知らない家

 着いた場所は、白っぽいレンガの壁とオレンジ色の瓦屋根のお屋敷だった。

 細部まで手入れが行き届いていないのか、せっかくのお庭は少し荒れていて、雑草がその存在感を示すように時折風に揺れている。


 あの後、わたしは生まれ育った街を離れ、ロロと一緒に、例のアルベリヒ・ハーデンスという男性のお屋敷のある王都ランヴァーユへ移り住むこととなった。

 意外なことにお屋敷は真っ黒じゃなかった。内装も真っ黒じゃなかった。住んでいる人だけが黒かった。

 普通の家、といっても、わたしの実家に比べたら明らかに高級そうな調度品や家具が品良く配置され、足元の絨毯もふかふかだ。



 与えられた黒いメイド服に身を包んだわたしは、目の前に置かれた紅茶の入ったカップにちらりと目をやると、向かい側に座る男性に控え目に呼びかける。


「あの、ハーデンス……様……?」

「そんなに堅苦しい呼び方はしなくていい。ファーストネームで構わない。様も必要ない」


 そう答える彼は大きく切り分けたアップルパイを口に運ぶ。

 アップルパイは眼の前であっという間に消費されて行き、既に彼は3切れ目に手をつけようとしている。好きなのかな。アップルパイ。

 テーブルの上にはアップルパイの他にもクッキーや色とりどりのマカロンなどのお菓子が並んでおり、まるでお茶会といった様相だ。これもアルベリヒさんが用意してくれた。お父さん以外の男の人と二人きりでお茶を飲むなんて初めてだ。なんだか緊張する。

 でも、こんな席を用意してくれるなんて、意外と良い人なのかな。

 初めて彼に会ったときに感じた言い知れない恐ろしさは、今では鳴りをひそめていた。明るい部屋とお菓子のおかげかもしれない。

 わたしの前にも切り分けられたアップルパイと紅茶が置かれているが、素直に手をつけたものかどうか悩んでいる。

 だってわたしは使用人としてこの家に来たはずだ。それがこんなふうに家の主人と同じテーブルにつくなんて……

 わたしは思い切って尋ねてみる。


「ええと……アルベリヒさん。使用人のわたしなんかが一緒にお茶をご馳走になってしまって構わないんですか?」

「問題ない。食事も一緒にとる予定だ」

 

 どういう事だろう。礼儀作法に詳しくないわたしでも、それはかなりの特別待遇だとわかる。

 その理由に答えるようにアルベリヒさんは口を開く。


「確かに女手が欲しかったのは事実だが、お前を雇ったのはただの使用人としてじゃない」


 おっと、いきなり「お前」呼びだ。ニールさんの前では確かに「君」だったのに。猫かぶるタイプなのかな。紳士っぽく見えるのに。


「と、言いますと?」


 おそるおそる問い返すと、アルベリヒさんは意外な言葉を口にした。


「お前、魔女だろう?」

「はい?」


 魔女? 魔女って、あの、魔法を使う……?  

 話の飲み込めないわたしをアルベリヒさんは品定めでもするようにじっと見つめてくる。


「隠しているのか? いや、それとも自覚がないのか……」

「ええと、そう言われましても、わたしにはなにがなんだか……」


 しどろもどろに答えると、アルベリヒさんはわたしの足元で毛づくろいするロロを指差す。


「お前が魔法を使うのを見た。その猫のしっぽを治しただろう? あの日、偶然近くにいたからな」

「そ、そうだったんですか?」


 それじゃあわたしが泣いてたのも全部見られてたのかな……うう、なんだか気まずい。


「あれはその……あくまでわたしの家に伝わるおまじないでして。失くしたものが見つかるっていうおまじない……」

「お前はそう認識していたのかもしれないが、あれは間違いなく魔法だ。しかも呪文を音に乗せる。『呪歌』といったほうが正しいかもしれない」


 確かに、よく考えてみれば不可思議だった。失くしたものが湧いたように出現するのだから。だがそれも、魔法の効果だと言われればしっくりくる。


「でも、どうしてわかったんですか? あれが魔法だって」

「俺も魔法を使うからな」

「え?」


 わたしが戸惑っていると、アルベリヒさんは右手の人差し指を立てる。

 と、その先に蝋燭のように炎が灯った。


「わあ、すごい」


 思わず声をあげて驚いていると、暫くして炎はふっと掻き消えた。

 へえ、アルベリヒさんは魔法使いなんだ。そういう人がこの王都にたくさん存在すると聞いたことはあるが、わたしの住んでいた街では見たことがない。すごい。本物の魔法使い。あ、でもわたしも魔女なんだっけ? ということはわたしもすごい……?


