恐くなどありませんから。―11
「子どもたちは敏感だよ。知らず本質を察してしまうことがある」
破り裂き、机にばらまかれた紙片を、院長先生の視線がうつろに撫でていきます。
「私もその場にいた。恐ろしかった。英雄の剣が、魔物よりずっと」
「――そんな」
脳裏に蘇ったのは、巨大スライムを両断した騎士の迷いのない太刀筋――。
あのときの敵がもしもスライムではなく、獣や人に近い姿をしたものだったら……?
それを目の当たりにしたとき、わたくしは平静でいられるのでしょうか。修道女として。人と……して。
「彼らは――ハンターは、国の、私たちの恩人さ。彼らがいなくては国はもっと恐ろしいことになる。分かっちゃいるが、私にはどうしても彼らが子どもたちの教育にいい存在には思えない」
だからせめてと、先生は声のトーンを落としました。
「――せめて、子どもたちがもっと思考力のつく年齢に達してからにしたいんだよ。影響を受けるも受けないも、自ら選べるようになってから」
それはまるで、生まれたばかりの花を包みこむような声。
彼女はまぎれもなく子どもたちの保護者。脈絡もなくそう思います。
わたくしは少しだけ笑みをこぼしました。
「何がおかしい?」
「――いえ」
ごめんなさい、と小さく頭を下げながら、
「意外でした。院長先生がそんな消極的なことを仰るなんて」
「悪いかね。世の中刺激が多すぎて、守りに徹するので精一杯なんだよ」
怒っている様子はありません。たぶん、彼女自身も自覚しているのです。
だから、次にわたくしの言うことも分かっているはず。それでもあえて、わたくしは口を開きました。
「先生。アレス様たちは決して悪人ではありません。……それが彼らの選んだ役割であるだけです」
例えば、肉を得るためには動物を手にかける者が必ずいなくてはいけないように。
彼らが悪いわけではない。彼らが冷酷なわけでは決してない――。
そんな、当たり前のこと。
「騎士はその役割を忠実に、まっすぐにこなしただけでしょう。ただそれだけのことです。子どもたちにもきっと――分かると思います」
窓を閉め切った部屋は、静かでした。自分の声が、どこか遠くの世界で響いているように聞こえます。
「簡単に言うね?」
「そんなつもりはないのですが。そうですね、それでは子どもたちを、ふだんの騎士とも深くお付き合いさせてみてはどうでしょう? 幸いこの孤児院は騎士のお屋敷とそれほど遠くありませんし、騎士は子どもが好きですし、喜んでやってくれるのじゃないかと――」
「ふだんから素行不良で有名なあの男と?」
「あ」
思わず口を抑えると、院長先生は「ぶっ」とふき出しました。
「あはは! ほんと、おかしなことを言う女だねえあんた」
椅子の背もたれにもたれてひとしきり笑ったあとにこぼれたため息。それはどこか、張り詰めていたものを吐き出すような優しい呼吸でした。
「……そうだね。悪いほうにばかり考えてはいけないね」
立ち上がった先生は、破った手紙を見下ろしながら言いました。
「子どもたちを行かせるかは……、子どもたちの様子を見てから考えるよ。それと」
ふっと顔を上げ、「騎士ヴァイスとふだんから交流か。面白いかもしれないね――ねえあんた、騎士に話をつけてくれない?」
「へ?」
「何て顔をするんだよ。その口ぶりからすると騎士と親しいんだろう、ちょっとくらい話をしてくれてもいいじゃないか」
どうせなら騎士だけじゃなく勇者もいるといいね、とどんどん乗り気になっていく院長先生。
わたくしは慌てて答えました。
「わ、わたくしが頼んだところで聞いてくれるとは限りませんが」
と言うより、騎士は元から他の孤児院と交流があるような人ですから、わざわざわたくしを通さなくてもいい気がします。
仮にわたくしが頼んだとして――
彼は話を聞いてくれるのでしょうか?
わたくしを追ってくれていた、少し前までならともかく……今は?
逃げてきてしまったわたくしを、怒っているかもしれない。そうなったら頼みごとどころではありません。
(この孤児院の子と騎士を会わせてみたい)
無神経で素行不良。それでも、子どもたちと騎士の取り合わせはふしぎと違和感がありません。
アレス様やカイ様のことも、ぜひ子どもたちに知ってほしい(カイ様は逃げるかもしれませんが)。
英雄は決して武器をふるうだけの存在ではないと――
知ってほしい。わたくしがこの数ヶ月で知ったのと同じように。
廊下からいい匂いがただよってきました。夕食が完成に近づいているようです。
「そろそろ行こうか。うちのご飯はおいしいよ」
「わたくしも食べてよいのですか?」
「ここまで来てダメなわけがないだろう? 子どもたちの面倒をみてくれた礼だよ」
院長先生はわたくしの肩をぽんぽんと叩き、「どうせなら泊まっていくといいさ。――ん?」
ふと戸口に子どもが一人やってきて、「院長せんせーい」と声を弾ませました。
「お客さまでーす!」
「客? また郵便かい?」
「違いまーす! アルテナ先生に会いたいって!」
「わたくしに?」
「すっごいお客さまでーす!!」
報告の子は頬を真っ赤にして飛び跳ねんばかり。わたくしは院長先生と顔を見合わせました。すごい客とは、誰――?
