アレができるまで*「あなたらしくありません」8、9あたり
「腹巻きを作ってくれ、ヒューイ!」
ヴァイス・フォーライクが突然そんなことを言い出したのは、サンミリオンに発生した魔物を討伐しにいくと決まったその夜のことだった。
場所は酒場。周囲の町人たちが酒の勢いで大騒ぎしているその一隅で、勇者アレス一行は今後の相談をしていたのだ。
(また何か言い出したぞ……)
一番隅の席で、カイ・ロックハートは身を縮めながらちびちびと果実ジュースを飲んでいた。
巫女アルテナの馬車についてサンミリオンに到着した翌日に、カイは転移魔術を利用して一人王都に帰ってきていた。そうしてアレスたちと合流し、今後の方針を相談したのだ。
と言ってもすでに結論は出たあとで、この酒場に来たのは打ち上げのようなものである。実際、仲間のうち女性二人はついてきていない。
今日も元気なヴァイスはテーブルにのっかり――
「頼む、ヒューイ」
「死ねやボケカス」
ヒューイは顔を引いて毒づいた。
カイほどではないが年齢の割には背が低く、細身の男だ。頬がややそげていて顔色が悪く不健康な印象を受けるが、実際は割と頑丈なほうである。しかし見た目とは重要なもので、彼は町を歩いていても避けられることが多い。
……本人もあまり人と交流したがらないため、願ったり叶ったりらしいが。
ヒューイはヴァイスを無視して酒をあおる。その隣で、アレス・ミューバッハがため息をついている。
「まあ話くらいは聞いてやってくれ、ヒューイ」
「冗談じゃねえ。どうせくだらねえ話だろ」
「くだらないだと? 俺の一生に関わる話だ! ここで失敗したら俺の一生は台無しだ!」
ヴァイスはテーブルの上で大げさにポーズを取る。ヒューイは鼻の上にしわを寄せた。
「腹巻きごときで壊れる人生ならさっさと自分で終わらせろや」
「されど腹巻き。腹は大事だぞヒューイ! 大切な差し入れになるだろーがっ!」
「さ、差し入れ……」
カイは思わずつぶやいた。即座にヴァイスがこちらを向いた。
「そう、差し入れだ。巫女のお父上にな」
「サンミリオンの町長にか? 腹巻きを?」
と、これはアレス。呆れ果てた顔をしている。
うむ、と大真面目にヴァイスはうなずいた。腕組みをし、アレス、ヒューイ、カイをぐるりと見回す。
「物騒な時代だ。町長ともなれば人一倍身の安全には気をつけなくてはならん」
「……それで?」
「ヒューイに作ってもらってだな、さらに魔術を施す。この世にひとつきりの最高の腹巻きだ。どうだ?」
「頭に蛆虫湧いてんのかてめえは」
すかさずヒューイの毒が飛ぶ。「違うさヒューイ」とアレスが重ねる。
「ヴァイスは脳がチーズのように発酵しているんだ」
それを聞いたカイは、ついぽつりとつぶやいてしまう。
「……チーズだったら栄養満点になっちゃう……」
「うむ。今日もひどいなお前ら」
ヴァイスは平気な顔だ。というのも、これが彼らの日常だからである。
ヴァイスの幼なじみであり、普段は温厚篤実なのにヴァイスにだけは辛辣な勇者アレス。
人より理性的だと自認しているものの、仲間にはつられがちな魔術師カイ。
そして最初から毒を隠す気などかけらもない、
こんな仲間に囲まれていながら、ダメージを受けることのない文字通りの“盾役”ヴァイスであるが、それにしても頑丈すぎるように思う。彼の堅さはいったいどこから来るのか、カイは時々研究したい衝動に駆られる。
「腹巻きはよせよヴァイス。もうちょっといい贈り物くらいあるだろう。王都の名物とか、紙とか貴重なものを」
アレスが当然の提案をした。
しかしヴァイスは「いや」と首を横に振る。
「一晩よく考えた末の結論だ」
「お前の頭はどうなってるんだ」
「では腹巻きの何が悪い?」
逆に問い返され、カイたちは一様に黙り込んだ。……何が悪い、と言われると……
まあ、役には立つだろう。相手の体型を知らなくてもある程度なんとかなる。特にそろそろ寒さも身にしみ始める時期だ。親しい人間に贈るのなら、まあ、悪くないかもしれない。
しかし、ヴァイスは巫女の父親と親しくなんかない。会ったこともないはずだった。
(怖いのはヴァイス本人は近しい人間のつもりでいるかもしれないってことなんだよね……)
巫女アルテナと結婚する気でいるヴァイスにしてみれば、巫女の父親も家族同然なのかもしれない。
