第三部 伝えたいこと――3

 ヨーハン様の松明の火がなくなり、辺りが少し暗くなります。


「おねえさん、お先へどうぞ」

「え、ええ」


 この狭い口の向こうには何が待っているのか――


 不安でたまりませんでした。けれど、勇気を奮い立たせました。


 こんなもの、魔物を宿らせたことに比べれば何てこともありません。


 修道服を着てこなくて良かった。そんなつまらないことを思いながら、背を低くして中へ入ります。


 そして――


 向こう側に着いたとたん、射し込んできたまぶしい光に、わたくしは思わず目を細めました。



 そこは、天の開いた場所でした。

 丸くくりぬかれた空が見えます。無数の星が、わたくしたちを見下ろしています。

 そして幾条もの月光が――

 その下にある泉に、差し込んでいました。


 光が差した水面に、星がゆらゆらと浮かぶ。

 月光と戯れて、星がちらちらと輝く。ああ――


 わたくしは今まで生きてきて、これ以上に神秘的な場所を見たことがありません。

 

「ヨーハン様、ここは……」


 問う声も、思わずひそめてしまう。そんな場所でした。


 ヨーハン様は「普通に声を出しても大丈夫ですよ~」と笑ってから、


「ここが、本来の『みそぎの間』です。――星の巫女が、星の神を宿すための契約の場所」


 星の巫女が、星の神を宿す――?


「ど、どういう意味ですか、ヨーハンさん」


 カイ様の声には動揺が入り交じっているようでした。

 けれど返すヨーハン様の声はのんきなまま。


「そのままの意味です~。むかーし昔は、選ばれた『星の巫女』はここに来て禊ぎの儀式を行いました~。そして――神に選ばれた巫女は、その身に神を『降ろす』ことができた。御声を……聞くだけではなく」


 『巫女』とは、神を宿す者のことを言うのです、とヨーハン様は言いました。


 わたくしは唖然として口もきけませんでした。

 巫女に……そんな役割があったなんて。


「元はそうすることで、国を浄化する意味があったようですね」


 ヨーハン様は難しい顔であごにゆびを当てました。


「神を宿した巫女はしばしの間生き神として生きたようです。空にしかいない神と実際に奇跡を起こせる目の前の生き神と……どちらがより国をまとめるかは、想像がつくでしょう?」


 そうすることで――

 国は、まとまりを保った。生き神様を……象徴とすることで。


 そうすれば、たとえ国内が荒れていても元に戻ったという。内紛直前という空気さえ、解きほぐされたという。

 他ならぬ本物の神に、さとされてしまうから。

 神に――勝てるはずがないから。


「ただしそれは星の巫女たちにとって大きな負担となったようです。神を降ろすのは並大抵の体力ではもちません。神を降ろすなり倒れてしまった巫女も多かったと聞きます~。……そのまま命を失った者も」

「そんな」

「だから、一部で言われ始めたわけですねえ。これは神による人体実験だと。神が、神を降ろすに相応しい人間を求めて、巫女を餌食えじきにしているのだと」


 わたくしは、騎士の妹の双子の言葉を思い出しました。


『そもそも、星の巫女は人体実験の被験者』


「あまりにもたくさんの巫女が犠牲になりました。やがて修道院の人間は、最後に降りてきた星の神に懇願しました。もうこんなことは止めてくれと。代わりに加護を失ってもいいから――と」


