カイとソラのカンケイ

「ソラさんはカイ様と仲がいいの?」

 サンミリオンに向かう馬車の中でアルテナが問うと、ソラは力いっぱい首を横に振った。

「仲よくない! カイは私をフッた!」

「え?」

 アルテナが目を見開いてカイを見る。

 カイは思い切りうつむいた。そうすると長く伸ばした前髪が顔を完全に隠してしまう。

「ソ、ソラさんはカイ様が好きなのね?」

「嫌い! 私をフッたから」

「……ええと。二人は以前からの知り合いよね……?」

「知り合い! お兄ちゃんの仲間だもん」

「そうよね。……で、結局、……どういうこと?」

 カイはうつむいたまま。ソラはぷいと顔をそむけてカイを見ない。

 そんな二人を交互に見つめてアルテナは首をかしげるが、ようするにこういうことだった。



 カイ・ロックハートはヴァイス・フォーライクの家族とも知り合いである。と言ってもカイが勇者の仲間になった三年前からの話だ。

 元々人間が苦手であるカイからすれば、無意味に活力にあふれたフォーライク家の人間は鬼門に等しい。そのためカイとしてはあまり近づきたくないのだが、ヴァイスはそんな事情などお構いなしである。

「カイ、今日ソラが家に一人なんだ。相手してやってくれ」

「は!?」

「頼んだぞ」

「ま、待って、ヴァイス……!」

 しかし聞く耳持たずのヴァイスはあっという間にカイの部屋から姿を消してしまった。

 一応、遊びにいったわけではない。彼は今日騎士として国の式典に出ることになっているのだ。いつもなら無視して遊びほうけているのだが、今回は『何が何でも出ろ、騎士の称号を剥奪するぞ』とのお達しがあった。それで渋々出向くことにしたらしい。

「はあ……」

 こちらの都合など考えない一方的な頼み。けれどカイはため息をつきながらも出かける支度を始めた。

 ヴァイスの末妹ソラはまだ十歳にもならない小さな女の子だ。一人きりで家にいるのはさぞかし寂しいだろう――そう考えてしまったカイは、苦労性っぷりでは勇者に勝るとも劣らないのであった。

 その苦労の大半は騎士に押しつけられたもののような気がしなくもないのだが。


 町外れにある騎士の実家『羽根のない鳥亭』は、騎士の父が始めた魔術具店である。

 騎士の父アレクサンドル・フォーライクは、魔術師の間では伝説とも言われる天才だった。騎士の家に生まれながら一人魔術の才能を伸ばし、若くして宮廷魔術師の資格を得た。古今東西のあらゆる魔術に通暁していたとも言われる。だが残念ながら、彼は変人だった――とにかく何かにつけて実験と観察を好む類の。

 魔術師はたしかに実験が好きだ。だが彼は群を抜いていた。彼の極端な猫背は、ある日アリの観察を始めたことでできたと言われる。彼は魔力にアリがどう反応するかの観察を三ヶ月の間毎日朝から晩まで続けたのだ。

 そしてその観察の結果はいまだ何の役にも立っていない。彼の自己満足である。

 アレクサンドルという男は自己満足のためにどこまでも努力できる男だった。

 彼の五人の子どもたちのうち、魔術師の素養があるのは一人きりだ。だが気質の点で言えば――

(……全員に受け継がれたってことなのかな……)

