第三部 伝えたいこと――7

 衣装室を出ると、そこにはシェーラがレイリアさんを伴って立っていました。

「アルテナ、おめでとう」

 わたくしの親友シェーラ。差し出される手を強く握り返し、心からの感謝をこめます。

「シェーラ、来てくれてありがとう」

「そりゃあ来るわよ、大切な親友の式なのよ。出られなかったら今度こそ王宮に乗り込んでやるんだから」

 実は『魔王復活の託宣をした大切な星の巫女』であるところのシェーラは、人の集まるところは危険だからと一度は臨席することを王宮に反対されたのです。

 ですが――そこは勇者一行が味方であるこの式。アレス様方がうまく取りなしてくださいました。

 おまけに、「アレス様たちがいるのだから」と、監視の人々はなしでの臨席です。

 レイリアさんも、さすがに今日は大人しくしてくれています。

 ……かと思えば、

「あの騎士と結婚なさるアルテナ様の勇気に、深く敬服して」

 と敬礼の姿勢を取ったりするから、またシェーラに激しく突っ込まれるかと思いきや……

 シェーラはそれどころではありませんでした。

 彼女は、泣いていたのです。

「……ア、アルテナ。本当に、幸せに……」

 嗚咽で言葉がうまく出ない。けれどボロボロこぼれて化粧を崩す涙が、大好きなこの親友の思いのすべてを物語っていました。

「シェーラ……」

 わたくしはシェーラを抱きしめました。

「幸せになるわ、わたくし。必ずよ」

 これだけは言える。だってもうわたくしは、騎士と一緒にいて幸せなのだから――

 シェーラは泣きながらわたくしを抱きしめ返しました。

 わたくしは、わたくしのために泣いてくれる人がいることを、心から幸福に思いました。そしてこんなに祝福されて結婚することの幸運を、神に感謝したのです。



 儀式は厳粛げんしゅくな雰囲気の中行われました。

 サンミリオンから駆けつけてくれた父母の前。わたくしはシルバーの礼服を着た騎士にエスコートされ、星の神の像へと、ゆっくりと歩み出ます。

 今日の騎士にふざけた様子は微塵みじんもありません。さすがの彼も、場をわきまえるよう。

 ちらと会場を見れば、ラケシスはもちろんシェーラやレイリアさん、修道院の友人たちに、マリアンヌさんと騎士の家族の姿が見えます。

 そしてアレス様にカイ様、クラリス様。ヒューイ様は、あいにく来てくださいませんでしたが……

 みな一様に、輝かしい笑顔でわたくしたちを見守って。

 そして横を見れば、騎士が凜々しく私の手を取ってくれている。

 ああ、こんなにも幸せな瞬間があるでしょうか?


 立会人はアンナ様が引き受けてくださいました。一通りの神の言葉を述べ、わたくしたちに誓いを求めます。

「汝、ヴァイス・フォーライク。あなたはアルテナ・リリーフォンスを、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

 突如、わたくしの脳裏に雷光のように嫌な予感がとどろきました。

 うむ、と騎士は重々しく応じます――

「健やかなときはめいっぱい愛するし病めるときは病気など吹き飛ばしてやる。富めるときは彼女の好きな生き方をさせるし、貧しいときは宝石ドラゴンでも狩ってくる。俺はいつでもアルテナを愛し敬い慈しんでいる。問題はない!」

 いえですから騎士よ! これはそういう話ではないのです……!

 会場から失笑がもれました。特に大爆笑しているのは、騎士の父のアレクサンドル様。

 わたくしは恐くて背後の自分の父母を見られませんでした。特にお父様。し、視線が痛い、気がする。

 逆にお母様が大喜びしているのも感じましたが。

 アンナ様はこほんと咳払いをし、同じ文言をわたくしにも問いました。

 わたくしは……はらを決めました。

「健やかなるときは騎士ヴァイスの暴走を止めますし、病めるときはほどほどに休みます、この人は勝手に治りそうだから大丈夫。富めるときは騎士ヴァイスがおかしなお金の遣い方をしないように止めますし、貧しいときは修道院で学んだことを忘れず質素に生きます。いつも困らされることを覚悟して、愛し、敬い、慈しむことを誓います」

 おおー、と騎士の家族側から感動の声が聞こえ、わたくしの父からの視線がますます痛くなり、母が感動で打ち震えている気配がしました。

 アルテナ、とアンナ様がとうとう苦笑しました。

 だって……だってしょうがないじゃないですか。

 わたくしは、『あの』騎士ヴァイスと結婚するのです。

 これくらい言えるようにならなきゃ……とうてい釣り合わないじゃないですか。

 彼と並び立てるようになるためなら、少しばかり図太くならなくては。

 と――

「アルテナ!」

 騎士がものの順番を飛び越してわたくしを抱きしめました。

「ヴァ、ヴァイス様、まだです! まだ……!」

「もう待てるものか! あなたこそ、俺の運命の人だ!」

 感極まった様子を隠しもせずに大声で宣言して――

 騎士はわたくしの唇をその場で奪いました。

 ああもう、この人は本当に本当に、周囲の目を気にしない人なんだから。

 ――託宣のあったあの日のままに。


 心の中で文句を言いながら、わたくしは黙ってされるがままになっていました。

 唇が熱い。初めて無理やり口づけをされたときにはただただ意味の分からなかった熱さ。

 ちゅっとわたくしの下唇を吸い、それから深い口づけ。

 ああ、困った人!

