恐くなどありませんから。―2

「もしも巫女を知っている人間と鉢合わせしたら、色々面倒だろう?」

「それは確かにそうですが……本当にそれだけですか?」

「変装していれば周りに騒がれず堂々と一緒に歩ける!」

「……やっぱり無理です、行くのは」

「どうしてだ!?」


 なんていうやりとりもありつつ、結局は王都に戻ることになったのですが――。 




(な……なんだか異様に緊張する!)


 修道服でもなくドレスでもない、ふつうの王都式町民服。そしてそれに似合うメイク……

 騎士の知り合いの手によって、わたくしは見事に変身させられました。


 どうしてなのでしょう。元から地味な顔立ちをさらに目立たぬように変えただけのはずなのに、ふしぎなほど印象が違うのです。わたくし自身でさえ、鏡をのぞきこんだとき「これは誰だろう?」と一瞬混乱したほどに。


「できたわよ」


 そう言って、目の前の女性が化粧で汚れた手を拭きました。


「あ……ありがとうございます」


 わたくしが頭を下げると、女性は微笑んで「いい出来だわ」と誇らしげに言いました。


「助かったぞマリアンヌ、よくやってくれた」


 騎士が女性に握手を求めます。


「なかなか難題で楽しかったわよヴァイス」


 それに軽く手を出して応え、女性はわたくしをちらりと見て言いました。


「それにしてもあなた、磨けば輝きそうなのにもったいないわねえ」


 髪をきれいに結い上げた美しい女性です。そこにいるだけで圧倒されるような雰囲気といい、社交界に出ても通用しそうですが、本人は酒場の給仕がお仕事なのだそう。


 あるいはそういうお仕事だからこその華やかさなのかもしれません。派手ではないのに美しさを引き立てる彼女の装いを見ていると、わたくしは自分のり方に疑問を感じてしまいます。


(……そもそもわたくしは修道女だし、お化粧は似合わないし、地味で構わないと思っていたんだけれど……)


 でも、こうして騎士の隣にいるマリアンヌさんを見ていると……何だかお似合いな気がして。


 元々騎士自身が華やかな人です。その隣には存在感のある人のほうが合うに決まっています。


 そう思うと、胸がちくちくと痛むのです。


「ねえヴァイス。この子を説得してみたら? もったいないわよって」


 マリアンヌさんは目を輝かせ、期待するように騎士を見つめます。

 騎士は首をかしげました。


「別にどうでもいいだろう。巫女が好きな装いをしていればそれで」


(騎士……)


 痛んでいた胸がほっと和らぎました。

 これは甘えでしょうか。本当は美しくなったほうが騎士だって喜ぶに決まっているのに。


(でも……嬉しい)