その勘違いがどんな問題を起こすかと思うと、カイはアルテナに深く同情してしまう。
「巫女のお父上には健康でいていただきたいものだからな。腹巻きは健康器具だ」
いや健康器具ってほどのものでも。体にはいいだろうけども。
「……すっかりふぬけやがって」
ヒューイはうなるようにそう言った。「女、女、女。てめえ、そんなんでやっていけんのか?」
「やっていけてるじゃないか。何が問題なんだ?」
「ふざけんな魔物討伐をさぼりまくりやがって。こっちがどれだけ迷惑しているか――」
どん。テーブルに拳を叩きつけ、ヒューイはヴァイスをにらみつけた。ただでさえ悪い目つきが凶悪に光っている。
ヴァイスはきょとんとした。
「迷惑だったのか?」
「本気で言ってんのかこのボケ!」
「お前たちだけで手こずるような魔物はそうそういないと思っていたんだが……そうか、苦労させたなら悪かった」
「………」
う、とヒューイは引きつった。あちゃあ、とカイは下を向く。
魔物の強さに関して一番鋭いのは、なぜかヴァイスだった。野生の勘とでもいうのか、一目で敵の強さを見抜くようなところがあるのだ。
同時に、仲間の強さもまた。
実際ここ数ヶ月、ヴァイスがいなくて困るような魔物はいなかった。だからヴァイスは、残りの仲間たちの能力を信用していた、とも言えるわけで。
ヒューイだってそれを分かっていないわけじゃない。ただ……
徹底的に女性嫌いの彼にしてみれば、今のヴァイスはどうしても許せないらしい。
「まあ、その話はいいじゃないか。問題は腹巻きだ」
アレスが仲裁を始めた。腹巻きで仲裁するのもどうかと思う。
「ヴァイス、どうしても腹巻きがいいんだな?」
「うむ。どうしても腹巻きだ」
「そうか。俺はお前の頭が深刻に心配だが置いておくとしよう。ヒューイ、作ってやってくれないか」
と、ヒューイに顔を向ける。ヒューイが苦々しい顔をした。
「そこらへんの出来合いのもんでも使えよ。何で俺が」
「何を言っている? 俺はヒューイ以上に裁縫のうまい人間を知らん!」
ヴァイスが声を張った。とたんにヒューイの手元から酒の入ったグラスが飛んだ。
ヴァイスがひょいと避けたものだから、グラスはその向こうにいる他の客にぶつかり、中身の酒をぶちまけて大騒ぎになる。アレスが慌ててヴァイスを引っ張って謝りに行き――ちなみにヒューイを連れて行くと悪化するので連れてはいかない――客も勇者一行と分かったとたん寛容になる。一連の出来事を隅っこの席で眺めて、カイはほっと息をついた。
「で、ヒューイ。作ってくれるんだな?」
戻ってきたヴァイスは開口一番そう言う。
「しつけえ……」
ヒューイは獣のようなうなり声を上げて、……しかし、直後に不敵に唇の端をつり上げた。
「いいだろう。作ってやらあ、最高の腹巻きを」
「ヒューイ……?」
カイは訝しく思って前髪の間からヒューイを見る。
ヒューイは腰に片手を当てた。
「ただし条件がある。俺が作ったことを必ず相手に伝えろ、いいな」
「構わんが、なぜだ?」
「ふん」
ヒューイは険悪な笑みを浮かべ――、
「男が作った腹巻きを男から贈られた町長とやらの反応を知りてえだけだ」
「………」
ヴァイスは意味が分かっていないのか、首をかしげるだけだ。だが。
カイは青ざめた。このままではアルテナが苦労する未来しか見えない。どうしよう、何とかしてやれないのだろうか?
「とにかくいいんだな! よし、カイ!」
ぐりんとヴァイスがこちらを向いた。「お前にも頼むぞ! いい術をかけてやってくれ」
「え?」
「話を聞いていたか? 術だ術」
腹巻きに、術をかける。そう言えばついさっき、そんなことを言っていたのような……。
(え、それ僕がやるの?)
ヴァイスの目がきらきら輝いている。この目をするとき、ヴァイスはふしぎと相手に否と言わせない。夕日色をしたその目に捕らえられながら、カイは自分が逃げられないことを悟った。そう、いつだってこの騎士には敵わない。
せめて。
せめてアルテナのためにできることは、自分の持てる最高の術を腹巻きにかけてやるだけ――。
もちろんこのときのカイは、その腹巻きがのちに思いがけない形で役に立つことなど、知るよしもない。
(終わり)
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