うせものさがしの魔女
金時るるの
ひとつのおまじない
「コーデリア、新聞を取ってくれ」
「コーデリア、お料理ができたからお皿を並べて」
今でもわたしの名を呼ぶ父と母の声が、ふとした瞬間に聞こえるように錯覚する。
不器用で少し頼りない父と優しくてきれいな母。
平凡だけれど幸せな家庭――のはずだった。
突然街に蔓延した病により、両親はあっけなく天に召され、幸か不幸か生き残ったわたしはひとりぼっちになった。
その事実を受け入れられないまま慌しく葬儀が終わり、ぼんやりとひとり家に帰りつき、ドアの前に立つ。纏わり付くような風がざわりとわたしの髪を揺らす。
いまだ信じられない。このドアの向こうに誰もいないだなんて。
もしかしてみんな悪い夢だったんじゃないか。このドアを開ければ、いつものようにお父さんとお母さんが笑顔でわたしを出迎えてくれるかもしれない。
そう思いながら手を伸ばしてドアを開けた瞬間、その先に漂う言い知れない静寂と寒々しさに肌がぞわりと粟立った。
見慣れた風景、嗅ぎ慣れた匂い。でも、そこにいるはずの人はもういない。
――こわい
咄嗟にそんな言葉が浮かび、わたしはそのまま勢いよくドアを閉めると庭へと走り出る。
今まで暮らしてきたはずなのに、まるで知らない家みたいだった。誰の気配も声もしない。まるで家まで死んでしまったよう。
激しく鼓動を打つ胸を鎮めるように、何度も深い呼吸を繰り返す。
落ち着け。落ち着くんだ。
恐怖に飲み込まれそうな心に抗うようにふと見上げると、沈みかけた夕日に染まる緋色の空が、恨めしいほど綺麗だった。
それを見ているうちに、今まで忘れていたかのように流れることのなかった涙が頬を伝い始めた。
どうして今頃? お葬式の最中だって全然泣けなかったのに。
流れる涙と共に、諦めにも似た感情がじわじわとわたしの心を侵食していく。
同時に堰を切ったようにとめどなく涙は溢れる。それを袖口で拭いながら、わたしは草の上に座り込む。
お父さん、お母さん。逢いたいよ……
今まで朧げだった現実感が急にはっきりとした形を持ってわたしに襲い掛かり、たまらずわたしは抱え込んだ膝に顔を埋めてすすり泣く。
どれくらいそうしていただろう。
不意に足に、さわっ、と何か柔らかいものが触れた。
驚いて顔を上げると、そこにいたのは真っ黒い仔猫。金色の瞳でわたしの顔を見上げ、その身体をわたしに擦り付けながら、甘えるように「にゃあ」と鳴いた。
「……もしかして、おまえ、慰めてくれてるの?」
思わず問うと、まるでそれに答えるように、子猫は再び「にゃあ」と鳴いた。
手を伸ばして、その黒く艶やかな毛並を撫でると、仔猫は喉を鳴らした。随分と人なつっこい。その様子に、自分の心が少しずつ落ち着きを取り戻していくのを感じた。
頭を撫でたあと、背中から尻尾にかけて撫でようとして、わたしはふと手を止めた。
どうしたわけか、仔猫のしっぽが明らかに短い。わたしの指先ほどの長さしかない。
「このしっぽ、どうしたの? どこかに挟んだの?」
当たり前だが、その問いに答えはなかった。まじまじとしっぽの先を眺めると、途切れた部分の毛先が綺麗に、まるで切り揃えてあるかのように直線を保っている。
それを見てどきりとした。
どこかに挟んでちぎれてしまったのなら、毛先がこんなに揃っているわけがない。誰かに鋭い刃物で切り落とされたのだ。近所の子どもの仕業だろうか?
「ひどい……」
けれど仔猫はわたしを恐れる様子もなく、相変わらずその手に撫でられるがままになっている。
その様子に胸を締め付けられた。
「酷いことされても、人間のこと見限ったりしないんだね。優しいんだね……ごめんね」
どうしよう。この子を治療しないと。でも、そんなお金ないし……けれど、このまま放っておいたら、この子死んじゃうかも。
「死」という言葉が浮かんだ途端、心臓がぎゅっと苦しくなったような気がして、わたしは胸を手で押さえる。
だめ。この子を死なせちゃだめ。
わたしは咄嗟に猫を胸に抱いて立ち上がる。
この子のしっぽを探すのだ。
わたしの家には、代々伝わるおまじないがあった。
なくしたものを探し出すおまじない。
母に教えてもらったそのおまじないの効果は絶大で、小さい頃は何度もそのおまじないをしては、なくしたものを探し当ててきた。
いや、探し当てるという表現は少し違う。正確には「なくなったものが、いつのまにかわたしの手の中にある」のだ。まるでどこかから引き寄せられたかのように。
ここ何年かはとある理由により使うことはなかったが、ひとりぼっちの今、何を遠慮することがあるだろう。
けれど、今回のようなことは初めてだ。はたしてしっぽの先が『なくしたもの』といえるのか、更には元どおりに仔猫にくっつくかどうか不安だらけだ。
それに最後にこのおまじないを使ったのはいつのことだったか。あの頃のように上手くゆくという確証もなかった。
でも、それでも試さないわけにはいかない。この子は人間のせいでこんなことになってしまったのだから、人間がけじめをつけるべきだろう。それがこの子に対する贖罪なのだ。
わたしは仔猫を抱いたまま、大きく息を吸い込むと、静かに歌いだす。これがおまじないなのだ。
歌に明確な歌詞はない。奇妙でどこか優しい節回しのメロディー。わたしにとっては呪文みたいなもの。
すると、目の前がふわっと白い色彩に包まれた。
眩しさに思わず目を閉じると、わたしの頭の中になにかの映像が流れ込んできた。
映像は徐々に鮮明に浮かび上がる。
こんな事は初めてだった。こんなふうに、頭の中になにかの光景が浮かび上がることなんて。
戸惑いながらも、歌を途切れさせることなくその映像に集中する。
誰かが仔猫の頭を撫でている。その顔には見覚えがあった。近所に住んでいる年下の男の子、セディだ。なんだか悲しそうな顔をしている。
「ごめん、ロロ。おまえのこと、連れていけないんだ」
『どうして? ぼく、いい子にするよ』
別の幼い男の子の声が答える。
『もう壁で爪といだりしないから』
わたしは腕の中で大人しくしている仔猫をそっと撫でる。
もしかして、これはこの子の記憶……?