 ふうん、とマリアンヌさんが興味深そうに目をすがめます。


「そんなにこの子が大切なの、ヴァイス」

「大切だが、何か問題があるか、マリアンヌ」

「……よく言うわねえ。昔あなたに言い寄った女相手に」

「………!」


 わたくしはうろたえました。

 おそらく顔に出たのでしょう、マリアンヌさんはわたくしを見て妖しく微笑みました。こちらに近づき、耳打ちをするように囁きます。


「気をつけたほうがいいわよ? この男はとても優しくて、ひどく残酷だからね」

「………」

「何の話だ?」


 聞こえていたようです、騎士は本気で理解できていなさそうな顔で言いました。


 わたくしはどう応えていいか分からず、ただマリアンヌさんを見つめました。


 マリアンヌさんはにっこりと笑って、わたくしの手を取りました。


「何はともあれ自信を持っていいわよ。こんな奔放な男の気持ちをとらえたなら、あなたにはそれだけの魅力があるんだから。たとえどんなにささいなきっかけでもね」




「シェーラ殿に手紙を出しておいた」


 マリアンヌさんの工房を出ると、騎士は空を見上げて雲の位置をたしかめました。「ん。雨が降るかもしれんな」


 言われてみると向こうから流れてくる雲の色が暗い。雨雲にも見えます。

 わたくしは憂鬱に思ってつぶやきました。


「ソラさんやアレス様たちのお怪我に響きますね」

「その中に俺は入っていないのか巫女よ」

「騎士は雨だろうが嵐だろうが怪我くらい治すでしょう?」

「その通りだが、何か悔しいな」


 ぶつぶつと言いながら左肩をさすります。わたくしはそこにある裂傷を思いました。口では何と言おうと、心配していないわけがありません。


 本当は定期的に傷口を見せてほしいくらいなのですが――そんなこと、恥ずかしくて言えないじゃないですか。




 わたくしと騎士、アレス様にカイ様、そしてソラさんは、全員揃って同じ馬車で王都に戻ってきました。


 カイ様は「ソラちゃんをちゃんと家に帰す約束をしたので」、アレス様は「ヴァイスと一緒ではアルテナが大変だろうから」とのことでしたが……帰りの馬車の中はそれはそれはにぎやかなものでした。ソラさんは怪我が治りきっていないのにはしゃいでネズミを暴走させるし、カイ様はソラさんの対応に追われるし、騎士はわたくしにひたすら構うし、アレス様はそんな騎士につっこみつっこみつっこみ続けるし……思い出すだけで疲れます。


 それでも、行きの馬車での騒ぎを考えれば何て平和な道程だったことか。

 もしも何か起こっても……この顔ぶれならばどうにかなると、そう信じられる。


 ただ、王都に着いても全員一緒に行動はできませんでした。アレス様は王宮に挨拶に行かなければならず、カイ様は約束通りソラさんを家へ連れて行き、残ったわたくしは騎士に連れられて、マリアンヌさんの工房へやってきたのです。


 変装、するために。


 そして奇妙な身支度が終わり――


 シェーラとの約束の場所へ行くため、わたくしは騎士と連れ立って町中を歩いていきました。


 王都はたしかに活気づいているようでした。心なしか、以前わたくしが住んでいたときよりも明るく見えます。


「お祭り騒ぎ……」


 わたくしが何気なくその単語をつぶやくと、「おお」と騎士がうなずきます。


「情報は正しかったな。たしかに、王都が浮き足立っている」

「いいのでしょうか、これは?」

「あまりよくないがなあ。しかし良い託宣が下った直後とは大体こんなものだ」

「………」


 たしかにそうです。例えば「今年は豊作だ」というような託宣が下った直後などは、むしろもっと目に見えて王都民がはしゃいでいたりもします。あらゆるところでお酒を振るまい、乾杯音頭が取られているのを、わたくしはある年に見たことがありました。


 問題なのは、今回の託宣が「よいもの」ではないということ。


「不安の裏返し……?」

「そうかもしれん。あるいは、絶対に大丈夫という無根拠の確信だ。今回は宮廷が後者を煽っているからな」


 宮廷が。その単語が、重くのしかかります。

 わたくしは無言になって歩き続けました。


 雨が近いとは言え、今はまだ明るい日差しの中の王都。

 全体的に白い壁の家が多く、余計にまぶしく見えます。ときどき太陽の光がまともに差して、わたくしは額に手をかざしました。


 隣では騎士が妙に弾んだ足取りで前に進んでいました。


「うむ、二人で町を歩くというのはやはりいいな!」

「そ、そうですか?」

「俺はこの都が好きでな。あなたにも見てもらいたかったんだ。修道院にいるとなかなか外に出ないだろう? もったいなくてな」

「………」

「いずれ俺たちの結婚式では町を練り歩こう!」

「っ」


 興奮気味で話し始める騎士を止める方法が分からず、わたくしは騎士の背中を思い切り叩きました。どふうと騎士がのけぞります。わたくしはしどろもどろでした。


「け、結婚なんかしませんよっ?」

「何故だ。この間のあれはもう許してくれたも同然――」

「言わないでくださいっっっ!!!」


 もう、もう。お願いだからこの間のことは言わないで。わたくしだって自分の気持ちに整理をつけるのに苦労しているのですから。


 ……この人のことが好き。それは認めるとしても。


 わたくしにだって都合があるのです。簡単には恋愛に走れない都合が!


