黒い人
「仔猫? そんなものどこかに捨ててきなさい」
わたしの話を聞いたニールさんは、考える様子もなくばっさりと切り捨てる。
「で、でも、とってもいい子なんですよ。人なつっこいし……」
「関係ありません。捨ててきなさい」
「そんなあ。ちょっと冷たいんじゃ……」
「冷たい?」
ニールさんがわたしをじろりと睨む。
「コーデリア。猫なんて心配する余裕が今のあなたにあるの? それよりも大切なことがあるでしょう? それともこのまま猫と一緒に野良になりたいの?」
「そ、それは……」
返す言葉もなくうなだれる。
今後の事を話し合うためにニールさんの家に呼び出されたわたしだったが、ロロの貰い手はいないかと相談するも、けんもほろろに断られてしまったのだった。
確かにニールさんの言うとおり、家族もなく明日の暮らしも定かでないわたしが仔猫の面倒を見るなんて難しい。
でも、それじゃあ、ロロはどうなるんだろう? まさか、このまま本当に野良猫になっちゃう……?
腕の中のロロを見下ろしながら焦るわたしをよそに、ニールさんは続ける。
「猫の事はひとまず忘れなさい。それよりコーデリア。あなたに良い話があるのよ」
「……良い話、ですか?」
「そう。昨日、所用でこの町を訪れた方をお世話する機会があったんだけど……その方、ちょうど使用人を探してるそうで、あてはないかっておっしゃるの」
「まさか、わたしが……?」
「そう。偶然にもその方の求めてる人材の条件にあなたがぴったりでね。どうかしら? これからのあなたの身の振り方としては悪い話じゃないと思うんだけれど。相手の方は若いけどしっかりしているようだし。これも何かの縁だと思って……」
ニールさんの家は手広く商売を営んでいる。使用人を探していると言う人物も、きっとその関係で知り合ったんだろう。
「ねえコーデリア。このご時世あなたのような子が一人で生きていくのは難しいわ。それが、こんなに簡単に働き口が見つかるだなんて。ぼやぼやしてると他の人にかすめ取られちゃう」
「はあ……」
「だからね、そうなる前に私が代わりにお返事しておいたわ。是非とも宜しくお願いしますって」
「はあ?」
「その方、そろそろここに来られる予定だから」
「え? え?」
「直接会って確かめたいっておっしゃってね」
な、なにそれ、聞いてない。そんな、だまし討ちみたいな事……
でも、確かに兆候はあった。この家に来る時に、貴重品や当面生活できるだけの荷物を持ってくるよう言われ、わたしはその通りに衣類や両親の形見なんかを詰めたトランクを引きずってきたのだ。
思えばそれも全部ニールさんの作戦だったのだろう。わたしはてっきりニールさんの家でしばらくお世話になれるものと思い、そのつもりで馬鹿正直に言う通りにしてしまったのだ。
あー、わたしのばかばか! そうとわかっていたら素直にいう事なんて聞かなかったのに!
その時、見計らったかのように玄関のドアをノックする音が聞こえ、ニールさんは顔を上げる。
「きっとあの方が来たのよ。コーデリア、しっかりご挨拶してね。ほら、身だしなみも整えておいて」
「え、ちょっと……」
引き止める言葉もむなしく、ニールさんはわたしを鏡の前に立たせると、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
ひとり残されたわたしは、壁に掛けられた鏡を見つめる。
背中まで伸びた髪は、お父さんと同じで、ミルクをたっぷりと注いだ紅茶のような色をしている。前髪が少し乱れていたので反射的に手で直してしまった。お母さんと同じ夏の空のような青い瞳は、今は不安そうな色を宿しているのが自分でも感じられた。
ニールさんの言う事もわかる。わたしは一人だけでは何もできない子どもなのだから、この機会に感謝すべきなのかもしれない。それに、やることがあれば悲しみだって薄れてくれるだろうし。
でも、わたしがいなくなったら、ロロは野良猫になっちゃう……
考えが纏まらないままロロを抱きしめてひとり立ちすくんでいると、やがて部屋のドアが開き、わたしは反射的にそちらに顔を向ける。
入ってきたのはニールさんともう一人、このあたりでは見た事のない大人の男の人。
それを見てわたしは思わず言葉を失ってしまった。
その男の人の格好が、真っ黒だったからだ。
すらりとした長身に沿うようにぴったりな真っ黒いタキシードのような服に身を包んだ彼は、一見紳士然としているが、ベストもシャツも黒、手袋も靴も黒。全てが黒かった。唯一、黒いネクタイにつけられたタイタックピンの赤い石だけが、暗闇に灯る炎のように妖しく光っていた。
こんな真っ黒い人、お葬式でも見た事ない。
視線を上向けると、こちらも襟足が長めの黒く艶やかな髮が白く端正な顔を縁取っており、前髪の下から覗く黒曜石のような瞳がこちらを鋭く見つめている。
きれいな人だけど、なんだか怖い。真っ黒な格好とこの人の纏う雰囲気のせいだろうか? 見ていると魂を抜かれそう。お父さんやお母さんだけじゃなく、わたしまで連れて行かれるんだろうか。
ニールさんはわたしを手で示す。
「ハーデンスさん、この子がコーデリアです。お探しの使用人にうってつけかと。勿論今日から働けます」
「そ、そんな」
わたしはまだ使用人の話を引き受けたわけじゃないのに……!
わたしの心の叫びをよそに、ニールさんは男性を紹介するようにこちらに顔を向ける。
「コーデリア。この方は今日からあなたがお仕えする事になるアルベリヒ・ハーデンスさんよ」
まずい。わたしの意見も聞かずにどんどん話は進んでゆく。
いや、別に使用人になる事自体は嫌というわけでは無いのだ。むしろこれから生活していくにあたってを考えればありがたい話と言える。わたしひとりであれば。
それよりもなによりも、心配なのはわたしの腕の中で身じろぐこの仔猫の行く末なのだ。その問題が解決するまでは、わたしだけがここを離れるわけにはいかなかった。
思いあぐねたわたしは意を決して男性を見据える。
「あの、お願いがあるんです」
そうして抱いた仔猫を男性の前に突き出す。
「この子も一緒に連れて行っていいですか? もちろん世話はわたしがします。お仕事だって手を抜きません。なんでもします。だから、お願いします。この子、行くところがないんです」
無茶なお願いだとはわかっていた。でも、今のわたしにはこれしか思いつかなかったのだ。
案の定ニールさんは顔色を変える。
「まあ、何を言い出すの。だめよそんなこと。猫はここに置いて――」
「いや、いいだろう」
ニールさんの言葉を遮るように、男性が初めて口を開いた。
心地よいテノールの声。
「コーデリアといったか。構わない。君もその猫も両方まとめて引き受けよう」
「ほ、ほんとですか!?」
男性は頷く。
「ああ、それに、黒猫なんて出来すぎてるくらいだ」
何がおかしいのか、男性は唇を釣り上げるようにどこか不敵な笑みを浮かべた。
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