恐くなどありませんから。―10

「うまくやってるみたいね」


 夕食が近づくころ、マリアンヌさんがひょいと姿を見せました。「ちゃんと懐かせてるじゃない。えらいえらい」


「違いますよ。わたくしのほうが遊んでもらっているんです」


 笑ってそう答えました。実際、そんな気分だったのです。


 マリアンヌさんは「ふうん?」と口元にかすかな笑みを浮かべ、わたくしの隣に座ります。


 子どもたちのうち数人は、他の先生につれられて台所に行きました。わたくしの担当は残りの子どもたち――。


 興味深そうにこちらの手元をのぞき込むマリアンヌさん。今は、工作をしているところです。


「ねえ先生! 見て見て、できた!」


 一人の男の子が何かを手にぱっと立ち上がりました。


「あら、それはもしかして剣?」

「そうだよ。やあーっ!」


 木の枝に細長い紙をかぶせたそれを上空に突き上げ、男の子は誇らしげに胸を張ります。


「俺はいつか勇者さまの仲間になるんだ!」

「勇者様……アレス様の?」

「それで騎士さまのお供をするんだ! とーっ!」


 木の枝剣をひとふり。人に向けることはないのは、多分先生方のしつけのたまものなのでしょう。


「騎士の……」


 勇者一行で騎士と呼ばれる存在はたった一人。意気揚々と素振りをする男の子の姿が、なんだかまぶしく見えます。


「ソイはヴァイスが好きなのよね」


 マリアンヌさんが笑いました。「凱旋式を見たんだものね、ソイは?」


「うん! 騎士さますっごくかっこよかった!! 魔物をね、こうやってね、えーいっ!」


 ひときわ力強い一振りは、この一瞬だけ彼を戦士に見せそうなほど気合いがのっていました。そこからひたすら「やーっ!」「とーっ!」と繰り返す彼をくすくす見ながら、マリアンヌさんがわたくしにこそっと口元を寄せます。


「一年前の凱旋式には子どもたちも呼ばれていたでしょう。あの式の最中にね、魔物が乱入したの」

「え――」


 そんな話は聞いたことがありません。わたくしが目をみはると、マリアンヌさんは苦笑しました。


「表向きには『』ということになっているわ。魔物も全部魔術で作った偽物ってことにして、王宮はごまかしたの。実際には魔王軍の残党が最後の力で襲ってきたのね」


「………」


 言われてみれば……『凱旋式で面白い余興があった』『勇者様のお力を実感できる催しがあった』などと、凱旋式に出席していた母が興奮して言っていた気がします。


 その魔物を相手にしたのがね、とマリアンヌさんは続けました。


「ヴァイスだったのよ。剣を抜こうとしたアレスに、『勇者の手をわずらわせるまでもない』って、かっこつけてさ」


「騎士が――」


 その日、マリアンヌさんは飲み物を運ぶ裏方として王宮にいたのだそうです。


 王宮の中庭で行われた盛大なパーティ。

 抜けるような青い空だったと聞いています。その晴天に、不穏な黒い影が飛び込んできて――


「あっという間だったわ。たしかにあの男は、戦士としては超一流なのよねえ」


 苦笑するような……けれどどこか熱のこもった目で、マリアンヌさんはそう言いました。


 わたくしは思わず彼女の横顔から目をそらしました。

 彼女の中にたしかにある想いのかけら。それはまるで触れられない美しい宝石のよう。


(……わたくしも、その場を見ていたかった)