 前を向き、わたくしは騎士を無視して大股に歩き始めました。待ってくれと騎士が後ろを追ってきます。

 そこから再び二人で歩く町中……


「ヴァイス様! ごきげんよう!」

「お連れさんは誰だい?」


 人通りの多いところを歩くと、騎士にかかる声の多さに驚かされます。さすが勇者の片腕です。


「お連れさんは恋人かね? とうとうヴァイス様にもいい人ができたのか!」

「残念ながらこれは妹の友人だ」


 騎士は固い口調で言いました。あまり嘘をつくのがうまくないようです。

 でもここでわたくしの正体を明かしてしまっては、変装の意味がありません。


「何だ残念。早くいい人見つけなよ、いつまでも修道女の尻なんか追いかけていないでさ!」


 わたくしはどきりとしました。

 当然のことながら、騎士の行状はみんな知っているのです。


「尻なんぞ追いかけとらん」

「なーにを。早く子を作るとかあれほど言っていたくせに」

「………」


 わたくしはしらっとした目で騎士を見ました。外でもそんなこと言ってるんですかこの人は。

 騎士は目をそらしました。


「あれは言葉の綾だ。いや子は一刻も早くほしいがな、ほしいのは巫女のすべてだ!」


 ――。


 かっと顔が熱くなりました。わたくしは慌てて下を向きました。こんな顔、騎士にも町の人にも見せられません。


 熱っぽい耳に、騎士の話し相手が大笑いするのが聞こえてきます。


「はははいつもの調子だねえ、うまくいくことを願っているよ!」


 おうとか何とか騎士が応えていますが、もうまともに聞こえません。


 もしやこんな会話をいつも町中でしているのでしょうか、この人は? そんなの――そんなのずるいです。


 再び歩み始めても、わたくしはずっとうつむき続けました。右から左から、騎士への声がかかります。


「巫――いや、どうした?」


 やがて人が減ったところで、騎士が声をかけてきました。

 手が頬に伸びてきます。それを思わず払いのけ、逆につねってやりました。


「な、なんだ? 何が気に入らなかったんだ?」

「気に入らないとかという話ではありませんっ」

「じゃあ何なんだ?」

「わ、分かりませんけど」


 どうしてもつねらずにいられなかっただけです。わたくしはぷいとそっぽを向きました。


「何なんだ???」


 騎士が疑問符を散らす気配。無視して一人で歩き出します。


 シェーラとの約束の場所は修道院から少し離れた、公園にある四阿あずまや――。




 四阿に到着すると、椅子から二人の人間が立ち上がりました。


「ヴァイス様! ……と、それに……」


 声を上げたのはシェーラ。騎士の隣にいるわたくしを見て、戸惑うような顔をします。


 やはりシェーラでさえ迷うほどのお化粧なのです。胸の中でマリアンヌさんに感謝の言葉を述べながら、わたくしはシェーラに駆け寄りました。


「シェーラ!」

「え……アルテナ!?」


 さすが声で分かったらしく、シェーラは目を輝かせました。わたくしはシェーラに抱きつきました。すぐに抱きしめ返してくれたシェーラ。確信してくれたのでしょうか。


 決して胸の大きさのせいで分かったのではないと思いたいのですが。


「なかなかの変装ですね」


 シェーラとともにいたレイリアさんがぼそっと言いました。「ですが、男装すればもっとよろしかったのでは。胸ないですし」


「突き飛ばしますよレイリアさん」


 実際男装する話も一度は出たことは内緒。そっちのほうが似合うんじゃないかとのたまった騎士に対しては……いずれどこかでやり返してやりたい所存です。

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