第一部 貴方に、――2
「いったいどうしてそんなことに? 以前はあんなに王太子様に怒っていたじゃないの」
「……
……ということは。
「あなた、あのとき嘘をついていたのね? 王太子様のことを嫌うようなふりして――」
「ち、違うよ。あのころ呆れ果ててたのは本当なんだ。意見がはっきりしないのは変わらないし、軟弱なのも変わらないし、魔物を恐がるし、本当に本当に困ったやつだったんだ」
――でも。
そう思う一方で、生まれていた別の感情があった……と、つまりはそういうことなのでしょうか。
ラケシスは指をいじいじといじります。それはラケシスには珍しい、女の子らしいしぐさでした。
わたくしは、ゆっくりと尋ねました。
「じゃあ、今回王太子様がラケシスとの結婚を堂々と宣言してくれたこと……嬉しかったのね?」
「―――」
こくん。
無言で、首だけ小さく。
耳まで真っ赤になりながら――。
わたくしは妹への愛しさでいっぱいになりました。
王太子様への不安はまだまだあります。軟弱な性質自体が直ったわけではないようですから。
けれど――ラケシスにこんな顔をさせてくれたなら、もうそれだけで許せるような気がしてしまうのです。
ただ、問題は山積みで――。
「王太子様と結婚するということは、未来の王妃になるってことなのよ? その上、陛下たちは反対なさっているのでしょう」
「……うん」
しょんぼりと肩を落とすラケシス。さしもの彼女も、この状況をどうしたらいいのか分からないようです。
部屋がしんと静まりかえりました。
窓から差し込む冬の陽射しは柔らかく、人の心をほぐすようです。
「……私は」
ぽつ、ぽつ、とずっと言えずにいたのであろう言の葉を、ラケシスは唇からこぼしました。
「結婚なんて――願っていなかった。だって、できるはずがないと思っていたんだ。殿下はどうせ王妃様の言うことに逆らえずに決められた姫か誰かと結婚すると思っていたし……私は、剣の稽古を口実に少しだけ一緒にいられれば、それでよかった」
「でも殿下はあなたとの結婚を望んだのよ、ラケシス。殿下についていく気はある?」
「―――」
ラケシスは急に真顔になりました。
わたくしと同じ色の瞳を、まっすぐにわたくしに向けて。
「殿下が『ついてこい』というなら、私はついていきたいと思った。……王妃の器だと思うわけじゃないけど、あの殿下が何かを強く望んでくれることなんて……本当に珍しいんだ」
正直なところ――
王太子殿下は無責任だと、わたくしは思っています。町長の娘とは言え、一般人である娘をいきなり将来の王妃にしようとするだなんて。
ラケシスにばかり負担が来るでしょう。礼儀作法、勉学、周囲の目――あらゆることがラケシスに待っています。
その厳しさを理解できていないような殿下なのだと、話を聞く限り、そんな危うさがあります。
でも。
「……ラケシス。あなたは昔から、やると言ったことは必ずやり遂げてきたわね」
わたくしは微笑みました。「王妃になる勉強も……やってみせるつもりなのね」
今度は強く、うなずきが返りました。
「殿下は外国語に堪能なんだ。私にも教えてくれた。熱心に」
ラケシスの声に熱がこもります。
ラケシスは残念ながら外国言語が得意ではありません。わたくしも教えようとしたことがありましたが、覚えも遅く、それに関しては多分に困った生徒でした。
けれど殿下はそんな生徒でも、音を上げずに教えようとしてくれた――ということでしょうか。
ラケシスは隣国の言葉で、ひとつの詩をそらんじました。
「美しい発音ですね……!」
後ろで聞いていたカイ様が、手を叩いて賞賛しました。
わたくしも胸がいっぱいになりました。
――殿下にもいいところはある。ラケシスの恋は、手のかかる息子に対する母親心のようなものとは、違うのかもしれない。
お互いに助け合える関係なのかもしれない。
そう――そうであってほしい。せっかく思いが繋がったのなら。
わたくしはラケシスの手を両手で包みました。
「応援します、ラケシス。どうかぎりぎりまで諦めないで」
『絶対に諦めないで』と言えないのは、相手が王族だからです。さすがに……一般人には限界があります。
それでも。
精一杯の思いをこめて。
ラケシスはほのかに笑いました。
「頑張ってみせるよ。殿下が許してくれる限りは」
そうしてわたくしの手を握り返し、今度は悪戯っぽく笑って。
「でもさ姉さん。私、ひとつだけ目標を達成できなかったな」
「え?」
「――結婚、するんだってね? ヴァイス様と」
今度はわたくしが赤くなる番でした。片手を口元に引き戻し、こほんと咳払いをします。
けれどそんなことでごまかされてくれる妹ではありません。
「ヴァイス様に勝って、姉さんを解放するのが目標だったのにな。姉さん、ひどいよ」
