魔法協会
わたしはアルベリヒさんに連れられ、人の行き交う大きな道を歩いていた。
周りを見ても、わたしの住んでいた街に比べると随分と賑やかだ。王都だけあって、かなり規模の大きな街らしい。
あ、かわいいカフェがある。今度行ってみようかな。
「おい、何してるんだ。こっちだ」
アルベリヒさんに促され、カフェから視線を外すと慌てて彼の元へと駆け寄る。
彼は一軒の建物の前にいた。石造りの古めかしい建物で、入り口頭上に掲げらけた看板には
【魔法協会】
と書かれている。
「まじゅつしきょうかい? あの、ここって、何をするところなんですか?」
「この街の魔法使いや魔女を管理する場所だ。ここ王都では有事に備えて魔法使いの数を把握しておく必要があるからな。お前も例外じゃない。それに、登録しておけば協会経由で仕事を斡旋してもらえる事もある」
「そ、そんな立派なところにわたしなんて……魔法だって一種類しか使えないのに」
「関係ないさ。魔法のなかには『スプーンを曲げるだけ』なんてのも存在するんだ。それに比べたら全然ましだ」
それってフォローになってる……?
それにしても魔法の種類ってたくさんあるんだなあ。スプーンを曲げるだけかあ。何に使うんだろ。
考えているうちにアルベリヒさんがドアを開けたので、続いて後に続こうとした瞬間
「だ、だめ! 入ってきちゃだめーーーー!!」
一人の少女が、わたしたちの足元にずざざぁっとに勢いよく頭からスライディングしてきた。
「な、なんだ!?」
慌てたように足を止めるアルベリヒさんだったが、すぐ後ろを歩いていたわたしは止まりきれずに思いっきりその背中にぶつかってしまった。
「うわっ!?」
「ひぇっ!」
勢い余ったわたしたちは、折り重なるように床に倒れこむ。
「いたた……」
「……早くどいてくれ」
「す、すみません」
「まったく、なんだったんだ」
アルベリヒさんが髪をかき上げながら上半身を起こす。
と、その下からくぐもった声が聞こえた。
「うう、お、重いです……」
「アルベリヒさん、女の子が下敷きになってますよ! 早く立って!」
アルベリヒさんの手を引っ張って立たせると、下から現れたのは先ほどスライディングしてきたあの子だ。膝小僧についた埃を払いながらよろよろと立ち上がる。
「アイシャか。これは一体どういうわけか説明してくれないか? ここはいつから立ち入り禁止になったんだ? 使い魔も追い返されたようだし。わけがわからない」
「え、ええと、その……」
アイシャと呼ばれた少女は真っ赤になって上着の裾をぎゅっと握りしめている。年はわたしより少し下かな? おろおろと困ったように視線を彷徨わせている。
「申し訳ありません、アルベリヒさん」
その時、前方のカウンター内から落ち着いた女性の声がした。
眼鏡をかけた受付嬢らしきその女性は、眉尻を下げ、実に申し訳なさそうな笑顔をこちらに向ける。
「実はアイシャ、この建物の中で落し物をしてしまったみたいで。誰かが踏んでは大変だと目を光らせているんですよ。動くのも禁止だって言って……おかげで業務が滞ってしまって……」
「落し物? そんなことが原因で? 俺の使い魔が役目を果たせなかったのも、まさかそのせいなのか?」
「ええ、申し訳ありません」
女性は再び謝罪の言葉を口にした。
建物中の人間が活動を控えざるを得ないような落し物って一体……。
「ところで何を落としたんだ」
わたしの疑問を代弁するようにアルベリヒさんが受付の女性に尋ねる。
「あら、珍しい。アルベリヒさんが興味を示すなんて。いつもだったら『俺には関係ない』だとか言って、ところ構わず歩き回りそうなのに……まあ、それは置いておいて、落としたのは髪留めなんですって。ガラスの飾りが付いてるから踏んだら大変だって。だからわたしたちも下手に動き回れなくて」
「お前たち、アイシャに甘すぎるだろ……けど、そういうことならちょうどいい」
アルベリヒさんの瞳が妖しく光ったような気がした。
なんだろう、いやな予感。
「あら、なにか妙案でもありまして?」
受付嬢の言葉にアルベリヒさんは頷くと、わたしを前へと押し出す。
「魔女として登録しようと連れてきたコーデリアだ。彼女は失せ物探しの魔法が使える。今の状況にうってつけだと思わないか?」
「失せ物探し……?」
受付嬢は首をかしげる。
やっぱり。落し物に反応したアルベリヒさんを見て、こんなことになりそうな予感はしていた。でも、わたしはまだあの魔法がちゃんと使えるか自信がないのに。しかもこんなに人が大勢いるところで披露するなんて……。
しかし、失せ物探しと聞いた途端、アイシャさんがキラキラした目をこちらに向ける。
「魔法で探してくれるんですか!? あたしの髪留め!」
うう、そんなに期待を込めた瞳で見つめないで……。
「え、ええと、その、でも、成功するかわからなくて……」
「それでも構いません! ぜひ、お願いします!」
アイシャさんが真剣な様子でぺこりとお辞儀したので、それを見たわたしのなかにある感情が芽生える。こんな小さな女の子が必死になって探しているのだ。このまま放っておけない。もしもわたしの力が少しでも役に立つのなら彼女を助けたい。