 そして。

 星の神は慈悲深かった。神降ろし自体はやめても構わないが、託宣だけは残そうと、そう言ってくれたのだと。


 そこまで聞いて、わたくしは不思議に思いました。


「そこまで慈悲深いお言葉をくださったのなら……修道院はなぜそれを言い伝えなかったのでしょう? これほど素晴らしいお話はないでしょうに」

「真似する者が現われないようにです」


 ヨーハン様は即答しました。


「そのような事実があったことを知れば、いずれまた神降ろしを始める者が出る。修道院はそれを恐れたのです。何しろ、神降ろしにはもうひとつの危険がありましたから~」

「もうひとつの危険……?」

「――


 魔物学は日々発展しているのですよと、ヨーハン様はどこか苦しげに言いました。


「我々が魔物と呼んでいるものが……石に宿った、星の神々のかけらだということも、分かっているのです」


 ――そんな、ことが。


 あまりにも衝撃的な話でした。

 魔物が――魔物が、星の神々のかけらだなんて。


「まあ、言ってみれば星の神々にとってのゴミのような部分です。それが、空から落ちてきて石に宿って……魔物になる。その魔物が成長して、僕ら人間を害するようになる」


 神と魔物は表裏一体なのだと。

 ヨーハン様は、そう言うのです。


 わたくしはその場にぺたりと座り込みました。

 岩場は冷たく濡れていました。


「……僕やあなたに憑依した魔物は、元はと言えば星の神……だとも言えますね」

「…………」

「この山の聖水は、魔物が生まれることに責任を感じた神が国に与えた『力』だそうです。それからこの国に魔物が多いのは、他ならない星の神の力が一番多い国だからです。魔物が好む石とはすなわち、星の神のことなんです」


 胸の前で両手を組み合わせて、わたくしは必死に自分と向き合い、自分に言い聞かせました。耐えなければ。聞きたくないだなんて思ってはいけない。


 すべてを、受けれなければ、前には進めない。


「――星の巫女に神を降ろすと、魔物が生まれる危険性があるというのは……」

「神降ろしに失敗したときの話です。巫女に宿りきらず散った神の力が周辺の石に宿り魔物に成る。そういうったことが、しばしばあったようです」

「…………」


 わたくしは胸で手を組み合わせたまま両目を閉じました。今聞いたことすべてを咀嚼そしゃくするために。


「それで、ヨーハンさん。結局、おねえさんはここで何をすればいいんですか?」


 カイ様がいた声で言いました。珍しく、いら立っているようにも聞こえます。


 わたくしは目を開け、ヨーハン様を見ました。


 ヨーハン様はうなずきました。その瞳に、悲痛な光を載せて。


「星の神を宿した巫女は奇跡を行えました。すべての病気や怪我を癒やせました。そして何より、魔物を滅せました――元より魔物は星の神々の欠片ですから。だから僕は、」


「アルテナ様に、星の神を宿していただきたいのです」


 ――わたくしが星の神を宿す――?


「そんな、無理です。わたくしはもうとっくに星の巫女の資格を失って――御声さえ拝受できないのです」

「ですが、聞こえましたよね? あのとき。僕らが巨大スライムに襲われていたとき」

「……あ、あれは、何かの気まぐれで――」

「星の神の行うことに〝気まぐれ〟はありえません。あなたは星の神に非常に気に入られている。星の巫女に上がる期間が早かったのも、そもそも託宣に自分の名前が出たのも、すべては星の神に気に入られているからに他なりません」

「でも! 託宣が取り消されて実家に帰ってからは、何度祈っても神の声は聞こえなかった――」

「それは〝必要がなかった〟からです。神は必要のないときにまでその手を動かしません。神は全ての人間をお守りくださるわけではない。あくまで人間の営みの中で生きろと、そうお考えなのです――少なくとも、昔の教義にはそう書かれていました。それでも国が滅びぬために、そしてどんなときでも神を信じる健気な者のために、時に手をお貸しくださる……神とはそういうものなのです」

「―――」


 修道女のわたくしも知らないことを、ヨーハン様はすらすらお話になる。

 修道院が忘れていたものを……隠してきたことをも……彼は調べ切ったのでしょうか。


 わたくしはうなだれました。


「――でも。わたくしは魔物に憑かれてしまいました。もうこの身は、けがれている――」

「その魔物を自力で倒そうとするほどの精神力の強さを神は愛してくださるでしょう。そもそも魔物に憑かれたことは穢れでもなんでもありません。言ったでしょう? 魔物は星の神の一部なんです」

