第三部 伝えたいこと――6
さすが神の力の反動と言うべきか、わたくしの体の回復は思わしくありませんでした。
それでも、ゆっくりと着実に。
その間にも周りは動いてゆきます。
まず、ラケシスとシュヴァルツ殿下の正式な婚約が発表されました。王妃様も国王陛下も神の奇跡を目にして、その巫女の妹を邪険にできないことに気づいたようです。
騎士やアレス様たちは、他の仲間とともにしばらく魔物討伐に出ていきました。
わたくしの容態が戻らず正式な出立ができないため、代わりにせめてもの意味でと。魔王の復活の様子見の意味もあったようです。わたくしには詳しく言いたがらなかったのですが、彼らが向かったのは、王宮が見つけた魔王復活地点だったようですから。
わたくしの世話は騎士の家人が行ってくれました。
ときどきは騎士の実家の家族たちも。
もっとも、
「巫女! この人形に巫女の髪の毛を入れて釘を打つんだ。そうすると病気が治る!」
「うふふお馬鹿なソラちゃん。それは呪いをかけるときのやり方」
「うふふかわいいソラちゃん。ヴァイス兄が結婚するのを延期させたいのね」
「馬鹿言うなミミリリ姉! 早く結婚してほしいに決まっている!」
「……お前たち大人しくしろ。アルテナさんの体に障る……」
「うふふそういうモラ姉は今朝作っていたお見舞いのお総菜はどうしたの」
「うふふ私知ってるわ、モラ姉がまた台所を炎上させたのを」
「うるさい!」
結局一番うるさいのはモラさんの声でした……
でも、双子のうちミミさんの――リリさんのほうだったかしら?――作ってくれた薬は、ちゃんとした体力回復薬でした。カイ様の作ってくれた薬との飲み合わせもしっかり考えられたもので、体が楽になった気がします。
ときどきラケシスがやってきて、王宮への不満をぶちまけていきます。
これから学ぶことが多いラケシス。けれど国は始まって以来初の民間人からの王妃候補ということで、魔王復活の託宣を忘れそうなほどのお祭り騒ぎになっているそうです。
お父様とお母様も来てくださいました。お父様は純粋に心配を、お母様は「早く治ってヴァイス様と結婚して子を作りなさい!」といつも通りの言葉を。
騎士が出かけていても……
わたくしの周りは、たいそうにぎやかでした。
騎士が魔王偵察から帰ってきたのは、三週間後のこと。
それはちょうど、わたくしが普通に立って歩くことのできるようになったころのこと――
*
「魔王の拠点を見つけた。とうとう、
騎士はそんな重大なことを淡々と言いました。
「では……やはりすぐに出立を?」
椅子に座って紅茶を飲めるほどになったわたくしの姿を、騎士は愛しそうに見つめます。
「その前に婚儀だ。ヒューイに頼んだものはとっくに完成している」
あなたさえ元気になれば――と、
「一日でも早く挙げたい。無理をさせるつもりはないが」
騎士のもどかしそうな声。
わたくしはずっと考えていたことを口にしました。それはとても恥ずかしくて、勇気のいる言葉でしたけれど。
「もう、わたくしは大丈夫です。婚儀にも……耐えられると思います」
騎士はじっとわたくしを見つめ、
「……しかし俺は、婚儀の夜にあなたの体をいたわってやることができそうにないのだが」
「すす少しは労ってください」
「無理だ。ずっと我慢してきたのに」
切なそうな声を出さないで。罪悪感におし潰されてしまうではないですか。
それに――やはりこういう話題は羞恥心をあおる。わたくしは顔から火が出そうな思いでうつむきました。
「もう少し待つか、やはり」
「で、でも、魔王討伐は一刻も早く行わなくてはなりません!」
「しかしな――」
「わたくしなら大丈夫です! こ、婚儀の夜にも耐えられます!」
――ああ、言ってしまった。とうとう言ってしまった、自分で。
こんな恥ずかしいことを、こんな大声で。
――だってわたくしは割と早い時期から修道女を目指し、実際修道女になり、星の巫女を務めたのです。
男性とそんな……そんなことをすることになるなんて、考えたこともなかった。
おそるおそる騎士の反応を見ると、彼はまだ難しい顔。
「本当はあなたに子を
「……っ」
「そういう話をしていたらカイに叱られた。妊娠、しかも初産の女性を一人置いていくことを当たり前に考えるなと」
この人は他の人たちにいったい何の話をしているのですか!
そんなわたくしの心の叫びに気づくわけもなく、騎士はしみじみと話を続けます。
「妊娠というのは大変なものらしいなあ。クラリスやマリアンヌが詳細に教えてくれたぞ。うちの母親は平気な顔でガンガン産んでいたので知らなかった。うん、やはりそんな状態のあなたを一人にはできんな。うちの連中やら実家の連中やらではアテにならんし、あなたの妊娠中は俺がついていてやりたい」
お気持ちは嬉しいですが、騎士がいては余計に気苦労が増える気がします……
いえ、でもやっぱり近くにはいてほしいのですが。ってわたくしもなんでリアルに考えているんですか!
