ある卿の懊悩 前編*「もう、迷いません」ネタバレあり

 王室監査室の前身は異端審問所である。

 その昔――王室がまだ星の神を本当にあがめていたころ――星の神への礼を失した者を裁判するために生まれた。それがある日、神の御言葉をたまわる星の巫女が、こんな託宣を下したのだ。

『星の神は裁くことを望んでいない』

 王室は大パニックになった。それでは異端審問所の根本が覆されてしまう。

 ではどうするか。神の託宣は絶対だ――(とまだ思われている時代だった)――託宣を無視すれば国民からの心証も悪い。どうすればいい、どうすれば。

 考えに考え抜いた結果、異端審問所はなくなった。

 そして代わりに生み出されたのが、『監査室』だったのである。

 監査室は星の修道院を始め、あらゆる『神の名において』運営されている施設を監督するための場所だ。ありていにいえば、星の神の名にふさわしい行いをしているかどうかをチェックしているのである。裁くわけではない。だが時にはその強大なる実権でもって、様々な口出しをしてきた。


 この国で修道院と呼ばれるのは、星の修道院ただひとつである。

 それ以外に『星の神の名において』存在している施設は、主に孤児院、救貧院などの慈善事業所だ。

 彼らは、国にとって決して軽い存在ではなかった。彼らを守ってこそ、王室の権威は守られる。だがしかし、彼らは常に貧乏だった。運良くパトロンとなる貴族がついた施設もあったが、基本的にどこもかしこも火の車なのだ。

 そこで監査室が口を出すことになる。彼らの運営の仕方に無駄がないかどうか、徹底的に調べるのである。

 場合によっては、王室から金が出されることもある。それは王族の誕生日など、ごく特別なときにのみ行われることで、要するに国民に対するスタンドプレーだ。

 いくら出すかを考えるのも、監査室の仕事だった。


 かつては監査室の仕事を重要視する王族もいた。純粋に修道院や孤児院を大切な存在と認め、監査室の仕事に口を出した国王もいた。だがそれも連綿とは続かない。王族にも“当たり外れ”がある。誰にとっての当たり外れかは、場合によった。


 現国王および王妃は“外れ”の部類だと、現監査室長ジャン・エヴァレットは思う。

 はっきりきっぱり国民に興味がない。国を大きくすることには興味があるようだが、さりとて戦争をする度胸もない。その日その日が楽しければいいらしい。エバーストーン国の特徴であるさまざまな『石』――美しいものもあれば滑稽なものもある――を集めては、国内外の有力者を招いて自慢している。『石』によって魔王に狙われたことなど、もはや忘れたかのように。

 ただ、石は実際エバーストーン国の伝統文化でもあった。そのため、石を愛する国王は、国民にとって親しみやすいものであったらしい。エヴァレットにとっては下らない趣味だったが、幸いにして国王は大きく支持率を下げてはいない。

 問題はその子どもたちの方だった。

 王と王妃には五人の子どもがいる。そのうち男子は長男シュヴァルツ王太子のみ。他は全員姫である。

 その時点で国の基盤が少々危ういというのに、肝心の王太子は何とも軟弱な男だった。決して自ら前に出ようとはせず、意見もなく、唯々諾々と国王の命に従う。好き嫌いはあるのに主張せず、家臣に対して反抗することさえなく、王の器からもっとも遠いと言われる王子である。エヴァレットはときどきこの王子は他人の話をまったく聞いていないのではないかと思うときがある。

 加えて姫君たちの長――長女エリシャヴェーラ王女は、最初に生まれた姫だったためか溺愛されて育った。その結果、またろくでもない王女に育った。

 エリシャヴェーラ姫の気質がシュヴァルツ王太子にあったならば、少しは話も違っただろうが。


 しかしエヴァレットは、この国の将来を嘆いたりはしなかった。

(王子も王女も御しやすい)

 それが、エヴァレットの偽らざる感想だ。エリシャヴェーラ姫はわがままで癇癪持ちだが、慣れてしまえばどうということもない。下の妹姫たちはまだまともに育っているが、上の二人に(つまり一応王太子にも)逆らうことはない。