 などと思いながら、それでも抵抗しないわたくし。きっと空の上で、星の神も呆れていることでしょう。

 わたくしに託宣を下さった神が、どうかそれを後悔したりしていませんように――



 騎士のお屋敷で取る晩餐は豪華なものでした。

 今宵は飼っている家畜たちへの餌も少し豪華なのだそうです。もちろん、あのときエリシャヴェーラ様に押しつけられた家畜です。今ではすっかり我が家の大切な備蓄。

 それから家人の手を借りて、いつもより念入りな湯浴み――

 夜が近づくにつれて、鼓動が強く高鳴っていくのを感じていました。

 わたくしは今宵――とうとう、本当の意味で星の巫女ではなくなるのです。

 不安ばかりが脳裏をよぎります。失敗したりしないだろうか。元々男性とそうなることを考えたことのなかったわたくしは、知識が同年代の人並み以下の自信がありました。

 そこで、恥を忍んでクラリス様やマリアンヌさんに、そういうことを学ぶ方法を聞いたのですが――

 本をお借りしました。それを読んで、頭がゆだりそうになりました。

 さすがにまったくの無知ではなかったつもりですが、改めて知ると衝撃です。お、男と女とは、こういうものなのですね。刺激が強すぎます……って、いったい何歳なのでしょうわたくしは。十代の小娘でもあるまいし。


 騎士は先に湯浴みを済ませて部屋で待っていました。

 今夜は、騎士の部屋で一緒に眠ることになっています。……眠る、の言葉に色んな意味が含まれていて、それを思うと騎士の部屋に向かうのをためらってしまいました。

 あいにくウォルダートさんがわたくしをエスコートして、騎士の部屋まできっちりと案内してくださってのですが。

「旦那様。奥様がおみえです」

 ウォルダートさんが中に声をかけると、「おう」と軽い一声。

 きっと騎士は余裕綽々よゆうしゃくしゃくなのでしょう。そう思うと何だか悔しい。

 ウォルダートさんが扉を開けば、広い部屋で椅子に座っていた騎士が勢いよく立ち上がりました。

「アルテナ!」

 満面の笑顔でわたくしに向けて両手を広げる騎士。

 ウォルダートさんが「では、ごゆっくり」と意味深な言葉を残して扉を閉め、去って行きます。

「………」

 わたくしが騎士に歩み寄れずにいると、構わず騎士はあちらからずかずかやってきました。

 わたくしの両肩に手を置き、上から下まで眺め回します。今日のわたくしは少し色っぽい夜着。胸元が広く開いていて、普通の女性ならここから谷間が見えることでしょう。

 ……普通の女性なら。

 わたくしは恥ずかしくて胸元を手で押さえました。今さらながら、こんなことで本当に、騎士に女として見てもらえるのでしょうか。

 けれど、騎士はわたくしを抱きしめ言うのです。

「今夜もきれいだ、アルテナ」

 昼間の式のときも最高だったがな――と彼は至極ご満悦で、

「だがやはり、俺が独り占めできるときのあなたが一番だ」

「ヴァイス様……」

「アルテナ。俺と結婚することを承諾してくれてありがとう」

 意外な言葉でした。わたくしは目をぱちくりさせて、騎士を見つめ返しました。

 夕日の瞳は照れたように笑いました。

「いや実は、諦めた時期もあった。魔王討伐に早く出なくてはならなくなったときに――」

 けれどまさにその日の夕方に。

 わたくしは、騎士の妻になると、言ったのです。

「………」

 彼の胸に頬を預けて、わたくしは目を閉じました。

 とく、とく、とく。彼の鼓動がいつもより早く感じます。余裕綽々だなんて誰が言ったのでしょう。

 彼も、緊張している――?

「……魔物に、取り憑かれたときに……」

「ん?」

「一心に思っていたことがあります。あなたに、もう一度会いたいと。会って、伝えたいことがあると」

 すると騎士は嬉しげに目を細めました。

「奇遇だな。俺もあなたから魔物をはがしたとき、元気なあなたにもう一度会いたいと思った。会ったら伝えたいことがあると」

「……」

「……」

 どちらからともなく、唇が重なります。

 甘くついばむような口づけから、しだいに深く。まるで愛情を結ぶように、舌を絡めて。

「アルテナ……」

「ヴァイス様」

 呼吸の合間にしきりに相手の名を呼びながら、わたくしたちは口づけを続けました。

 騎士の力強い腕がわたくしを抱きしめる。放すまいとするかのように、強く。

 やがて口づけが止んだとき、わたくしたちは額を寄せて至近距離で見つめ合いました。

 お互いの唇の端に、幸せな笑みが浮かんでいました。


「……愛してる」


 騎士はわたくしを横抱きにして、ベッドへと運びました。そのまま上にのしかかり、キスの雨を降らせます。

 彼は熱い手で、わたくしを夜着の上からゆっくりと愛撫していきました。指先を肌に感じるたび――わたくしの中の意味の分からない不安が、溶けて消えていきます。

 ――大丈夫、全部任せてしまえばいい。

 だって今の彼は、わたくしに恐いことなんかしない。

 これから行われることは……ただ、彼に愛されるということだけ。


 キスをしながら夜着の中に彼の手が忍び込んだとき、わたくしはそっと目を閉じました。

 

 瞼の裏には満天の星。わたくしがずっと祈り続けてきた光景――

 その中に星の神がいらっしゃるのでしょうか。わたくしはあのとき見た神の光を思い出し、心の中で囁きます。

 ――さようなら。今までありがとうございました。

 人の形をした光が、『生意気だね』と笑った気がしました。

 わたくしは微笑んで――騎士の背中に手を回し。


 そうしてその夜たしかにわたくしは、星の巫女のお役目を終え、愛する男性の妻となったのです。

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