「だからだな」
騎士は小さなテーブルの上でわたくしの手を握りました。
真剣な夕日の瞳にどぎまぎしてしまう。うろたえるわたくしに、騎士は言いました。
「とにかく、今回はあなたを俺のものにすることだけで我慢する。魔王を倒してから子を作ろう。無事に子ができたら、そのときは俺がしっかりサポートしてやるからな。クラリスとマリアンヌや酒場の他の連中から全部聞いたから大丈夫だ」
何だか無性に恥ずかしいことを言われている気がするのは気のせいですか!
クラリス様もマリアンヌさんも、いったいこの人に何を話したんですか!
わたくしの手を握ったまま、うんうんと騎士は一人でうなずいています。
「そのためにはさっさと魔王を倒してこないとなあ。子は早いうちに産んだほうがいいらしい。高齢出産は苦労すると言っていた」
……わたくしは高齢出産までまだそれなりに時間があります……
「だが俺自身はあなたが高齢になっても大丈夫だからな! 体力さえ間に合えば十分抱ける――」
わたくしはとうとう騎士の手を振り払い、テーブルの下で騎士の足を踏みつけました。
騎士が「のおっ」と変な声を上げました。
……。
*
エリシャヴェーラ姫からの妨害はすっかりなくなっていました。ラケシスに聞いたところ、王妃様はそうとうしっかりと娘にお灸をすえてくれたようです。エリシャヴェーラ姫自身も、「夢で星の神に会った!」とはしゃいでいたそう。そう言えば姫は
彼女の見た『星の神』がわたくしであるはずがないので……見たのはひょっとして本当に、星の神だったのでしょうか。
わたくしに力を貸してくれたあの方が、手助けしてくれた……?
そんなことを思ってふふと笑うわたくし。きっとそうなのだと、思うことにしておきます。
そうして、思った以上に平和な中、ようやく婚儀の手配が整ったのです。
場所は修道院。何しろ国の英雄の婚儀ですので、本来はもっと大きく荘厳な結婚式用の会場をお借りするべきところなのですが、一応仮の婚儀という約束もあり、騎士は「ここでいい。あなたの大切な場所だろう?」とにこやかです。
問題は騎士の友人が多すぎることでした。修道院に入り切りません。
仕方なく、騎士の友人は入れず、身内とわたくし側の友人だけを入れての儀式となったのです。
唯一騎士の友人として参列することになったのは、お化粧を担当してくれたマリアンヌさん。
「私にやらせるなんて、酷よねえヴァイスも」
「ご、ごめんなさいマリアンヌさん」
わたくしはドレスを着た肩を縮めました。
本当に申し訳なく思うのです。マリアンヌさんは今でも騎士のことを愛していらっしゃいます。それなのに、わたくしたちの婚儀の化粧を請け負うはめになるなんて。
マリアンヌさんは声を立てて笑いました。
「たぶん、無言の要求なのよ。『これで俺のことは完全に諦めろ』っていうね」
「……」
あの騎士がそこまで考えているでしょうか? ただの無神経な気がするのですが……
「それにしても美しいドレスね。短期間でそこまで作るなんて、さすがヒューイ・グロース」
わたくしが身にまとうドレスを眺めて、マリアンヌさんが感慨深げに言いました。
「私も結婚するときには頼もうかしら。ねえあなたからは頼んではくれない? あの人気むずかしいんでしょう?」
「わたくしも親しくはないのですが、そういうことなら喜んで」
お世話になりっぱなしのマリアンヌさん。彼女のためならわたくしは何だってできます。
たとえ騎士のことが大嫌いでその妻となるわたくしにも冷たい目しかくれなかった罵詈雑言の権化のような人相手であっても、頑張ってみせますから!
真っ白なドレスには、この国では幸運の鳥とされるコウノトリをかたどった美しい刺繍がされていました。
『ヴァイスが子どもがほしい子どもがほしいとうるさいんでな』
ヒューイ様の冷笑を思い出します。コウノトリは、子どもを運んでくる鳥……
ああ本当に。恥ずかしい
――胸元には、白と青のバラの刺繍。
白は純潔の象徴。そして青い薔薇は「神の祝福」の意味を持つといいます。青い薔薇はこの国には存在しないので、神の花だとされているのです。
『巫女のあんたにゃぴったりだろ。もう元巫女か』
そう言って、ヒューイ様は初めて楽しげに笑ってくれました。
「時間だよ、姉さん」
ラケシスが呼びにきました。わたくしは、緊張のあまり震えながら立ち上がりました。
そんなわたくしの肩を、マリアンヌさんがぽんと叩き、
「緊張しててもいいのよ。きっとそんなあなたのこともあいつは『愛おしい』とか言うのよ」
悪戯っぽく囁きました。
聞こえていたのかラケシスが赤くなりながら苦笑して。
わたくしは全身の熱が上がった気がして――でも。
それでも……きっとそうなんだろうなと思ってしまって。
すっかり騎士の魔法にかかってしまった自分を自覚するのです。
そう――
わたくしは今日この日、とうとうあの散々困らされたとんでもない人の、妻になる――
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