第三部 伝えたいこと――2

 わたくしは一晩だけ休ませていただきました。


 本当は、完全回復にはもっとたくさんの時間が必要のようなのですが、騎士やシェーラたちのことを思うと休んではいられませんでした。


 だってヨーハン様は、シェーラたちのことさえ救えると言ったのです。


 話を聞いたクラリス様は、「後でどうなっても知らないから……」と言いながら、「直接の治癒」をかけてくださいました。

 おかげで今は、絶好調と言っても過言ではありません。きっと時間が経ったあとにひどい思いをするのでしょうが……



 ヴェルジュ山は昔から聖なる山とされてきました。

 というのも、星の神がご降臨なさったことがある――とされています。


 修道女教育を受けているわたくしが口にしていいことではありませんが、正直なところ、その話の真偽は定かではありません。ですが現実として、ヴェルジュ山に湧く清水には、魔物に対抗できる聖なる力があります


 わたくしは急ぎで動きやすい旅装を用意していただきました。山に入るものとしてはやや軽装でしたが、今回は山に『登る』のではありません。そしてそうである以上、最優先すべきは山の洞窟にはびこる魔物たちのほうです。


 どちらにせよ危険が伴う入山でした。

 その上、ヨーハン様は「夜に」と言って聞きませんでした。そのことでしばらくアレス様とカイ様に猛反対を受けておりましたが、わたくしが一言「行きます」と言ったことで、お二人は渋々許してくださいました。


 たとえ一時は魔物に心で負けてしまったからと人であろうとも。

 その魔物が離れた今、わたくしに様々な知識を与えてくださった学者であるヨーハンさまを、わたくしは信じていたかったのです。


 やがて待ち望んだ夜になり――


 満天の星を見て、ヨーハン様は満足そうに「よし」とうなずきました。

 わたくしにとっても、星空は無条件で嬉しい景色です。何だかすべてがうまくいきそうな、そんな予感を思わせる幸運の印です。


 けれどもいざ夜陰にそびえたつヴェルジュ山の前に立てば、その威容はあまりに圧倒的で、気を抜けば足が震えだしそうでした。


 星々はあくまで山を抱くように輝いていました。それはまるで、神聖な場所へ土足で分け入ろうとする者たちを、拒絶しているようにも見えました。


 わたくしは必死に心の中で自分を鼓舞しました。負けてはいけない。なにも、山と戦うわけではない。星の女神よ、苦しむ人々のためにどうか今しばらくお許しくださいと、まるで呼吸のように何度も何度も唱えながら。


「アルテナ様。こちらですよ」


 ヨーハン様の案内で、カイ様を含めて三人、ヴェルジュ山のふもとに開いた小さな洞窟の入り口をくぐります。


 中は暗かったため、ヨーハン様の松明とカイ様の魔術、二つの方法で明るくしました。どちらか一方が何かの拍子に消えてしまったときの用心です。


 おそらく鍾乳洞なのでしょう。つららのように白い石が、天井のあちこちからわたくしたちの通り道をふさいでいます。


 中は冷え切って寒く、カイ様が魔術で暖かい光も生みだしてくださいました。魔術って万能なのですね。改めてカイ様のすごさを思います。

 ただしわたくしがそういったことを口に出して称えてみても、なぜかカイ様は嬉しそうなような悲しそうなような、何とも微妙な顔をするのですが……。


「奥へ行けば広くなりますから~」


 先頭を行くヨーハン様が、松明を手にそんなことを言いました。

 声が、間延びしたものになっています。いつものヨーハン様の調子に戻ったみたいです。


「入ったことがあるのですか?」

「ええ。魔物学の研究にはここは欠かせませんし」

「魔物学に……?」


 バサバサッ

 何かのはばたきが聞こえ、わたくしがはっと頭上を見たとき、


「伏せて!」


 カイ様が空間に魔法陣を展開しました。青く輝く光、神秘的な古代文字――


 それは炎を生み、わたくしたちを襲おうとしたコウモリのような生き物をすべて焼き払いました。


「小さな魔物が多いんです~。気をつけてくださいねえ」


 ヨーハン様が剣を抜きはなちながらそう言います。


「アルテナ様はひたすら逃げてくださればいいので~」

「僕が守ります! 任せてください」


 ああカイ様が何と頼もしく見えることか。いえもちろんヨーハン様も信用しておりますから勘違いしないでくださいね!?


