あなたらしくありません。―2

 わたくしは母とラケシスたちと別れて、父に会いにゆくことにしました。


 使用人が案内してくれたのは父の書斎でした。父がこよなく愛している部屋です。わたくしが勉学に抵抗がないのは、おそらく父に似たのでしょう。そう思うととても嬉しいのです。


「アルテナ」


 部屋を開けるなり、父の優しい声がしました。ああ、母のときと違って安心感のある穏やかな声。


「お父様」


 わたくしは父に駆け寄り、子どものように抱きつきました。父は抱き留めてくれました。大きな手でぽんぽんとあやすように背中を叩いてくれます。


「よく帰ってきた。大変だったな」

「ありがとうお父様」

「……ソフィアにも会ったな?」

「はいお父様。いつも通りでした」


 わたくしが正直に言うと、父は苦笑しました。「まったく困ったものだ」わたくしの体を放し、椅子に座るよう促します。


 わたくしは言われた通りに座りました。お父様は書斎机に座ると、机に肘をついてわたくしを見つめました。


「……お前が星の巫女に選ばれたと聞いたときは、さすがに喜んだものだが……。今ではその託宣を恨むことになろうとはな」

「……ごめんなさい」

「お前のせいではないさ。託宣は本物なのだろう」


 本物なら本物で困るのだがな。そう言って、お父様は苦く笑います。


「ヴァイス殿か。彼はどうしている?」

「……さあ。王都にいるのではないでしょうか?」


 わたくしはとっさに嘘をつきました。


 騎士は今この町に向かっているはずです。この町を悩ます魔物を討伐するために――。


 それを正直に言えなかったのは、父がどう反応するのか恐かったからでしょうか? 自分のことながら分かりません。


「彼も少しは悲しんでくれるのかね。お前がこちらに帰ってしまって」

「………」


 父は椅子に深くもたれ、ふうとため息をつきます。


「お前やラケシスの話を聞く限りは、遊んでいるようにしか思えなかったのだが」


 ぐうの音も出ません。実際当事者であるわたくしにも、騎士が遊んでいるようにしか見えなかった時期がありました。


 それが少しは違ってきたのは、いつからだった……?


(……いいえ、騎士は最初からずっと変わらない)


 変わったのはわたくしのほう。彼と向き合う、角度を強引に変えられてしまって。

 今では彼の気持ちを信じ始めている自分がいる――。


「ソフィアは何と言ったか分からんが」


 父は机の上で両手を組み合わせました。「納得のいかない結婚などする必要はない。託宣が本物であってもだ。それだけは覚えておきなさい」


「お父様……」


 わたくしの胸に、ぐっとこみあげてくるものがありました。

 ラケシスと同じ。お父様もわたくしの味方になろうとしてくれている……。


「……お父様、わたくしは結婚しません。修道院に戻りたいのです」

「修道長は何と仰っているのだね?」

「星の巫女には戻れませんが、修道女としてなら可能だと。周りは、うるさいでしょうが……」

「この町で暮らしたほうが楽だろう?」

「………」


 たしかにそうでしょう。この町でも託宣の騒ぎは知られているでしょうが、王都ほどの影響はないはずです。


 何より父の威光が、人々の白い目を幾分か和らげてくれる……。


「お前が決めたことならば私は何も言わんよ。ただ、お前が傷つき続けるような環境は許さん。そのときは無理にでもこの家に連れ戻そうと思う」


 父は優しく言いました。

 わたくしは小さく何度もうなずきました。


 うつむいてしまい、父の顔が見られません。こんなに温かく迎えてくれるというのに。


 父の安心できる環境を選べない自分が、つらくて。




 それから父はわたくしに怪我の状況を聞きました。おおむね良好ですが、父はこの後医者を呼んでくれるようです。


「動けないままだと退屈だろう。やりたいことはあるかね」


 そう問われ――。

 わたくしは即答しました。準備していた答を。


「魔物について勉強したいのです、お父様」


 父は目を丸くしました。「魔物?」





 魔物について学ぶ――。


 それは先日、シェーラのお父様であるブルックリン伯爵の騒動に遭って以来、ひそかに思い続けてきたことです。


 と言ってもあの騒動の直後はわたくしも取りまぎれていて、自分で学ぶ気力はありませんでした。


 今、こうしてサンミリオンで一息つけることになり、いい機会だと思ったのです。サンミリオンには図書館がありますので独学でもよいのですが、できるなら人について腰を据えて学びたい、と。


 ――居間に戻ってそんな話をすると、「それならいい人を紹介しますよ」とカイ様が言いました。


「僕の友人に学者がいるんです。魔物学の新進気鋭です」


 わたくしはひそかに感動しました。人間恐怖症のカイ様に『お友達』がいる……!


「……あの、お姉さん?」

「あ、ごめんなさい。その方は今は王都に?」

「いえ、実はサンミリオンにいると聞いていて」

「ずいぶん都合がいいな」


 紅茶を飲みながらソラさんが言います。口調はぞんざいですが機嫌がよさそうです。……たぶんあの後、うちの母に溺愛されたのでしょう。


 ちなみに母はすでにこの場におりません。この後友人とお茶をする予定だそうです。


「それはサンミリオンに洞窟ダンジョンが発生したからですか」


 ラケシスが真剣な顔でカイ様を見つめます。

 なるほど、魔物学の学者さんが今この時期にサンミリオンにいるのは何もおかしくないわけです。


「そうですね。今回の魔物はかなり特殊だと言われていて――。アレスも討伐に出るという話をしていましたよ」

「アレス様が……」

「はい。もちろん僕らもついていきます。絶対とは言いませんが、討伐できるよう努力はします」

「カイ、情けないぞ。そういうときはこう言うんだ――『必ず倒す』!」


 ソラさんが立ち上がり拳を突き上げました。カイ様が苦笑してそれを見上げています。


『必ず倒す』


 わたくしは騎士の言葉を思い返しました。

 あの自信にあふれた声。根拠などないはずなのに、こちらも信じずにいられなくなる強さ。


 その結果負けたらちょっとお馬鹿さんかなと思いますが、たぶん――負けない気がする。

 そんな安心感さえ、今のわたくしにはあるのです。


(何を言っているの。魔物の討伐に百パーセントなんてないのに)