「はい! はい! 質問です!」


 わたしは右手をまっすぐに上げて身を乗り出す。


「なんだ?」

「わたしが魔女って事は、頑張ればほうきに乗って空を飛ぶこともできるんですか!?」

「……残念ながら、魔女がほうきで空を飛べるというのは昔の人間の創作だ」

「ええー! そうなんですか!? つまらない……」

「だが、虚構とされている中には真実もある。たとえば、黒猫を使い魔にするだとか」


 その言葉にわたしは思い出した。この人がわたしとロロを見て「黒猫なんて出来すぎてる」と言ったこと。

 

「もしかして、ロロがわたしの使い魔に?」

「ああ、ちょうど良い取り合わせだと思って」


 わたしは足元に寝そべるロロを見つめる。

 この子が使い魔に……? そんなことできるのかな? でも、代わりにお遣いに行ってもらったりできるのなら便利かもしれない。


「話を戻すが」


 アルベリヒさんは更にアップルパイに手を伸ばす。この人、どれだけ食べるんだろう……


「お前を雇ったもう一つの理由。それは俺の仕事を手伝ってもらうこと。俺の仕事柄、魔術絡みの案件がよく舞い込んでくるが、それでも全てを解決できるわけじゃない。俺はうせもの探しなんて専門外だからな。そこでだ、俺に解決できない案件を、お前に担当してもらいたんだ。失くしものを探して欲しいって客は案外多いからな。もちろんその分の報酬も出す」


 急にそんな事を言われて混乱してしまった。

 いきなり魔女だと言われ、できるかわからない仕事を任されようとしている。わたしが使えるという魔法の能力だって完全に把握していないのに。


「そんな……ロロのしっぽの時は成功しましたけど、そう何度も上手く出来る自信はありませんよ。あの日おまじないを……いえ、魔法を使ったのだって随分久しぶりだったし」


 精一杯抵抗すると、アルベリヒさんはアップルパイを口に運びながら何事かを考えるそぶりをする。


「それなら確認してみよう。今ここで、お前の魔法が本物かどうかを」

「でも、どうやって……」

「丁度いい……と言って良いかわからないが、俺の愛用してる万年筆が数日前から見当たらないんだ。それを探し出してくれないか? 祖父の代から使っている大切なものなんだ。頼む」


 わたしは暫し考える。本当にそんな魔法を使えるのなら、わたし自身是非とも確かめてみたい。ロロのしっぽをくっつけた事だって、未だに実感が薄いのだから。わたしが本当に魔女であるかどうかを知るいい機会でもある。

 それに、アルベリヒさんも万年筆をなくして困っているみたいだし……


「わかりました。やってみます」


 わたしは立ち上がり、部屋の開けた空間に進み出る。人前で歌うことにはいささか抵抗があったが仕方が無い。それに、彼には既にこの魔法を使うところを見られているのだから。今更なにを恥ずかしがろう。

 わたしはそこで胸に手を当てると、躊躇うように一呼吸置いてから、あの呪文――呪歌に乗せて歌い出す。

 アルベリヒさんが真剣な表情をこちらに向けている。まるで何かを見定めるように。

 その視線を少々居心地悪く感じながらも、わたしは歌に集中する。万年筆が見つかるようにと願いながら。


 やがて歌い終わると、胸から両手を離して広げてみせる。

 けれど、その手の中にはなにもなかった。

 失敗した……?

