恐くなどありませんから。―3
テーブルはちょうど四人で囲めそうな大きさです。誰からともなく座ろうとすると、
「俺は席を外そうか」
そう言って、騎士が一歩退きました。「女同士、水入らずのほうがいいだろう。雨が降る前には迎えに来る」
「え? でも騎士――」
「ヴァイス様! それならぜひこっちのお荷物もお連れください!」
シェーラが嬉々としてレイリアさんを押し出します。
騎士は大真面目に応えました。
「いや、その荷物は俺には重すぎる」
「いえいえ小さいので軽いですよ。口がだいぶ悪いだけで」
「か弱い乙女をつかまえてなかなかひどいですねあなた方」
「あんたのどこがか弱い乙女なのよどこが!」
……などというやりとりがありつつ……
結局レイリアさんはシェーラの護衛を理由に頑としてその場を離れず、騎士だけが手を振ってどこかへ去っていきました。
「はあ……」
四阿の椅子に座り、シェーラが大きくため息をつきます。
「ヴァイス様がいないと寂しいわね」
「何ですかお嬢様。アルテナ様の恋敵に立候補ですか」
「違うわよ。ヴァイス様って、いるだけで何だか空気が違うでしょう?」
「………」
そうなんですシェーラ、と心の中でわたくしは大きくうなずきました。
口を開けばもちろん、口を閉ざしていてさえも場を支配しかねない存在感。今こうしていなくなってみるとなおさら実感できます。
……寂しい、という感情を残った者の心に生み出して。
つい黙りこくって、沈黙の中に身をゆだねてしまいたくなります。彼のことを考えていたくなる――。
(いけない。話をしなくては)
せっかくシェーラに会えたのです。聞きたかったことを全部聞かなくては。
椅子に座ったわたくしは、向かいのシェーラを見つめました。
「元気そうで本当に良かったわ、シェーラ。手紙の返事がないから心配していたのよ?」
「……手紙の返事?」
シェーラがきょとんとします。「それって、サンミリオンに行ってからすぐにくれた手紙?」
「そうよ」
「それならすぐに返事を出したわよ。そろそろそれの返事が来ないかなって期待していたから、アルテナ自身が来るって聞いてびっくりしたのよ?」
「返事を出した?」
今度はわたくしがきょとんとする番でした。
「わたくしは受け取ってないわ。いつ出したの?」
「え? いつって、手紙を受け取ってすぐ――え?」
シェーラの顔色が青ざめていきます。「うそ、郵便事故?」
「魔王がいた時期ならいざ知らず、今現在郵便事故は考えにくいですね」
レイリアさんが静かにそう言いました。「どちらかと言えば、勝手に検閲されて握りつぶされたのでは」
「に、握りつぶすって。そんな大層なこと書いてな――」
言いかけてシェーラは口をつぐみました。だんだんと、肩が落ちていきます。
「シェーラ?」
「……大層なことでは、ないけど。愚痴は書いた……。星祭りに対する修道院と王宮の対応があんまりだったから、腹が立って」
「王宮に対する批判ですね」
レイリアさんがずばりと切り込みます。「見る人によっては隠されるでしょう。まして手紙の相手はアルテナ様です」
「あ、アルテナだと何がいけないの?」
「アルテナ様のお父上は反王宮派ですから。加えてアルテナ様は、民衆に人気のある勇者パーティと懇意にしておられます」
「そんな……」
わたくしは呆然としました。そんな話題を口にするのもいけないほど、王宮は敏感になっているのでしょうか?
「王宮は今人気取りに必死です。何せ王太子とその妹君の人気のなさが尋常ではありません――ずっと隠していたのですが、だんだん隠しきれなくなってきたんですね」
「ちょ、レイリア、そんなこと言って大丈夫なの?」
「平気でしょう。そのためにヴァイス様はこの場を離れたんですから」
「え?」
話にまったくついていけません。「え、どういうこと? 騎士が何を?」
「シェーラお嬢様は修道院を出たところからつけられていました。ヴァイス様はその連中を捕まえにいったんです。ですから、今なら周りに誰もおりません。何を話しても大丈夫」
「―――」
わたくしとシェーラはあ然とするばかりです。レイリアさんだけが落ち着き払って座っています。
(な、何だか騎士と通じ合っているみたい……)
そこはかとなく悔しい。わたくしはレイリアさんをこっそりにらみました。
それにしても――王太子様の人気のなさ?
(ラケシスの言っていた、気弱な王子様……?)