 量産型の魔物もいるそうですが、洞窟ダンジョンを生み出すほどの魔物はいつだって唯一無二。


 過去に何匹魔物を倒した勇者であっても、“その”魔物と出会うのは初めてなのです。


 そして『初めての対処』に百パーセントはありえないのですから。カイ様のように慎重になるのが当然でしょう。


『信じろ』


(信じたい、でも)


「お姉さん、いつから勉強を始めますか?……お姉さん?」

「え? あ……ええと、すぐにでもお願いしたいです」


 わたくしは慌ててそう答えました。

 いけない、また一人で考えすぎています。


 カイ様の前髪の奥の目がちらりと気遣わしげにわたくしを見たのが分かりました。心配させてばかりで、本当に情けない。


 わたくしは顔を上げました。そして、口を開きました。


「魔物のことを学んで、できることを模索したいのです。ただ逃げるにも知識がいる。そう思ったので――」


 ブルックリン伯爵が豹変したとき、わたくしは悲鳴を上げてしゃがみこむしかできなかった。そんな自分が嫌で、どうにか変えたいと思ったのです。


 倒す、ことはできない力なき人間にも、できることを探したい。


 カイ様の口元が微笑みました。少しはこの心を分かってもらえたのでしょうか。


「立派だよ、姉さん」


 ラケシスがわたくしの背中を撫でます。何だかくすぐったいです。


 カイ様がソファに座り直し、声を弾ませました。


「それなら今ご紹介したい人はうってつけです。元ハンターなので」

「そうなのですか?」

「ただ、お金は払ってやってくださると……。なにぶん若くて研究費用がなかなか調達できないらしくて」

「若い……? おいくつでしょう?」

「二十五ですね」


 それは学者として一人でやっていくにはたしかに若すぎます。普通なら名のある学者についているべき年齢です。


 わたくしはおそるおそる、一番気になっていることを尋ねました。


「あの……男性、ですね?」

「そうです」


 やっぱり。予想していたのに、つい肩を落としてしまいました。


 できれば女性が良かった。修道院ではどんな分野を学ぶにも教師は女性でしたから、とても気が楽だったのです。


 とは言え『魔物学』で女性を望むのも難しい話でしょうから――。覚悟を決めなくては。


 カイ様は苦笑いをしました。


「変わり者なんですよね。一人で好きなようにしたいと言って……あ! でも人当たりはいいですよ!」


 慌てて擁護しますが、わたくしは嫌な予感を覚えました。カイ様のご紹介とは言っても、今の言葉は不安すぎます。


 なんて、騎士ひとりで十分!



 わたくしが帰宅したその日、町の人々から『お嬢様帰還祝い』という名の贈り物がたくさん届けられました。


 父はそれを全部お断りしたのですが――ある種の賄賂につながりますので――わたくしは話を聞いて、涙が出そうになりました。


 彼らはあくまで『町長の娘』だから厚遇してくれている。分かっていても、嬉しい。

 王都での、修道院での冷たい思いがぬぐい去られていくようで。


(……いいえ。修道院でさえ、わたくしにはちゃんと味方がいた)


 シェーラ。それになんだかんだでレイリアさん。アンナ様ももちろん――。


 あるいは表だっては分からなかったけれど、陰では同情してくれている人だっていたかもしれないのです。


(ああ、なんて恵まれているのだろう)




 夜。わたくしは自分の部屋の窓から空を見上げていました。

 冬に踏み込もうというこの時期。寒いですが、星が美しくまたたくいい夜です。


 こんな日は、星祭りの夜を思い出します。たくさんの観衆に囲まれて星の声を聞いたあの夜……


 気がつけばあの星祭りからそろそろ三ヶ月。次の星祭りがやってくる時期です。今回は誰が星の巫女となるのでしょうか。


 わたくしは両手を組み合わせました。そして、そっと目を閉じました。


 瞼の裏に星の光が焼きついて離れません。星は何とはかなげで、なんと優しい光を放つのでしょう。


 ――託宣は本物でした。今でもそう思います。


(それならわたくしはどうすれば――?)


 以前ほど騎士に嫌悪感がない。それは星の導きなのでしょうか?

 託宣の通りになるように、わたくしたちは促されているのでしょうか?


 だとしたら……この騎士への気持ちは、どこまでがわたくし自身の気持ちなのでしょう?


(教えてください、星の神よ)


 わたくしは祈りました。


 心をひとつにまとめることはできませんでした。託宣のこと、修道院のこと、王都のこと、王族のこと、町のこと、シェーラのことラケシスのこと父や母のことカイ様のことソラさんのこと……騎士のこと。


 すべてのことが大切で、どれから考えたらいいのか分からないのです。


(祈ることさえ、まともにできない)


 修道院にいたときは、毎晩当たり前にできていたことなのに――わたくしは小さくため息をつきました。



 星の声は、聞こえませんでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る