 ヨーハン様の言葉通り、洞窟の中には小型の魔物が山ほどおりました。

 情け容赦なく襲い来るそれらをヨーハン様が斬り払い、カイ様が洞窟に影響を与えない程度の術で焼き払います。術が使われるたび一瞬暑くなる洞窟。じっとり汗をかくほどです。


「聖水がある場所なのに、なぜこんなにも魔物が?」


 二人の陰でこそこそしながら(だって仕方がないじゃないですか!)わたくしは尋ねました。


「むしろ聖水が……ですかねえ」

「え?」

「魔物たちにとって、危険なものであると同時に、心惹かれるものでもあるんです。聖水は……神の力ですから」

「それはどういう――?」


 ヨーハン様は淡く微笑しながら、「進みながら話しましょう」と山の奥へ顔を向けました。


 途中、大ネズミが大量に発生して、カイ様が「ひっ!」と声を上げました。

 それは小型のイノシシほどのサイズのあるネズミでした。……それをネズミと呼んでいいのかどうかはともかくとして。


 そう言えばカイ様は動物が苦手なのです。戦いのときはやけになって却って強くなるのだと聞いていましたが、なぜここにきて突然恐がっているのでしょう?


「ね、ネズミ……っ」


 ……ネズミ?

 ネズミ――と言えば、人形遣いのソラさんが得意とする動物ですが……


「うわああああ!」


 カイ様が一段と大きな魔法陣を展開しました。今まで洞窟を崩さないよう、威力をおさえていたはずなのに。


「危ない!」


 ヨーハン様がわたくしをかばって地面に伏せます。


 直後、爆発が起こりました。洞窟がぐらぐらと揺れて、天井から鍾乳石が次々落ちてきます。

 大半の大ネズミはそれで駆除できたようです。ですが――

 爆発を逃れて、カイ様に突進するものが一匹。


「ひいいい! いやだあああ!」


 カイ様は悲鳴を上げて逃げ惑いました。この狭い洞窟の中では逃げるのに限界があります。ヨーハン様が起き上がるより先に、ネズミはカイ様に襲いかかっていました。


 カイ様は腰を抜かしてしまいました。そこをすかさずがぶりと、彼の腕を一噛み。


「うわあああああ!」


 カイ様の声が洞窟を壊してしまいそうです。いったいどうしたことでしょう。


 ヨーハン様が慌てて走り寄り、道具袋から出した小瓶の中身をカイ様にかぶりつくネズミに振りかけました。

 聖水です。ネズミがキシャーと異常な音を立てながら煙を立てて消えていきます。


「カイ! 大丈夫ですか」


 立ち上がれないカイ様に、ヨーハン様が慌てて応急処置をほどこします。

 わたくしもようやく彼らの元へと近づくことができました。


「ご、ごめんなさい……」


 カイ様はしょげかえっていました。「ネズミは……ネズミだけは……」


「動物の中でも一番嫌いなのですか?」


 それは初耳でした。動物ならば一律で嫌いなのだと思っていたのですが。


「……ソラちゃんに会うといつもネズミをけしかけられる。初めて会ったころからずっとそれを繰り返してきたんです……」

「………」


 やっぱり原因はソラさんですか。騎士の実家に行くことがあれば、一度叱っておいたほうがよさそうです。


「大丈夫ですよカイ様。ここにはヨーハン様もいます。一人で戦わなくていいのです」

「聖水もしっかり確保してありますよー」


 ヨーハン様が道具袋をふりふり陽気に言います。

 カイ様は噛まれた腕をさすりながら、うなだれました。


「はい……任せてと言ったのにすみません」


 責任感の強い彼らしい態度でした。

 わたくしは何だかかわいく思えて、カイ様を抱きしめ背中を撫でました。


「アアアアルテナ様っ!?」

「落ち着いてくださいね、大丈夫ですからね」


 孤児院の子どもが泣いたときと同じ処置をしただけなのですが――