「ご、ごめんねラケシス」
ラケシスは声を立てて笑いました。
「いいんだ。私も分かったからさ――他人にはひどい人間に見えても、付き合っている者だけが分かる良さがあるって」
式はいつになるの? とラケシスは言いました。
「私、出席できるかなあ」
すると後ろからカイ様が、力強く口を開きました。
「仮の式ですが、それについては僕からも王宮に言うつもりですよ。きっと出席を許可させてみせます」
わたくしがカイ様を見ると、彼はうなずいて、
「僕の――僕らアレス一行の言葉なら、陛下は聞いてくれます。聞かせてみせますから」
その言葉に、わたくしはちくりと心の痛みを感じました。
王族でさえ、彼らを重用する。そのことの意味を考えれば……素直に喜べません。
その思いを分かってくださったのでしょうか、
「大丈夫ですよ。僕ら簡単に魔王にやられたりしませんから」
とカイ様は微笑んで言いました。
そうだよ、とラケシスがカイ様を援護するように言葉を重ねます。
「アレス様もヴァイス様もカイ様も本当に強いんだ。私も初めて目にしたとき、格が違いすぎるって思った」
サンミリオンに生まれた
かくいうわたくしも、騎士の強さの片鱗は巨大スライムの件で見ています。
カイ様の魔術の欠片だって見たことがあります。
……信じたい。そう思うのに。
「どんな魔王なのかしら……」
不安ばかり生まれてしまうのは、敵の正体が掴めないから。
「国も調べてくれています。どうやら前回の魔王より弱いという報告も上がってきていますし、きっと大丈夫です」
カイ様は一生懸命、わたくしの不安を晴らそうとしてくれます。
「どうして『弱い』なんていう報告が……?」
「それは、魔物たちの統率が取れているようには思えないからです。魔物は各地で活発化していますが、どうも、前の魔王のときのような一貫性がありません。今度の魔王は魔物を完全に従えることができていないのではないかと」
「………」
「もちろん、油断してかかるつもりはありませんけどね。魔王のすみかとなる
そんな風に説明するカイ様の声に、恐れはありませんでした。
わたくしは胸の前で手を組み合わせました。
星の神よ。どうか、彼らの勇気が報われますように。
彼らが生きて戻れますように――
部屋が突然ノックされたのはそのときでした。
カイ様が返事をして、扉に向かいます。扉は外から開かれ、先ほど我々を案内してくれた人とは違う兵士が顔を出しました。
「ロックハート様、アルテナ・リリーフォンス様。失礼ながら本日の面会はこれにて終了とさせていただきたい」
え?
わたくしは驚きました。まだ、約束の時間の半分も経っていないのに。
カイ様の声が低くなりました。何かを警戒するように。
「……何か起きましたね? 何があったんです?」
「それはあなた方には関係のないお話です」
「僕が聞いているんですよ、ダヴリス少尉」
「………」
カイ様のオーラが増していることが、わたくしにさえ分かりました。静かな、怒りのオーラ――
ダヴリス少尉と呼ばれた兵士は、小さくため息をつきました。
「……エリシャヴェーラ王女が体調を崩されました。王宮はそちらで手がいっぱいです。どうぞ、ご理解ください」
「体調を?」
それは予想外だったのでしょう、カイ様が当惑した声を出します。
「エリシャヴェーラ様は以前からしばしば気鬱の症状があったでしょう。それがぶり返したのですか?」
「……いえ」
「では、どのような」
「あなた方の耳に入れるような話ではない」
少尉は傲然と言い放ちました。
カイ様のご威光をもってしてもこの態度――これでは、『重要なことが起こっている』と白状しているようなものです。
カイ様が黙り込みます。どうにかして話を聞き出そうとしている雰囲気です。ですが……
代わりにラケシスが口を開きました。
「分かりました。ではおっしゃる通り本日の面会はこれで」
「ラケシス?」
「しっ。姉さん、言うことを聞いて」
少尉に聞こえない程度の小さな声で、ラケシスはわたくしに言いました。
「私が調べてみるよ。たぶんシュヴァルツ殿下に聞けば教えてくれるはず」
「………」
「だから今は帰って。本当にごめんね」
わたくしはうなずきました。
そして、カイ様を促しました。
「カイ様。本日はこの辺りにしましょう。ダヴリス少尉、また面会の許可をいただけましたら大変嬉しく思います」
「それは私の裁量ではございませんが、王宮は善処することでしょう」
少尉の言葉ににっこりと応え、わたくしはラケシスと、それからカイ様と目配せし合い、悠々とラケシスの部屋から出たのでした――。
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