『だから、ぼくも連れて行ってよ。おねがい』
にわかには信じられなかったが、セディに応える幼い声はこの仔猫の声みたいだ。突然別れを告げられて戸惑っている。
なおもじゃれつこうとする仔猫をセディは乱暴に突き放す。
「おまえも僕も、もうここに住めないんだ。わかった? わかったらどこかに行ってよ」
『そんなこと言わないで。 ぼく、セディのこと好きなのに』
邪険にされても仔猫はめげない。甘えるように身体を摺り寄せる。
「だめだって言ってるだろ!? 言うこと聞いてくれよ!でないと僕……僕……!」
仔猫の目を通して見るセディの顔が悲しそうに歪む。子猫の身体を乱暴に手で押しやるが、それでも仔猫はセディから離れない。
何度もその動作が繰り返されたあと、セディが一瞬躊躇うような仕草を見せる。
と、次の瞬間その手が尻尾を掴んだかと思うと、同時にポケットから鈍く光るものを取り出す。ハサミだ。
「ロロ、ごめん……!」
涙混じりの声で謝るセディが、仔猫のしっぽにハサミの刃をあてて――
そこで視界が真っ暗になり、わたしは目を開けた。
唐突に切り替わった現実の光景との落差に軽いめまいを覚えるも、なんとか踏みとどまる。
今の、なんだったんだろう……
つかの間ぼうっとしてしまうが、腕の中の仔猫が身じろいだので、本来の目的を思い出す。
「そうだ、しっぽ! しっぽは!?」
わたしは慌てて仔猫のお尻をまさぐる。確かめると、つい先ほどまで指先ほどの長さしかなかったそれが、今は確実な長さを持って、ゆらりゆらりと揺れていた。
おまじないが成功したのだ。
「よかった……」
安堵の溜息と共に、わたしは先ほど脳裏に現れた光景を思い返す。
この仔猫――ロロがしっぽを失ったときの光景が、どうしたわけかわたしの頭の中に流れ込んできた。もしかしたら、それもおまじないのせいなのかもしれない。どういう理屈なのかはわからないが。
いや、それよりも先ほどの光景から推測される事実。あれはたぶん――
わたしはロロ抱いたまま、再び地面にゆっくりと座り込む。
この仔猫はきっと、セディの家で飼われていたのだ。
セディがロロのしっぽを切ったわけ、なんとなく予想がついた。
だって、わたしは知っているから。セディもわたしと同じ、病で両親を亡くしたばかりだということを。
そんな子どもがどうなるか。おそらく親戚や施設に引き取られていったり、どこかで働かなければならないだろう。当然猫を連れて行ける余裕などあるわけがない。だからセディはロロを逃がそうとした。ところが人なつっこいこの仔猫は、何度もセディの元に戻ってきてしまった。
幼いセディはどうしていいかわからなかったんだ。それで思い余ってハサミでロロのしっぽを……
そして、驚いたロロはここまで逃げてきたんだろう。でも、そんな酷いことをされても、この子は人間を嫌いにならないでいてくれた。わたしを慰めてくれた。
「ロロ」
名を呼ぶと、仔猫はわたしの手に顔を擦り付ける。
できればこのままこの子を引き取りたいが、それが難しい事もわかっていた。
わたしもまたセディと同じ、親を亡くした子どもなのだ。明日になればここら一帯を仕切っている世話役の奥さんであるニールさんがやってきて、これからの身の振り方について考えることになる。そんな状態でロロの世話なんてできるかどうか。
そうだ。ロロの事もニールさんに相談したらいいかもしれない。もしかしたら新しい飼い主を探してくれるかも。そうだ。そうしよう。
だから――だから、それまでは一緒にいても良いよね……?
わたしはこの広い世界で唯一感じられるぬくもりを抱きしめて、その柔らかな毛並みに頬を寄せた。
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