最終章

第一部 貴方に、――1

「では、行ってくる。――今日も気をつけるんだぞ、アルテナ」


 そう言って騎士ヴァイスはわたくしを抱き寄せ、額に口づけを落とします。


「はい、いってらっしゃいませ。アレス様たちによろしくお伝えください」

 わたくしは少し照れながら彼の腕の中で言いました。


 ――彼の家で過ごすようになって早二週間。彼は出かけるたびにこの調子ですが、いまだに慣れません。

 や、やっぱり修道女としては、はしたないとも思ってしまいますし。


 けれどもう、拒む理由もないのです――。


 外へ見送りに出ると、彼は馬にまたがりました。これからアレス様たち勇者ご一行の皆さんと、色々な相談をしにいくそうです。


 と言っても最近ではもっぱら騎士とヒューイ様――罠解除師トラップマスターで裁縫師でもある彼との口論で時間が過ぎてしまうとのこと。


「……ヴァイス様。あまりヒューイ様を困らせないであげてくださいね。わたくしは、平気ですから」

「あなたがよくても俺がよくない。何が何でも式を挙げてから出立する」


 わたくしは頬が熱くなるのを感じました。そう――騎士はわたくしとの結婚の儀を終えてから魔王討伐に出たいと、そう主張しているようなのです。


 と言っても、本格的な式となると準備に数ヶ月かかります。さすがにそこまで待つわけにはいきませんから、せめて仮の儀式のようなものを行いたいと――そう騎士は言うのですが。


 そのときのための騎士の礼服とわたくしのドレスを、騎士は以前の宣言通り、ヒューイ様にお願いしたのだそうです。


 そうしたら……まあ、案の定というか、ヒューイ様を怒らせてしまったようで。


 そもそも礼服もドレスも一朝一夕にできるものではないのでは、と騎士にいたことがあります。すると騎士は「ヒューイは裁縫の天才だからひと月もあれば十分だ」とのたまいました。本当なのでしょうか。


 勇者さまご一行のお一人ならば、それくらいできてもおかしくはないような……気もしますが。要するに手が尋常じゃなく器用で集中力が高いということなのでしょう。

 それに比例するように口も悪いのようなのですが。


 騎士から聞かされるヒューイ様の罵詈雑言の数々に、わたくしはよくそこまでバラエティ豊かに罵倒できるな、と思ってしまいました。どうも話を聞き過ぎて私の感覚もおかしくなっているようです。


「ところでアルテナ、ラケシス殿に会いにいくのは今日だったな?」


 最近の彼はわたくしをちゃんと名前で呼びます。それがくすぐったい今日このごろ。


「はい。カイ様のご案内で行って参ります」

「ラケシス殿は元気でやっていると聞いているから安心してくれ。たっぷり話をしてくるといいぞ」

「はい!」


 最後にわたくしの髪を撫でてから、騎士は手綱を打ちました。

 彼の乗る馬がみるみる内に王都の方向へと消えていきます。

 最後まで見送ったところで、わたくしの斜め後ろに控えていたウォルダートさんが、重々しく口を開きました。


「さて……ご準備なさいますか、奥様」

「お、奥様はやめてくださいと、この間お願いしたと思うのですが」

「はて。いずれ奥様におなりなら同じことかと。それまで待つのは時間の無駄と申しますか、気遣いの無駄と申しますか」

「む、無駄ではありませんっ」


 二人でお屋敷へと戻りながら、不毛な会話を今日も繰り返します。


 ――正直なところ、罪悪感もあるのです。騎士がわたくしとの結婚のために出立を延期しているという、そのことに。

 こうしている間にも魔王は復活の日は近づき、魔物は活発化しているというのに――


 本当なら一日も早く、彼の望んでいるように、……み、身も心も彼のものになってしまえばよいのでしょうが。

 王女エリシャヴェーラ様の妨害は深刻で、毎日のように何かしらのトラブルが起きてはわたくしたちの夜の雰囲気を壊すのです。


 豚牛羊の山から始まり、翌日には鶏の山がやってきて(わざわざ夜に!)、ある日はどこから集めたのか大道芸人たちをこのお屋敷の前で騒がせ、別の日には楽団を遣わして楽器を演奏させ――