 カイ様はなぜか、逆に錯乱してしまったようです。「うわああ」と声を上げたきり、口をぽかんと開けて固まってしまいました。


「……アルテナ様」

「何でしょうヨーハン様」

「あなたは罪な人ですねえ……」


 いったいどういう意味ですか。不本意です。

 けれどよかれと思ったことなのに、カイ様が嫌がっているのはたしかなようです。わたくしは名残惜しく彼の体を放したのでした。


 奥に行くにつれて、魔物の数が減っていきました。

 そして、ようやく禊ぎの間や聖水に使う水が湧き出る場所に出ました。


 ヨーハン様はそこで使った分の聖水を補充しました。そして、さっさと通り過ぎようとしました。


「もっと奥です~。一番奥です」


 これ以上奥……?

 一抹の不安がわたくしの脳裏によぎります。


 ここまでもかなりの距離がありました。

 クラリス様の術で一時的ながら全快にしてもらったとは言え、目的地はわたくしの体力が続く場所にあるのでしょうか。


 聖なる湧き水の地を境に、魔物は出なくなりました。


「ヨーハンさん。結局おねえさんに何をさせたいんですか?」


 最後尾を守るカイ様が、不審げに先頭のヨーハン様に尋ねます。

 ヨーハン様は振り向かず、松明の火だけが少し揺れました。


「この国がなぜ星の神をあがめるようになったか、お二人はご存じですかぁ?」

「なぜ星の神を――?」


 突然すぎる問い。わたくしは小首をかしげて答えました。


「かつてこの国の建国王が星の神と出会い契約を交わした。神がこの国を守る代わりに、この国は星の神を忘れず崇め続ける。そのはずでは……?」

「それは、後から都合よく作られた作り話ですねえ」

「え?」


 ヨーハン様は、首だけ軽く後ろを向き、悪戯っぽく言いました。


「答えはこの国が『石の国』だからです。星は――石です。そのことはご存じでしょう~?」

「はあ???」


 カイ様が、意味が分からないと言いたげに、「そりゃあ星は空の石くずだと言われていますけど、だからって……」


「大昔の人は賢かったんです~。星が石だと知っていたんですよ~。だから石に守られているこの国は、同時に星に守られていると知っていた――事実、『星の神』はこの国に加護をもたらしました~」

「???」


 カイ様が疑問符を散らしているのが分かります。

 ……その気持ちがよく分かります。何だか、分かるようで分からない話。


 石というのは地中から生まれるものではないのでしょうか。

 わたくしがそう尋ねると、「すべての石の源は、元は空から生まれているんですよ」とヨーハン様は微笑みました。


「もちろん、『最初の石』が――ですけれどねぇ。そこから、あらゆる種類の石が地中で生まれたんです~」


 途方もない話でした。

 けれど――どこか、心がうきうきするような話でもありました。


 足下にも当たり前にある石。これらの大本は空から生まれたなんて、少しだけロマンチックです。


「我が国は幸運にも星の神に愛されました。本来ならば外国も星の神の加護の範疇はんちゅうなのですが、不幸にも他に、星の神が石の源だと気づいた国はいなかったようです~。それと――」


 そこで、ヨーハン様は言葉を切りました。


 どこからか風が入ってきています。カイ様の魔術の火は動きませんが、ヨーハン様の松明の火は、相変わらずゆらゆら揺れています。


 どこから? ――奥から……?


 一段と狭い場所が見えました。思い切りかがまなければ、入れそうにありません。


「ここをくぐれば、目的地です~」


 ヨーハン様はそう言って、「くれぐれも気をつけて通ってきてくださいね」と言いながら、真っ先に腰をかがめて中へ入っていきました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る