もう、迷いません。―8

「控えぃ!」


 ふいに広場を高声が裂き、集っていた町の人々がはっと動きを止めました。


 お父上が目をすがめて広場の入り口を見やりました。双子がお互いの手を握り、「まあ」と声を上げます。


 わたくしは目を丸くして新たな来訪者を見つめました。


 数人の兵士に囲まれ――

 騎乗した女性が、悠然と広場に入ってきます。


 一目で身分の高さの知れる綺羅。ズボン姿ながら、馬上には不釣り合いなほど着飾っていますが、おそらく早く駆ける気がないのでしょう。


 豊かな金髪を高く結い上げ、とりどりの髪飾りで飾っています。あれだけ飾りが多いと顔を動かすのも面倒なのではないかと思うのですが――


 腰には細身の剣を下げています。けれど剣を振るうにはその方は細腕すぎました。

 たぶん、それさえも飾りなのです。


「エリシャヴェーラ王女殿下の御前である。控えぃ!」


 兵士の声が、またたく間に広場の人々を緊張で縫いつけていきます。


 やがて幾分かの人々は広場をそそくさと出て行き、残りの人々はそれぞれに端のほうへと身を寄せ、嵐が過ぎ去るのを待つように、突如中心人物となった人を注視しました。


 姫君。――第一王女エリシャヴェーラ様。


 遠目に拝見したことはあっても、これほど近くで見るのは初めてです。ゆるりとした動作で広場を見渡す姫の動きは、まるで悠久に時間をつかうことを許されているかのよう。


「アルベルト」


 姫の声はよく通りました。「は」と短い声を返し、兵士の中から一人の男性が勇者像へと歩み寄っていきます。


 兵といっても年老いた男性でした。彼が手にしていた花輪を像の足下へ置くと、民衆の中から「おお」と歓声が沸きました。


「姫も勇者のために花を手向けられる……」


 当の姫は、献花する兵を見てはいませんでした。相変わらずゆったりと視線を辺りに巡らせています。


 やがて、


「姫。おりましたぞ」


 兵士の一人が手に持った槍をこちらへ向けました。


(………!)


 わたくしは地面に棒を刺されたかのように動けませんでした。王女がこちらへ向かってくる。騎乗したまま、兵士に守られ、ゆっくりと――


 一行がわたくしたちの前で止まります。

 馬上の美姫が、薄紅をはいた唇をうっすらと開いて。


「捜したわ、アレクサンドル」

「―――」


 一瞬、誰のことを言っているのか分かりませんでした。


「よもや私をお捜しとは、姫」


 そう答えたのは騎士のお父上。猫背を伸ばすわけでもなく、泰然としています。

 エリシャヴェーラ様は子どものように、つんと唇を突き出しました。


「だってエヴァレットに話してもらちが開かないんですもの。お前に直接頼んだほうが何かと早くてよ」

「ほう、私などにどんな御用で?」

「国民の不安を解消する方法をもうひとつ提案なさい。これだけじゃ足りないわ」


 騎士のお父上――初めて知ったのですが、アレクサンドル様とおっしゃるようです――は気むずかしげに眉を寄せました。


「無茶をおっしゃいますな。私は一介の魔術師ですぞ」

「うちの馬鹿どもよりずっと有能よ。ああ、どうしてお前のような才能をうちは手放してしまったのかしら!」


 〝うち〟には〝王宮〟の文字が当てられるのでしょうか。何だか、話の規模が違う気がします。


 姫は恨めしげに馬上からお父上――アレクサンドル様を見下ろすと、


「何よりお前が王宮で権勢をふるってさえいれば、わたくしとヴァイスの結婚を反対する者もいなかったでしょうに」

「はっは。それは何よりヴァイス自身が嫌がっておりますぞ、姫」

「お黙りなさい。お母様さえお許しくだされば問答無用だったものを」


 爪を噛む仕草がやはり子どものよう。たしか年齢はもう二十歳に届くころのはずなのですが。


「姫様は相変わらずね、リリ」

「姫様はきっと永遠にこのままなのよ、ミミ」


 父親の陰に隠れて双子がこそこそと話しています。どうやら彼女たちは姫君と遭遇するのが初めてではないようです。


 わたくしは――

 どうしていいか分からず、ただお父上の隣にたたずんでいました。


 たぶん、姫はわたくしの存在さえ目に入れていません。むしろそれでよいのです。よいのですが――


 少しだけ悔しい気がするのは、なぜでしょう?


「とにかくアレクサンドル、早く案を出しなさい。国民の不安をごまかすのにも限界があってよ」

「姫が国民のことを考えなさるとは。もしや『花輪』を提案なされたのは姫でしょうか?」

「そうよ。貧しい者でも花なら手に入るでしょう、そこらじゅうにあるのだから」

「なるほど。このアレクサンドル、感動いたしましたぞ」


 姫様は、ふん、と傲然とあごをそらしました。


「国民のことなんてどうでもいいわ。ただ、そうしなくてはヴァイスが私を認めないと言うから」

「……不肖の息子が、何か?」

「突然王宮に怒鳴り込んできたかと思ったら『自分の役割さえ果たせぬ女に興味はない』と! まったく、何が『役割』よ! そんなものに縛られて生きることに何の楽しみがあるというの!」


