてある。
「現在地不明、進路不明……とんだ温泉旅行になっちゃったね……」
「うん……」
諸悪の根源は私たちの寝坊が原因。ゆえに強くは言えない。
こうして、私たちの漂流旅行は始まったのだった……。
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