「それじゃあ、あの、手を貸してください」
「手、ですか?」
「はい」
そうしてアイシャさんの手を取ったわたしは、深く息を吸い込む。協会の建物内はいつの間にか静まり返って、みんながこちらの動向を見守っている。
こんな中で歌うなんて恥ずかしいけど我慢だ。集中、集中……。
わたしは思い切って歌いだす。しんとした空気の中、わたしの歌声だけが流れる。
その時、視界がさあっと白い色彩で覆われた。同時に、何かの映像がまぶたの裏に浮かんできたので、わたしは目を閉じる。
若い男性が女の子の髪を撫でている。女の子は今よりも幼いアイシャさん。男性との関係性は不明だが、どことなくアイシャさんに面差しが似ている。
男性はアイシャさんになにかを差し出す。髪留めだ。布製のリボンの結び目のところにガラスの花が付いている。それを髪に付けてもらうと、アイシャさんは嬉しそうにくるりと回った。
次に浮かんだ映像は、窓の傍に腰掛けるアイシャさんの姿。頭にはあの髪留めがある。
アイシャさんは長いこと窓の外を眺めている。曇りの日も、雨の日も、ひとりきりで。あの髪留めをつけて。手には何度も読み返したようにくたびれた手紙の束を持って。
その映像が消えたかと思うと、今度は魔法協会で働くアイシャさんの姿。誰かに呼ばれて振り向いた拍子に髪留めの留め金が外れ、するりと髪から抜け落ちて――
そこで映像は終わりだった。わたしはゆっくり目を開け、胸元で握っていた手を広げる。
そこには映像にあったものと同じ、リボンの中央ににガラスの花の付いた髪留めがあった。
「わああ! すごい!これです! あたしの髪留め! 本当に出てきた! すごいです!」
アイシャさんは髪留めを受け取ると、喜びを表現するようにぴょんぴょん飛び跳ねた。周りからもほう、という感心したような声が上がる。けれども、ここの人たちは魔法というものを見慣れているのか、問題ごとが解決したとわかると、すぐにそれぞれの仕事に戻っていったようだ。
建物の中では、既に何事も無かったかのように時が流れてゆく。変に疑われたり騒がれたりしないでよかった。アルベリヒさんの言っていた通り、ここでは魔法使いは珍しくないのだ。その事に安堵する。
アイシャさんは髪留めを手にしてカウンターに近づく。
「エルミーナ、早く、早く留めて」
「ごめんなさいね。今はお客様がいるから後でね」
エルミーナと呼ばれた受付嬢が軽くたしなめるとアイシャさんもしゅんとした。
「そ、そっか。今はお仕事中だもんね。それでなくてもあたしのせいでみんながお仕事中断してたのに……ごめん。後にする。」
そしてわたしの方に顔を向けた。
「あの、コーデリアさん。髪留めをみつけてくれてありがとうございます! これ、大切なものなんです! お兄ちゃんにもらったので!」
その言葉に、わたしは先ほど見た光景を思い出す。
あの手紙の束と、一人きりで窓の外を眺めるアイシャさん。おそらく髪留めをくれたというお兄さんとは長いこと会えていないんだろう。きっと、あの髪留めはアイシャさんとお兄さんとを繋ぐ大切な思い出の品なのだ。必死になって探したのもきっとそれが理由なんじゃないか。
そこまで考えて胸が締め付けられた。わたしだって、家族に会えない辛さはわかるつもりだ。
「あの、アイシャさん、よかったらわたしがその髪留め、髪につけましょうか?」
「ほんとですか!?」
アルベリヒさんは受付のエルミーナさんと何やら話し込んでいる。少しくらいアイシャさんに付き合っても大丈夫だろう。
「あのね、横の髪を引っ張ってね、それで後ろで留めるんです」
言われた通りに髪をまとめ、最後に髪留めで留めると、先ほどの映像の中と同じ髪型のアイシャさんが出来上がった。うん。我ながらなかなか上手くいったんじゃないかな。
「わあ、ありがとうごさいます! これで安心してお仕事に専念できます!」
その嬉しそうな様子にわたしも自然と頬が緩んだ。
「金具のところが緩んでるみたいですね。早めに直した方がいいかも」
「えっ、そうですか? わかりました。早速修理に出します」
見た感じ、髪留めはずいぶん使い込まれているようだった。端はほつれ、リボンの形もだいぶくたびれていた。紛失してしまったのも、使い込んでいるうちに金具が緩んでしまったからのように思える。
そんな状態にもかかわらず、彼女はあの髪留めを使い続ける。それはきっと兄がくれた大切なものだから。
アイシャさんの兄への想いの強さが伺えた。
(早くお兄さんと逢えるといいね)
喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込んだ。
アルベリヒさんの万年筆のときとは違う。今のアイシャさんの記憶はたぶん彼女の深い部分に関わること。わたしが踏み込んでいい領域ではないと本能的に感じる。そんな記憶を覗いたことで気味わるがられるかもしれないし、黙っているに越したことはない。