 操れる。そう思った。


 二代前の国王は、監査室に色々と口を出す人物だったという。やれ修道院の好きにさせてやれだの、やれ施しの金額を上げてやれだの、当時の監査室長を散々困らせたらしい。

 そしてその当時取り決められたいろいろなことが、改定されることなく今も守られているのが問題だった。

 エヴァレットは監査室長に就いて以来、あの手この手でこの面倒な取り決めごとを改定してきた。

 監査室の威光を取り戻すのに必死だった。監査室は元々絶大な権力を持っていたのだ。何しろ『神の名において』運営される施設に口を出す権利があるのである。それは、ひいては王族の結婚にも口を出せるということだ。


 かつて異端審問所であったころの輝きを知っているわけではない。

 だが、文献に残るそれらを再現することならできると――思っていた。

 今の王族ならば、操れる。そう考えている宮廷貴族は他にもいる。裏でひそかな話し合いを繰り返し、王族を傀儡(かいらい)にする準備を確実に進めてきた。魔王が現われたことさえ好都合だった。国王も王妃も魔王に対するよい案など持っていない。家臣たちがうまく取り入って、ハンターギルドを動かして、ようやく『それなりの』対抗策を編みだした。それにより国王が家臣に寄せた信頼の大きさこそが重要で。


 趨勢(すうせい)が変わったのは魔王が倒れてからか……

 否。”勇者が勝利を手にして”からだ。


 勇者アレス一行。それがエヴァレットたちの目の上のたんこぶとなった。国を守った英雄。国民からの絶大な人気。

 国王と王妃は手放しでその存在を褒めた。彼らにしては珍しいことだったが、よほど魔物に脅(おびや)かされる日常がいとわしかったらしい。魔王はたびたび名指しでエバーストーン王室を脅していた。まあ、そんな目に遭った王族の気持ちも分からないではない。

 問題は――

 勇者アレス一行に、まともな人間が若干名しかいなかったことで――

 アレス・ミューバッハは温厚だが、曲がったことの嫌いな性格だ。ときどき王室にも苦言を呈してくるが、彼はまだいい。王の名の下に適当にいなすこともできる。

 問題は。

 王族の名がまったくもって効き目のない勇者の片腕――

 ヴァイス・フォーライク。いったい誰がこんな男を創り上げてしまったのか。以前宮廷魔術師だったアレクサンドル・フォーライクを、ヴァイスを生み出した罪でを火刑に処すことはできないものかと、エヴァレットは真剣に考えたことがある。

 一時期、王宮に繰り返し誰かが無断侵入するという出来事が続いた。気がついたら王宮内の花や銅像の位置が動いているのだ。まるで心霊現象だ。恐がって本気で泣き出すメイドさえいた。ちなみに幼かった末子の姫は『このお城には妖精さんがいるわ!』と喜んでいた。

 不埒(ふらち)なことに侵入者は、いちいち『城の抜け道』を紙に書いては城内に落としていった。

 まったく業腹(ごうはら)な話だが、無視はできなかった。その紙に躍らされるように、王宮は警備を厳しくしていった。

 犯人に目星はついていたのだ。そう、本当は誰もが分かっていたのだ。当時はまだ少年だった、手のつけられない無法者のヴァイス・フォーライク――

 町でも散々に騒ぎを起こした男。

 幸か不幸か彼のそばには必ずアレスがいて、常識人であるアレスのおかげでヴァイスもだんだんと大人しくなっていった――かのように見えた。

 だがそれは、より巧妙になっていっただけだったらしい。

 侵入者はヴァイスだと誰もが分かっていながら、どうすることもできなかった。なぜなら、ヴァイスは町の人気者だったからだ。そんな男を刑に処すれば国民がどれほど反発するか、分からぬほど王宮も阿呆ではない。

 だから、ヴァイスがアレスについて魔王討伐の旅に出たとき、エヴァレットをはじめとする貴族たちは快哉を叫んだのだ。これで、やつの悪戯から解放される――


 さて。それはともかくエヴァレット卿には趣味がある。

 それは王宮でも知る者のいない密やかな趣味だ。その趣味に浸っている間、エヴァレットはすべてのわずらわしいことを忘れて心底癒やされることができる。この趣味がなければ、いけすかない貴族たちの集まる王宮を渡り歩いてはいけない。

 だが、その趣味は決して貴族たちにも、もちろん王族にも知られてはいけなかった。知られたが最後、自分の築いてきた立場が危うくなる――

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