「―――」

「それと、大変失礼ですが、アルテナ様はまだ純潔でいらっしゃいますよね?」


 カッと顔が熱くなりました。た、たしかにその通りなのですが……


「星の巫女が純潔でなくてはならない理由をご存じですか? そもそも、ここにご降臨なさる星の神は女性なのだそうです。そりゃあ純潔の女性でなければ、宿れませんよねえ」

「………」


 てっきり不純異性交遊が神の怒りに触れるのだと、そう思っていました。

 まさかそんな理由だったなんて……


「アルテナ様」


 ヨーハン様は片膝をつき、座り込んだままのわたくしに視線を合わせました。


「どうかお願いです。神を降ろしてください。そうすれば……すべての憑依魔物を、滅せるはずなんです」


 ――そんな、


「そんなの無茶です!」


 わたくしが何かを言う前に、カイ様が叫ぶように言いました。

 洞窟の中に反射して、それは思いの外大きな声となりました。


「たった今言ったじゃないですか! 神を宿した者には大きな負担になるって……命を落とした者もいるって!」

「それほどの力なんです、神を宿すことは。それほどの力を得るということなんです」


 ヨーハン様は繰り返しました。


 わたくしは視線を落としました。

 そして、ただ、考えました。


 神を宿すことの意味。

 命を落とすかもしれないことの意味。


 そして――

 

 なぜ、神を降ろしたいのか。


 騎士のことを思いました。シェーラのことを思いました。

 町で苦しんでいるという人々のことを思いました。

 

 ――迷いと不安がだんだんと、霧消していくのが分かりました。

 導き出された答え。満ちていく決心。

 自分でもふしぎなほど自然に……わたくしはこのことを、受け容れることができる。


「ヨーハン様。具体的には、わたくしはどうしたらよいのでしょうか」

「おねえさん!」


 カイ様が悲痛な声を上げました。


 ごめんなさい、心配してくれているのは分かっているのです。

 でも……


 これはわたくしに課せられた『役割』。


「祈ればいいのです。いつも通りに。それで、神には届きます。ここでなら」

「ここで、祈りを――」


 空を見上げました。


 気のせいか、星の数が増えているように感じました。筋状の光となって降る月光と星の光の神々しさは、目がくらくらするほどまばゆく、酔いそうなほどに深い。


「あの光の中に入って。どうか、祈ってください」

「―――」


 わたくしはすっと立ち上がりました。


「おねえさん……」


 カイ様は唇を噛んでいるようです。

 彼の優しさが身に沁みます。そうです、私のまわりにいる人々は誰も彼もが優しい。私が命を賭けることをよしとしない。


 だから。だからこそ。

 ……今は、譲れない。


「あ、服は脱いでください~。全裸でなくては、神は降りてこないそうです~」


 ってヨーハン様! 呑気に言ってますがそれって重大事項ですよ!


 ただ、幸い呑み込むことはできました。魔物に憑かれていたとき、禊ぎの間に入る前に服を脱いだのは自分の意思でした。そもそも禊ぎの間を使うときはそうするものだと、修道院で教えられておりますから。


「あ、あんまりこちらを見ないでくださいねっ」


 わたくしはヨーハン様とカイ様に何度も言って、二人に背を向けました。


「あはは。こんなこと知られたらヴァイス様にいよいよ殺されちゃいますねえ僕ら」


 ヨーハン様がとぼけ、なぜかカイ様が真っ赤になって「僕は絶対見ませんから!」と後ろを向いてくれました。


 わたくしは手早く旅装を脱ぎました。着慣れない服だけに脱ぐのにも手間取ってしまいましたが、ひとつひとつを進めるにつれ、心が澄んでいくようでした。


 最後の一枚を脱ぐのにはさすがに勇気が要りました。

 これで「下着は別にいいんですよ?」などと言われたらわたくしは憤死しそうですが、修道院の禊ぎの間では全裸が通常ですから、ここも同じはずです。そう信じます。


 そうして――わたくしは湖の縁に腰かけ、ゆっくり足を差し入れました。

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