「まあでも、必ずしもいい出来事とは言えなかったんだけれどね、あれは」


 マリアンヌさんの声がふとかげりを帯びました。


「え……」


 どういうことですか、とわたくしが尋ねるその前に、彼女はドアのほうを見やり、


「それにしても遅いわね院長。帳簿のチェックが終わったらこっちへ来るって言っていたのに」


 悪いのだけどアルテナ、とマリアンヌさんはじゃれついてくる子どもをあやしながら言いました。


「ちょっと、院長の様子を見てきてくれないかしら」

「……わたくしがですか?」


 思わず聞き返してしまうと、マリアンヌさんはにいっと意地悪な顔をして、


「院長が苦手なんでしょう。これも修行だと思いなさいな、あなた修道女でしょ」

「………」


 当てられてしまいました。わたくしは苦笑いをして、「はい」と立ち上がりました。




 院長室のお部屋は相変わらず開きっぱなしです。けれど勝手に踏み込むのも気が引けて、わたくしはまず声をかけました。


「院長先生。――先生。入ってもよろしいですか?」

「勝手にしなよ」


 中からはそんな素っ気ない返答。


「……失礼します」


 わたくしがおずおずと中に入ったとき、子どもたちが散らかした玩具の転がるお部屋の中央で、院長先生は机に肘をついていました。


 片手に、何か手紙のようなものを持ってひらひらさせています。それを横目で見る顔つきが、まるで嫌いな虫でも見るかのようです。


「そのお手紙は……?」

「今しがた届いたンだよ。またしち面倒くさい話をよこしやがって」


 けっ、と行儀悪く舌を鳴らす院長先生。

 わたくしとしては、町長の娘であったころも修道女となってからも、こういう人とはあまり関わることがなかったので、お付き合いの仕方に困ってしまいます。


 様子を見に来たはいいものの、どうしてよいか分からず立ち往生していると、院長先生の声がかかりました。


「あんたは何しにきたの。子どもらの世話は?」

「その、マリアンヌさんが先生の様子を見てきてほしいと」

「ああ……。悪かったわね、いつまでもそっちにいかないで」


 机に手紙を投げ出し、ため息まじりに先生は仰いました。「ちょっと、この手紙の扱いに難渋なんじゅうしてただけさ」


「その手紙はどなたからの?」

「王宮」


 わたくしは息を呑みました。思わず一歩前に出て、手紙を凝視してしまいます。


「ど、どのような内容の?」

「……近く、勇者アレス一行を王宮に招くんだと」


 院長先生は、指先でこつこつと机を叩きました。「で、その場に子どもたちを呼びたいと言ってる。要は凱旋式のときと同じだ」


 凱旋式のときに――。


 勇者様をたたえるため呼び集められたのは子どもたちでした。それも、いわゆる孤児が大半だったのだそうです。


 どういった意図があったのか、わたくしには分かりません。英雄の偉業をたたえるには、魔物の一番の被害者とも言える存在を呼ぶのがふさわしいと考えたのでしょうか。


 嫌な予感が忍び寄ってきます。王宮に、勇者様を呼ぶ。子どもたちを集めるからにはただの対話であるわけがない。まさか――


 まさか。


「もう、送り出すのですか? 勇者様たちを?」


 院長先生はぴくりと片眉を跳ね上げました。

 ――その目。


 一瞬で喉が干上ひあがりました。唾を飲み込もうとして、痛みだけが走ります。


「早すぎます!」

「たぶんとっくに魔物たちの不穏な動きは感知していたんだろうね、王宮は。それこそあの託宣が下る前にね。――何せ十年も魔王軍と戦ってきていたんだ。魔王が倒されてからも……気は抜いていなかったんだろう」


 褒めるところなんだろうけどさ、と院長先生は皮肉げな笑みを浮かべます。


「―――」


 わたくしは唇を噛みました。


 魔王復活の託宣があろうがなかろうが、魔物が不穏な動きをしているのを王宮がすでに掴んでいるというのなら、それは喜ばしいことです。


 けれど――送り出されるのは勇者様ご一行。


 王宮の命とあらば断れません。いえ――他ならぬ国のために、アレス様たちが断るわけがありません。


 今日騎士の家に来る予定のお客さまの用事は、このことだったのでしょうか?


(彼がもう行ってしまう……?)


 全身の血という血が、すべて落ちていってしまうような気がしました。


『俺が出て行くことになる前に』


 ベッドの上で囁かれた言葉。

 思い返せば狂おしいほどに、重い言葉。


(行かないで。まだ――向き合えていないのに)


 あんなつまらない嫉妬で、どうして逃げてきてしまったのでしょう。今さらながらに自分の浅はかさが呪わしい。


 うなだれたわたくしをまるで気にする様子もなく、院長先生は、コツ、と大きく机を叩きました。


「――子どもたちは行かせられない」


 一瞬、意味が分かりませんでした。

 しかし、その言葉を上書きするかのように――。


 院長先生は手紙を真っ二つに裂きました。


「……!」


 わたくしは驚いて顔を上げました。破り裂いた手紙を適当に放る院長先生をまじまじと見て、


「なぜですか? 子どもたちがアレス様たちと接する機会は素晴らしいもので」

「魔王軍に先手を打たれて、また魔物が乱入しないとも限らないだろう」

「そ――そういう危険性なら、今はもう普通に町中にいても同じことですし」

「そっちの話はしていないんだよ」


 うるさそうに先生は手を払います。「あんた、凱旋式で何があったか知らないんだね」


「……魔物を騎士が打ち倒したのではないのですか?」


 院長先生は暗い笑みを浮かべました。


「そうさ、騎士ヴァイスがぎ払った。身の丈人間の倍もある獣型の魔物と、人型の魔物と。容赦なく叩き斬った。!」


「―――」


 しんと部屋が静まり返りました。


 わたくしは言葉を失いました。院長先生は、ひとつ、ため息をついて。


「……子どもたちにとって、楽しいだけのことだったと思う? 喜んだ子はたしかに多かったよ。英雄の勇ましさは子どもも大人も問わず熱狂させた。場は大興奮だった。それはたしかだ」


 ……けれどね、

 

「同じくらい多かったんだ。泣いて英雄を恐がった子どもたちの数は――」

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