 わたしはおずおずとアルベリヒさんの顔を見る。そこに失望の色が浮かんでいるのではとちらりと気にしながら。


「ご、ごめんなさい。やっぱりわたしに魔法なんて使えないんじゃ……」

「そんなことはないはずだ。俺はこの目でたしかに見たんだからな」


 アルベリヒさんは諦め悪く何かを考え込むように顎に手を当てる。

 そもそもわたしが魔法を使いこなせないのではという可能性は排除されているのだろうか? ロロのしっぽの件だって、何かの間違いでたまたま上手くいっただけかもしれないし。


「あの時と今とで変わったことはないか? 時間、環境、魔法陣の有無……」

「魔法陣なんてそんな大掛かりな事してませんよ。わたしはただロロを抱いて、歌を歌っただけ」

「それならもしかして――」


 アルベリヒさんは顔を上げる。


「落し物の主に触れている事が条件なのかもしれない。やってみよう」

「ええと、それって、アルベリヒさんに触った状態でもう一度呪文を唱えるってことですか?」

「そうだ」


 アルベリヒさんは立ち上がり近づいてくると、迷いなく手をこちらに差し出す。真っ黒い手袋。その手を取れというのだろうか。

 躊躇いながらも、そっとその指先に触れる。


「始めてくれ」


 その言葉をきっかけに、わたしは再び例の呪歌とやらを歌い出す。

 するとどうだろう、歌い始めて少しすると、いつかのように目の前が真っ白い色彩で覆われた。

 かと思うと、まぶたの裏に何かの映像がちらつく。

 思わず目を閉じるとそれは鮮明になる。


 どこかの部屋のようだった。見覚えがある。テーブルの上にはお茶にアップルパイ――そうだ、今まさにわたしたちのいるこの部屋だ。

 万年筆を握る男性の手が見える。真っ黒な手袋の持ち主はいわずもがな。

 アルベリヒさんの手はテーブルの上を素早く動いて、マカロンの乗ったお皿の陰に万年筆を置く。

 そこで目の前がふっと暗くなり、映像は途切れた。

 わたしは目を開けた。

 同時に手の中を確かめる。そこにはいつの間にか一本の万年筆が握られていた。


「やっぱり。思った通りだ」


 アルベリヒさんがどこか納得したように呟く。


「落とし主に触れることで、呪歌は効力を発揮する、か。なかなか興味深い」


 わたしもまたその結果に多分の驚きを感じていたが、同時にどこか釈然としないものを抱えていた。


 さっきまぶたの裏に流れた映像。あれは……

 わたしはそれを確かめるようにアルベリヒさんに向き直る。


「アルベリヒさん、見当たらないとか言って、ほんとはお皿の陰に万年筆を隠してたんじゃありませんか? わたしの力が本当か確かめるために」


 アルベリヒさんは驚いたように目を瞠るが、すぐに唇を釣り上げながら


「あたり」


 悪びれた様子もなく呟いた。


「そんなことまでわかるのか」


 なんだか感心までしている。 

 わたしとしては騙されて魔法を使わされたわけだから、あまりいい気はしないのだが、アルベリヒさんは謝る気はないらしい。

 大切な万年筆だって言うから、わたしだって魔法を使ってみようと思ったのに。同情心を利用するなんてひどい。

 むっとしながらも説明する。


「どういうわけか、呪歌を歌っている間、失くしたときの状況と、失くしたものと持ち主との間の記憶のようなものが見えるみたいです。昔はこんなことなかったんですけど……」

「ふうん……年月を経て魔法の質が変化したのかもしれないな。いや、それよりも――」


 アルベリヒさんはひとり頷きながら、なにやらぶつぶつと呟いていたが、ふと顔を上げてわたしを見る。


「しかし、今お前は久しぶりにその魔法を使ったと言ったが……こんなに便利な魔法を今まで使い渋っていたのか?」

「それは……確かに昔は頻繁に使ってましたけど、ある時、自作自演を疑われて……本当はわたしが物を盗んで、自分で見つけたふりをしているんじゃないかって責められて。泥棒だって言われて。それであんまり使いたくなかったんです」