 カイはため息まじりに『羽根のない鳥亭』を開けた。

「ソ、ソラちゃん、いる……?」

 びくびくしながら中に声をかける。

 店の中は暗かった。アレクサンドルや長女、次女、三女は式典に出かけているため、今日は閉店しているのだ。

 なぜ末娘だけ留守番かと言えば、末娘は幼いということと……

「侵入者発見! 全軍突撃!」

「ひいいいいいっ!!!」

 前方からネズミの大群が押し寄せてくるのを見て、カイは即座に逃げ出した。店から飛び出し、立て付けの悪い扉の陰に身を隠す。

 しかし、

「いけえっ、敵を排除するのだ!」

 号令とともにネズミはカイの隠れる扉に群がってくる。キーキーと耳障りな音を立て、扉をかじり、カイの足をよじのぼる――。

「ひいいいいい」

 カイは縮こまって震えるばかりだった。彼は人間ばかりではなく動くもの全般が苦手だった。生物はなぜ動く? それを考え出すと恐ろしくなり、何もかもを投げ出したくなる。

 震えるカイの耳に、おごそかな声が聞こえてきた。

「カイよ。我が試練を越えられぬものに未来はない。今ここで死ぬか生きるか、選べ!」

「い、いや、ソラちゃん、お願いだから助けて!」

 店の中から、一人の小さな女の子が飛び出してきてにやりと笑う。

 ヴァイス妹の一人、ソラ・フォーライク。カイにとって一番苦手なフォーライク家の末娘――。

 彼女が式典に連れて行ってもらえないのは、つまり、……どこでもこんな調子だからである。



 ソラは五人兄妹の中で唯一魔術の素養を受け継いだ。

 父は喜んで末娘に魔術を教えようとした。だがそれを、母親が必死で止めた。理由は具体的に語られていないが、あの『伝説の』アレクサンドルがふつうの魔術講義をしたとも思えないので……推して知るべし、だろう。

 それでも歯止めをかけていた母が亡くなり、しばらく父に任せられてしまった期間がある。その間に小さな彼女の魔術基礎は出来上がってしまっていた。とんでもない方向に。

 いわく、『魔術は人を驚かせてなんぼ』。


「ソソソソラちゃん、僕言ったよね? ネズミを人にけしかけちゃいけないって」

「怪我はさせないようにした。カイが勝手に恐がっただけだ」

「そ、そうだけど! ふつうの人だって恐いと思うよ?」

「これくらいで恐がるようでは魔物になど勝てるか! これは試練だ!」

 小さな彼女は藁で作った人形を片手にぶんぶんと振りかざし主張する。

 ソラは、どうやら人形遣いの道に進むようだ。彼女は粘土で動物を作るのが天才的にうまい。いっそ芸術家になってくれたほうが、世界は平和だっただろうが。

 実はネズミを動かす術を教えたのはカイなのだ。彼自身、ものを動かす類の術は得意だったので――動く生物が苦手な彼がそれを得意としていると言うと皆がふしぎな顔をするが――『人形が動かせたら、女の子は喜ぶかな』と軽い気持ちで教えてしまったのだ。

 もちろん、彼の人生でもワーストに入る後悔である。

 『羽根のない鳥亭』はネズミにかじられた痕でいっぱいになった。扉の立て付けが悪いのも、それが原因だったりする。

「魔の託宣が下ったのだ……我に大いなる魔を操れと。この世界の支配者になれと!」

「ぐ、具体的に何を操るの?」

「お兄ちゃん」

 ……それはたしかに世界の支配者になれるかもしれない。

 というか、さりげなく兄を『大いなる魔』って。

 カイは旅の仲間をぼんやり思い出しながらソラをたしなめる。

「世界を支配してもいいことないよ。やめときなよ」

「カイはツマラナイ男だな」

 ソラは不満そうに唇をつきだした。「そんなんじゃ女にモテないぞ」

「モテなくていいよ、僕は……」

 二人、店の奥の居住スペースに向かう。

 店は狭い。魔術具だらけなのは当然としても、あちこちによく分からない置物があって道を狭めているのだ。

(よく見ると各国の置物なんだな。収集癖も相変わらず、か……あれ、なんだ?)

 巨大な人型の置物がある。見たことがない衣装を着ているので外国のものだろう。あの大きさだと……ひそかに貴重品なのじゃないだろうか?

 そのとき、聞きたくない音がどこからか聞こえてきた。

 キーキー、チーチーッ!

「え? ソラちゃんネズミは全部止めたんじゃないの?」

「え……えっと」

 ソラが急に汗をかきだした。カイは青くなった。ソラの知らないところでネズミが動いてる――ソラの魔力が暴走した!

「ど、どこだ!? どこにいる!」

「あ――あそこ!」

 自分のネズミだけにすぐに見つけ出したソラが、直後悲鳴を上げた。

「あ! それはかじっちゃダメ……!」

(――! あの、貴重そうな置物……!)