 元より隣家がかなり離れているこのお屋敷とは言え、さすがに近所迷惑。わたくしは騎士の代わりにご近所へお詫び回りに行くはめになりました。


 ……恥ずかしかったのは、ご近所さんにもすでに「奥様」と認知されてしまっていることでしたが。


 おかげで夜もあまり眠れていません。このところ寝不足なので、騎士はわたくしに昼寝をするように言いました。

 ときどき、添い寝もしてくれます。

 ……手を出すことはありません。わたくしが疲れていると思ってのことでしょう。


 一日、一日と、彼の優しさを知っていきます。彼を拒絶していたころが嘘のように、わたくしは彼の胸にすり寄って眠るのです。


 そうして、王女の妨害に耐えながら、わたくしはその日への覚悟を着実に備えていきました。

 仮の結婚の儀が済めば、今度こそ――わたくしは彼のものになる。



 今日はとうとうラケシスと面会の許可が下りた日です。あの事件から二週間、ラケシスはいまだ王城に留め置かれていて、外出も許されていないと聞きます。

 そう言った情報は主にカイ様が教えてくれていました。

 そしてラケシスとの面会の許可を取り付けてくれたのもまた、カイ様でした。


「本当は軟禁しているほうがおかしいんですよ。本当に王妃様と王太子様には困ったものです」


 迎えに来てくれたカイ様が、早々にぼやきました。

 わたくしは首をかしげました。王妃様が問題なのは薄々分かっていましたが――


「王太子様も、ですか?」

「殿下はラケシス様にベタ惚れなんです。一日も離れていたくないとかで、今の状況を喜んでさえいます」

「………」


 聞けば聞くほど信じられない。王子とラケシスが恋仲だなんて。

 王子のほうはもう、耳にタコができそうなほど聞きましたが、ラケシスのほうはどう思っているのでしょう?


(今日こそ問い詰めなければ)


 わたくしは決意を新たにし、カイ様の用意してくれた馬車に乗りこみました。



 豪華な四頭立ての馬車はゆっくりと前に進んでゆきます。


「そう言えばおねえさん。最近ヨーハンさんとどこかで会いませんでしたか?」


 道中、ふとカイ様がそんなことを仰いました。


「ヨーハン様ですか……? いえ、会っていません」


 かつてわたくしに魔物の講義をしてくれたヨーハン様。思えばお名前を聞くのも久しぶりです。お元気でいるのでしょうか。

 カイ様は腕を組んで首をかしげ、


「実は王都に戻ってきているらしいんですよね、見かけた人がいたみたいで……でも、僕のところにも来ないし、ひょっとしたらおねえさんのところに行ってないかなと思ったんですが」

「わたくしのところにですか?」

「はい。だって以前の家庭教師のことだって、中途半端なままでしょう?」


 そう言えばそうでした。巨大スライムに襲われたあと、ヨーハン様はまるで敗北を引きずるようにわたくしに詫びて、そのまま姿を消してしまったのです。

 カイ様は腕組みをほどき、ため息をつきました。


「魔王討伐に関して、ヨーハンさんの知恵がほしいんです。どうにかして連絡取れないかなあ……」

「張り紙は出されたのですか?」

「出しましたよ。ギルドにも情報提供を呼びかけました。でも全然」


 おかしいなあとしきりに首をひねるカイ様。

 聞いているうちに、わたくしも得体の知れない不安を感じました。


 どこか気の弱いところのあるヨーハン様。おかしなことに巻き込まれていないとよいのですが……。


 馬車の窓から、やがて荘厳な王城が見えてきました。

 この国は石の国です。よそではなかなか見られないような珍しく美しい石が、王城には山ほどあしらわれています。


 太陽光に照らされきらきら輝くさまは、まさに王の居城。


 わたくしにとっては夢のような場所。別世界だったはずの場所に、今から行こうとしている――



 ラケシスは牢屋から軟禁部屋へと移されていました。

 今回はその部屋へ、直接入れてくれるそうです。もちろん、宮廷魔術師のカイ様が同行しているからこその厚遇です。


 軟禁部屋と行ってもそこはさすがにお城。ドアの装飾の見事さだけでわたくしは圧倒されました。「元は姫様の一人がお小さいころ使っていらした部屋なんです」とカイ様が解説してくれます。扉でこうなら中はどれほどのものなのでしょう。


 お付きの兵士が扉を開けました。

 中で、窓の外を眺めていた人物が、はっと振り向き顔を輝かせました。


「姉さん!」

「ラケシス」


 わたくしたちは互いに駆け寄り、抱き合いました。

 わたくしよりだいぶ背の高い妹。討伐者ハンターだけあって、たくましい体。それが今は少し痩せているようにも思えます。


 兵士はカイ様と一言二言話したあと、扉を閉めました。たぶん扉の外で見張りのように立っているつもりなのでしょう。

 お城の人がいない状態でラケシスと話をさせてもらえるなんて、ずいぶん王宮も譲歩したものです。どうやらカイ様の影響力はそれほどのもののよう。


 ――騎士に聞いたところ、「それも魔王復活が近いからさ」と笑って言われてしまいましたが。


「姉さん……姉さん、ごめん」

「何を謝っているの? ラケシス」

「だって、驚いただろう?」


 それはもう。天地がひっくり返るほどの衝撃だったけれど。

 ラケシスは罰が悪そうに目をそらしました。


「……私だって、こんなことになるなんて思ってなかったんだ」

「ラケシス」


 わたくしはラケシスの両腕に手をかけながら、優しく尋ねました。


「本当のことを言ってね。……王太子様と恋仲というのは、事実?」


 ラケシスの顔がぼっと火を噴いたように赤くなりました。

 この子はこんな顔をする子だったのでしょうか。姉のわたくしでさえ初めて見る顔です。


「――ほ、本当……だよ」


 目が泳いでいます。ごまかしの目ではなく、わたくしの顔を見るのが恥ずかしいようです。


 ああ神様! わたくしの妹は、ひょっとしてこれが初恋なのでしょうか?

 だとしたら、何てとんでもない相手に恋をしてしまったのでしょう!

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