「――巫女!」
その声を聞いた瞬間、心臓が飛び出しそうなほどに跳ねました。
孤児院の玄関には、応対に出たらしき女性――この方ももちろん先生です――が困惑顔で立っています。その前で、ずぶ濡れのマントを手に所在なげにしている彼。
わたくしを見つけるなり、満面を輝かせた彼――。
「き、騎士……」
「良かった! 本当にここにいたんだな……!」
ばたばたとこちらまでやってきて、わたくしの隣にいる院長先生にお構いなく大きく両手を広げます。
抱きしめられる――思わず身を縮め目をつぶったわたくしは、けれどいつまで経っても圧迫感がやってこないことに気づき、そろそろと瞼を上げました。
目の前で騎士が、何かをためらうような顔をしていました。空中に広げた手が役目を見つけられずにふらふらと下がっていきます。
「おいおい、噂をすればなんとやらじゃないかい」
院長先生が呆れ顔で言いました。その肘がつんつんとわたくしをつっついて、わたくしはいたたまれず騎士に問いました。
「ど、どうしてここが?」
「マリアンヌから報せが来た。迎えにこいと――良かった、客との面会が終わったらしらみつぶしに捜し回るつもりだったんだ。本当に良かった」
「………」
騎士はわたくしの前で、大きく息をつきました。マリアンヌさんがしばらく席を外していたのはこのせいだったのです。
(捜そうと――してくれていたのね)
ただそれだけのことが嬉しくて、顔がほころぶのをとめられません。
「ごめんなさい、急に出てきたりして……」
「ん? 構わんぞ、意味はさっぱり分からなかったが、俺の何かが気にくわなかったんだろう? それが解消されるまでは謝る必要はない」
けろっとそんなことを言う騎士。
怒ってない――。それどころか、いったいどんな解釈の仕方でしょうか。呆れを通り越して笑ってしまいます。
だが理由は教えてくれよ、と騎士は真面目な声で言いました。
「俺にはあなたの心は読めんのだ。……頼むから」
真剣な目がわたくしを捕らえます。
彼のふるう剣と同じ。迷いなく、強い。
ああ本当に。この人はこんなにもまっすぐわたくしを見ようとしてくれている。
実際にわたくしを理解してくれているのかどうかはともかく、わたくしから逃げたりなんかしない。
夕焼けの瞳の美しさ。それを思い出してしまえば、もう目はそらせない――
「……ちょっと。人んちでいつまでも見つめ合ってるんじゃないよ」
院長先生に再度肘でつつかれて、わたくしははっと我に返りました。
慌てて視線を動かすと、騎士の応対をしていたもう一人の先生が恥ずかしげに目をそらしています。
顔が燃え上がるように熱くなるのを感じました。「と、とりあえず!」と声を上げ、
「院長先生、彼に例の話をしてみますから――その、席を外しても?」
「いーけどね。あいにく部屋はさっきの部屋しか開いてないよ。子どもたちに聞かせられないような話はしないように」
「だだだ大丈夫ですっ」
「……ほんとうかねえ」
わたくしは咳払いをしてごまかしました。ああ、先生の視線が痛い。
*
騎士と二人で院長室へ入り、いつもなら開けっ放しのドアをそっと閉めると、
「ここはたしか修道院とは関係を絶っている孤児院だったな?」
騎士が振り返って言いました。「なるほど。それなら巫女のことも広まらないな。助かった」
「マリアンヌさんのおかげです」
「そうだなあ」
うなずく騎士に、わたくしは少しだけむっとして――それからすぐに反省しました。やきもちをやいている場合ではありません。
改めて、彼を見つめます。
髪や服の先が濡れています。この雨の中、おそらく馬で来たのでしょうが、それが彼が急いできてくれたことのしるしに思えて胸の奥がじんと熱くなりました。
「……お客さまとの面会は、無事に終わったのですか?」
「ああ。何事もなく」
気のない返事。どうやら彼にとって楽しくない面会内容だったようです。
「……やはり、出立式のことだったのですか?」
そう問うと、騎士は驚いたようにわたくしを見ました。
「どうして知っているんだ?」
「この院にも子どもたちの招請があったのです」
ああなるほど、と騎士は頭をかきました。彼の眉間に、面白くもなさそうに力がこもります。
「目星はついているからさっさと行けということらしい。こちらも戦いに出るのはやぶさかじゃないんだが、しかしな――」
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