 ガリガリガリと容赦のない音が耳に届く。

 二人で駆け寄ると、一匹ばかりか三匹ものネズミが置物に群がっていた。一度に三匹分の魔力が暴走したとなれば、それはソラの魔力が成長したということなのだが、今は喜んでいる場合じゃない。

 カイはすぐに空中に魔法陣を描き、ソラの魔力を断ち切った。

 しかし、ソラのネズミのかじる力は半端ではない。わずかの間に、置物の底はぼろぼろになっていた。

「あ――」

 ソラががくんと床に座り込んだ。「ど、どうしよう……親父殿が、親父殿が怒るよ」

「……お父さん、怒ると恐かったっけ?」

「じ、実験体にされちゃう……!」

「……」

 アレクサンドルの一見優しげな笑みを思い出し、カイは思う。あの顔に何人の魔術師仲間がだまされたことか。

 一番恐いのは怒る人間ではない。笑いながらとんでもないことをする人間なのだ。

 だから――

 カイはおもむろに空中に魔法陣を描き、そして。

 ネズミにかじられた底の部分を、破壊した。


「カイ!?」

「――これで、犯人は僕になる。大丈夫だよ」

 ため息まじりにそう言い、ソラに笑いかける。前髪のせいで、あまり見えないだろうけれど。

「カ、カイ、でも親父殿には分かる」

「大丈夫。僕だって術には自信があるんだ――君の魔力は消しておく。大丈夫」

 と言っても、この店で突然カイが魔術を使う不自然さはある。

(ソラちゃんに魔術を教えていたとでも言おうか)

 カイがあれこれと考えを巡らせていると、

「カイ!」

 ソラが突然抱きついてきた。

「ソ、ソラちゃん!?」

 カイは目を白黒させた。小さな体は、小柄なはずのカイの腕の中にもすっぽり収まってしまう。頼りないのに活力にあふれた体。熱。存在感。

「カイ、お前いい男だったんだな。知らなかった」

「そ、そう? ありがと――」

「そうだ! カイがモテないなら私がカイのお嫁さんになってやる! どうだ?」

「――!?」

 ソラが嫁。ネズミの大群遣いのソラが。ことあるごとにネズミをけしかけられる生活。さらに今後は人形が成長する可能性もある。

 そして何より父はアレクサンドルで兄がヴァイスで――

 え、そんな生活、冗談でしょう?

「無理!」

 カイは声を上げた。正直すぎるほどの本音をそのまま。

 それはつまり、小さなソラの求婚を真面目に――そう、現実的に――考えてしまった結果、だったのだが――

 ソラの顔色がみるみる変わっていくのを見て、カイは失言を悟った。しまった、もっとマシな言い方もあっただろうに。

 何より――どうやらソラは真剣に求婚していたらしい。そのことに、カイは幸か不幸か気づいてしまったのだ――。



「カイなんか嫌いだ。未来の可能性を見ようとしない」

 ぷん、と顔をそらしながら十歳となったソラは言う。十歳のくせに大人びたことを。

 同じ馬車に揺られるアルテナが、くすくす笑いながらカイを見る。

「カイ様、きっと後悔なさいますよ?」

 ……それをあなたが言うんですか、お姉さん。カイは心の中で小さくつぶやく。

 分かってる。ソラがいまだに自分を好きでいてくれていることくらい。

 ソラが将来どんな人に――どんな女性になるのか、気にならないわけじゃない(被害は最小限に抑えたいので)。

 でも。

 ――後悔、する気がする。そっぽを向いたままのソラの横顔をひそかに見つめて、カイは思う。

 こんなに生き生きとした子なら、きっと未来も活力にあふれた美しい人になるのだろう。自分にとって一番苦手な――。

 一番、目を奪われずにはいられない、人に。

 そのとき自分は、ソラをまっすぐ見られるのだろうか。

(……いいんだ。ソラちゃんにはもっといい人が見つかるよ)

「カイ! さっきからなに人をじろじろ見ている!」

「うわああななな何でもないっ」

「カイ様、女の子をじろじろ見てはいけませんよ」

「おおお姉さん分かってて言ってるでしょう!」

 ――馬車は平和に道を進んでいく。どうか未来も、このまま平和で……


(終わり)

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