あなたらしくありません。―1
サンミリオンは小さな都市です。その中央部に我が実家はあります。
「いいお宅ですね」
屋敷を見てそう言ってくれたのはカイ様。その隣でソラさんがふんと鼻を鳴らし、「ふつうだ」と言います。
「ソラちゃん、失礼だよ」
「世辞を言って何になるんだ?」
わたくしはくすくすと笑いました。ソラさんは父が町長と聞いて、もっと豪勢なのを期待していたのかもしれません。
残念ながら我が家はこじんまりした屋敷です。これは父が町長になる前、結婚したてのころに建てた家で、それ以降忙しすぎて引っ越す暇も建て直す暇もなかったようです。
ただ、我が家は使用人が二人おりますので――。一般家庭並みの生活、とは言いがたいでしょうか。
呼び鈴を鳴らすと使用人が現れ、わたくしたちの荷物を運び込んでくれました。
「奥様が居間でお待ちです」
「そう……」
母が居間にいる。それを聞いて、わたくしは緊張しました。
後ろでラケシスが慌てて言います。
「大丈夫だよ姉さん。……たぶん」
「たぶんってなに、たぶんって」
カイ様とソラさんが疑問符を浮かべています。わたくしは笑ってごまかして、二人を居間へと招待しました。
お客さまを二人連れていることは、あらかじめ伝令で報せています。母は準備して待っているはずです。
四人でおずおずとくぐる居間へのドア――。
「まあ、ごきげんよう」
入るなり、誰かがソファから立ち上がりました。
わたくしは即座に身構えました。
「お母様」
「アルテナ。よく帰ってきましたね」
こちらに歩み寄りながら、母――ソフィア・グランデ・リリーフォンスはにっこりと微笑みました。
笑うとき首をかしげる癖のある母。美しく結い上げた髪が、それに合わせてわずかに揺れます。
優雅で華やかなドレス姿であるこの母は、元貴族の末娘です。ただし没落してしまった貴族であり、食いつなぐため四人いた女兄弟全てが商家に嫁いだそうです。
父の家に入った母の場合、父が途中で商人から政治家に路線変更していますから、相当の苦労をしたでしょう。それなのに今でも美しく優雅で誇り高く、いかにも貴族といった風情をかもしだしています。
……わたくしはまだ身構えていました。
そんなわたくしを無視するように、母はカイ様とソラさんに目を移します。
「まあかわいいお客人ですこと。そちらに見えるのは英雄のカイ・ロックハート様かしら?」
「あ、の、はは、はい……」
カイ様は逃げ出しそうです。こういった存在感のある人間は苦手に違いありません。
「本当に嬉しいわ、お会いできて。ずっとお近づきになりたかったのですよ。……アルテナ、カイ様に失礼なことはしていませんね?」
「……はい、お母様」
わたくしが神妙に答えると、母は意味深に目を細めました。「まあいいわ」とこほんと小さく咳払いをし、視線をすうとカイ様の横にいるソラさんへと滑らせます――。
「……それで、そちらのかわいいお嬢様が、ソラ・フォーライク様ですね?」
「その通り!」
わたくしやラケシスが何かを言うまでもなく、ソラさんが元気よく返事をしました。抱えている藁人形を持ち上げ、
「誰が言ったか天才人形遣い! ソラ・フォーライクとは我のことだ!」
「ソソ、ソラちゃん」
カイ様が慌てていさめようとします。
ですが母は、手にしていた扇子で口元を覆うと嬉しげに笑いました。
「ほんと、噂に聞く通り元気な娘さんですわ。お会いできて嬉しい」
(……お母様、我慢してる)
母の肘がぴくぴく震えているのを、わたくしはたしかに見ました。
それもそのはず。ソラさんはなんと言っても、『あの人』の妹ですから――。
それから母はカイ様とソラさんをソファに座らせ、使用人を呼ぶと二人にお茶を出させました。
そして、
「お客人の前で恐縮ですけれど、お二人とも、少しお待ちいただけるかしら。娘たちに話があるのです」
「あ、はい……」
「親娘再会はよいものだ! ゆっくりやれ」
カイ様は縮こまったまま、ソラさんは横柄ながらも心遣いのある表情でうなずきます。
ああ、とわたくしは絶望の中で思いました。いっそお二人がわがままでも言って母を放さなければいいのに。特にソラさん、なぜそんなに物わかりがいいの。……『母親』だから?