妹の話を信じるなら、たしかに未来の王として戴くには不安のある人物です。
そしてその妹、エリシャヴェーラ様。
ここしばらくの間、わたくしの身に起こっている騒ぎの原因――と思われる人。
「………」
わたくしはその話をシェーラたちにするかどうかで迷いました。変に伝えてしまっては、巻き込んでしまうかもしれない。
スライムに襲われたときのことを思います。
あれがもっと強力な魔物だったなら。騎士が来るのがもう少し遅れていたなら。
そしてそれに、シェーラたちを巻き込んでしまったとしたなら。考えるだけで身震いがするのです。
「アルテナ?」
「あ……何でもないの」
わたくしは慌てて笑顔を取り繕いました。「それにしてもシェーラ、星の巫女に選ばれていたなんて驚いたわ」
するとシェーラは、苦く笑いました。
「違うのよ。私は星の巫女に抜擢されていないの」
「え?」
「今回の星祭りはね、星の巫女の託宣を行わない方向でいたの。何故かって、誰も巫女になりたがらなかったのよ。アルテナのような目に遭いたくない――って」
「―――」
「でも私は
つまりシェーラの託宣は『星祭りの夜』には行われてはいないのです。シェーラの託宣が先にあり、それを知った王宮が急遽星祭りを行った――
その急ごしらえの星祭りの場で、シェーラは託宣が下ったふりをしたというのです。
「ほんと、馬鹿げてるわよね。どうしても星祭りでの正式な託宣であってほしいというのよ」
シェーラは自嘲気味に笑いました。
わたくしは胸が苦しくなりました。周囲がどうしても正式な託宣であってほしいと望んだのは――正式な託宣の神聖さを取り戻すためでしょう。
そしてその神聖さを穢してしまったのは、他ならぬわたくしの託宣なのです。
「……わたくしのせいで」
「違うわ」
わたくしのつぶやきを、シェーラは即座に否定しました。
「アルテナの託宣のせいじゃないわ。問題は、その託宣を後になって否定した王宮よ。おまけに今回無理やりに正式な託宣を作り出したりして――。穢しているのは王宮だわ」
「ですが、おかげで民衆の間で託宣の重要性は蘇りました」
レイリアさんがおごそかに言い添え、シェーラは黙り込みました。
豊かな髪をしきりに指でいじっています。イライラしているときの、彼女の癖です。
わたくしは少し笑いました
「でも、やっぱりすごいじゃないシェーラ。御声拝受で魔王の降臨なんて大きなお声を聴くことができたなんて――。きっと、本当の意味で選ばれたのよ」
「……そうかしら」
「そうよ。毎日真面目に修行してきたんだもの。素晴らしいことよ」
するとシェーラは急に切なそうな目をしてわたくしを見ました。
「……その意味でなら、あなたのほうがすごいはずよアルテナ。私があなたに、修道女として行いで勝てるわけがないもの」
「シェーラ――」
「だから私はね、余計に腹が立つのよ。アルテナを遠回しに放逐した王宮の態度に。こんな模範的な星の巫女を追い出してどうしたいってのよ本当に!」
憤然と肩を怒らせるシェーラ。頬が紅潮して、彼女の本気の怒りを表しています。
「シェーラ……」
わたくしはうつむきました。
そんなわたくしを心配したのか、シェーラが怪訝そうに声を曇らせました。
「なに、どうしたのアルテナ……?」
「……わたくしは、もう修道女の資格はないかもしれないの」
「え?」
シェーラが息を呑む気配が伝わってきます。その間たっぷり五秒。
そして、
「ま、まさかアルテナ……ヴァイス様と結ばれちゃったの!?」
ごふう。
何もないのに腹を痛打されたような痛みが走りました。わたくしは木のテーブルに思い切り突っ伏しました。
「え、なに? 違うの?」
「……お嬢様、冷静にアルテナ様をご覧になってください。どう考えても処女です」
「そんなの見て分かるものなの!? レイリアあんたどんな人生たどってきたのよ!」
「お嬢様が
「レーイーリーアーさぁあああん」
地の底を這うような声が出ました。我ながら迫力です。
うわあアルテナ、とシェーラが
「わ、分かったわアルテナ、違うのね? よく分かったから」
「お願いだから最初から分かってシェーラ……」
「だって修道女の資格がないなんて言うんだもの。修道女の資格をなくすときって言ったら……ねえ?」
「ねえ、じゃありません、ねえ、じゃ!」
志の問題なのよとわたくしは主張しました。
「修道女は清廉潔白、私利私欲などに流されてはいけない。隣人を愛し、広く人々のために心を尽くす――」
「それはよく分かっているわ。でもアルテナ、それじゃあどこが駄目だって言うのよ」
「わたくしは」
言葉が止まりました。
唇を強く噛みます。どうしてこんなことになってしまったのか。修道女を志したときからずっと、その道だけを追い求めていたつもりだったのに――。
でももう遅い。感情は生まれてしまった。
「……わたくしは、個人として人を愛してしまったようだから」
………。
「きゃああああっ」
シェーラの黄色い声が周囲の木々までざわめかせました。驚いた小鳥が一斉に飛び立っていきます。
「お嬢様、お静かに」
「ごめんでも、ああ、なんて素敵なのアルテナ!!!」
立ち上がり両手を組み合わせ、夢見るようにうっとりとするシェーラ。
あまりのはしゃぎように、わたくしまで一歩引いてしまいそうです。椅子があるので無理ですが。
「……あのねシェーラ、これはいい話ではないのよ?」
「何を言っているの? だって相手はヴァイス様でしょう? これはもう星の神のお導きだわ!」
「き、騎士だなんて言ってないわ」
「あら違うの?」
「―――」
「ほらやっぱり。ああ、なんて素敵な恋の花……!」
……シェーラはちょっと恋物語に夢を見すぎなのではないでしょうか。マクシミリアン様との関係の反動かもしれません。
「これのどこが素敵なの? 無神経に言い寄られたあげくよく分からないうちに気持ちを動かされただけ、みたいな話よ……」
「アルテナはそんな恋は嫌なの?」
「嫌もなにも、起こってしまったことは仕方がないわ」
「ほら! そんな恋でも受け
「………?」
たしかに――。
こんな恋をするはめになって、がっかりしているわけではないのです。
むしろ自分には似合っているようにさえ思います。まして相手があの騎士ですから。
きれいな恋の花など咲くわけもない。
この恋は例えるなら草地の小さな草。踏み荒らされて、それでも立ち上がる彼らのような。
(草……のような)
何気なく足下の草に視線が落ちました。
冬のこの時期でもしぶとく残る草の強さ。それを眺めて、口元がほころびました。そんな力強い緑のような恋ができるなら――悪くない、なんて。
やっぱりわたくしも、恋に酔っているのでしょうか? 星の巫女という長年の夢との狭間、どちらも大切なのだと矛盾した心がわたくしをさいなむのです。
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