 ぎりぎりと歯ぎしりがこちらまで聞こえそうなほどです。顔立ちは美しい姫ですが、気性の荒さが眉に出ています。


 対するアレクサンドル様は、やっぱり平然と。


「そうおっしゃりながら、『王女の役割』についてお考えになったのですな。ご立派ですぞ」

「……ヴァイスが、そうしないと口を利かないと言うから」


 ぽつりとした声が馬上から落ちました。

 それは、一人の心細そうな女の子の声でした。


「―――」


 わたくしは胸がしぼられるように痛むのを感じました。今の一言だけで分かる。この姫は、騎士を本気で好いている――


 アレクサンドル様がちらりとわたくしの様子をうかがったのが分かりました。そして、


「……それほど不肖の息子を想ってくださるとは感激ですな。凱旋式でのアレはそれほどに勇猛でありましたか」

「それはもう!」


 一瞬にして姫君の顔がとろけそうなものに変わりました。頬が薔薇色に染まり、うっとりと雲の上を見つめて。


「あれほど強い男を私は見たことがないわ。やはり男は強くなくては。お兄様のように軟弱ではなく!」

「お兄上は心根がお優しいのですよ。それも大切なことですぞ――ところでシュヴァルツ殿下は今どのように?」


 シュヴァルツ。この国の王太子殿下のお名前です。

 兄上の名前が出たとたん、エリシャヴェーラ様の眉がきっと吊り上がりました。


「お兄様なら気鬱で臥せっていてよ、本当に軟弱なこと! 暗殺者が一人出たくらいでなんだと言うの――」


(暗殺者)


 わたくしの胸を、ひやりとしたナイフが突き刺さります。ああラケシス。ラケシスは無事なの。

 アレクサンドル様が「ふむ」とあごに手をかけ、


「気鬱……ですか。まだ、ご自分の部屋から出ておられない」

「誰が呼んでも出てきやしないわ。脆弱なお兄様のことですもの、このまま食事も取らずにいけなくなってしまうのではないかしらね?」


 第一王女がとんでもないことを口にします。「いけませんな、姫」とアレクサンドル様がたしなめました。


「何がいけないことですか。お兄様がいなくなれば必然的に私の夫が次の王となるわ。つまりはヴァイスのためよ」

「息子は王などやりたがらないと思いますが」

「やらせるわ。できないはずがないもの、そもそも勇者一行を鼓舞したのはヴァイスでしょう――同じことを国民に対してできないはずがない」


 ふふ、と姫はしなやかな指先で唇に触れました。


「楽しみね、勇猛で泰然自若の王――隣国に攻め入られても隙などないわ」

「………」


 本当に子どものような姫様でした。自分が信じたことを世界の基盤にして、そのまま生きることが許されている。


 それが、王女というもの。


 いえ――本当はそれではいけない。王族の生き方はそのまま国民の生き死にに関わる。


 ――だからこそ、王族の『役割』が重要なのに。

 だからこそ、王となるものの資質が――大切なのに。

 

「……御前失礼致します、エリシャヴェーラ様」


 気づいたときには、わたくしは声を発してしまっておりました。

 一般市民風情が王族と口を利くことなど許されていない。そんなこと、よく知っていたはずなのに。


「姫は、騎士ヴァイスも意思ある一人の人間と、認めていらっしゃいますか?」


 エリシャヴェーラ様の首が、おっくうそうにこちらに回りました。


 目が、合う――。こくりと、喉が鳴る。


「……この女はなぁに、アレクサンドル?」

「私の家と懇意にしている者です。ヴァイスのこともよく知っております」

「ふぅん」


 姫が鼻を鳴らすのが分かりました。いけない、その一瞬だけで姫様はすでにわたくしを『いないもの』へと変えようとしている――


「姫様、騎士にも心があります。それを無理やり王という器におさめてしまおうなど、騎士を愛する者として許されることでしょうか?」


 ――『役割』に縛られる人生は嫌と、言ったのは姫自身。それなのに。


「いいえ――騎士ヴァイスはきっと必要ならばその『役割』をこなすでしょう。けれどそれは、騎士自身の意思が伴ってこそです。強制されるべきことではありません!」


 姫君の顔が真っ赤に染まりました。姫の憤怒に同調したのか、それまで黙って控えていた兵士の一人が「黙れ! 平民風情が」とわたくしに槍を向けます。


 わたくしはひるみませんでした。槍の先端が目の前にある。冬の白い光を浴びて、ぎらりと目をさすように。



 かつて、騎士から逃げていた時期がありました。騎士に「妻になれ」と強制されることが嫌だった――わたくしの意思がそこにはなかったから。


 騎士は強引でした。有無を言わせぬ勢いのある人でした。


 けれど、最後の一線だけは決して踏み越えようとはしなかった。最後の最後の部分で、わたくしの意思を守ってくれた。


 ――騎士が自ら『王族なろう』というのならいい。


 でもそうでないのなら……わたくしは、彼の意思を守りたい。



「お黙りなさい! 私は王女よ、私の夫になるということはそういうことよ――王女に生まれたことが悪かったというの!」


 姫は半狂乱で叫びました。「私が何もしなかったと思っているの。ヴァイスのためならなんでもしたわ。それなのに言うことを聞いてくれなかったのは、ヴァイスのほうよ!」


 例えば『王女の役割』について考えてみたり――

 姫なりに、努力はしたのでしょう。


 わたくしは言いようもなく悲しくなりました。姫は姫なりに騎士を愛している。


 でも、人の心は複雑なもの。愛したから愛されるとは限らない。一度すれ違い始めたら、その先が結びつく可能性は限りなく低い。


 それでも――姫は王女。すれ違った糸を無理やり結ぶことのできる人。


 対してわたくしには何もない。彼の心ひとつにすがるしかない。一度手放したら、おそらく二度と手に入らない――そんな小市民。


 同じ人を愛しても、そこには決定的な差がある。馬上から見下ろす姫を、見上げるしかない自分とは。


「言い直します、姫様」


 ふしぎと、心が落ち着いていました。


 凪いでいく感情。その中央に、ひとつだけ譲れない想いがある。


「『役割』のお話は口実です。わたくしは姫様に負けたくないのです。――姫様、わたくしも、騎士を愛しています」

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