「コーデリア」
名前を呼ばれたので顔を上げると、アルベリヒさんが手招きしていた。
「今、お前のランクの話をしてた。俺はCあたりが妥当だと思うんだが、このエルミーナはEだって言いやがるんだ」
アルべリヒさんは受付の女性を指差す。
「確かに先ほど見せていただいた魔法には感心させられましたけど、正直、それだけでは……例えば占い師だって失せ物の場所を言い当てるでしょう? それと似たようなものです」
「だが、こいつの魔法は失せ物をその場に召喚することができる。占い師よりランクは上だ」
「あの、ランクってなんですか?」
無知丸出しなわたしの質問にも、エルミーナさんは口元に微笑を浮かべながら説明してくれる。
「魔法使いは各々の能力に応じてAからEまでのランクに振り分けられるんです。強力な魔法を使う魔法使いほどAに近くなってゆきます」
「へええ。なるほど。ちなみにアルベリヒさんのランクは?」
その何気ない問いに、アルベリヒさんは何故か僅かに顔をしかめた。
「……Aだ」
「すごい。最高ランクじゃないですか」
「ランクだけならな」
どういう意味だろう。少なくともCかEかで悩むようなレベルのわたしにとっては雲の上のような存在だ。
「俺の話はいい。とにかくコーデリアのランク確認を頼む」
「わかりました」
エルミーナさんは千枚通しのようなものを取り出した。何に使うんだろう。
「はい、手を出して」
「え、あの、まさかとは思いますけど、その鋭い凶器でわたしの手を突いたりしませんよね……?」
わたしの問いに、エルミーナさんは笑みを崩さない。
「大丈夫よ。ちょっと血を貰うだけだから。方法は企業秘密だけれど、それでランクがわかるのよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなに確実な方法があるのなら、さっきわたしのランクの予想をしていたのは一体……」
「ああ、あれか」
隣からアルベリヒさんが口を開く。
「エルミーナと賭けをしてたんだ。お前がどのランクかって。外れた方は一杯奢るっていう条件でな」
「ちなみに、今のところ8勝3敗5引き分けで、わたしのほうがやや優勢です」
そ、そんな。人を賭けの対象にするなんてひどい。
「だから、それを確かめるためにも、さあ、手をこちらに。大丈夫。すぐに終わるからね。痛くないわよ~。ちょっと指先を突っつくだけよ~」
え、やだこわい。刺されることもだけど、エルミーナさんの口調が。
思わず後ずさるも、背中が何かにぶつかってしまう。見ればいつのまにか背後に回ったアルベリヒさんが立ちふさがっていた。
「ここに登録する魔法使いは誰もが通る道なんだ。観念しろ。大丈夫だ。痛くないから」
がしっと肩を掴まれたわたしは助けを求めるように周りを見回すが、気づけばいつのまにか他の職員たちもわたしを取り囲んでいて、一種異様な状況だ。
「がんばれ! 痛くないよ!」
「最初だけ我慢すればいいから!」
痛くないと強調されると余計疑ってしまう。
うう、いやだ……!
咄嗟に右手を背後に隠そうとしたところで、その手をがしっと誰かに掴まれた。アイシャさんだった。
「エルミーナの言うこと、きちんと聞かないとだめですよ」
そう言ってにこにこしながらわたしの右手をぐいぐいと引っ張る。
す、すごい力。なんでこんなに力あるの……!?
アイシャさんによって半ば無理矢理右手をカウンターの上に乗せられると、後は任せろといわんばかりにエルミーナさんがわたしの手を取る。
そしてエルミーナさんは満足気な笑顔を浮かべ、針の先端をわたしの人差し指に――
◆◆◆◆
「結局なんだったんですか? 魔法協会の人達みんなでわたしを脅かすようなことして」
なんだかんだあったものの、あの後針で指先を突かれたわたしは、みんなが言ってた通りに痛みを感じることはなく、無事にランク確認を済ませることができた。
ちなみにわたしのランクはDだった。心なしかアルベリヒさんとエルミーナさんは悔しそうな顔をしていた。やっぱりひどい。
聞けばあの千枚通しのような凶器には魔法が掛けられており、少しくらい突かれても痛みを感じないようになっているとか。
「あれは新人への通過儀礼みたいなものだな。不安を煽っていると取るか励ましと取るかは本人次第だ」
「あんなの不安以外のなにものでも無いですよ。あの人たち絶対わざとやってると思う……アルベリヒさんは同じことされた時には平気だったんですか?」
「……秘密」
「えー、ずるい。こんどエルミーナさんに聞いてみようかな」
「それは絶対やめろ!」
必死な様子で引き止めるアルベリヒさんを見て、おもわず吹き出しそうになってしまった。
これでは答えを言っているも同然ではないか。意外と見栄っ張りなのかな。
最初に会ったとき、まるで死神のように恐ろしささえ感じていたアルベリヒさんへの印象が、今日一日で随分と変わったことを実感しながら、わたしは彼の隣を歩いた。
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