妹、決心する。*「お約束はできませんが――。6」のネタバレあり。
「それは重畳! っと、あまり大声を出してはソラが起きるな」
――アホじゃないのお兄ちゃん、と妹ソラはベッドの中で兄に毒づいた。
そんな台詞が出てくるより先に、妹はもう起きていたのだ――兄が自分のネズミで落下したあのときに。
(巫女めあなどれん。我のネズミで兄を驚かすとはっ。おまけに素知らぬふりで『ごきげんよう』とは……あなどれん!)
そう思いながら、ソラは興奮で眠れなくなっていた。
何しろ巫女と兄が夜中に密会しているのだ。これでわくわくしないわけがない!
起きていることに気づかれぬよう、ベッドの中で息を殺す。……苦しい。ちょっとは呼吸してもいいか。超人的な兄のことだから、妹の呼吸がおかしいとか言い出しかねない。たまにあるのだ、あの動物的な感覚の持ち主は。
もっともそれを知っているのは家族や英雄仲間だけかもしれなかった。何しろあの兄は、交友関係が広いわりに深い付き合いが少ない。あのテンションについていける人間が限られているし、本人も広く浅くを好むタチなのだ。去る者追わず、を徹底してきた男だ。
追っているのはただ一人、巫女アルテナだけ。
(お兄ちゃんは本当に巫女が好き)
兄がソラの前で巫女について語ることは少ない。姉のモラが文句を言って、兄がそれに言い返したときに聞けるくらいのことだが、それでもソラは確信していた。
兄がどうして巫女をあんなに好いているのかは分からない。ことによると深い理由などないのかもしれない。何しろあの兄の行動に深い意味があったためしがないのだし。
だけれど、人が人を好きになるのにはきっかけさえあればいい。
ソラも今では巫女が大好きだからそう思う。巨大化してしまった人形を必死で止めてくれた巫女の姿を、ソラは今でも忘れていない。
さて、息をひそめながら耳を大きくして兄たちの会話を聞こうとするソラだったが、兄が不必要にあのデカい声をひそめてくれやがったせいで聞こえづらくなってしまった。
(魔術……なんか使ったらお兄ちゃんにバレる)
元々聴覚を広げる魔術など高度すぎてソラには使えない。カイに絶対習っておこうと心に決めて、ソラはなんとか兄の声を拾おうとする。
「……どうしてもあなたの頭の中に『俺に頼る』という選択肢がないと思うと、さすがに悲しくてな……」
(お兄ちゃん、“ジゴウジトク”!)
一応ソラもソラなりに、兄が巫女にどんな仕打ちをしたか把握しているのである。
兄には神経がないのだ。無・神・経、を絵に描いたような男だ。たぶんそれで女の人とお付き合いできないのだとソラはこっそり思っていた。
今まではそれで良かったのだ。無神経であることは家族にとってはたいしたことではないから(家族全員似たようなものなので)、兄はソラにとって唯一無二、完璧な兄でしかない。それにそのままなら兄を女の人に取られることがない。
でも、巫女だけは特別だから。兄には頑張ってもらわなければいけない。
一度、カイに相談したことがある。兄が無神経な言動を取るたびにネズミをけしかけてみてはどうだろう? と。
カイは曖昧に笑った。「ネズミも食べる彼には意味がないかもしれない」。ちなみに兄は生まれてこのかた腹を壊したことがない。
ではやっぱり人形だ。そうだ、アルテナを模した人形を動かせるようになってやろう。
そうカイに言うと、カイは口ごもった。
『……それは、ヴァイスは本気で怒ると思うよ』
どうして? ソラには今でもいまいち分からないのだが――。
「……揃っていれば、俺たちは最強だ。信じていい」
はっ。兄の話が進んでしまっている! 何の話だろう? あ、アレスのパーティの話かな。
どうやら兄は巫女のために魔物討伐にでかけるらしい。そうそう、そうやって点数を稼げばいいんだ。恋は地道だ。いきなり食いついては失敗するだけだ。
うちの兄弟は必ず最初にいきなり食いつくけれど、反省だってできるんだ! 畜生カイのやつ、今に見てろ絶対後悔させてやる!
「意地でも生きて戻ってきてください……ね」
いつの間にか巫女の声に変わっている。巫女は本当に優しいとソラは思う。どうもいつも考えすぎだし、自分のことでいっぱいいっぱいになってる感はあるけれど、それでも優しい。
何だか空気が変わっているのがソラにも分かる。甘い何かが、暗闇にしみこんできている。
もしやいちゃついているのか? ああ背中を向けて眠るんじゃなかった!
「無事に倒したらご褒美をくれないか」
「……何がほしいのですか」
「そうだな。もう一度口づけを許してほしい」
馬鹿! 馬鹿兄! どうしてそこで遠慮する! 今しろ今!
何なら今ここで“押し倒して”もいいくらいだ――ソラは日頃読んでいる本に出てきたフレーズを使ってみる。押し倒したあとどんなことになるのかは、残念ながら知らないのだが。
というか兄は今どこにいるのだ。窓にしがみついているのだろうか?
……やっぱり寝返り打ってみてもいいかな?
ソラは悩んだ。とても悩んだ。寝返りを打ったらこの甘い空気は壊れてしまうだろうか? 砂糖菓子が溶けるようになくなってしまうだろうか。
でも、見たい。お兄ちゃんを見たい。巫女とどんなことをしているのかが見たい。
十歳の好奇心は抑えきれなかった。ソラは思い切って寝返りを打った。兄たちのいる方向へと体を向けた。
「ん、ソラが起きそうだな。帰るか」
馬鹿馬鹿馬鹿兄――!
ソラは固く心に誓う。いつか兄と巫女が結ばれたならそのときは、きっと二人のいちゃついている姿を真正面から見てやるのだ、と。
そして彼女は今日も意気込んで人形を操るのだ。大好きな兄と、大好きな巫女の距離を近づける方法を探るために……。
(終わり)
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