「ありがとうございます。アルテナ、ラケシスもこちらへいらっしゃい」
そう言って、颯爽と母は隣室へ向かいます。
わたくしが大きなため息をつき、ラケシスはそんなわたくしを慰めるようにぽんぽんと肩を叩きました。
「諦めよう、姉さん」
「少しは希望のあることを言って、ラケシス……」
隣室にはソファがなく、固い椅子とテーブルがあります。本来使用人が控えているための間です。
今はちょうど使用人が出払っているため、わたくしたちは三人きりになりました。
使用人が居間の様子を知るための部屋ですから、この部屋の壁は薄く作られています。ですのでここで話すと居間にも丸聞こえです。母はそれを分かっていてわざわざこの部屋を選んだのでしょう。これから起こることを考えて、わたくしは戦慄しました。
「アルテナ」
「は、はい、お母様」
思わず背筋がぴんと伸びます。母の目がわたくしをじっと見つめています。その視線に押し上げられるように、緊張が頂点に達しようとしています――。
「アルテナ……」
母は広げていた扇子をパチンと閉じました。
わたくしは、ひっと肩を縮めました。母は急にわたくしを睨み見て――、
それから、吠えるように言いました。
「……どうして! どうしてこうなる前にさっさとヴァイス様と結婚しておかなかったのです……!」
「お母様! ですからそれは」
「わたくしは言いましたね、何度も言いました! あの託宣は
ああああ……
わたくしの胸が失望に塗りつぶされていきます。変わっていない。全く変わっていない、この母は。
母は嘆くように天井を仰ぎ、額に手を当てました。
「ああ……お前があの託宣を下したとき、お母様は天にも昇る心地だったのに。ヴァイス様に。あの英雄ヴァイス様に娘が輿入れできる幸運など……! 滅多にあるものではないのですから!」
「でも母さん、ヴァイス様は――」
「お黙りラケシス。お前も女のはしくれならば分かりなさい、ヴァイス様ほど素晴らしい男性はいないのだと。それともお前は身も心も男に成り果てたか」
「成り果てたってなにさ母さん失礼だよ! 私も最近自分が男なのか女なのか分かんなくなってきたけどさ!」
え、そうなのラケシス。それってひそかに重大な問題じゃ。
けれどラケシスはその話を軽く流してしまいました。
「大体何度も教えただろ、姉さんはヴァイス様に散々辱められてきたんだ! そんな男と結婚しろなんて横暴だ!」
「どこが辱めなのです。激しく愛されて光栄なことではありませんか」
母は恍惚となって言い、ラケシスがげえと下品な言葉を吐きます。
たぶんラケシスはまともに騎士ヴァイスの行状を母に書き送ったはずです。それなのに、母の感想はこれなのです。
わたくしは両手で顔を覆いました。
そして、ラケシスに八つ当たりをしました。
「ラケシスの馬鹿、どうしてあの時騎士に『父と母の総意』なんて言ったの」
「だってあの場合言えっこないだろ、『母はあなたの信奉者です』なんて!」
ああ、ラケシスのあの言葉で少し期待したわたくしの馬鹿!
そう、母は以前から――託宣が下る以前から、英雄ヴァイス・フォーライクの信奉者であったらしいのです。
おかげで託宣が下った報せがサンミリオンに届いた直後から、わたくしには恐ろしい数の母からの手紙が送られてきました。早く輿入れしろとそればかり。おまけに『英雄の妻になるための五十五箇条』なるものまで送られてきて、わたくしは一時ノイローゼになりかけたのです。
ちなみに中身は『英雄には絶対服従』だとか『英雄より先に寝ない、英雄より後に起きない』だとか。語るだけでも疲れます。思想としてはこういうのもあってよいと思いますが、わたくしは絶対にごめんです。
ちなみに母が騎士を奉じるようになったきっかけは一年前の王宮凱旋パーティのときだとか。
そう言えば王女エリシャヴェーラ様もそのころ騎士を
「お母様、さっきソラさんを抱きしめたいのを我慢していらしたでしょう?」
わたくしは苛立ちまぎれにどうでもいいことを言いました。
そうよ、と母は両手を震わせました。
「ああ、さすがヴァイス様の妹御。何て愛らしいのかしら! お前が結婚すればあの子も我が家と縁続きになるのね。いっそうちで引き取りたいわ」
「ソラさんはかわいいけどそれはどうかと、お母様」
「そうそう。家をネズミだらけにされるよ」
「ネズミとは何の話です?」
ラケシスが懇切丁寧にソラさんが馬車でネズミをぶちまけた話をすると、母は扇子でぱしりと手を叩きました。
「いいわね! しつけがいがあるわ。本当に引き取ろうかしら?」
「「やめてください」」
わたくしはラケシスと声を揃えていいました。ああ本当に、フォーライク家の話題はすべて好意的に受け取る人です。実の娘のことはちっとも好意的に受け取らないのに、この差はなんなのでしょう?
やきもちをやいているわけでは決してありません、ええ! 単純に迷惑なのです!
……本当ですよ?
「失礼いたします。旦那様がお帰りになりました……アルテナ様をお呼びです」
母地獄からわたくしを救ってくれたのは、使用人のそんな報せでした。
「あ……今行きます! じゃあラケシス、カイ様たちをお願い」
「何を言っているのアルテナ。お客さまのおもてなしはこのお母様にお任せなさい」
「………」
母に任せるのが心配すぎて、わたくしはラケシスにこっそりと言いました。
「フォローお願いね。特にソラさんに行き過ぎないように。それとカイ様が怯えすぎて気絶しないように……」
「カイ様気絶したことあるの?」
「お母様相手ならありえるかもしれないでしょう」
……わたくしも大概なことを言っていますね。
でも謝りません、これだけは。
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