 あの時のことを思い出すと、いまだに心臓がどきどきする。


「なるほど。その時の事が心的外傷になっていたと……しかしそんなことはもう気にする必要はない」

「え?」

「ここではおまえの事を泥棒だなんて罵るようなやつはいないって事だ。このランヴァーユじゃ魔法使いなんてそれほど珍しくない。多少の不可解な現象にも、ここの人間は慣れているそれに、ここは魔法使いの住む家なんだからな」


 そうか。アルベリヒさんも魔法使いなんだもんね。わたしの魔法にも理解があるんだろう。この王都の人たちも。ここにいれば、知らない人の前で魔法を使っても、あの頃のように泥棒だなんて言われずに済むのかもしれない。

 そう考えると、わたしの中で答えは決まった。一応ではあるが。


「……わかりました。アルベリヒさんのお話、お受けします」

「本当か?」

「はい」


 わたしは頷く。


「ロロまで一緒に引き取ってくださったこと、感謝してます。そのご恩が返せるのならならわたしも嬉しいし……わたしに魔法が使えるなんて、まだ実感ありませんし、もしかしたら失敗することもあるかもしれませんけど、それでもお役に立てるのなら」


 その言葉を聞いて、アルベリヒさんは微笑んだ。

 今まで何度か見た不敵そうな笑い方ではなく、ごく自然に頬が緩んだような笑みを。

 それが綺麗だったので、思わずちょっと見とれてしまった。

 そんなわたしの心のざわめきをよそに、アルベリヒさんは何かを思いついたように微笑を消す。


「そういえば、お前のその魔法、名前はあるのか?」

「名前ですか? 家では『失せ物探しのおまじない』って呼んでましたけど」

「シンプルだな。それなら『失せ物探しの魔法』とでも呼ぶか。使用者であるおまえは『失せ物探しの魔女』だ」


 失せ物探しの魔女


 心の中で呟く。

 あんまり強そうじゃないなあ。


 その時、窓ガラスがガタガタ鳴ったかと思うと、窓が勢い良く開いてなにか大きなものがばさばさと音を立てて部屋に飛び込んできた。


 「な、なに……!?」


 咄嗟に腕で顔を庇うが、アルベリヒさんの


「安心しろ。悪さはしない」


 という言葉に恐る恐る顔を上げる。

 そこにいたのは一羽の大きな白いふくろうだった。首に黒いスカーフを巻いているのがかわいい。窓を開けて入ってきたのはこのふくろうだったのだ。

 ふくろうは窓際に置かれた止まり木の上で、時おり首をかしげるような仕草をしている。

 あ、あの止まり木、何かと思ってたけど、このふくろう用だったのか。


「俺の使い魔だ。名前はディディモス。今ちょうど手紙を届けてもらっていた」

「すごーい、かしこーい! 使い魔ってそんなこともできるんですね! あの、あの、ちょっとだけ触っても良いですか?」


 アルベリヒさんはディディモスの様子をちらりと見やる。


「少しだけだからな。やりすぎるとつつかれるぞ」


 やった。お許しが出た。

 アルベリヒさんはディディモスの足に取り付けられていた筒状の入れ物から、手紙のようなものを取り出して広げている。

 そのあいだにわたしはそろりと手を伸ばす。そっと頭に触れると、特に嫌がる様子もなくディディモスは受け入れてくれた。

 うわあ、ふわふわだ。

 頭から背中にかけてゆっくりと撫でて、その感触を堪能する。ああ、かわいいなあ。

 もっとも、かわいさなら、わたしのロロだって負けてないけど。


「なんだこれは」


 突然のアルベリヒさんの声に、わたしは慌てて手を引っ込めた。もしかして、変なところに触っちゃった……?

 しかし問題はそこではなかったらしい。


「俺が書いた手紙そのままじゃないか。返事も何もない。おいディディモス、ちゃんと先方に届けたんだろうな?」


 その問いに答えるように、ディディモスは「ピイ」と鳴いた。


「そうだよな。お前がミスするなんて考えられないし……まさかとは思うが先方に何かあったか」


 わたしには何と言っているのかわからないが、アルベリヒさんには伝わったらしい。

 アルベリヒさんは暫く何かを考えこんでいたが、やがて顔を上げてわたしに告げる。


「今から出かける。ついてこい」

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